ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました   作:chikuwabu

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絶望の歌

 ≪LaLa―― LaLa――≫

 

 広大な海に、魔力を、呪いをのせたセイレーンの歌声が響き渡っている。

 海中のどこに逃げようとも逃れられないその歌声に対しては、物理的な防御は意味を持たない。その歌声は、魔力による耐性も容易くすり抜ける。そして、歌を聞いた者の精神に直接影響を与えるという、魔性の歌だ。

 

「くっ……ヒメちゃん、ヘノちゃん、大丈夫……?」

 

 桃子は、ギリリと歯を食い縛りながらも、その呪いの歌に抗っている。

 その影響を受けているのは桃子だけではなく、胸元に隠れているヘノも同様だ。

 

「きついけど……大丈夫だ。魔女にもらった。袋があるからな」

 

「うん……わかった。すぐに、解決しようね」

 

 桃子は、胸元に手をあてて、そこに身を隠しているヘノの存在を感じる。

 ヘノはいま小さな巾着に入り、桃子の胸元に隠れている。

 長崎の事件の際に、りりたんがヘノへと貸し出してくれた巾着――ヘノ袋であり、中には赤い魔石が入っている。地上の大気の中では魔力というものは拡散して失われていく性質があるのだが、大量の魔力を秘めた紅珠から常に魔力を補給し続けることで、ヘノは地上でも魔力を失わずに活動できたのだ。

 

 もちろん今はダンジョン内なので、大気中に魔力が拡散していってしまう心配はない。けれど、しかしこのセイレーンは――あやかしは、強い。

 その強大な呪いの歌を防ぐのは難しく、残念ながらヘノも呪いの影響を受けてしまうのは避けられないだろう。

 そのダメージで、万が一にもヘノの身体を構成する魔力を削られても大丈夫なようにと、りりたんがその紅珠を持たせてくれたのだった。

 

「……母様も。無理、しないで」

 

 ヘノの身を案じている桃子に対して、ひたすら泳ぎ、襲い来る魔物を爆散させていたヒメが声をかける。

 いま、この状況で。一番状態が安定しているのが、人魚姫ことヒメだった。

 セイレーンと同族故か。それとも、あやかしの――セイレーンの意思がそこに働いているのか。ただ一人ヒメだけは、この海に広がる呪いの対象から除外されているかのように、その精神に対する影響が少なかった。

 

 もしいま、桃子に何があったとしても、ヒメは戦えるだろう。呪いの歌声に抗い、戦い続けてくれるだろう。

 桃子は内心、そのことに密かに安堵を覚えていた。誰かにあとを任せられるというのは、幸福なことである。

 

 

 

 

 ≪LaLa―― LuLa――≫

 

 

 

 

 海の中に歌声が広がる。それと共に、桃子の心の中には、途方もない悲しみが広がっていく。

 ここが水中だからわからないだけで、桃子の瞳からはいま、悲しみの涙が止めどなく溢れ出ているだろう。

 

 悲しみと、孤独と、絶望。

 それがこの呪いだ。

 

 歌声が響くたびに、桃子の脳裏に様々な孤独の記憶が、悲しみの感情が流し込まれていく。

 それは、セイレーンの記憶だけではない。

 

 家族を喪い、他者との溝に足掻き、挫折し。道を踏み外しかけた少女の孤独の記憶があった。

 自分の命に価値を感じない。いくら強くなろうとも、自分が異端にしか感じられない。まるで死に場所を探すような少女の人生は、孤独なものだった。

 

 孤独に生きる探索者の記憶があった。ダンジョンで、どれだけ戦っても、英雄と呼ばれても。失った友は戻ってこない。

 それからは。特定の友を、特定の仲間を作らなくなった彼の人生には、温もりなどなかった。ただ、名声に反して、孤独な冷たさが憑きまとっていた。

 

 己の所業で人々が離れていってしまったものの記憶があった。

 信じていたはずの友に裏切られたものの記憶があった。

 愛する恋人を喪ったものの記憶があった。

 そして、家族に先立たれたものの記憶があった。

 

 次々と押し寄せる悲しみの記憶に、桃子の心が軋みをあげる。つらくて、悲しくて、心が潰されそうになる。

 

