ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「ふふふ。その子は私の可愛い娘なのですから、それ以上いじめるのはやめてくださいね」
檸檬にのし掛かる魔獣――ビーストが、何かに弾かれたように数メートル後ろに吹き飛ぶ。
それとともに、小妖精たちがいなくなった花畑に響くのは、不敵な笑みを浮かべる少女の声だった。
「遅いぞ魔女様。てかアタシはあんたの娘になった覚えはない」
「言葉のあやですよ、れもたん。すみませんね、相手の魔力を解析するのに手間取ってしまいました」
『フェイラン! 大丈夫ヨネ!?』
檸檬をビーストからかばうように現れたのは、りりたんだ。
ルビィが檸檬を介抱するのを背中越しに確認すると、すぅ、と笑みを消してビーストを睨みつける。
「逃げ場はありません――といいたいところですが、むしろ逃げて下さって構いませんよ。この地から手を引くのならば、互いに不干渉でいようではありませんか」
「貴様は……人間か? いや、違うな、貴様――まさか……」
漆黒のドレスが、りりたんを中心に渦巻く魔力の風で激しく翻る。
数百年もの時を生きてきた魔獣が相手だ。一瞬にして檸檬を押し倒したのは驚愕に値するが、りりたんは、それが彼の全力だなどとは思っていない。彼にとっては、檸檬の相手など遊びでしかなかったはずだ。
りりたんは、ビーストを甘く見ない。油断をしない。それがどれだけ、大きくもふもふした長毛種の犬だろうと。
「ビースト。何があったのかは存じませんが、あなたはある時期を境に、人間に害をなすのをやめておりますね? 檸檬に怪我一つさせていないのが、その証拠です」
「ふん……まさか貴様、自分も人間だから手を出さないで欲しい――などとは言うまいな? 吾輩も、貴様を人間扱いはせぬぞ」
「さて、どうでしょうか。でも今は、あなたが手を出しにくいよう、人間の少女たちを揃えてみましたよ」
ふと気づけば、ビーストの背後には新たに二人の人間の気配が増えていた。
これはティタニアによる、短距離の転移魔法だ。さすがのビーストとて、遠方からの転移の気配までは察知できない。
「ルシオンさん! あの、私からもお願いします、ティタニア様に手を出すのだけは、やめてください!」
「ついでに言えば、私と先輩を巻き込むのもやめてほしいところですけどね」
ハンマーを構えた桃子と、双剣を構えた柚花。
桃子はともかく、柚花の【看破】の瞳にはビーストの桁違いの魔力の奔流が写っており、すでに力の差を理解してしまっている。桃子をいつでも庇えるように陣取ってはいるが、とてもではないが敵うとは思っていない。
こんな争いに自分たちを巻き込むな、というのは彼女の心の底からの本心だった。
「昼間の幼子に……もう一人も、人間の娘か。どうなっておるのだ、この場所は」
檸檬、桃子、柚花。あくまでこの三人は、ビーストの『人間に害をなさない』という性質を逆手にとった布陣――いや、嫌がらせのようなものだ。
実際に、彼が人間にどう対応するのかなど分からない。だから、こんなものは「効果があればいいな」程度のブラフだ。
りりたんとて彼女たち人間を本気の争いに巻き込むつもりはなく、絶対的な保護術を事前に施し、万が一もないようにしている。本当の意味でビーストと戦うのは、りりたん一人である。
「付け加えるなら、あなたの魔力は解析済みです。単純な阻害なら、いくらでも可能ですよ? ジェヴォーダンの獣」
りりたんの魔力が、じわじわと拡大していく。ジェヴォーダンの獣の魔力を侵食し、彼が力を発揮できぬよう。本気を出させる前に、叩けるよう。
周囲の花々が吹き飛び、地面が魔力の風で荒らされていく。
「クク……ハハハハハハ! 次々と楽しませてくれるではないか……ティル・ナ・ノーグの主よ! ならば、吾輩も相応の挨拶をするとしようか!」
本当の。
