ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「キューン……キューン……」
ポンコが桜の森を飛ぶように駆け抜けていく。
ポンコの鼻が震える。森を抜けるにしたがって、血のにおいは強くなっていく。
これはもう、間に合わないかもしれない。
そんな悪い予感を振り払うように、桃子たちは大量の血を流している『誰か』のもとへと走る。
血を流すということは、それは魔物ではありえないのだ。そこに、命を持った『誰か』が血を流しているはずなのだ。
道を阻む何体かのゴブリンは、ポンコの爪の一閃で、ヘノの風の衝撃で、すれ違いざまに煤へと還っていく。今はゆっくりとゴブリンの相手をしている暇などない。
つむじ風の魔法のサポートを得て、一行は一陣の風となり桜の森を駆け抜けていく。
だが。
間に合わなかった。
「ポン……遅かったっすね……」
桃子はそこに、人間の探索者が負傷している姿を想像していた。しかし、その予感は裏切られることになる。
そこには、大量の血を流し横たわっているのは――獣だった。
その灰色がかった白い毛皮は赤黒い血に染まっていた。その身体には、至るところに深い傷があった。これでは、仮に桃子たちが間に合っていたとしても、救うことは難しかっただろう。
横たわる体躯の下には血溜まりができており、地面を覆う桜の花びらを赤黒く染めている。辺りに、鉄のようなにおいが漂う。
それは、体長にして90センチほどの、柴犬や紀州犬に近い姿をしていた。
桃子は最初、探索者が相棒として連れ込んだ狩猟犬が魔物に襲われたのかと考えた。けれど、その毛並み、骨格の形、そして佇まい。そのどれもが、その考えを否定する。
「え……これ、ニホンオオカミ……?」
「これが。ニホンなんとかかはわからないけど。原生動物だろうな」
桃子は思い出す。
この吉野ダンジョンは――いや、吉野山には、過去にはニホンオオカミが生息していたのだ。
すでに地上では絶滅した彼らだけれど、もし、仮に。地上での狩猟の手から逃れたオオカミが、このダンジョンへと逃げ込んでいたら?
彼らが人知れず、この吉野ダンジョンに生息していたとしたら?
しかし、今はそれを考えている場合ではない。桃子はこのオオカミについての考えを振り払う。
「グルルルル……ギャウ! ギャウ!」
その獣は、母親だったのだろう。
その亡骸にすがるように、小さな獣が――子犬、いや、子オオカミだろうか。小さな命が、血に濡れた身体を震わせながら、必死に母の亡骸を守ろうとしていた。
子供のオオカミもまた大きな傷を負っているけれど、まだ、生きている。
母の骸に寄り添い、そして、痛みと不安に震えながらも、必死に吠えて、威嚇を続けていた。動かぬ母親から、新たに現れた外敵を遠ざけるために。母を護るために。
「可哀想に、もう母親のほうは、息絶えてるよぉ」
「小さいほうは。まだ。生きてるぞ。かなり。怪我で。弱ってるけどな」
妖精たちは、冷静だった。彼女たちは、人間と比べると動物の生死というものについては比較的俯瞰したものの見方が出来る。
けれど桃子は、息がつまるような感覚を覚えていた。たとえ倒れていたのが人間ではなかったとしても、ショックは大きい。
桃子とて、魚や鳥を食べることに罪悪感は持たないし、自然界の弱肉強食というものも理解している。
けれど、目の前で。暴力に晒され、無惨に命が尽きた母オオカミの姿を目にして、何も感じずにいられるほどに桃子は達観してものを見られはしない。
だが、それ以上に。
いま、誰よりも動揺しているのは、ポンコである。
グシャリ。
ポンコが、血溜まりへと踏み込み、子供オオカミへと一歩、近づく。
「ねえ……ねえ、ポンは、敵じゃないよ……お願い、お願いだから、おいで……?」
「ポンコちゃん……」
母オオカミの亡骸を見るポンコの瞳は、濡れていた。
血を流す子へと呼びかけるポンコの声は、震えていた。
桃子は知っている。
ポンコは、幼いころに目の前で母親の死を目撃しているのだ。もしかしたら、この小さな獣に、かつての自分を重ねているのかもしれない。
桃子とて動揺は大きい。心臓がドクドクと激しく鼓動するのがわかる。
喉元には吐き気がこみ上げる。不意打ちのように現れた命の最期の現場を前にして、気を抜けばその場に崩れ落ちそうだ。
――けれど、今はポンコのためにも、冷静でいなければいけない。
