ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
寝袋で眠っていた桃子が目覚めたのは、長崎ダンジョン第一層に建てられた教会だ。
昨晩は、ずっと昔から自分を見守ってくれていた幼なじみであるイチゴ、そしてダンジョンの不思議な魔女として、なんだかんだで皆を助けてくれているりりたん、その二人と語り合い、楽しい夜を過ごしたのを覚えている。
しかし、その日の朝は、いつもと空気が違っていた。
いつもならば朝は惰眠をむさぼる桃子だが、この日はふと目覚めることができた。
いや、心をざわつかせる"虫の知らせ"に起こされた――と言った方が正しいかもしれない。
時刻はまだ、早朝といえる時間だというのに、桃子は身を起こす。心の中では、得体の知れない警報が鳴り響いている。
「ん……あれ? 今って何時? りりたんは?」
「おはよう、スズランちゃん。りりたんちゃんは用事があるらしくて、夜のうちにどこかにふらりと出て行っちゃった」
「ええー、なんか寂しいなあ」
桃子が目覚め教会内を眺めると、そこに居たのはイチゴだけだった。
若草色を主体とした、聖ミュゲット女学園のセーラー服。昨晩は突発的なキャンプで、イチゴはセーラー服のまま寝袋に入ったはずなのに、不思議なことに、彼女の制服にはしわひとつなかった。
イチゴはひとり、マリア像の前で手を合わせ、祈りを捧げていたようだった。桃子が起きる気配に気づくと、いつもの優しげな微笑みで桃子を見つめる。
イチゴのトレードマークである黄色いリボンが、風もないのにふわりと揺れる。
室内には、りりたんの姿がなくなっていた。
彼女はもとから神出鬼没で、何を考えているのかわからず、自分の気の向くままに行動している少女だ。
今回も、何かしらの目的があるようなことを言っていたし、きっと初めから桃子とは別行動をとるつもりだったのだろう。
けれど。
三人で地上に戻り、三人でダンジョン周辺の街を観光するのを期待していた桃子としては、どうしてもそこには寂しさがつきまとう。
「まあ、とりあえずは帰ろうっか。外で、朝ご飯食べようね」
「ん、そうだね、スズランちゃん」
りりたんのことは心配しても仕方がないと桃子は割り切って、元気よくイチゴに声をかけるのだけれど。
この朝のイチゴは、なんだかいつもと違い、妙に元気がないように――幼なじみたる桃子には、そう見えたのだった。
長崎ダンジョンの朝には、涼しい風が吹いていた。
おどろおどろしいゴーストたちが闊歩していた昨晩の光景がまるで全て嘘だったかのように、辺りには爽やかな朝日が降り注ぎ、原生の鳥たちのさえずりが響いている。
空気も清々しく、道のりにはうっすらと朝霧が漂っている。
それらの自然の景色は、言葉では表現しきれないほどの、不思議な神々しさを備えていた。
しかし、そんな道のりを歩きながらも、イチゴはやはり元気がない。
「イチゴちゃん、大丈夫? もしかして、お腹すいちゃった? 一応、エナジーバーくらいならあるよ?」
「ううん、大丈夫。ねえ、スズランちゃん。いきなり目の前から友達がいなくなったら、悲しい……よね」
「え、そりゃもちろん……そうだけど。もしかしてイチゴちゃん、りりたんのこと気にしてるの?」
ダンジョンの景色は美しい――のだが、どうやらイチゴはずっと考え事をしている。
そして桃子も、起床時から感じている胸騒ぎのようなものが、今でも心の中に渦巻いている。
ダンジョンの出口へと向かう、霧に包まれた山道は。美しいながらも、どこか、不穏な空気を感じさせた。
「りりたんのことだから、今もどこかで好き放題してるんだとは思うけどさ。こういう時くらい、最後まで一緒にいてくれてもいいのになって」
