ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「ああ……私はいま、女王の立場も忘れて……ジェヴォーダンの獣に対して、感謝の気持ちを持ってしまっています」
桃子特製の桃カレーを食べながら、妖精女王ティタニアは夢見ごこちだった。
いつもならば、桃子と柚花、そして幾人かの娘たちと談笑しながらの夕食だが、この日は状況が違っていたのだ。
この日の桃子のカレーは特別製であり、その味わいも格別だった。もちろんそれも、夢見心地に一役買っている。
けれど。ティタニアが恍惚とした表情に陥っている原因は、その周囲を固めているメンバーによるものだ。
「ふふふ。駄目ですよ、あなたを脅かす敵に感謝などしてはいけませんからね、ティタニア」
『そうヨネ! ビーストだかイーストだか知らないケド、ティタが危険なら、喜んでる場合じゃないノヨ!』
「だってルビィ、そうは言っても……この状況は……」
女王ティタニアはいま、りりたんの胸元に抱かれていた。
ティタニアはヘノたちよりはるかに成長した妖精だけれど、それでも全長二十センチほどだ。人間としてのりりたんの前では、お人形サイズである。
そして、ティタニアを抱きしめるようにしてくっついているのは、りりたんの眷属として召喚されたルビィである。
ルビィは子供のままの姿だ。今ではティタニアだけが成長し、立派な女王となってしまった。けれど、それでも。彼女たちは今でも親友だ。
母親と親友。その二人に囲まれているだけでも、孤独な女王となったティタニアにとっては夢のような時間なのだが――。
「ほら、ティタニア。あーん、口を開けて下さいね。にんじんですよ」
「はい、お母様。むぐむぐ」
いったい何を思ってか、りりたんが小さなミニチュアスプーンを器用に扱い、さきほどから手ずからティタニアに「あーん」でカレーを食べさせている。
甘やかしを通り越して、もはや赤ちゃん扱いに近い光景だけれど、当のティタニアは敬愛する母から差し出されるカレーに心を絆され、女王の威厳は跡形もなく溶かされてしまった。
「……なあ、アタシもここにいなきゃ駄目なのか?」
『当たり前なのヨネ! フェイランも一緒に決まってるジャナイ!』
「外でハンドルネーム呼ぶのやめてくれない?」
更には、りりたんの横では人間の探索者である檸檬――ネット上で使用している名前はフェイラン――が、一緒にカレーを食べている。
檸檬としては自分が女王ティタニアの側に呼ばれる意味も分からず、ルビィには先ほどからずっとハンドルネームで呼ばれ続けている。見るからに、あまり落ち着ける夕食時間ではなさそうだ。
ただ、時折ティタニアと檸檬の視線が合うと、ティタニアは意味深に笑いかけてくるので、ティタニアにも受け入れられていることは間違いない。
結局、訳も分からないまま、檸檬はただただ困惑しつつカレーを食べるのであった。
一方。
母たる女王がデロデロに心を溶かされている姿を目の当たりにしている娘たちは――。
「桃子。今日のカレーは。特別に美味しいな。無限に。食べられるぞ」
風の妖精ヘノは、女王の様子などまったく気にせず、ただただ今回の特別なカレーに心を奪われていた。
明らかに自分の身体よりも体積のある量の桃を食べ、チキンを食べ、野菜も食べ、スパイスから作られたカレーをスープのようにズビズビと吸い込んでいく。
「ヘノちゃんはマイペースでいいね、本当に大物だよね」
「なんだ。よくわからないけど。ヘノは凄いのか」
「うん、さすがヘノちゃん、大好き! でもティッシュで一度、拭き拭きしようね」
「ヘノも。大好きだぞ。カレー食べるぞ」
「あはは、もう。せっかく拭いたのに、ヘノちゃんたらもうカレーまみれじゃん」
ティッシュで拭いても、数秒後にはカレーまみれだ。
この日のカレーはヘノもかなり気に入ってくれたようで、いつも以上の食べっぷりに、パートナーである桃子も笑うしかないのだった。
