ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「ダンジョンっていっても、それこそ体育館程度の広さの、下手すれば多分、桃の窪地よりも狭くて小さなダンジョンなんですが――」
女王の間の食卓で、柚花は『チェンジリング事件』について、静かに語り始める。
カレーを食べ終えた桃子たちは、静かに柚花の話に耳を傾ける。
女王の間には、今は桃子と柚花、ティタニア、そしてヘノとニムしかいない。いつも騒がしい小妖精たちの笑い声すらなく、都市伝説について語り合う声だけがしんと響いていた。
柚花の語る舞台。それは、一般的なダンジョンとはかけ離れた、小さな、小さなダンジョンだ。
房総ダンジョンのように、探索者が訪れるようなダンジョンではない。ただただ、小さな穴として存在するだけの、魔物すら存在しない限られた空間の話だった。
「立地的には本州の真ん中あたりなんで、ティタニア様の領域内だとは思いますが……その穴は、山道に沿ってひっそりと存在していたそうです。いつから存在していたのかはわかりません」
「そういう隠れダンジョン、たまにあるらしいね」
「そう、まさに隠れダンジョンだったんですよ」
大規模なダンジョンと違い、規模の小さなダンジョンが人に見つからないままに存在しているという例も少なくはない。
今でこそ魔力や魔石に関する技術が向上し、ダンジョンに近づくだけで反応を見せる検査機も存在している。だが、それでもこの日本の7割を占める山地の全てを調べるというのは、実質不可能だろう。
「そこがダンジョンだと判明したのは、とある事故が原因です。ある日、山道を進んでいたマイクロバスが、その洞をトンネルと間違えて進入してしまったそうなんです」
「ありゃ……いきなり変な空間に入り込んじゃったとしたら、バスも大変だ」
「本当、それですよ。それで、バスは不運にも、ダンジョン内の小さな崖にタイヤをとられてしまい、そこで転落事故を起こしてしまったそうなんです」
その崖は、高さとしては数メートルほどの決して大きくはないものだったそうだ。それでも、転落してしまったバスはひっくり返り、ガラスは割れ、車内は大惨事だ。
しかし、困ったことに、助けを呼ぼうとしても電話が通じない。それどころか、見る見るうちに電話のバッテリーが減っていく。
救助を求める惨状の中で、そこが極小のダンジョンだと気付いたのは、たまたま乗り合わせていた探索者たちだった。
「彼らにより、乗客たちは順番に救助されていったようです。中には危険な状態の重傷者もいましたが、ダンジョン内ですから彼らの所持していた薬草の類が効果を発揮して、どうにか全員無事に生還できました。……ただ一人を除いて」
「その、ただ一人っていうのは……」
「まだ、生まれたばかりだった赤ん坊。その子だけが、いなくなっていたんです。消えてしまったんです――」
柚花が静かに語るのは、乗客の母親が抱いていた一人の赤ん坊が消えてしまったという話だった。
バスの中にも、外にもいない。じきに、探索者たちからの連絡をうけた救助隊が派遣され、大規模な捜索が実施される。
けれど、その限られた狭い空間からは――たった一人の赤ん坊だけが、消えてしまったのだ。
「うぅ……赤ん坊、消えてしまったんですねぇ……か、可哀想……」
「桃子もすぐ。人から見えなくなるし。赤ん坊も。だいたい。似たようなものだろ」
「な、なるほどぉ。じゃ、じゃあ……ほかの人間たちより小さいとは思っていましたが、桃子さんは、赤ん坊……?」
「そうかもな」
「そうかもな、じゃないからね? 私は赤ちゃんじゃないし、そもそも赤ん坊は普通は消えたりしないの」
「そうか」
「そうなの。ほら、ヘノちゃんはこっち。はい、静かに話を聞こうね」
ぼんやりと聞いていたヘノたちも、人間の赤ん坊が消えてしまったという話には、少なからず興味を持ったらしい。
ヘノたちは、人間の赤ん坊などとふれ合う機会どころか、目にする機会もほとんどない。なので、赤ん坊についての認識が、少々あやしげだ。
妖精たちのやり取りが急激な脱線を見せ始めたので、勘違いが加速する前に、桃子はヘノにストップをかける。
桃子がヘノを抱き寄せて指先で撫でると、ヘノはとたんに静かになった。
「……でも、柚花。それはチェンジリングっていうかさ、赤ちゃんが行方不明になった話だよね?」
「まあまあ、不思議な話はこれからなんですよ。とりあえず聞いてください」
どうやら、柚花は桃子がヘノを大人しくさせるのを待っていたようだ。
妖精たちが喋りはじめると、それがどれだけ不思議な話だろうが、あるいは怪談話だろうが、トンチンカンな発言で空気を台無しにされてしまうことを柚花は知っていた。
そして、柚花は一呼吸してから、再び静かに語り始めた。
「結論から言うと、赤ん坊は数日後にバスの中から発見されました。着ていたベビーウェアは大きく裂けて、血に染まって赤黒く変色していたそうです」
「血……って」
柚花は一度、間をとってから。続ける。
「ベビーウェアの血は、後の検査の結果では、間違いなくその赤ん坊本人のものと判明しました。そして、赤ん坊の身体からすれば――致死量、と言えるものでした」
「それじゃ赤ちゃんは……?」
ごくり。
桃子は、唾を飲み込んだ。
「赤ん坊は――不思議なことに全くの無傷で、元気に泣いていたそうです。ただ一つ、事故の前は黒かったその瞳が、金色に変化していたそうですよ」
「金色……」
語る柚花の瞳を覗く。
