ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「ふぇ?! ヘノちゃん?! 柚花?!」
「桃子。大丈夫だぞ。カレーだ。カレーを食べるんだ」
「あ、うん」
桃子が顔を上げると、そこには紛れもなく、この場所にいるはずのない二人が立っていた。
なんで? どうして? そのような疑問が頭の中を駆け巡るが、桃子の肩に乗っかったヘノがさっそく意味不明な事を言い出したので、桃子も落ち着くことができた。さすがは唯一無二のパートナーだ。
「先輩。とりあえず、涙を拭いてください。これから、色々と大変なお話をしないといけないんですから」
「えと……うん、なんだかごめんね。えと、本当に……」
そして、当然のようにソファの桃子の横の席に腰を下ろしたのは、柚花である。
外は真夏だというのに、どうやらここまで走ってきたらしい。隣に座った柚花は熱く火照っており、額や首筋には多量の汗が流れている。
奈々が気を利かせて、応接室の小型冷蔵庫から冷えたお茶のペットボトルを取り出すと、柚花はグビグビっと一気に半分以上飲み干した。
ヘノは柚花に気を利かせてか、桃子の肩の上に座り、静かに桃子の耳たぶいじりをしている。
「ぷはっ、生き返りました……じゃあ、何から話せばいいですかね。とりあえず、先輩にはこれを見て貰いましょうか」
「え? なあに? あれ? これって……」
「これは昨日、りりたんに言われてからあちこちの関係者をあたって、滅茶苦茶頑張って探し出したレアものですよ。まず先輩は、これに目を通してください」
それは、一冊の日記帳だった。所々に使い込んだような汚れはあるけれど、それでもさほど古いわけではない。
表紙には、カタカナで『スズラン』とだけ、書かれている。
桃子はそれに、見覚えがなかった。そして、それと同時に。桃子はそれに、見覚えがあった。
「ねえ、柚花。私、これを知ってる記憶があるのに、全く知らないや……」
「猫の入った箱じゃないですけど、ページを開けるまで、『その日記を知っている先輩』と『日記を知らない先輩』が両方存在しているんですね。開いて、見てみてください。そうすれば、現実が確定しますから」
これは、きっと。シュレディンガーの猫だ。
桃子のうちの二つの記憶のうちどちらが真実なのかが、この日記によって、確定されるのだろう。
日記のページに指を添えるけれど、桃子はそれを捲る勇気がでない。
けれど――。
「大丈夫だ。ヘノがいるから。大丈夫だからな。桃子」
「うん……ありがとう、ヘノちゃん」
桃子が勇気を出せないとき。一番近くにいてくれて、一番勇気をくれるのは。
掛け替えのないパートナーである、風の妖精なのだった。
【スズランの妖精の日記帳】
○月○日 スズラン
今日は、ダンジョンのキャンプファイアー広場にイチゴちゃんとこっそり遊びに行っちゃった!
イチゴちゃんが「これ全部おいしいやつだから、食べちゃおう」って、キノコを沢山持ってきてくれたから、ワタシはお花を沢山摘んできたの。
そしたら、カレーに入れたら、お花みたいな香りのカレーになって、周りに居たみんなもその香りに釣られて集まってきたよ!
あははははって笑ってるうちに、カレーは他の妖精たちと、野生の狸に食べられちゃった!
もう、笑いが止まらなくなっちゃった!
・
・
・
○月○日 スズラン
今日は、イチゴちゃんといっしょに川がたくさん流れてるダンジョンを探索したよー。
でも、途中で魔物が沢山出てきて二人で逃げてたんだけど、イチゴちゃんが「この壁を壊しちゃおう!」って、ダンジョンの壁を壊して道を塞いじゃった!
イチゴちゃんは、元気で、前向きで、考え方がすごい。人間の女の子って、みんなあんな風に元気なのかな?
その後は、二人で一緒にシーフードカレーを食べたよ。おいしかった!
