ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
桃子は今、とある空間へと足を踏み入れていた。
そこは海に囲まれた、霧の漂う広い砂浜だ。そして、その中央には大きなガジュマルの木が一つ、この土地を見下ろすかのように佇んでいる――はずだった。
「あれ? ガジュマルの木が増えてる?!」
ここは、龍宮ダンジョン第一層『龍宮洞』から繋がる異世界、ニライカナイ。その第一層『霧の海岸』である。
桃子がここを訪れるのはおよそ半年ぶりだが、桃子が五月に訪れたときは中央に大きなガジュマルの木があるだけだったのだが、どうにもいま目の前に広がる風景は、桃子の記憶とは違っている。
具体的には、大きなガジュマルの木の周囲には、それより小さないくつかのガジュマルの木が生えているのだ。
林というほどの量ではないけれど、だがしかし、明らかに木の数が増えている。
「あれって最初は一本だけだったんでしたっけ? 半年前にキジムナーたちが戻ってきた時点でガジュマルの木は増えてましたよ?」
「へー、そうなんだ。そういえば柚花はキジムナーたちと会ってるんだったっけ」
「ええ。ほら、あそこの木陰とか木の上にいるの、分かりますか? 真っ赤な髪の、小さな子たちです」
「うん! いま見えた! なんだか、みんなこっちのほう見てるね!」
どうやら、ガジュマルの木が増えたのは、キジムナーたちによるものだそうだ。いや、正しく言うならば、キジムナーたちとともに姿を消していたガジュマルの木が戻ってきただけで、いまの景色こそが本来の姿なのだろう。
桃子が前にこの地を訪れたときは、ニライカナイの下層に強大な瘴気の魔物がすみつき、キジムナーたちが姿を隠してしまったタイミングだった。その後、魂のみで直接ニライカナイの下層に招かれていた桃子は、彼らと直接出会う機会には恵まれなかったのだ。
だが、今ならキジムナーたちの存在を感じ取ることができる。小さなガジュマルの影に隠れてこちらを覗き見ているのは、赤い髪に、肌は日焼けしたかのような小麦色で、最低限の布を身体に巻いた小さな子供たちのような存在だ。
どうも警戒心が強いらしく、彼らはみな、ガジュマルの木々に隠れて、こちらに近づいてこようとはしない。
「なんだか。不思議な感じがする場所だな」
「そ、そうですねぇ……ジメジメしてるのに……さ、さらっとしてますねぇ」
「……この先に、エレーヌがいるのであるな」
桃子たちの会話を聞きながらこの世界を物珍しげに眺めているのはヘノとニム、二人の妖精たち。
そしてその後ろには、闇を纏ったかのような漆黒の巨大な犬の姿がある。もちろん、ジェヴォーダンの獣ことルシオンだ。
妖精たちは、ふわふわと舞いながら。巨大な魔獣は、ざくざくと、砂浜に巨大な足跡を残しながら、島の中央へと向かって進んでいく。
なぜ、桃子たちがこのニライカナイを訪れているのか。
それは、ヘリポートでローラとルシオンが初めて邂逅した直後のことだ。
突然、ふらりと。
全身の力が抜けたかのように、ローラが倒れてしまったのだ。異変に気付いたルシオンが即座に支えたが、そのときすでにローラの意識は失われていた。
そしてローラはいま、彼女の自室のベッドで眠りについている。女性職員が付き従い、島に常駐する医師が容態を診てくれている頃だろう。
しかし、おそらく地上の医療知識だけでは、その症状の原因までは特定できまい。
なぜならば、桃子はその症状と、その原因を知っているのだ。過去に、全く同じような形で眠りについた人物――柿沼和歌を目撃しているのだ。というより、和歌に続いて桃子も全く同じ状況で眠りについた当事者でもある。
つまり、結論を言えば。
ローラの魂が、ニライカナイに招かれた。
ローラの魂。それがすなわちエレーヌの魂なのだとしたら、ニライカナイに招かれた理由はシンプルだろう。
ルシオンに触れ合うことで、彼女の中のエレーヌ――死者の魂が目覚めたのだ。