「じょ、女王様……なんだか、幸せそうですねぇ……なんだか、涙が出てきますねぇ」
一方、女王ティタニアがデロデロに溶かされている様子を見て、ニムは先ほどからずっと瞳を濡らしている。
もちろん、失望や悲しみの涙などではない。ニムは女王とりりたんの関係性をよく知っているので、その二人がデロデロにいちゃいちゃしている姿を見て、感動の涙を流し続けているのだ。
「ほら、ニムさん、カレーと涙でべしょべしょですから、いったん拭きましょうね」
「うぅ……柚花さん、柚花さぁん……」
「ああもう、可愛いなあ」
この日のカレーはニムもかなり気に入ってくれたようで、べしょべしょに泣きながらもカレーを食べ続けていて、大変なことになっている。
これには、パートナーである柚花も笑うしかないのだった。
「このまま、平和に終わればいいのにね」
「そうですね、先輩」
ちょっとしたイレギュラーではあるけれど。
この日の特別なカレーパーティは、全員の心にいつまでも残るディナーとなった。
桃子は、このまま皆が平穏に、戦いなどなく時が過ぎるようにと、心の中で祈っていた。
けれど、現実は残酷だ。
りりたん――先代女王ネーレイスとて、魔獣がこの地に手を出さないのであれば、こちらから手を出すことはないのだ。世界魔法協会にいくら手を出されようが、所詮は人間たちの問題だと割り切っている。
だが、もし。
招かれざる魔獣が、この領域『妖精の国』に、その手を伸ばそうというのならば。
そのときは、この花畑を戦場とすることも厭わない。
先代女王ネーレイスは、娘であるティタニアを害するものを――決して許さない。
その夜。
花畑で寝静まっていた小妖精たちが、突如として現れた強大な魔力に反応し飛び起きるのは、すぐだった。
『キャー! 助けてえ!』
『やだ、やだ、やだあ!』
小妖精たちを襲ったそれは、今までこの国では感じたことのないような、荒々しく、暴力的な魔力だった。
そして、下手をすれば妖精たちの女王であるティタニアに匹敵するのではないかというほどの、強大な力だった。
「クハハハ、ここが……クリスティーナに加護を与えたという妖精の住まう地――不老の実のなる地であるか」
招かれざる客、ルシオン・ド・ヴァロンブル。
桃の窪地から続く光の膜を、その荒々しい魔力で開きやってきたのは、身長が二メートルを超す巨漢である。
桃子と昼間に出会ったときと、同じスーツ姿、同じ顔だちで。
しかし、昼間とは明らかに違っているのは、赤く光る獰猛な瞳と、その口元には隠しきれない魔獣の牙がある。
彼は獰猛な笑みを浮かべ、周囲の花畑をぐるりと見渡す。逃げ惑う小妖精たちの姿に、ふん、と鼻をひと息ならすと、足下の花を踏み潰すかのように、一歩踏み出す。
――が。
その足下に、光を纏った一本の『矢』が。夜の闇を裂くように飛来し、大地を破裂させる。
ルシオンが足を止めると、続いて二本、三本と続けざまにルシオンの足下へと着弾し、彼の足を止めた。
「……ふん、何者だ。吾輩が誰か知った上での行いであるか」
「知ったことか。アタシは怪しい侵入者から小妖精たちを守るように、魔女様から頼まれてんだ」
それは、光の膜から百メートルは離れた丘の上。
招かれざる来訪者を見下ろすように弓を構えた、檸檬の放った矢である。
彼女の魔力が込められた矢は、並の魔物ならば瞬時に消し飛ばすほどの威力を保持している。ルシオンが矢を前にして足を止めたのも、その力をある程度警戒した故だ。
「小妖精たち。アタシが時間を稼いでるから、今のうちに安全な場所に逃げな」
『こわいー! 女王さまー!』
『にげる、にげるよー!』
檸檬がルシオンに弓を構えたまま、慌てふためく小妖精たちに声をかけると、その場でオロオロしていただけの小妖精たちは、皆まっすぐにその場から逃げ出していく。
行く方向は全員そろって『女王の間』へと続く方角だ。意図せず、ルシオンに女王の間の場所を伝えてしまった己の失策に気づき、檸檬は小さく舌打ちをする。
