ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました   作:chikuwabu

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牛鬼

 ニムの作り出した水にいきなり沈められるという『擬似的な危機』によって召喚された人魚姫こと、ヒメ。

 桃子の危機を演出した柚花たちに対して思うところはあるものの、しかし今は目の前にいる魔物の退治が先決だと判断し、次々と襲い来る漆黒の蜘蛛を煤へと化していく。

 

(なんか、ごめんね、夜中に呼び出しちゃって)

 

(……いい。母様の危機に、駆けつけるのは当然。さすがに、ニムによる、攻撃だとは、思わなかったけど)

 

(あはは、私もちょっと驚いちゃったけど)

 

(……あとで。柚花、ニム、ヘノには。私が、拳骨しておく)

 

(待って待って! ヒメちゃんが拳骨したら三人ともはじけ飛んじゃうから、私があとでちゃんと叱るから!)

 

(……そう。それならいいけど)

 

 桃子とヒメの心の中でそのような命の危機を迎えていたとは露知らず、周囲のメンバーはヒメの戦闘力に驚嘆し、大きな安心感を覚えていた。

 先ほどまで、桃子は完全に蜘蛛たちから標的と認識されており、本当に、危険だったのだ。真っ先に脱落する未来すらあり得たのだ。

 その桃子が『ヒメの憑依』という自衛の力を手に入れたことは、柚花、ヘノ、ニムにとってはこの上なく幸いなことだった。

 ヒメを呼び出す作戦は、桃子が起きる少し前に三人の中で思いついたばかりの作戦で、ヒメはもとより桃子本人に伝えるタイミングもなかったのだが、何も知らない桃子が本気で慌てて危機感を覚えたからこそヒメがやってきたことを考えると、作戦を伝えられなかったのは逆に結果としては成功といえる。

 

「あとで先輩には土下座ものですけど、さすがは琵琶湖の長ですね!」

 

「こいつ。水中だけじゃなくて。地上でもものすごく。強いな」

 

「うぅ……て、手が……は、速くて見えませんねぇ……」

 

 ヒメの戦闘力は、圧倒的だった。

 桃子の全力のハンマーと同等の威力の、目にもとまらぬ速さの拳がヒメの武器である。

 水の抵抗のある水中ですら、摩擦で気泡が浮かぶ程なのだ。それが地上で振るわれるならば、いかに牛鬼の配下たる大蜘蛛とて、対峙した瞬間にはすでにはじけ飛んでいる。

 

「さすがヒメちゃん、パンチがすごいや!」

 

「……母様。喋ると、舌を噛むよ」

 

 相変わらずの、表情豊かな桃子と無表情なヒメの一人二役会話を繰り広げながらも、まるで準備運動のように、ヒメは蜘蛛を吹き飛ばしていく。

 彼女の致命的な弱点であるリーチの短さも、遠距離からの攻撃を持たない蜘蛛が相手ならば、どうということはない。牛鬼本体ならばまだしも、配下の蜘蛛たちは知能もさほどないようで、ヒメを警戒することすらなく、次々と向かってきては、はじけ飛んでいく。

 また、距離を取り瘴気の糸を飛ばしてくる蜘蛛もいるにはいるが、魔法生物であるヒメの瞳には瘴気の糸がはっきりと映し出されており、ヒメが拳を振るえば飛ばされた糸はものの見事に衝撃だけで消滅していく。

 

「ヒメさんがいてくれれば、先輩のほうは大丈夫そうですね」

 

「うぅ……でも……」

 

「まずいぞ。桃子はともかく。他の探索者たちが。糸に。絡め取られてる」

 

 ヒメの降臨により、柚花を中心としたこの観覧席での戦いは優勢となっている。ただし、それだけだ。

 いかにヒメが強くとも、手の届く範囲があまりに狭い。彼女は、離れた探索者の救いとはならない。

 柚花が延々と雷を放出し、闘技場全体の殲滅のサポートを担っているが、さすがに既に柚花の魔力も残りが少なくなってきている。

 元からのスペックに加えて普段から桃子のカレーを食べ、妖精たちからもサポートを受け、一般人とは比較にならない魔力量を保持している柚花ですら、限界は近い。

 このままでは、魔力が底をつく。

 しかし、今は正念場だ。ここで人間たちが耐えられなければ、牛鬼をおびき寄せられない。

 

「ああもう! 牛鬼さえ、本体さえ現れれば……!」

 

 柚花の脳裏には、事前に話し合った戦略がしっかりと残っている。

 この数ヶ月の間、ギルドの有識者や各地の高ランク探索者たちとの話し合いの場を作り、何度も話し合ってきた。更には、化け狸の長にも、妖精女王ティタニアにも、そして、りりたんにも相談し、これならば勝利の目はあると確信できる戦略だ。

 けれど、このまま人間たちの力が削ぎ落とされれば、すべてはお終いである。

 

「……ヘノちゃん、私は大丈夫だから、みんなを助けにいってあげて!」

 