生半可な特殊個体などはものともしない、古の強者が激突する。
互いの魔力が衝突するだけで、妖精の花畑に嵐が巻き起こる。
そして――。
「心配になって来てミれば、モう! モう! あなたたちは本当に、バカなのね!!」
キコキコと。
車椅子を軋ませ、必死の形相で何かを叫んでいるクリスティーナが慌てた様子で戦場に乱入してくるのは。
それから、数秒後のことであった。
「皆様。私の事情に巻き込んでしまい、誠に申し訳ありマせんでした」
「ふん。吾輩はスーツを穴だらけにされたのだ。今回のことに謝罪などせぬぞ」
「ルシオン! あなたはどうせいつものように、威圧的な魔力を抑えモせずにやって来たノでしょう?! 強者ゆえの驕りだと、何度言えば分かるノですか……!!」
女王の間にて。
車椅子に座ったまま室内に居並ぶメンバーに頭を下げているのは、世界魔法協会会長であるクリスティーナ・E・ウィンチェスターその人である。
もちろん彼女は妖精女王ティタニアと加護を結んだパートナーであり、この場においては『身内』側なのだが、今この時だけは、世界魔法協会の長として頭を下げていた。
そして、その横にいるのは、体長三メートルを超えた巨大な犬だ。
見た目だけならば紛れもなく長毛種の犬種だが、しかしその毛色は漆黒で、前髪から覗く瞳は赤くギラついており、可愛さよりも獰猛さが前面に出ている。
人間の姿とは全く似つかないこの、巨大な犬の姿。これがルシオンの真の姿『ジェヴォーダンの獣』だった。
彼は今もクリスティーナに怒鳴られているが、しかしあまり反省の色は見えない。
「ふふふ。まったく、紛らわしいにも程がありますよ。なんなのですか、あの慈愛のかけらもなさそうな魔力は。出会い頭に小妖精たちを威圧しておりましたよね」
「魔女様、あんた自分が真っ先に勘違いしてたくせに、よくもまあ相手を責めたてられるよな」
「ちょっと、れもたんは一体どっちの味方なんですか。りりたんは悪くないですよ」
「この場に敵なんかいなかったんだから、どっちの味方もしなくていいだろ。ただの誤解だったんだろうが」
そんなやりとりを交わしているのは、りりたんと檸檬。
そう、実の所、結論から言ってしまえば。全ては檸檬の言う通り『誤解』だった。
この場に戦うべき敵などいなかった。ビーストはただ『挨拶』をしにきただけだったのだ。
その際に、無駄に威圧的な魔力を放ち、言葉尻に傲慢さを隠そうともせず、更には実際に人を食らいかねない獰猛な気配を併せ持っていただけである。もっとも、それだけ条件を重ねられれば勘違いするなというほうが無理があるため、この場には討伐を指揮したりりたんを責める声はない。
もちろん、今となっては彼にとっての『挨拶』がどのような意味合いなのかはわからない。もしかしたら実際に『挨拶』と称した戦いになっていたのかもしれないが、もはやそれを考えてもしかたないことである。
なんにせよ。
事実として警戒心を強め過ぎてしまい、先に手出しをしたのは妖精側だ。ビーストがふてくされる気持ちも、ある程度は仕方ないものと言えるだろう。
「して、妖精女王ティタニアよ。吾輩はクリスティーナと契約を結んだ妖精であるそなたに会いたかったのだ。もちろん、そなたらがどのような存在なのかを見定める思惑は否定せぬがな」
「ええ、ビースト。私も、クリスティーナの後ろ盾になってくださったというあなたに、まずは礼を伝えるべきでしたね。ようこそ妖精の国へ、歓迎いたします」
ビーストと女王ティタニアが、改めて挨拶を交わす。
まだ、どことなくピリついた空気は拭いきれないけれど、しかし今はこれでいいのだろう。地面を転げ回った檸檬は土で汚れ、ルシオンの着ていたスーツは穴だらけになってしまったが、取り返しのつかない被害というものはない。
「これにて、一件落着ですよ。争い終わってノーサイド、といったところですか。終わり良ければ全て良しということですよ」