「うん? そなた……まさか人間か? 昼間の幼子以外にも人間がいるとはな」
「人間で悪かったね。それよりさ、大人しく引き返してくんない?」
「愉快なことを言うではないか。人間であるそなたが、吾輩に、引き返せというのかね?」
「ああそうだよ。ここは乙女の園なんだ。男は入っちゃ駄目に決まってんだろ」
檸檬は、周囲から小妖精がいなくなったのを確認すると、己の魔力を弓矢に込めていく。
矢を射る。魔力を乗せた矢は、瞬きするまもなくルシオンの喉元を襲う。
矢を射る。速射、連射、曲射。全てが殺意を込めた一撃だ。過去に一度、人魚姫と戦った際にも見せた、標的に逃げる隙を与えない矢の嵐が、ルシオンを襲う。
着弾と共に、魔力が爆発するかのように弾け飛ぶ。だが、光が止んだそこには、ほぼ無傷のルシオンが立っていた。
もちろん、着ていたスーツはボロボロだ。矢が刺さらなかったわけでもない。何本かの矢は、間違いなく彼の肌に突き立った状態で停止している。血を流させることは成功している。
だが、それだけだ。悲しいかな、彼の強靱な肉体にとってはこの全てが『子犬に噛まれた程度』でしかない。
「チッ、化け物かよ」
「吾輩に血を流させるとはなあ、人間の娘よ。面白いぞ、クククク、クハハハ――!!」
ルシオンは、楽しげに笑う。大声をあげて、嗤う。
「だがな」
そして、その嗤いが止まったとき。
「――吾輩を、舐めるでないぞ」
彼の魔力が、爆発した。
檸檬は、何が起きたのかわからなかった。
彼女のスキル【鷹の目】は、ルシオンの姿を捉えていた。どのようなまやかしの術を使おうが、どこに隠れようが、檸檬の瞳からは逃れられないはずだった。
だが――。
「うぐ……っ!」
ルシオン、いや、ジェヴォーダンの獣には、逃げる必要などなかったのだ。
檸檬のもつ反射速度など圧倒的に凌駕した速度で、瞬時に獣は距離を縮めた。所詮は人間でしかない檸檬にはそれに対応する反射神経などなく、意識が理解するよりも先に――魔獣に押し倒される形で、花畑の地に転がっていた。
突然の衝撃にせき込んだ檸檬は慌てて瞳に魔力を宿し敵の姿を探すが、しかし。彼女は、己の敗北を認めざるを得なかった。
檸檬が目を開くと、そこには。
真の姿を現した『ジェヴォーダンの獣』――巨大な魔獣が、巨大な前足で檸檬の胴体を押さえるようにして、のしかかるようにして。獣の赤い瞳で、見下ろしていた。
いまの檸檬は、深潭の魔女であるりりたんの魔法によって、強力な防護魔法を備えている。たとえそれが破られたとしても、一度や二度の致命傷ならば命が消える前に蘇生されるように術を施されている。
だからこその先陣であり囮だったのだが、しかし、その魔獣の真の姿に、息を飲む。
そして、言葉をひとつ、口にする。
「アンタ長毛種なのかよ」
それは巨大な四足歩行の、漆黒の獣だった。
具体的には、まるで人の髪型のように長い毛に、そこから垣間見える赤い瞳。垂れ下がった耳に、太い尻尾。サイズだけは優に3メートルは超えた巨大な獣だが、しかしそれは、間違いなく。
犬だった。
「犬ではなく、ビーストと呼べ。吾輩の勝利であるぞ、人間の娘よ」
喋る犬だった。
「アタシ、犬なんて一言もいってないんだけど」
「長毛種と言ったではないか。それは犬の品種だろうが! 吾輩のことはビーストと呼べ」
「……わかったよ、アタシの負けだよ、ビースト」
檸檬は、押し倒されたまま両手をあげるポーズで降参の意思を示す。
最初にこの役目を買って出たときには、自分の矢でどうにか最小限の被害で追い返せないかと考えていた檸檬だが、残念ながら相手はそこまで生半可な存在ではなかったようだ。
「ま、役目は果たした。あとは魔女さま、きちんとやってくれよ」
檸檬は小さく呟き、今はただ。
眼前で喋っている巨大な犬の、変に生暖かい息からさっさと逃れたかった。
次話更新は1月26日(月)予定となります