 そして桃子の脳裏に、今度はありもしない幻の記憶が浮かび上がっては消えていく。

 

 大切な同僚たちが、大切な後輩が、魔物の餌食となり。血の海に沈んでいく姿。

 大切なパートナーが、友となった妖精たちが、救いを求める表情を浮かべたまま、光になって消滅していく姿。

 深い水の底で、その身を貫かれ動かなくなる巨大な鯨。

 護り神を喪い、とうとう魔物に滅ぼされた山間の村。

 瘴気に全ての幸せを奪われた少女と、魔物に蹂躙される人々。

 全ての命が凍りつき、誰ひとり救われることのなかった悲劇のダンジョン。

 暗い遺跡のなか、石となり永遠に尊厳を奪われる人々。

 果てなき空から、とうとう最後まで救われることのなかった少女。

 死してなお人々のために戦ったにも拘らず、魂までもを蹂躙される英雄たち。

 

 そして、誰にも認識されなくなり、永遠の孤独に落ちる少女。

 永久に一人きりとなってしまった、未来の自分の幻だ。

 

『アナタモ、沈ンデ、トモニ悲シミマショウ?』

 

『ナカマ、ナカマニナリマショウ?』

 

 そして、脳裏に声が響くのだ。

 沈めば、仲間になれるのだと。同じ想いに苦しむ仲間が、他にも大勢いるのだと。

 

 それは、とても甘美な声だった。

 

 これは、ダメだ。

 

 こんな歌を、広めては、ダメだ。

 

「この歌は……ダメだよ、ダメだよ! セイレーン! あやかし!」

 

 桃子は、悲しみを耐えるように歯を食い縛る。

 いま、もし己の身体の中で、己を母として慕ってくれる人魚姫が支えてくれていなければ。

 もし胸の中に、大切なパートナーであるヘノの存在を感じられなければ。

 桃子は、この絶望に抗えず、深海へと沈む選択を選んでいたかもしれない。

 

 仲間を求めて。同じ悲しみを共有する仲間を求めて、セイレーンは、あやかしは歌う。

 

 しかし。これは、違う。それは、仲間などではない。

 

 

「絶望の歌を広げたって、誰も救われないんだよ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 ヘノは、気づけば薄暗い空間を漂っていた。まるで水の中のように静かに身体が沈んでいく。

 その場所は、下へ行く程に暗くなっている。眼下に視線を向けるが、そこにはもはや漆黒しかなく、どれだけの深さがあるのかもわからない。

 どうやら、あやかしの呪いに抵抗しきれずに、眠りに落ちてしまったようだ。ヘノは、この状況を冷静に考える。

 

「ここ。夢の中なのか?」

 

 精霊樹から作られた神槍ツヨマージが、仄かに光を放っている。どうやらこの神槍の加護が、呪いからヘノを護ってくれていたようだ。

 ヘノは呪いの夢の世界に落ちてもなお、自分を強く保つことが出来ていた。動こうと思えば、自由に上へと浮上できるし、周囲を飛び回ることもできそうだ。

 呪いに堕ちた妖精がこのような形で自我を保ち、夢のなかを自由に行動するというのは、あやかしにとっては致命的な誤算だろう。

 

 ヘノは、とりあえずなんだかわからない黒い糸が自分に絡み付いて動きが阻害されていたので、簡単な風の刃で切り裂いてみる。すると、すぐに身体が解放される。

 そして自由になった身で周囲を飛んでみてまわったところ、闇のなかに沈んでいこうとする多数の人間を見つけた。

 彼らは皆、俯き。膝を抱え。顔を伏せ。

 誰もが顔をあげる意思も見せず、ただ、静かに沈み続けている。

 

「おい。お前ら。何してるんだ。こんなところで。俯いてたって。何にもならないだろ」

 

 ツヨマージで、手近な男の腕をつつく。反応はない。

 別な女の頬をつつく。反応はない。

 誰も彼も、ヘノの声にも反応しないし、ツヨマージでつついても痛がりすらしない。よほど強固な壁で、心が閉じ込められているようだ。

 どうやら、これが『呪い』なのだなと、ヘノは感覚的に理解する。

 