・
・
・
○月○日 スズラン
イチゴちゃんと一緒に見つけた洞穴の奥には、古代遺跡が待ちかまえていた。
私たちは松明を持って、恐る恐る中をのぞき込んだんだ。さすがのワタシも、ドキドキしちゃった。
ひんやりとした空気で、どこに恐ろしい罠があるかもわからないけれど、二人で一緒に奥へと進んでいった。気のせいか、ずっとワタシたちのことを、誰かが見ている気がした。こわーい。
そこで見つけたのは、一つの鏡。
イチゴちゃんはそれをワタシにくれて「絶対に、これより先では鏡を手放さないで」だってさ。なんだか真面目で、イチゴちゃんは大人の人っぽかった。そっか、イチゴちゃんは成長していくんだね。
桃子は、この日記を『知っていた』。
これは、今から3年前のこと。桃子が高校二年生の頃の文化祭で、スズランの妖精という役に抜擢されたときにつけていた日記だった。
物語の主人公である"イチゴ"との日々を自分のものとするため。桃子の中のイチゴを、架空の親友――イマジナリーフレンドへと昇華するため。当時の桃子が"スズランの妖精"になりきって書き記した、スズランの妖精による日記帳だ。
桃子の中で、いま。二つの記憶が一つになった。
イチゴと焚き火を囲った記憶は。
イチゴとカレーを食べた記憶は。
イチゴとダンジョンを探索した記憶は。
イチゴと古代遺跡に潜った記憶は。
全て、あの日々の中で桃子の中に生まれていた、スズランの妖精の記憶だったのだ。
『イチゴちゃん。大好きで、ずっと一緒だった、イチゴちゃん。これから先、また貴女に再会できるなら、そのときはまた……笑って……会おうね!』
『うん、スズランちゃん。あなたと会ったこと、忘れないよ。楽しい日々をありがとう』
劇の、最後の台詞が桃子の頭の中でリフレインする。
イチゴは、約束を守ってくれたのだ。笑って再会をしてくれたのだ。桃子のことを――スズランのことを、今でも大切に思ってくれていたのだ。
長崎ダンジョンに現れたイチゴは、当時のイチゴ役だった下級生とは違う顔をしている。
けれど、それでも。
桃子は彼女が、スズランの妖精の親友だったイチゴなのだと、確信できる。
「先輩、これって3年前に書いたものなんですよね? なんか、内容が……」
柚花が何か言いたげだったけれど、桃子は残念ながら、それどころではなかった。
感情が、制御できない。桃子はいま、喜べばいいのか、悲しめばいいのかもわからない。ただただ俯いて、鼻をすするしかできなかった。
耳元では、ヘノが黙って桃子の耳たぶを引っ張っている。ヘノなりに、桃子を元気づけてくれている。
「あはは、懐かしいな……そっか。イチゴちゃんは、ずっと私の中に……いたんだね。いてくれたんだね」
「……あのですね。酷な事を言いますけど、先輩がダンジョンで出会った『ハーメルンの笛吹き』は、この記憶を元に生まれた存在です。先輩の『イチゴちゃん』に成りすましているだけの別人です」
「ええ……私がしんみりしてるところに、本当に酷なこと言うじゃん」
イチゴのことを想って、喜びとも悲しみともつかない感情に浸っていたところで、横に座る柚花が冷や水を浴びせるような正論を叩きつけてくる。
確かに、桃子が今朝まで一緒にいた『ハーメルンの笛吹き』が変化したイチゴは、三年前に桃子の中に生まれたイチゴではない。そもそもイチゴ自体が実在しない存在なので、本物も何もないのだが。
「私、先輩には現実を見つめて欲しいですから。私とヘノ先輩がいるのに、ポッと出の幼なじみなんかにとられたくはありません」
「現実……か。そうだよね、全部偽物で、実際にはなかった記憶なんだもんね……」
現実。
それは、桃子がどう願おうが、どう祈ろうが、どうにもできない巨大な壁である。
スズランの妖精はただの演劇の登場人物で、その幼なじみのイチゴという少女もまた、当然この世界には存在していないのだ。
それは、変えようがない現実だ。
奈々の魔法で精神を強制的に落ち着かせているとはいえ、それでも。桃子の心は、キシキシと悲鳴を上げている。
