ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
何事もなく――とは言い切れないものの、どうにか警備員に捕まることもなく、桃子たちはダンジョン内へと戻ってくることが出来た。
逃げるようにダンジョン内へと駆け込んだ三人は、そのまま長崎ダンジョンの山道を上へと登っていき、見晴らしのよい静かな高台に腰を下ろすことにした。
普段ならば英霊の加護のない人間に纏わり付いてくるゴーストたちも、強大な魔獣であるルシオンの近くまでは寄ってこないようだ。
桃子とルシオンは剥き出しの岩板に腰を下ろし、ヘノは桃子の膝の上に座る。
視線をあげればそこには清々しい大自然が広がっている。これこそが、ダンジョンの醍醐味だと桃子は思う。
「むぐむぐ。やっぱり。カステラは。長崎のやつが一番うまいぞ」
「でもヘノちゃん、次からはこんな買い方はしないから、気をつけてね? どうしても欲しかったら、通販で購入するからさ」
「そうだな。面白かったけど。仕方ないな」
ヘノの要望もあり、桃子たちはさっそく購入してきたカステラの包装を剥がし、ひとつ目を食べ始めていた。
初めから切り分けられているタイプなので食べやすく、もちろんヘノの希望どおりにカステラの底には紙がついている。
横では、スーツ姿の人間形態のままのルシオンが、しげしげと長崎のカステラを眺めていた。
「なるほどな。こちらの方が、砂糖の粒が大胆に入っているのであるな。悪くない」
「むぐむぐ。やっぱり。むぐむぐが。むぐむぐだな」
「食べてからにしようね、ヘノちゃん」
長崎ダンジョンで、桃子とルシオンは長崎のカステラをつまみながら談笑し。
ヘノは大喜びで頬を膨らまし、食べたかった長崎のカステラを満喫していた。
「しかし……そうか、このケープではもう、吾輩はそなたを護ることはできないのか……」
「まあ、今はもう、機械で色々と管理されちゃってるので……」
長崎ダンジョンの風を浴びながら、桃子は被っていた赤ずきんケープを脱いで、丁寧に畳んでルシオンに返却する。
このケープは確かに、周囲の人間の視線から桃子を守ってくれていた。それは間違いない。
けれど、カメラやセンサーに効果がない以上は、現代社会ではもう、このケープは使えない。
ルシオンとて、少なからず『ルシオン・ド・ヴァロンブル』という人間の名を持ち、資産家としての姿を演じているのだ。人間社会を全く知らないわけではない。
ただ、この数十年の文明の進化が、彼の中の想像よりも圧倒的に早く進んでいた。それだけだ。
「……エレーヌ……」
そして、また。ルシオンは畳まれた赤いケープを見つめて、遠くを見ている。
彼の目にはきっと、桃子もヘノも映っていない。どこかはるか遠くの誰かを、ずっと、見つめているのだ。
だが、そんなルシオンに話しかけたのは、意外なことにヘノだった。
彼女は、カステラを食べる手を止めるとふわりと浮かびあがると、ケープとルシオンの視線の間に割り込んで、質問を投げかける。
「びーすと。お前に聞きたいことがある」
「妖精、どうしたのだ」
「ヘノちゃん?」
さすがに、心を遠くに飛ばしていたビーストとて、視線の先に妖精が割り込めば、驚きとともに心がこの場所に戻ってくる。
今の今まで頬をカステラで膨らませた、良くも悪くも『何も考えていなさそうな妖精』が、真っ直ぐに自分を見つめているのだ。驚くのは当然だ。
ルシオンと見つめ合って、数秒。ヘノは口を開いた。
「お前。昔は人間を食べてたらしいな。赤ずきんがきてから。襲うのをやめたっていう話を。聞いたぞ」
それは、桃子があえて触れなかった部分だ。
人食いの魔獣が、とある時期を境に人間を食らうのをやめた。
人食いの魔獣が、赤ずきんの目撃談と同時期に、人間を襲うことをやめた。