柚花の左目は、女王の間の魔法光を帯びて、美しい銀色に光って見える。
「その子が本当に赤ん坊本人なのか、もしかしたら赤ん坊と『なにか』が入れ替わったのではないか。そんな憶測があがるのはすぐでした。でも、ダンジョンでは何が起きてもおかしくないからこそ、誰もそういう声を否定できなかったんですよ」
「なんか……可哀想だね」
「それで生まれたのが、妖精による入れ替え――つまり『チェンジリング』説です。当事者の赤ん坊は……世間から隠すようにして保護され、それ以降はどうなったのかは情報がありません」
静かな女王の間に、沈黙が訪れる。
柚花の話は、本来的には決して怖い話ではない。赤ん坊は、何の傷もなく帰還したのだ。マイクロバスは失われただろうが、そこに乗っていた人たちは全員が、何も失わずに帰還できたのだ。
ただ、赤ん坊の『数日間』が、謎に包まれているだけで。
赤ん坊が何者かと入れ替わったのではないかという疑惑が、最後まで晴らされなかっただけで。
しかし、桃子たちは知っている。ダンジョン内では、何かしらのきっかけがあれば、瞳の色が変化することもあるのだと。
「赤ん坊。目の色が変わったの。後輩みたいだな」
「わ、私は……ゆ、柚花さんの左目、綺麗で好きですけどねぇ……」
そう言いながらヘノとニムが見上げ、覗き見ているのは柚花の左目だ。
うっすらと色素が薄まったその左目の虹彩は、柚花が【看破】に魔力を込めると、銀色の光を放つようになってしまった。ある意味、今となっては探索者タチバナの代名詞のように扱われている、不思議なオッドアイだ。
もちろん、柚花がお洒落で左目だけカラーコンタクトをつけているわけではない。これは、摩周ダンジョンを何十年もの間苦しめてきた元凶、霜の巨人の呪いによる後遺症だ。
「左目が光るようになっちゃった私が言うのもなんですけど、ダンジョンに潜ったとしても、瞳の色が変わるなんてそうそうある話じゃないですよ?」
「まあ、そうだよねえ。ましてや赤ちゃんじゃ、自分で何かをやったわけでもないだろうしね」
柚花の左目は、決して何かしらの副作用があるわけではない。むしろ、ダンジョン内では以前に増して【看破】で見通せる幅が増えたとは柚花の談だ。
りりたんに言わせれば、柚花は左目限定で『魔法生物的なもの』に変質してしまっているのだろう、とのことである。
同じ理屈で言うならば。
その赤ん坊の身体は、数日間のうちにおきた『何かしらの出来事』によって、普通の人間ではなくなってしまったのかもしれない。
それこそ、魔法生物に近づいてしまったのかもしれない。
魔法生物の因子を所持する人間の赤ん坊。奇しくも先日、複数の因子を兼ね備えた存在――アルラウネを目にした桃子たちは、それを否定することが出来ない。
「――とまあ、それが『チェンジリング』という噂の大まかな話です。その子は無事に親元に帰れましたし、生きていれば今頃は元気に育ってることでしょう」
「うん……なんだか不思議だねえ」
話は終わり。
柚花の語ったそれは、実際にあった出来事だ。けれど、何が起きたのかは誰にもわからない。
当事者のその子が育っていたとしても、赤ん坊の頃のことなど聞いたところで覚えてはいないのだろう。
食卓には、まるで犯人が分からないままの推理ドラマを見終わったあとのような、なんともすっきりしない雰囲気がまとわりついている。
いったい、何があったのか。桃子は頭の中でついつい考え込んでしまう。
それについて、口を開いたのは意外なことにヘノだった。てっきりヘノは途中で興味を失うかと思っていたが、今回はしっかりと最後まで話を聞いていたようだ。
「そんなの。妖精の誰かが。癒しの力で助けただけじゃないか? ニムは。どうなんだ」
「し、知りませんよぉ……? ま、魔女さんではないですかぁ?」
「私も前に、りりたんに聞いてみたんですよ。それと、ルイさんやリフィさん、クルラさん。治癒の魔法を使える子たちにもそれとなく聞いてみたんですが、全員心当たりはないようでした。それにりりたんの場合は、年齢的にも無理がありましたしね」
「そうか。じゃあ。本当に誰かが入れ替わったのか? よくわかんないな」
「わ、わかりませんねぇ……」
桃子は、頭の中で可能性を推理していく。高品質の薬草でもあれば大きな怪我でも治療できたかもしれないが、傷跡一つ残さないというのは難しい。それに、数日間その場から消える理由がない。
ならば一番あり得るのは、まさにチェンジリングの由来どおり『妖精の誰かが連れ出した』という可能性だろう。本州の、ティタニアの領域内での出来事ならばなおさらだ。
だが、ルイやクルラ、ましてやりりたんも知らないというのであれば、妖精の誰かしらの仕業と考えるのは難しい。
桃子はちらりと、そこに名の上がっていないもう一人の『容疑者』に遠慮がちに視線を向ける。
彼女は――女王ティタニアは、先ほどから無言だった。まるで、何かを考え込んでいるように見えた。
「ティタニア様は、何かご存じだったりしませんか? 人間の赤ちゃんが、どこに行ってたのか……みたいな」
「いえ、私も、赤ん坊の心当たりはないですね。魔力が微弱な子供では、私の感知で気付くことも難しいですし……」
「ですよねえ」
よくよく考えれば、この妖精の国を離れられないティタニアが、マイクロバスの赤ん坊を助けに出るわけがないのだ。
桃子はふるふると首を振って、『妖精が赤ん坊を助けた』という可能性を除外する。
――たった一つ、見逃している可能性に。桃子は未だ、気づかない。