「先輩?!」

 

 そこで、声を上げたのは誰でもない、桃子だった。

 桃子はいま、ヒメと一心同体である。ヒメが身体を動かして戦ってくれているからこそ、桃子の精神は冷静にこの第二層の状況を俯瞰できた。

 だからこそ、この戦いの中で、風の妖精であるヘノが自分に付き従っているのはマイナスでしかないと判断出来る。

 そしてそれは、風の妖精だけではない。今ここにずっと残っている、水の妖精にも言えることだ。

 

「ニムちゃんも、ここよりも救護班をお願い! 癒やしの力は、多くの人を救えるはずだから!」

 

「でも。桃子。ヘノは……」

 

「うぅ……で、でも……」

 

「私は、大丈夫だから!」

 

 先ほど柚花が言っていた『何があろうと、桃子は魔法生物と共にいるように』という条件は、桃子がヒメと一心同体になっている今ならば問題なくクリアできている。

 ヘノ、そしてニム。きっと彼女たち妖精にとっては、それぞれのパートナーが一番大事なのだろう。桃子と柚花の安全こそが、一番の優先事項なのだろう。

 それを理解した上で、それでも桃子は強く訴える。

 自分たちより、他の人々を頼む、と。

 

「ヘノ先輩、ニムさん。先輩の言うとおり、今は私たちよりも、人間全体を助けてください! ここには私も、ヒメさんもいますから!」

 

 そして、魔力を振り絞りながらも声を上げるのは柚花だ。

 桃子の判断は、正しい。

 ヒメの助力さえあれば、桃子はヘノが居なくても戦えるのだ。いま、ヘノたちの力を一番必要としているのは、ここではないのだ。

 

 ヘノの、ツヨマージを握る手に、ぎりりと力が入る。

 桃子が一番大切で、桃子を守るためにここにきたのだ。桃子を危険な場所に残して他者を助けにいくなど、そんなことは、ヘノのやりたいことではない。

 けれど、何が一番桃子の助けになるのか。牛鬼を倒すためにヘノがやるべきことは何か。

 今のこの状況で、それが分からないほどに。ヘノはもう、子供ではない。

 

「……わかった。ニム。行くぞ。桃子と後輩を助けるためにも。この状況を。ひっくり返すぞ」

 

「わ、わかりましたぁ……! ゆ、柚花さん、絶対に……負けないでくださいね……!!」

 

 泣きそうな表情で――いや、既にぼろぼろと頬を濡らして、ニムも心を決める。

 桃子と柚花を助けるために、桃子と柚花の助けになる人間たちを助ける。

 それが、妖精たちの判断だ。

 

 ヘノは。ニムは。それぞれのパートナーの目を見て、コクリとうなずき合い。

 緑の風を纏う妖精と、蒼の水を司る妖精の二人が、いま。

 血の匂いが広がり、多くの怒号が響きわたる闘技場へと、まっすぐに飛んでいく。

 

 

 

 

「……母様。これで、いいの?」

 

「あはは、ヒメちゃんには隠し事はできないよね。一心同体だし」

 

 身体を共にしているヒメには、伝わってしまうのだ。

 桃子がいま、ヘノが離れていくのをどんな気持ちで見ているのか、ヒメには手に取るようにわかるのだ。

 

 心配。不安。そして少しの後悔。

 ヘノと共にいたい。ヘノに離れて欲しくない。ヘノに何かあったらどうするのか。

 そのような気持ちが、桃子の内にこみ上げてくる。

 けれど、それでもなお、戦況はそれを許してくれない。

 

「ヒメちゃん、大丈夫! なんとかなるから頑張ろう!」

 

「……見たところ。人間は、かなり不利だけど」

 

「ヒメさん、ズバリ言うじゃないですか」

 

 ヒメは、桃子の身を守るために戦っているけれど、本質的にはこの戦いがなんなのかもまだ良くわかっておらず、第三者的な立ち位置だ。

 だからこそ、歯に衣着せずものを言える。

 この戦いは、人間が不利だ。この状況から更に敵の首魁が現れるとしたら、どう考えても、勝ち目などない。

 

「でもヒメさん、人間が形勢不利になるのは、読み通りなんです!」

 

「……どういうこと。説明、欲しい」

 

 ヒメと桃子が、相変わらずの一人二役の二重人格のような状態で会話をし、そこに柚花が口を挟む。

 止めどなく響く雷撃の音に加えて、地上からは定期的に巨大な爆発音が響く。

 もしかしたらいま、第一層にもこの漆黒の蜘蛛が発生しているのかもしれないが、ここから先はもう、上階で戦う者たちを信じるしかない。

 

 柚花の剣から放たれた電撃が、観覧席の壁を静かに移動してくる漆黒の蜘蛛たちを蒸発させていくが、しかしその威力はすでに微々たるものだ。

 もう、柚花の魔力は底をつきかけている。

 

