ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
女優と工房
9月も終わり、10月を迎えようという頃。
世間ではすでに夏の名残も過ぎ去り、本格的な秋を迎えようとしている。残暑もすでになくなり、朝方は日によってはもう肌寒い。
駅ビル内の通路を抜ける。朝の準備中の雑貨店には、10月末のハロウィンに先駆けてカボチャやお化けの飾りが飾られていた。立ち並ぶ飲食店には、秋の新作メニューの看板やポスターが見える。
桃子は足早にそんな秋の朝の風景を横切って、駅から少し離れた場所に存在する、職場であるダンジョンアイテム工房へと向かっていく。
「おはようございます、桃ちゃん。大ニュースですよ、こちらの工房に女優さんがいらっしゃるそうですよー?」
「はい?」
桃子が工房に入るや否や、その姿を見つけた和歌の第一声はそのようなものだった。
女優がやって来る。そう聞こえたけれど、ちょっと意味がわからない。ここは主に武具をメインとしたダンジョンアイテム工房であり、探索者ならまだしも、女優が訪れる場所ではない。
なので、桃子は挨拶も忘れて、気の抜けた声を和歌へと返してしまった。
「ほら、前に『武器のメンテナンス』をテーマにしたスペシャルドラマがあったじゃないですか」
「あ、はい。それは覚えてますけど……お陰で工房がものすっごく忙しくなったやつですよね」
「そのスペシャルドラマが思いの外好評だったとかで、新たにギルドがスポンサーとなって、連続ドラマを製作するらしいんですよー」
「そうなんですか? 私はまだ見てないですけど、そんなに好評だったんですね……」
和歌の言うドラマは、桃子自身は視聴こそしていないものの、その生活に大きく影響を与えたドラマである。
武具のメンテナンスをテーマにしたそのドラマは、メンテナンス描写そのものはかなり胡散臭いものだったらしいけれど、探索者への啓発ドラマとしては大成功だった。
おかげで、ドラマ放送日の翌週は工房が驚くほどに大忙しだったのだ。
桃子にとって、見てもいないのに印象深いドラマの一つである。
「その上でですね。しっかり作るからには本物を見ておきたい――ということで、その主演女優さんが、数日ほど見学にいらっしゃるみたいです」
通勤時に背負っていたリュックを机に下ろして、自分の椅子に腰掛ける。
この後は別室で作業用のツナギに着替え、親方から今日の作業の指示をもらいに行かなければいけない。けれど、時間的にはまだ余裕があるのを確認してから、桃子は和歌の話に耳を傾けることにした。
桃子は、見たこともないドラマの、誰だか知らない主演女優について考える。
ギルドがバックアップするほどのテレビドラマの主演というからには、華やかで、自信にあふれた女優なのだろうか。
一般市民でしかない自分とは全く違う人種なのだろうな、と。そして、上から目線の業界人とかだったら嫌だな、と。
桃子は想像上の女優と自分の間に、壁を感じてしまう。
「ちなみに、来るのは明日からで、多少はカメラも入るらしいですよー?」
「え、ええ?! 待って待って、待ってください、急すぎませんか?!」
女優が見学に来るまでは、まだわかる。しかし、それがいきなり明日というのは、あまりにも早急すぎる。寝耳に水とはこのことだ。
桃子は、この女優の話すらたった今ここで聞いたばかりだというのに、それが明日からと聞いて、面食らってしまう。
「私も今朝聞いたばかりなんですけど、女優さんのスケジュールの関係らしいですねー。いきなり言われても、着て来る服とか、きちんとした化粧も考えないといけませんし、困りますよねー」
和歌が、大きくため息をついている。
確かに、カメラが入るというのならば、服装や化粧なども気を使ったほうがいいのだろう。なお、桃子は工房ではいつも作業用のツナギ姿で、メイクも多少の肌のケア程度でほとんどすっぴんだ。
「桃ちゃんも、明日はメイクしましょうか。ファンデーション……は桃ちゃんには不要にしても、少しはきちんと手を加えましょうねー? ふふ、腕がなります」
「え、和歌さん?」
「大丈夫、明日は私に任せてくださいねー? 桃ちゃんのお化粧だなんて、今から楽しみですねー」
桃子とて最低限のメイクの心得くらいはあるのだが、どうやら明日は和歌が全面的に桃子のメイクを担当することに決定したようだ。
チークがどうとか、リップはどうとか、和歌はさっそく小声で計画を立て始めている。
妙な部分でやる気を出してしまった同僚のお姉さんの姿に、桃子はついつい冷や汗をかく思いなのだった。
「親方、明日からドラマの人が来るみたいな話を聞いたんですけど、私はどうしたらいいですか?」
ツナギに着替えた桃子は、さっそく親方の作業部屋へと赴いて、挨拶がてら、先ほどの話について聞いてみる。
自分のデスクで作業している和歌と違い、桃子はあくまで親方の弟子であり、まだまだ見習いだ。テレビの人たちを前に、どういう立ち回りをすればいいのか自ら決定できる立場ではない。
「あぁ、どうするもこうするも、俺らは普通に自分の作業をするだけだぜ。見学したけりゃ離れて勝手にやってくれって話だ」
「まあ、そりゃそうですね」
そして、親方の反応は予想通りである。
職人肌で、江戸っ子気質な親方だ。今回はギルドがスポンサーになっているドラマの話なので、工房も断りきれなかったようだが、親方にとっては『どうでもいい』の一言なのだろう。
だが、親方は一度そういう風にドラマの話を切り捨てたかと思いきや、チラリと桃子の顔を見て、ぎこちなく言葉を続ける。