「魔女様、アンタ本当に面の皮が分厚いよね」
身体のサイズも、そもそも造りも違うために握手とはいかないけれど。ぎこちなくも、互いに挨拶を交わすティタニアとビーストによって。
今回の突発的な争いは『魔法生物同士の交流』という形をもって、平和に幕を下ろしたのだった。
だが、往々にして、一つのトラブルが幕を下ろしたら、どうなるか――。
それはもちろん、次なるトラブルの幕開けである。
「やっと。終わったのか。眠いぞ」
「な、なんだか……難しい話でしたけど……むにゃ……」
「ニムさんたちはそろそろ客室に戻って寝ましょうか? ほら、一緒に行きますか?」
この室内にはいま、クリスティーナとビースト、りりたんと檸檬、ティタニアがいる。
そして実はそれだけではなく、部屋の端では桃子と柚花、そしてそれぞれのパートナーであるヘノとニムが揃っており、皆でこのやりとりを黙って眺めていたのだ。
妖精が黙っていたのは、話が難しそうだったから。
柚花が黙っていたのは、厄介事に巻き込まれたくないから。
そして桃子が最後まで黙っていたのは――。
「すや……すや……」
「幼子よ」
桃子は、寝落ちしていた。
「幼子よ」
「ん……ふぇ?」
時間的には、既に深夜の零時を回っていた。桃子も先ほどまでは脳内のアドレナリンにより目が冴えていたけれど、ひとたび事態が収束すれば、次に訪れるのは安心感と眠気である。
そんなわけで、ティタニアたちの声を子守歌代わりにして、桃子は半分ほど眠っていた。だが残念ながら、この場ではゆっくりと眠らせてはもらえないようである。
桃子に声をかけたのは、巨大な犬だ。名をルシオン、或いはビースト、もしくはジェヴォーダンの獣という名を持つ獣だ。
「あ……犬……」
「犬ではない。この姿のときはビーストと呼べ」
「むにゃ……犬が喋ってる……」
「犬ではない」
うつらうつらとした桃子が、声に気づきうっすらと目を開けると、そこには犬の顔があった。
彼は、長毛種の犬ということはわかる。額部分の毛がさらりと前髪のように顔にかかり、そのギラついた赤い瞳がその前髪で覆われているのが特徴的だ。
桃子は犬の品種についてさほど詳しくもなく、彼が何と呼ぶべき品種なのかはわからない。もしかしたら、地上にいるどの品種とも違う外観の犬なのかもしれない。
だが、なんにせよ。毛が闇のように黒く、そして前髪から覗く瞳は血のように赤く、ここまで禍々しい犬というのはそうそういないだろうなと、半分眠ったあたまで桃子は考えていた。
「ふわぁ」
桃子が、ふにゃりとあくびをする。それを目の前で、巨大な犬が眺めている。
本人が何を言おうが、犬と幼子という組み合わせは、絵面が微笑ましいものだ。
桃子とルシオンが昼間にも出会っていることは皆が知っている。ルシオン――ビーストが見た目よりも温厚な魔法生物だと判明した今となっては、周囲の皆は、巨大な犬がうとうとする少女を見守っている姿を、半ば微笑ましそうに眺めていた。すぐ隣にいる柚花ですら、桃子とビーストの間に割り込もうとはしなかった。
だが。
皆は、失念していたのだ。
この犬――いや、ジェヴォーダンの獣という相手は、一方的に「クリスティーナの婚約者」を名乗るような、実に困った存在なのだということを。
「桃子。そなた、クリスティーナと同じく、不老の実を食しているな?」
「ええと……あれ? あ、えと……ルシオンさん……?」
「うむ。決めたぞ。そなたは我の義娘となるが良い」
「……ふぇ?」
「そうだな。フランスに渡り、吾輩と共に暮らそうではないか。我が領土で暮らせば、不自由はさせぬぞ」
「……ふええ、えええええ?!」
桃子はここでようやく、厄介事の矛先が、自分に向いてしまっていることに気づく。
そして――思いっきり、絶叫と共に。
その場で『ぴょこん』と、カエルのように跳ね起きるのだった。