それが、一時的なものなのか、それとも危険な兆候なのかはわからない。ニライカナイで、エレーヌの魂がどのような状況なのかもわからない。
わからないから、ルシオンを筆頭に、桃子たちは再び、死者の国へと足を踏み入れることを決心したのである。
そして、そのニライカナイ来訪の第一歩。
『ピイー! ピイー! タスけてー!』
『キャー! キャー! ニゲてー!』
それは、キジムナーたちの悲鳴で始まった。
「ちょっとそこのわんちゃん、その恐ろしい姿と威圧的な魔力をどうにかしてください! キジムナーたちが怖がってるじゃないですか!」
「吾輩は何もしていないであろうが! あの小さい者どもが勝手に逃げているだけであるぞ! あとせめてビーストと呼べ!」
悲しいかな彼らの第一歩は、小さな魔法生物たち、キジムナーのパニックを引き起こした。
すでに何度か見た光景ではあるが、ジェヴォーダンの獣の恐ろしげな風貌とそれに纏わり付く暴力的な魔力は、キジムナーたちを怯えさせるのに十分な代物だったのだ。完全に敵襲だと思われている。
パニックの原因であるルシオンはさっそく柚花から文句を言われているが、確かに彼は何もしていない。ただ、無駄に恐ろしく、威圧的なだけなのだ。
「びーすと。お前。見た目からして。怖すぎるんだぞ」
「そ、それに、ま……魔力もちょっと……怖いですからねぇ……」
「そんなことを言われたところで、吾輩にどうしろと言うのだ。こやつらが腰抜け過ぎるのだろうが!」
「あはは……」
桃子は思い出す。彼と初めて出会った日の夜、桃子たちは威圧的な態度と暴力的な魔力によって勘違いを加速させ、あわや戦いとなったのだ。
そこからたったの一週間で、今では仲間として共に沖縄までやってきている。
人と人ならぬ、人と魔法生物だけれど。縁というものは何が起こるかわからないものだ、と。
桃子は苦笑を浮かべながらも、心で感想を呟くのだった。
「キジムナーさん、私です! 半年前にもお話しましたよね、ユカです、ユカ。覚えてませんか?」
『ピイー……ユカ? あのケモノ、コワくない?』
柚花が大きなガジュマルの木を見上げて、木の枝の中に隠れている何人ものキジムナーに声をかける。
五月に訪れたとき、柚花はキジムナーの写真を桃子に見せてくれていた。恐らく、その時には名前を覚えられ、写真を撮るほどには距離を縮めることもできたのだろう。
それを覚えていたらしいキジムナーの一人が、恐る恐る、柚花へと近づいていく。柚花は、とても優しい微笑みでキジムナーを迎え入れる。
柚花の肩ごしに浮いているニムが、何故だかすんとした無表情になっているのは気のせいだろうか。
「あの大きいわんちゃんは、見た目は怖いですけど、すぐ泣いちゃう寂しがり屋のわんちゃんなんですよ。だから、恐くないです」
「貴様。吾輩を愚弄するか、吾輩は――」
「まあまあ、ルシオンさん」
柚花が、キジムナーたちを落ち着かせる。
その後ろではわんちゃんことルシオンが凶暴な顔つきで牙を見せているが、桃子が鼻先を撫でると大人しくなる。
「これが。この場所に住んでる。魔法生物か。あんまり強くなさそうだけど。戦ってみるか」
「そ、そうですねぇ。一度しっかり……ち、力の差を見せつけてもいいんじゃないですかねぇ……?」
「待って待って、なんでニムちゃんまで好戦的なの。駄目だからね?」
一方、ヘノたちは初めて出会う魔法生物の群れを前に、またもや好戦的なことを言い始めた。
普段は物騒なことを言うヘノを諫めてくれるニムまでもが、今回に限ってはヘノと一緒に物騒なことを呟いている。
桃子は慌てて妖精たちを落ち着かせるのだった。
そんな風に。
今からニライカナイへと潜るとはいえ、あくまで目的は『エレーヌを迎えに行く』旅路である。
ここでゆっくりと過ごすつもりはなくとも、雰囲気はまだ、和気あいあいとした空気を保っていた。
――この時までは。
桃子たちの和気あいあいとした雰囲気に反して。
キジムナーたちは、未だにおびえを見せている。それは、ルシオンを怖がっているのかと思った。