「お前ら。しゃきっとしろ。もうすぐ。桃子たちが。助けてくれるんだからな」

 

 桃子が話していたのを思い出す。

 呪われたという彼らが目覚めさえすれば、少なくとも事態は好転するはずなのだ。人間たちがセイレーンを討伐しようとする理由はなくなるはずなのだ。

 

 ヘノはツヨマージを頭上に高く掲げて、そこに風を集める。どうやら、闇に沈む夢の中であろうとも、風というものは存在するらしい。

 それとも、この風もまた、ヘノの夢の産物なのかもしれない。

 

「起きろ! 起きろ! お前ら。起きないとグルグルするぞ!」

 

 ヘノを中心にして、風が吹き荒れる。突風が、巨大な渦を作り出す。

 力なく項垂れるだけだった人間たちは、抵抗も出来ずに風に巻き込まれ、あたかも洗濯機のようにヘノを中心にグルグルと流されていく。

 

「なんか。面白くなってきたな。こんど桃子にもやってみるか」

 

 自分の周囲を大勢の人間がグルグル飛び回る光景は、ちょっと面白かった。もちろん、人間を傷つける目的などないので、速度は抑えている。

 桃子や柚花がこれを目撃していたならば、タチの悪いジェットコースターか、あるいは人間洗濯機と評したことだろう。ヘノは楽しんでいるが、恐らく回されている人間にしてみればたまったものではない。

 その人間洗濯機をしばらく続けていると、ようやく。苦しげに呻き声をあげるものが現れた。

 

 だが、それまでだ。彼らはそれでも、起きようとしない。

 しかし、グルグルに巻き込んだ収穫がなかったわけではない。

 周囲の闇を風で吹き飛ばし、ようやくそれが見えてきた。先程は暗くてよく見えなかったのだが、今は彼らの身体にも黒い糸が絡み付いているのが確認できる。

 よくよく見れば、闇に近い場所にいる人間にはより多くの糸が絡み付いているようだ。

 

「もしかして。あの糸が。悪さしてるのか?」

 

 そして。

 その糸が続く先には、闇の中に潜む巨大な海蛇の姿があった。

 ヘノは海蛇というものを知らないが、蛇なら知っている。ヘノの記憶にある蛇というものは、基本的に迷惑しかかけない連中だ。

 

「全く。石にしたり。酒浸りだったり。人間を引きずり込んだり。蛇には。ろくな奴がいないな」

 

 ヘノは、ツヨマージに魔力を集中させていく。

 闇に潜む海蛇から、人々を解放するために。

 

 実体を持っている本物の魔物ならばともかく、目の前の海蛇は本体から切り離された、呪いのために作られた影のようなものだ。

 紅珠を持ち、神槍ツヨマージに護られたヘノならば。

 

 呪いの影を消滅させることなど、容易いことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ヘノが夢のなかで被害者をグルグル回しているころ。

 

 桃子とヒメは、歌声へ向けて大海原を泳ぎ続けていた。

 歌声の主であるセイレーン――あやかしも移動を続けているようで、なかなかその距離は縮まらない。

 

「ヘノちゃん……」

 

 胸の中のヘノは、眠りに落ちてしまった。残念ながら、呪いの歌に抗いきれなかったようだ。

 しかし、どうやら紅珠の効果なのかなんなのか、眠るヘノは別段呪いで弱っていく様子はない。ただ、すやすやと眠っているだけなので、今のところは問題無いだろう。それどころか、楽しい夢でも見ているのか、寝ながら笑みを浮かべている。

 

「ヒメちゃん。りりたんが言ってたよね。あやかしの紅玉だけを砕けたなら、もしかしたら……って」

 

「……うん。あの身体は、セイレーンの身体。あやかしを追い出して、返してもらう」

 

 海に潜る前に、りりたんに言われた言葉がある。

 

 ――全てを終わらせるには、あやかしの核である紅珠を砕く必要があります。それで、あの身体を操るあやかしを確実に消滅させられるでしょう。

 

 ――ただし、あれはセイレーンの心臓でもあります。心臓を砕き、セイレーンだけを助けられる保証など、ありません。

 

 ――ですから、その時の覚悟だけは、しておいてくださいね?