「あー……とは言っても、だな。テレビに映るかもしれねェのか。桃の字は、どうするんだ? 服とか、化粧とかは必要……か?」
「えー? 親方、私はどうせ作業中はツナギですよ。化粧とかは、まあ……和歌さんがやる気を出してますけど」
意外や意外。化粧なんていらん! とでも言いそうな雰囲気の親方が、まさかの桃子の服装と化粧について聞いてきた。
これには軽く驚いた桃子だが、よくよく考えるとあたり前なのだ。仮にテレビでこの工房が紹介されたとして、その時に桃子が見窄らしい姿ではそれで傷がつくのは工房の評価なのだから。
きっと、親方は工房のことを考えてくれているのだなと、桃子は親方の視野の広さに感服する。
実際には、「孫娘(仮)がテレビに出るなら、きちんと飾りたててやった方がいいのではないか」と、親方が勝手に混乱状態に陥っているだけである。
無論、桃子と親方に血縁関係はない。
「おゥ、そりゃよかった。和歌なら安心だな。桃の字もたまには……あー、いいんじゃねえか? 最近はほら、小学生の化粧ってのも、珍しくはねェんだろ?」
「まあ、そう聞きますね。私もさすがに再来月で二十歳なんで、小学生のことはあんまりわかりませんけど……」
「……なんつーか、世の中にゃ、不可解なもんが多いよなァ」
「はい? 親方、どうしました?」
少しの間とともに、親方が誰に言うでもなく、ぼそりと呟くが、その意味は桃子にはわからない。
聞き返した桃子の声が聞こえているのかいないのか、親方は座っていた椅子からすっくと立ち上がる。
「世の中色々あるってことだな。よし、作業するかァ!」
「え、親方? 親方ー?」
そうして。
なんだかわからず、腑に落ちない気持ちを残したままで。
桃子は、この日もまた、武具職人見習いの仕事に、精を出すことになる。
「っていうことで、明日から女優さんが来るんだってさ」
その日の夜は、自宅から柚花に通話を繋ぎ、ことの顛末を報告する。この日は平日なので、ダンジョンまで行く予定はない。
ヘノたちにも聞いてもらいたい気持ちはあったけれど、おそらく妖精たちに『女優が来るらしい』と伝えたところで、それが何なのかを理解しているメンバーは半分にも満たないだろう。
その点、柚花はきちんと桃子の工房での出来事を聞き、それを理解してくれるので話し甲斐がある。
『面白いじゃないですか。例のドラマ、肝心のメンテナンス部分はかなりデタラメなものでしたけど、そこが改善されるならいいドラマになると思いますよ」
「そうなんだ? 私、結局それ見てないんだよね、あれから色々あって」
『あれ、先輩はあれ見てなかったんですか? じゃあ、主演女優が誰なのかも?』
「そういえば、全然聞いてないや」
例のスペシャルドラマがあった翌週は、前半は工房の仕事が溢れかえっており、ゆっくりドラマを見るための時間など与えられなかった。
そして週の後半は、筑波ダンジョンへの潜入ミッション、そしてアルラウネの討伐と、それまた大忙しで、そのころにはすっかりドラマの存在など頭から消えていたのだ。
その話題がまさか、『主演女優の来訪』という形で再び桃子の頭に戻ってこようとは思いもしなかった。
「女優さんって誰が来るんだろう。失礼があったら困るし、今のうちに調べておいた方がいいかな?」
『あっ、調べないほうがいいですよ?』
「ふぇ? なんで?」
『あー……ほら、そういうのって、何も知らない方が自然なリアクションになって、良い映像になると思うんですよね。見たことある顔がいきなり工房に来て驚いてる先輩のリアクションとか』
「えー? バラエティ番組じゃないんだから、そんな映像撮ったりしないと思うよ?」
女優が来るとは言っても、別に番組の収録にやって来るわけではないのだ。
単に、ドラマの役作りのために実際の工房の仕事を覗きに来るというだけで、仮にカメラで映像を撮影することがあったとしても、実際にはその女優が武具を触っている映像が数分も流れればいい程度だろう。
なので普通に考えても、工房職員のリアクションが放送されることなどないだろう。
『いいじゃないですか。それでも私はそのリアクションを見たいんです』
「えー、別に柚花がその場にいるわけじゃないのに、随分とこだわるじゃん。もしかして柚花ってその女優さんのファンなの?」
『ファンというか……私としては、思い入れのある組み合わせなんですよ。変な笛吹きお化けとかじゃなくて、本物ですからね』
「お化け? 組み合わせ? 何の話?」
『いえ、なんでもないですよ?』
桃子は、スマートフォンの向こうから聞こえる柚花の呟きに聞き返す。笛やらお化けやら聞こえた気がするが、柚花はあからさまに誤魔化している。
さては、柚花は何かを企んでいるな、と。桃子の脳内に、ダンジョンで鍛え上げられた第六感のアラームが鳴り響く。さすがにもう、桃子とて柚花の行動パターンは読めてきた。
桃子は確信する。
柚花は――何か企んでいる。
『それより先輩、カレーの話でもしませんか?』
「え? いいよ? なにカレーがいい?」
第六感のアラーム音がなりを潜めるまで、10秒もかからなかった。桃子の興味は完全にカレーの話に移ってしまった。実に、頼りにならないアラームだ。
けれど、これは仕方ないことなのだ。カレーの話を柚花から聞いてくるなんて、滅多にあることではないのだから。
桃子は簡単に、カレーの話に食いついた。
その後30分ほどカレーについて語った頃には。
すでに、桃子の第六感はカレーの海に沈み、アラーム音はもう、まったく聞こえなくなっているのだった。