「……ヘノちゃん、周囲には魔物の気配は?」
「感知してるけど。この周囲に。危険そうなのはいないぞ。きっとこいつ。遠くから逃げてきたんだ」
「……そう、なんだね……」
「このお母さんは、子供を守るためにここまで逃げてきたんだねぇ」
この母親に危害を加えた存在は、少なくともヘノの感知範囲にはいない。
桃子は、母オオカミの亡骸を見つめる。それはまだ、生きているのではないかと思う温もりを感じさせる。
このオオカミはやはり、この怪我を負ってでも、子供を護るためにここまで逃げてきたのだろうか。その命を懸けて。
ポンコは、まだ震える子供オオカミと向き合っている。
決して、睨み合っているわけではない。ポンコはただ、この小さな命を助けたいだけなのだが――その小さなオオカミは警戒心をあらわにしている。
「グルルル……」
「師匠、この子……ひとりぼっちで……怪我して……母ちゃんが……」
「ポンコちゃん、落ち着いて。助けよう。大丈夫だからね」
「キューン……」
桃子は、震えるポンコの手を強く握る。
ポンコは今、幼き日の母の幻影をみているのかもしれない。特殊個体である牛鬼から人間を守るために戦い、傷つき、ポンコの目の前で息絶えたという母、夕凪の姿を。
桃子は、ポンコを繋ぎ止めるかのように、強く、強くその手を握る。
「グルルルル……」
子供オオカミは、ポンコにだけ威嚇を続けていた。
この小さな命には桃子の姿が見えていない。桃子の【隠遁】が効いている。
だから、いざとなれば桃子が後ろから回って抱き留めれば、捕獲そのものは問題ない。しかし、それでいいのかと桃子は躊躇してしまう。
「まずは捕まえないとだけど……」
「桃子。いきなり捕まえても。多分こいつ。大暴れするぞ」
「人間は警戒されるからねぇ」
ヘノたちの言う通りだ。桃子は捕獲までは出来るけれど、そこから安全に確保し続けられる保証はない。
桃子がその手で直接抱き止めてしまえば、その時点で【隠遁】の効果は消えてしまうのだ。
唐突に、恐ろしい人間に捕獲されてしまえばこの子はどうなるか。それこそパニックになり、力の限り暴れるに違いない。それでは、助かるものも助からなくなってしまう。
小さなオオカミの呼吸は荒い。
小さな身体で、痛みと、恐怖と、限界と戦っている。
もしここに、眠りの魔法や沈静化の魔法を使える仲間がいたならば、と悔やむが、しかし悔やんでも仕方がない。
「師匠、ポンがやるっす。ポンは人間じゃないから、きっとこの子もわかってくれるっす。それに……ポンが、助けてあげたいっす」
「ポンコちゃん……」
ポンコの視線は、物言わぬ母オオカミの骸を見つめていた。その骸には至るところに深い傷があった。既に生気は失われ、ただ、血のにおいに包まれている。
ポンコが母オオカミの姿に何を思うのか、何を想起しているのか、桃子には分からない。
辺りには、風に吹かれる桜の葉の音と、獣たちの呼吸音だけが響いている。
ポンコは。
ぎゅっと、目をつむり、歯を食いしばり、拳を握る。
そして、次に目を開いたポンコの瞳は不安に揺れる子狸ではなく、一人の立派な――化け狸の長の血を引き、強い意志の光を瞳に宿した、まさに化け狸の姫としてふさわしい顔つきになっていた。
しかとその瞳で前を見据えたポンコの震えは、止まっている。
「グルルル……ウー……」
「そうは言っても。ポンコさんも警戒されちゃってるよぉ」
「きっとこの子は、この姿が怖いんすよね。この、人間の姿が」
ポンコは、自分の両手を見る。身体を見る。
それは、化け狸としての完璧な変化だ。どこからどう見ても人間の少女だった。これは、ポンコが長年求めていた変化の能力である。
けれど、皮肉にも今は、その完璧な人間への変化こそが足を引っ張っている。
ポンコもまた、幼き頃は人間に近づくなと教育を受けて育ってきたのだ。
だからこそ分かる。幼い獣にとっては、人間というのは恐怖の対象なのだ。
「たぬき。お前。何かこういう時の。術とかないのか」
「キューン……怖がらせない術なんて……人間の姿……そっか、ポンが人間じゃなくなればいいんすよ!」
「え?! ポンコちゃ――」
ポンコは、桃子をぐっと引き寄せて。そして、そのままの勢いで全身で桃子に抱き着いた。
突然のハグに桃子が困惑していると、ポフッという、布団を叩いたような音と共にポンコの周囲に小さな煙があがる。
時間にして数秒ほどだろうか。