 

 いまの桃子とヒメは、一心同体である。例えばこの状態でこの身体の心臓を貫かれれば、きっと桃子もヒメも一緒に死んでしまうだろう。

 しかし、桃子たちはその理を覆さなければならない。

 自分達がやろうとしていることは「あやかしの心臓を砕きつつ、セイレーンだけは生き残らせよう」という、奇跡を望むような作戦だ。

 

 でも。

 それでも。

 それしか、友を救う手立てがないのだとしたら、信じて進むしかありはしない。

 

 いま、呪いの歌声は聞こえない。セイレーンは、あやかしは。動きを止めている。恐らく、自分達から距離をとるのを止めたのだろう。

 

「ヒメちゃん。セイレーンが、待ってるよ」

 

「……うん。母様、行こう」

 

 

 

 

 全ての島が海に沈んだ瀬戸幻海は、いまや広大な青の世界だ。

 

 太陽の光が水面を通して降り注ぐ。

 水面が揺れる度に、光の模様が移り変わっていく。

 

 桃子は驚くほどの速度で広大な水の中を滑るように泳いでいる。セイレーンが、あやかしが、この先にいるのが確信できる。

 周囲の風景を見れば、多くの海藻が潮の流れに揺られ、大小様々な魚たちの影が光を反射している。けれど、桃子はその魚影すら置き去りにして、ただ、泳いでいく。

 

 桃子はいま自分は泳いでいるという実感を持ちながらも、その自分の姿を俯瞰して見つめている。

 身体を動かしているのはヒメだ。

 ヒメが泳ぐ姿を、同じ身体の中から、ジッと見つめている。この状態にも慣れてしまったが、とても不思議な感覚だ。まるで、寝ながら見ている夢の中のようだと思う。

 

 泳ぐ。

 

 泳ぐ。

 

 目の前に、いくつもの魔物の影がある。

 しかし、ヒメは魔物に怯むことなく、すれ違いざまにその小さな拳に魔力を込めて振り抜いていく。

 魔物たちはその衝撃に耐えられず、一瞬にして弾け飛ぶ。ヒメよりも遥かに巨大な魔物ですら、圧縮した魔力を叩き込まれる衝撃には抗えず爆散し、そのまま煤となって水中へ消えていく。

 拳のあまりの速度によって、一瞬で局所的に水圧が低下し、水中にいくつもの気泡が生まれる。まるでシャコのパンチだ。

 魔力を帯びた自分の拳は、先程の檸檬との戦いで多くの裂傷を負っていたが、りりたんが全て綺麗に治癒してくれている。

 なので、いまの桃子は、ヒメは。万全だ。

 

 

 尾びれをしなやかに揺らし、まっすぐ矢のように水中を突き進んでいく。

 

 あの赤い珠を、破壊しなければいけない。

 全ての元凶を、この拳で。叩き壊さねばならない。

 

 友のため、同胞のために。ヒメは、その華奢な拳に再び魔力を集中させていく。

 

 そして、視線の先に現れるのは、赤い、赤い魔石。

 けれど、それは――。

 

「クフフ……ヒメ、一緒ニ、オチマショウ?」

 

「……あやかし。お前を殴って、セイレーンを、取り戻す」

 

 邪悪な笑みを浮かべる、青い髪をした女性の上半身。その胸元には、血のように赤く、黒い魔石が融合している。瘴気に染まり、不気味に輝く魔石だ。

 そして、その下半身は、すでに人魚のそれではない。美しかった尾びれはすでに無く、そこには巨大な海蛇の身体が続いていた。もはやセイレーンというよりは、ラミアやエキドナ、日本の妖怪で言うならば濡れ女といった存在に近いだろう。

 

 それの名は、あやかし。

 セイレーンの身体で、しかし邪悪な笑みを向けてくるそれは、間違いなく。

 この尾道ダンジョンに巣食ってきた悪意の権化、あやかしだ。

 

 セイレーンの身体を乗っ取ったあやかしが、ようやく。

 

 ヒメの眼前に、その姿を晒していた。

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