『ピイー……ユカ』
だが。
続くキジムナーたちの懇願の声に、桃子も、柚花も。ルシオンや妖精たちまでもが、瞬時にして、表情を変える。
『……ユカ、タスケテ』
『ショウキ、フエテきた。コワいのが、モドってきた……』
『ニライカナイに、ショウキ、アツまってる』
「……は?」
柚花の、小さな反応だけが。
妙に大きく、辺りに響き渡った。
「瘴気が溜まってるって……でも、前にここの瘴気を払ってから、まだ半年だよ?」
「わかりません。けど……」
その後、キジムナーたちの話を聞いて、分かったことがある。
それは、半年前に桃子たちが壮絶な戦いの末に散らした瘴気が、再びニライカナイを覆い始めている、ということだ。
そしてそれが意味することを、桃子と柚花は身を以て知っている。
「柚花、どうしよう」
「どうするもこうするも。エレーヌさんとか抜きにして、やらないわけにはいきません……けど」
ニライカナイに集まる瘴気。それ自体は魔物の身体を持たない、ただの大気中に漂うガスのようなものだ。
ただし――これは以前の事件のあとに、りりたんに改めて説明を受けたことなのだが――この地の瘴気は、ここを訪れた人間に対する『恨み』を糧にして、魔物としての肉体を得て、ニライカナイにて復活を果たす性質がある。
簡単に言えば、過去に桃子と柚花が討伐した魔物たちが、瘴気を糧に復活し、一斉に襲いかかってくるのだ。
半年前。桃子はこの地で、多数の魔物たちと戦った。
そして、バジリスクと鵺の二体の特殊個体と、壮絶な死闘を繰り広げたのだ。
結果的に桃子たちは勝利した。けれど、もう一度同じような戦いを挑まれた場合、勝てる保証などありはしないのだ。
行かないわけには、行かない。助けを求めるキジムナーたちを、無視はできない。けれど。けれど。
桃子たちは、つい。言葉を失い、視線を落とし、うなだれてしまう。
だが。
「わかんないけど。出てくる魔物を。全部倒せばいいだけだろ」
「が、頑張れば……き、きっとどうにかなりますよぉ……」
「……そうだな。吾輩はあくまでエレーヌの元へ急ぐ身ではあるが、目障りな魔物如き、倒してやらんこともない」
以前の桃子の旅路には、エレク、ヒカリ、和歌という――桃子にとっては初めての、そして唯一の、探索者パーティの仲間がいた。
そして今。エレクたちこそいないものの、桃子の前にはヘノ、ニム、そしてルシオンという心強い味方がいる。
この強力な味方の存在は、桃子に、そして柚花に、強い勇気を分け与えてくれる。
「先輩。何が出ようと、これだけ味方がいればどうにかなりますよ。とくに一人はりりたんやティタニア様に匹敵する伝説的な魔獣です、瘴気の魔物くらいどうってことないんじゃないですか?」
「……うん、そうだよね。みんなを、信じよう」
ニライカナイを進み、熱に倒れ、昏睡状態となったローラを救い出す。
ニライカナイを進み、あの地に再び蔓延し始めた瘴気を浄化する。
どちらも、仲間を信じてどうにかするだけだ。
桃子たちは、心を決めた。
――が。
現実は、非情である。
桃子たちの目の前には、ニライカナイ第二層『黄昏の平原』へと下る階段洞窟の入り口がある。
ここを下ればそこはもう、死者の国の入り口だ。
だが、桃子たちはこのとき、この瞬間まで、忘れていたことがある。
「ところで。どこで。何を倒せばいいんだ?」
「ど、どこにも……下層に続く道は、なさそうですけどねぇ……?」
「え……」
「あ……」
ニライカナイに降りられるのは、死者か、もしくは生と死の狭間にいるものだけ。
妖精のリンゴにより寿命の枠が崩れ去った桃子と柚花は、ニライカナイへと降りることはできる。
けれど、ヘノとニムの二人は――。
「どうやら、これより先に行けるのは幼子と小娘、それに吾輩だけのようであるな」
伝説の魔獣であるジェヴォーダンの獣には死を司る力でもあるのか、彼の瞳には下りの道のりが映っているようだ。
けれど。生者であるヘノとニムは。
ニライカナイの深部へ降りる権利そのものを、持ち合わせていなかった。