煙が消えたとき、桃子に抱き着いているのは、服装までしっかりと再現されたもう一人の桃子だった。
否。それは、桃子であって桃子ではない。
135cmの低めの身長。背には刺繍で描かれたモチャゴンがポーズを決めているスカジャン。ショートパンツと、その下に履いたレギンス。親方が作ってくれた工具入れに、和歌から貰った探索者用ブーツ。
童顔気味の厚めの二重と、化粧っ気のないたぬき顔――ポンコのほうが本物のたぬきだが――。ふんわりとした栗色の大きな三つ編み。その頭にぴょこんと出た狸の耳。お尻のあたりから生えている大きな狸の尻尾。
「ももポンっす!」
「今?! ここで?!」
「相変わらず。桃子の姿は。再現しきれてないんだな」
それは、ももポン。
桃子の情報を隠し通す【隠遁】と、対象の姿を再現する化け狸の変化の力が拮抗した結果として生まれる、半獣姿の桃子。
本来は変身のし損ないとも言えるその姿だが、しかし今はポンコの狙い通りの変身だった。
「ほら、ポンは人間じゃないっすよ、けものっすよ。ほら、しっぽを嗅いでもいいっすよ」
「ウー……」
「なんか。わけがわからないことに。なってるな」
ポンコは、ももポンの巨大なしっぽを小さなオオカミへと向ける。
威嚇を続ける子供の目の前で、ふさふさのしっぽを振り、その鼻先へと近づける。
ヘノはぼんやりと首を傾げながら呟いているけれど、しかしポンコは真剣だ。
「だから、お願い。わんこさん、ポンに助けさせてほしいっすよ」
「……ウー……キューン……」
子オオカミの警戒が、わずかに解けていく。
動かぬ母の身体の影から、目の前の毛皮の温もりを求めるように、小さなオオカミが姿を現す。
その足は大きな傷を負い、ぶるぶると震えながらも、一歩、一歩とポンコのしっぽへと顔を埋めていく。
まるで、母の温もりを求めるように。
だがそこで――その小さな身体は、力尽きるように、静かに倒れこんだ。
「オオカミさん!?」
「大丈夫だよぉ。どうやら、気を失っただけみたいだねぇ」
桃子が慌てて駆け寄るが、どうやら小さなオオカミは出血と疲労により、気を失っただけのようである。
その身体は、子供とはいえ猫や小型犬よりは大きく、桃子はその身体を両手でしっかりと抱える。その後ろ足には大きな傷があり、痛々しい。
「不安だったっすよね、怖かった、痛かったっすよね。すぐに治してあげるっすからね」
桃子がその小さな獣を両手で抱えると、ポンコが濡れた瞳でその汚れた毛皮に鼻先を埋める。
「私の力じゃ応急処置しかできないよぉ。急いで妖精の国に戻ったほうがいいよぉ」
「そうだな。ニムかルイに頼もう。いなければ。女王に頼むか」
「そうだね。すぐに戻って、まずは傷口を綺麗な水で洗わないと」
「わんこさん、あと少しの辛抱っすからね」
ノンが大地の力で治癒の魔法を施すことで、小さなオオカミの呼吸は多少は穏やかになってきた。あとは、桃子が常備していた薬草をすり潰し、患部に塗りつける。これらの応急処置で怪我の悪化は防げるかもしれないが、それではこの子オオカミを救うことにはならない。
桃子は、ポンコにその小さなオオカミの身体を託す。
ポンコは恐る恐る手を出して、愛おしそうにその小さな命を受けとり、優しく抱き締める。
「でも、その前に……」
桃子は、その場に残されている母オオカミの骸を見下ろす。
永遠に咲き続ける桜の花びらが、その骸の上に降り注いでいる。
「ノンちゃん、お願いしていいかな」
「うん……可哀想だもんねぇ」
言葉は少くとも、大地の妖精ノンは桃子の意図を理解してくれた。
ノンの力で、オオカミの骸の横に、大きな穴が作られる。その身体が横たわるに十分な穴だ。
桃子たちは、桜に囲まれたこの場所に。
その母オオカミを、静かに。休ませることにした。
桜の花びらが、風に舞う。
ぬくもりの消えていく灰色の毛皮の上に。柔らかな土が降り注ぐ。
「あなたが守り通した子は、ポンコちゃんが守ってくれたよ」
全てが土に覆われると、最後に母オオカミの毛皮と同じく、灰色がかった白い色の岩――墓石を、ノンが作り出す。
きっと、桃子たちにしかこの岩の意味は分からないだろう。
探索者たちが見ても、ただの岩があるとしか思わないのだろう。
けれど、それでいい。
桜の森にひっそりとたたずむ墓石に、桃子は言葉を伝える。
「おやすみなさい、あとは任せてね」
その言葉に、返事はない。
ただ静かに、風にのった桜の花びらだけが。オオカミの眠る地を、そっと包み込んでいく。