「そうだよね。うん。一緒に居て欲しいよね……いきなり消える友達なんて、本当は、ひどい傷跡を残すだけだって、分かってた……」
「……イチゴちゃん?」
どうやら、会話が互いに噛み合っていないことに桃子は気づく。
イチゴが、うつむき加減で立ち止まり、桃子に向き直る。気づけば、周囲の霧が濃くなっている。
木々の間を抜ける朝の光が桃子を照らし、そしてイチゴを木陰に隠す。
「ごめんね。スズランちゃんとは、長く居すぎちゃった。分かってたの」
「え……?」
「私だって、思い出を作れば作るほど、相手に傷を残すだけだっていうことは……分かってたんだ」
「イチゴちゃん、待って? ねえ、どうしたの?」
不穏な胸騒ぎが。桃子の心の中の警報が。
鳴り止まない。
「だけど、そういう風に生まれちゃったんだよ……私は、俺は、僕は、どうすればよかったのかなあ」
そんな、イチゴの誰に言うでもない呟きとともに――ふと、どこからともなく笛の音が聞こえてきた。
こんな時間に、こんな場所に。どうしてここに、笛の音が聞こえてくるのか。桃子の心の中の警報が、鳴り響く。
不可思議な笛の音。
そして、桃子の目の前には、今にも消え入りそうな、大切な幼なじみがいる。
これでは、これではまるで、"あの話"そのものではないか。
桃子は何かを言おうと口を開くが、言葉が出てこない。声を発せられない。
――先輩、不思議な笛の音でずっと一緒にいた友達が消えちゃうんです。
いつかの柚花の声を思い出す。
柚花が聞かせてくれた、ハーメルンの笛吹き男と呼ばれている、不可思議で悲しい話が脳裏に蘇る。
――いいですか、先輩。地上には、そんな人間はもともと存在していないんですよ。
「……イチゴ……ちゃん……嘘だよね……?」
ようやく出てきた声は、かすれて。
ただ、目の前にいるはずの『幼なじみ』に、小さく問いかける言葉しか出てこない。
「スズランちゃん。私は、貴女と一緒に冒険できたこと、本当に楽しかったんだ」
桃子は、イチゴへと手を伸ばし、その存在を確認する。
大切な、ずっと一緒だったはずの幼なじみの手を、強く握り、心から声を絞りだす。
「……イチゴちゃん、イチゴちゃん、イチゴちゃんっ! 違うって……違うって言ってよっ!」
笛の音が響き渡る。
「私も、覚えてるんだよ? 一緒にたき火を囲んで、カレーを食べて、木の実を探しに冒険をして――」
イチゴが、桃子を抱きしめる。
間違いなく、そこにはイチゴの温もりがある。幼なじみの温もりがある。
けれど。
「待って、待って! そんな……だって、私たちはずっと……!!」
「本当に、楽しかったよ。私は、あなたの思い出を一生忘れないよ。だから――」
幼い頃に知り合った。
一緒にたくさん冒険をした。
キャンプファイアーでカレーを作った。
小川の流れるダンジョンをともに探検した。
古代遺跡では、不思議な鏡を手に入れた。
全て、桃子は覚えている。笑い合ったことも、二人で泣いたことも。
それなのに、それなのに。
朝霧のなかで、イチゴの温もりが、幻のように。
消えていく。
『――桃子ちゃんは、私のことは忘れてね?』
まるで、そこには本当に、初めから誰もいなかったかのように。
桃子の腕のなかから、イチゴという存在は、消失した。
「嘘……嘘だよ……そ、そんなの……」
桃子は、ただ一人。
誰もいない、霧の中で。
突然訪れた喪失と孤独に、立ち尽くしていた。
「桃子さん! 桃子さんっ!」
「う……うう……奈々さん、奈々さんっ、イチ……ちゃ……イチゴちゃん……が……」
老芝奈々が、長崎ダンジョンギルドから『泣きじゃくっている子供を保護した』と連絡を受けて駆けつけたのは、それからしばらく後のことだった。
奈々がギルド内の個室に駆けつけたときには、そこにいたのは目を真っ赤にするほど泣きはらし、憔悴した桃子の姿だった。