これは前に、柚花やティタニアから聞いていた話だ。
けれど、桃子は『人食い』について、聞くことはしなかった。それは、今のルシオンに聞くべきことではないと思ったからだ。
だがヘノは、真っ直ぐにルシオンを見つめて、正面からそれについて問いただす。
「……それを吾輩に聞いて、どうするつもりだね」
「ヘノの仲間に。魔物と仲良くなりたくて。でも。最後は。戦うしかなかった奴がいるんだ」
ヘノは決して、ルシオンが人を食っていた過去を糾弾するつもりも、責めるつもりもない。
その目は、いつになく真剣だ。
「だから。聞きたいんだ。どうやったらお前は。人間を襲うことをやめられたんだ。教えてくれ」
ヘノは聞きたかったのだ。
少し前の鎌倉ダンジョンで起きた、悲劇。火の妖精であるフラムと、魔物だった躯。
あのとき、別れを迎えるしかなかった妖精と魔物に、幸せな結末があり得たのかどうか。人に害をなす存在が、どうすれば共存できたのか。どうすれば、幸せな結末に手が届いたのか。
ヘノはその答えを、ルシオンに求めていた。
「……その魔物は吾輩ではない。だから、何の参考にもならんだろう」
「そんなの。聞いてみないと。分からない」
「……そうだな」
横で黙ってそのやりとりを聞いていた桃子は、口を挟めなかった。
ヘノはいつもは何も考えていないし、真面目な話もあまり好きではないはずだ。けれど、ヘノはフラムの姉として、心のどこかで、ずっと考えていたのだろう。
事情を知らないルシオンにも、ヘノのその気持ちは通じたらしい。彼は、ゆっくりと、語り始めた。
「あれは、十八世紀……今からおよそ、三百年は過去の話だ。吾輩は、エレーヌと出会った」
「初めは、ただの興味本位だった」
彼が語るのは、はるか昔に出会った少女の物語だった。
当時の彼は、ルシオンという名も持たない、一匹の獣であった。
絶大な力で己の領域を支配していた魔獣にとっては、魔物も、そして人間も、すべてが等しく獲物であり、塵芥の如き弱き存在でしかなかった。
そんな彼が見つけたのは、一人の少女だ。
「エレーヌは、今思えば普通の人間ではなかったのだろうな」
視線の先で、枯れ葉が一枚風に流れていく。
「芸術作品の如く、美しい娘であった。そして、変わり者であったのだ――」
彼が語ったのは、エレーヌという少女との物語だった。
人食いの魔獣は、エレーヌを通して人間という種そのものに興味をもった。
人食いの魔獣は、人間の姿に変化し、彼女と同じものを食べることを覚えた。
人食いの魔獣は、誰かを大切にするということを、覚えてしまった。
ルシオンは、懐かしげに。寂しげに。淡々と、思い出を語っていった。
そして。
「吾輩はあのとき、人間という毒に、すでに侵されていたのだろう」
以前、ルシオンが言っていたことだ。
人間は、毒だ。
解毒薬もなく、永遠に彼らを苦しめる、猛毒となるのだ。
「人間を襲わぬのは、それが彼女の願いだったからである。それ以上の意味など……ありはしない」
話の終わり。彼は、エレーヌの最期を語らなかった。二人の未来を語ることはなかった。
けれど、今の話は数百年も昔の出来事だ。不老ではない彼女が今どうなっているかなど、聞くまでもないことだ。
桃子はもとより、ヘノとてそれくらいは理解できる。
ルシオンの言う通り、今の話はあくまで彼の話であり、鎌倉ダンジョンに存在した魔物である『躯』には当てはまらない。
ヘノの望んだ質問の答えはそこにはなかったはずだ。
けれど、ルシオンの語った話は、それでも。ヘノにとっては、考えさせられる内容だったのかもしれない。
ヘノは再び、真っ直ぐな瞳でルシオンを見上げた。
「えれーぬは。……どこかに。生まれ変わったり。してないのか?」
それは、妖精の国の特殊な環境が導き出した、残酷な質問だった。
長崎ダンジョンの空を、びゅうと、冷たい風が吹いた。