「この状況は、勝利を確信しなければ姿を現さないという特殊個体『牛鬼』の本体をおびき寄せる餌なんです!」

 

 柚花は語る。この戦いは、人間が不利になるのはわかっていたことだ、と。

 そして、この『人間が不利な状況』もまた、敵の首魁である牛鬼をおびき寄せるための餌なのだと。

 それは、桃子も理解出来ることだ。牛鬼は、以前のときにもクヌギを操るだけで、己で姿を現すことはなかった。この敵は、そういう狡猾な存在なのだ。

 だからこそ、どうにかしておびき寄せる必要がある。

 

「この状況で牛鬼が勝利を確信して、本体さえ姿を現せば、私たちには最後の――」

 

「……柚花?」

 

 しかし、熱弁を振るう柚花の言葉は、途中で途切れる。

 目を丸くし、【看破】の瞳に魔力の光を宿らせて、信じられないものを見るように、中空を見つめている。

 そして、ガバっと振り返り、柚花は闘技場で戦う勇士たちの姿を見て――。

 

 その瞬間、空気が急に、冷たくなった気がした。

 

「全員、武器を捨ててっ! 早く! 武器を手放してええっ!!」

 

 そして、闘技場に、柚花の絶叫が、響く。 

 

 

 

 

 

 探索者たちは、タチバナという少女が【看破】という力を持ち、今回の戦いの司令塔だと言うことを知っている。

 彼女の判断は間違いがないのだという、信頼も、そして確かな実績もある。

 だからこそ、その声が聞こえた探索者の何割かは、反射的に自分の持つ武器を手放すことができた。

 

 しかし、現実はそううまくいくことばかりではない。

 なにより、今は戦闘中なのだ。

 いかにタチバナに指示を出されようと、魔物と斬り合っている最中に、あるいは魔物の攻撃を防いでいる最中に、即座に武器を手放す判断ができる探索者というのは少ない。

 

「え……ど、どういうこと? 柚花……?」

 

「……母様。目をこらして。上を見て」

 

 そして、桃子が柚花の絶叫の意味を知ったのは、すぐのことだった。

 ヒメの忠告に桃子が上を見ると、そこに、いた。

 

「え?! な……っ?!」

 

 いつの間にか、音もなく。巨大なビルほどの高さのある、この闘技場の遙か上に広がる天井に、巨大な蜘蛛の姿があった。

 姿はこの距離から見てもわかるほど、巨大な蜘蛛だ。足を広ければ20メートルはあるだろうか。あまりに巨大であり、もはや現実感を伴っていない。

 そしてその顔は、牛鬼の伝承にあるような、牛とも鬼とも言えぬ邪悪なものだった。その面が、地上の人間たちを愉悦とともに見下ろしている。

 その顔は、邪悪であり、その姿を目にするだけで桃子の背筋に悪寒が走る。

 今までも、巨大な魔物というのは何度か見たことがある。それこそこの階層を守護している巨大ゴーレムはもちろん、吉野ダンジョンではあれより巨大な異形の巨人を倒してきた。

 しかし、この圧迫感は、それらの比ではない。

 そう。まさに、バジリスクや霜の巨人といった、邪悪なる存在と同種のものだ。その姿を見るだけで魂を押し潰されるような圧迫感が、桃子を――そして、全ての探索者たちを襲う。

 

「あ……くっ……」

 

「柚花?!」

 

 そして、目の前では、柚花が苦しんでいる。

 桃子には何が起きているのかわからない。けれど、魔法生物であるヒメに身を任せると、同じ身体を共有する桃子にもそれが見て取れた。

 それは、糸だ。

 漆黒の蜘蛛たちの細い糸に紛れ、それを隠れ蓑にするようにして、黒い、瘴気を凝縮したような糸が柚花の身体にも絡みついている。

 いや、それは柚花だけではない。気づけばその糸は空間中に張り巡らされ、探索者たちの身体を縛っている。

 

「……母様。任せて」

 

 ヒメが拳をしならせれば、桃子の周囲にあった黒い糸はすべて一瞬ではじけ飛ぶ。幸いにも強度としては、ヒメの破壊力のほうが上だったようだ。

 ヒメはすぐさま、柚花を締め付けていた黒い糸も拳で力任せにまとめて消し飛ばす。

 

「っぐ……はぁ、ヒメさん、本当に強いですね」

 

「柚花、どうしよう……! 牛鬼が……みんなが……!」

 

 桃子と柚花の二人のことは、破壊力の権化たる魔法生物である人魚姫が力任せに救ってくれた。

 しかし、多くの人間は、そしてヒメほどの力を持たない化け狸たちは、そうはいかない。

 桃子の視界には、絶望的な光景があった。

 

 操り人形の、人形劇。

 桃子の眼下では、先ほどまで漆黒の蜘蛛と戦っていた探索者たちが、まるで操り人形のようなぎこちない動きで、仲間に向けて武器を振るう姿が広がっていた。

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