「桃子さん、大丈夫です。私がいますから、大丈夫ですからね」
「うっ……うぅ……やだ……やだぁ……」
「梨々さんから事情は聞いています、聞いていますから……!!」
「奈々さん……やだ、やだ……イチゴちゃんが……いないだなんて……」
奈々が抱きしめると、桃子は奈々の懐に顔を埋めて、涙を流し続ける。
恐ろしい現実を否定するように、首を横に振り、手を震わせ、声を上げ続ける。
残念ながら、今の桃子には奈々の言葉は届いていない。
奈々は、桃子を抱きしめて、桃子の髪を撫で続けながらも、昨日のことを思い出す。
昨日、りりたんが一時的に地上へと戻ってきたタイミングで、奈々は聞かされていたのだ。
桃子が『ハーメルンの笛吹き』と出会ってしまったことを。
そして、桃子は恐らく、幼なじみの消失という現実に、耐えられないことを。
『ももたんがパニックになっていた場合は、昏倒させるくらいの意気込みで、全力で魔法を行使してあげてくださいね。そうでもしないと、ヘノさんの加護で打ち消されてしまいますから。ふふふ』
奈々は、懐から一つの魔石を取り出して、右手に握りこむ。
これは、魔法協会から支給されている、地上で魔法を行使するための特殊な加工が施された魔石である。
これを強く握り込み破壊すれば、その場にダンジョンと同様の魔力が発生し、奈々の持つ【精神魔法】の行使が可能となる。
「【鎮静】! 桃子さん、どうか落ち着いてください……!!」
バキッと軽い音をたて、奈々の手の中で魔石がひとつ、崩壊した。
人の心を落ち着かせるための魔力が、泣きじゃくる桃子の身体を包み込んでいった。
ぽつり、ぽつりと。
長崎ダンジョンギルドの応接室のソファで、目元を赤く腫らした桃子が、ダンジョン内で起きた出来事を語っていく。
奈々の魔法の力によって、桃子はようやく冷静さを取り戻していた。
そして、現実を見つめはじめた。
「……奈々さん。本当のことを教えてください。イチゴちゃんは、私たちと一緒に長崎まで来たんじゃないんですか?」
「はい。長崎にやってきたのは、私と、桃子さんと、梨々さんだけです。イチゴさんという方は……いませんでした」
「あはは……そっか。そうですよね。やだな、私、話には聞いてたのに……」
桃子の瞳から、ぽろりと涙が一滴落ちる。
先ほどまで、泣いて、泣いて。すでに枯れ果てたと思っていた涙が、それでもまだ、溢れ出ようとする。
奈々の魔法で沈静化した上でこれなのだ。奈々の魔法がなければ、今頃どうなっていたかわからない。
「私、『ハーメルンの笛吹き』の話を最初に聞いたとき、もっと他人事に考えてました。ただ、大変だなあ、可哀想だなあ……って」
奈々は、言葉もなく桃子の言葉を聞いている。
今の桃子にかけられる言葉を、奈々は持ち合わせていなかった。
「でも、今ね、私の中には、イチゴちゃんの記憶があるんですよ。沢山、沢山、思い出があるんです……」
失ったものを思い出すのは、その喪失感は、とてもではないが、容易く受け入れられるものではない。
それでも、震える声で桃子は話を続ける。
「それが全部、一瞬にして失われるだなんて……二度と会えないなんて、こんなに、つらいなんて、思わなかったなあ……」
「桃子さん……」
桃子の頬には、涙の筋が光っている。
奈々は、ただ。桃子に寄り添い、この少女の悲しみが癒えるのを待つしかなかった。
静かな応接間には、桃子のしゃくりあげる声と。
奈々の吐息と。
廊下からの、ドタドタという騒がしい足音だけが響いている。
足音は近づいてきて、応接室の前で立ち止まり――。
「先輩! 私が来ました! だから泣かないでください!」
「そうだぞ。ヘノがいるんだから。泣いちゃだめだぞ」
バン、と扉が開かれると。
桃子がいま、一番必要とする二人がそこにいた。
次話は6月16日(月)23時更新予定です