この世界には、転生というものがある。生まれ変わりというものがある。ヘノは身近な例として、それを知っているのだ。
けれどそれは、本来はあり得ない、まさに奇跡のような出来事なのだということを――ヘノは知らないのだ。
「生まれ変わってたら。また。会えるかもしれないぞ」
「気軽に言うではないか、妖精。だが……すまないが、やめてくれ」
「聞いてくれ。深潭の魔女は。あいつ。先代女王の生まれ変わりなんだ」
「黙ってくれぬか」
大切な人が死んだならば、その生まれ変わりを探せばいい。それは誰しもが考えることだ。それはまさに、希望だ。
けれどそれは、部外者が容易く語ってはいけない言葉なのだ。年若い妖精のヘノにはそれが分からない。ヘノはだから、言葉を続けてしまう。
桃子はルシオンの言葉から滲み出る怒気を感じ、ヘノを止めるために口を開きかけるが、何を言うべきなのかわからない。
ヘノの言葉は残酷だけれど、それでも、それは間違いなく希望なのだ。桃子にはそれを、どうしても、否定することができなかった。
「だから。えれーぬだって――」
「黙れと――黙れと言っている! 命の儚さも知らぬ妖精が、知ったような口を利くな!!」
「……っ」
その瞬間、何かが壊れた。何かが、砕けてしまった。
穏やかだった空気が、瞬時にして別なものに押しつぶされる。鳥が逃げ、木々がざわめく。
燃えるような、業火のような激しい魔力がルシオンを中心に吹き荒れ、辺り一面が怒気と、そして悲しみに覆われていく。
桃子は、そしてルシオンと向き合っていたヘノは、その濁流のような怒気にひるみ、表情を歪ませる。
「貴様は、吾輩が、何もしなかったとでも言うのか……!!」
「この三百年……どれほど、どれほど吾輩が、彼女を探したと……っ!!」
スーツ姿のルシオンが、赤いケープを強く、強く握りしめて、言葉を振り絞る。
彼は声を震わせている。ケープを――エレーヌの遺品を見つめる彼の瞳に、光るものが見える。
当たり前のことだった。当たり前のことだったのだ。桃子は今さら、それに気付いた。
彼がこの数百年間、探さなかったわけがないのだ。
彼は、その長い寿命を使い、探して、探して、探して――希望という希望を、すり減らして。
とうとう、削り落とされた心でたどり着いたのが、クリスティーナであり、桃子だった。
死なない人間。永遠に生きられる人間。エレーヌの代理の人間たち。そこには残念ながら、本当の愛はない。
けれど、彼はそれに縋らなければならないほどにすり減っていた。もう限界だった。
数百年という時間は、彼を癒やしてはくれなかった。
彼はきっと、純粋すぎたのだ。彼を侵した毒はもう、長い時とともに深く沈んでいき、彼の魂を腐り落とす寸前だったのだ。
沈黙。
そして。
「……すまん。ヘノが。悪かった」
ヘノが、後悔や悲しみで顔を歪ませて、謝罪した。
きっと、ヘノにはまだルシオンの慟哭の理由が、真の意味では理解できないかもしれない。ヘノはまだ、大切なものを失ったことがないのだ。ヘノにとって大切な人間は、今もこの場所で、ヘノとともにいてくれるのだから。
それでもヘノは、自分が言ってはいけない発言をしたのだと理解して、謝った。
「……いや、吾輩としたことが。我を忘れてしまったようだ。妖精……脅かしてすまなかった」
「本当に。悪かった。お詫びにカステラの紙をやるから。許してくれ」
「紙であるか」
桃子は、なんと言えばいいのかわからなかった。どういう情緒でいればいいのかわからなかった。
この空気で、唐突なオモシロを挟まないでほしかった。
本当に、本当に、ツッコミにくいのだ。
「あの……ヘノちゃん、紙じゃなくて、せめてカステラ本体をあげようよ」
「クハハハ、いや、いい。長崎のカステラは、その紙が一番美味なのだろう? いただくとするぞ」
「えー……」