思い出は全て偽物で、笑い合った日々は幻想で、つい今朝まで共にいたあのぬくもりは――実在しない、怪異だったのだ。
心に残るこの喪失感だけが、悲しみだけが、本物なのだ。
とてもではないが、一人では耐えられる苦しみではない。
今まで『ハーメルンの笛吹き』と行き逢ってしまった探索者たちは、全員がこの苦しみを乗り越えたのだろうか。どうやったら、どうやったらこの喪失感を埋められるのか。
桃子は、自分の心が闇の渦に飲み込まれていくような気がした。
けれど、その桃子をすくい上げたのは、やはり、ヘノだった。
「桃子。そんなに考え込まなくても。ダンジョンに行けば。まだ笛女。いるんだろ」
「へ? え? あ、え……そうなの、かな」
「あとは。桃子と。笛女だけの。共通の思い出があるってことでいいだろ。現実がどうとか。考えすぎじゃないか」
「ヘノ先輩、いきなり鋭いこと言いますね」
桃子の耳元でささやくヘノの言葉は、桃子にとっては青天の霹靂のような――全く、考えもつかなかった言葉だった。
ダンジョンに行けば、イチゴ――いや、ハーメルンの笛吹きにはまだ逢える。
記憶が本物でなくとも、偽物であろうとも。それは、桃子とイチゴだけの"共通の思い出"であることは、間違いない。
あれだけしんみりしたお別れをして。彼女が実在しないという事実を叩きつけられて。彼女を失ってしまった桃子の心には、途方もない喪失感があったけれど。
考えてみれば全くヘノの言う通りで、怪異としての彼女の存在までもが消滅したわけではないのだ。だから、二度と会えないわけでも、イチゴが消えてしまったわけでもないのだ。
「そっか……そっか……私、まだイチゴちゃんに逢えるのかな。思い出話をしても、いいのかな」
「あー、もう! これだから、この話はしたくなかったんですよお。ポッと出の笛女のこと考えて"とてもいい顔"をしてる先輩なんて私は見たくなかったんですけどっ!」
「そうなのか。じゃあ。今のは無しにしよう。桃子。笛女のことは丸ごと忘れろ。そんなやつ。いないぞ。偽物だぞ」
「ヘノちゃん、さすがに手のひら返しが酷すぎない?」
「じゃあ。思い出せ」
「えー。もう、何を忘れて何を思い出せばいいのかよくわかんなくなってきちゃったんだけど」
「ヘノも。何を話してるのか。よくわかんないぞ」
会話の内容が、なんだかカオスになってきた。
柚花は怒り出し、ヘノは滅茶苦茶をいい、桃子は元気を取り戻し、ずっと黙っていた奈々だけが冷静な感覚を維持して、オロオロしている。
でも、これでいいのだと桃子は思う。
これが、いつもの桃子たちのやりとりだ。
「でも……うん、なんか元気でてきたよ! 私のために怒ってくれてありがとう、柚花」
桃子は、柚花に笑顔で礼を伝える。柚花はふてくされているけれど、どことなく嬉しそうだ。
「いつもの調子でいてくれてありがとう、ヘノちゃん」
桃子は、ヘノに笑顔で礼を伝える。ヘノは桃子の耳たぶをいじっている。
「奈々さんは変わらずに、これからもオロオロしててくださいね!」
「えっ、私だけおかしくありませんか?」
そしてやはり、老芝奈々はひたすらにオロオロするのだった。
【とある女子たちの会話】
「ところで先輩。実はさっきから、そういう空気じゃなかったんで言うに言えなかったんですけど……」
「うん? なあに? 私、今なら何を聞かされても大丈夫だよ、ヘノちゃんがいてくれるし」
「なら率直に言いますね。今日の先輩、めちゃくちゃニンニク臭いんですけど、なんなんですか」
「あ、すみません桃子さん。実は私もずっと、気になってました!」
「う、うわあ……そうだ、忘れてた、昨晩はニンニクたっぷりカレーを作ったんだった!! は、恥ずかしい……」
「さすが桃子だな。その匂いを辿れば。笛女も。魔女も。ダンジョン内で探しやすいぞ。作戦通りだな」
「え、いや、作戦ってわけじゃないけど」
「さすが桃子だな。凄いぞ」