なんだかもう、どういう情緒でいればいいのか分からない。
ただ、桃子はヘノを胸元に抱きしめて。
泣き笑いのような表情で、カステラの紙を噛み締め、そのまま飲み込むルシオンの姿を。最後まで見ているしかできなかった。
【魔獣と赤ずきん Ⅲ】
十八世紀、フランスはジェヴォーダン地方。
そこにはジェヴォーダンの獣と呼ばれる、森の主が存在した。
漆黒の身体をもつ巨大な獣だ。血のように赤い瞳は、森の中でその姿を目撃した人間たちに、恐怖と、そして死を振りまいてきた、そんな魔獣だ。
けれど、その魔獣の目の前にはいま、赤いケープを羽織った美しい少女がいた。
「Coucou♪ ルシオン? いますか?」
「ここにいる。……しかし、未だに慣れんな。その『ルシオン』という名は」
少女の名はエレーヌ。この森からほど近い村はずれに住む、まだ幼さを残す少女だ。
ただの気まぐれで命を救ったことをきっかけに、彼女は定期的に、この森に入り浸るようになってしまった。
それは、この闇の森でひっそりと生きてきた魔獣にとって、完全に未知の経験であり、彼女の全てが、魔獣にとって予想できないことばかりだった。
この『ルシオン』という名もそうだ。
「でも、仕方ないじゃない、名前がないのは不便なんですもの。それとも、イギリスの言葉で気取って『ビースト』とでも呼びましょうか? それはそれでなかなか素敵ですし」
「ふん、どうでも良い。好きにしろ」
「じゃあルシオン。今日はパイを焼いてきたんです、食べましょう?」
彼女の被る『赤いケープ』には、魔獣――ルシオンによる、護りの加護が込められている。
もとは彼女の母が彼女のために作ったはずのそれは、今や森の獣や魔物、そして、人間たちから、このエレーヌを護るためのものとなっていた。
「村の様子はどうなのだ」
「村は……ええ、どうにかやっています。けれど……疫病が更に広まって、みんな疑心暗鬼で……」
彼女の父はすでにおらず、母は少し前に死んだ。最後は、この場所で採れる薬草の力で、苦しむことなく、安らかに眠るように亡くなった。
身寄りを失った彼女はいま、定期的に訪れる行商人にこの貴重な薬草を売ることで、生計を立てていた。
「貴様は……魔女扱いをされているのだろう」
「魔女だなんて。そんなの……昔の話で、本気で信じてる人なんて、いませんよ……」
この若く美しい少女が一人で平穏に生きていられることは、この時代では奇跡のようなものだった。
少なくとも今は、村人たちには、エレーヌに危害を加えようとするものはいない。それは何故か。
それは――怖れられているからだ。
まだ幼さが残るとはいえ、その人外染みた美貌が、村人を遠ざけて。
時折、赤いフードとともに何処かに消えてしまう様が、村人を恐れさせて。
魔獣の住まう森でしか採れないはずの薬草を、頻繁に行商のもとへ持ち込む行為そのものが、エレーヌが魔女であることの証拠として信じられていた。
『魔女狩り』。人々が魔を怖れ排斥してきたこの呪われた文化は、この時代から数十年前にはもう、廃れたはずの風習だ。
けれど、人の心は数十年では変わらない。何をきっかけに壊れるか、わからない。
実際にダンジョンや魔法の存在するこの世界でも――いや、この世界だからこそ、人間たちは時代が進んでもなお、魔物を、闇を、強大な力を怖れ続けているのだ。
だからこそ。
エレーヌの敵は、人間だった。
「ルシオ……ン……うう……ルシオン……」
「エレーヌ! 何が……何があったのだ!」
それは、嵐の日の夜だった。
ルシオンが濃厚な血の匂いに気づき、森の入り口までやってくると。そこにいたのは――。
「私……もう、もう嫌……嫌、なの……助けて……ルシオン」
ボロボロになった衣服に、ただ赤いケープだけを必死に抱きしめて。
痣と血にまみれた、痛ましい姿のエレーヌだった。