ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
桃子の脳裏に、ありもしない幻の記憶が浮かび上がっては消えていく。
魔物に踊らされるままに戦い、惨めに命を落とす弓使いの少女。
たった一人の、心を許した同胞の命を自ら奪い、永遠に嘆き続ける人魚姫。
自由を失い、悍ましい魔物に蹂躙され、最後まで救われることのなかったオオカミたち。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
邪悪な蜘蛛に敗北し、命の尊厳すら弄ばれた、多くの勇士たち。
瘴気に抗う力を失い、人々を護る力を失い、ただ消えゆく、過去の英霊たち。
望まぬ変貌を遂げ、母を殺め、魔物に墜ちた植物の少女。
「助けたかったの、私は……助けたかったの……」
冷たい洞窟のなかで、助けもなく、静かに息絶える赤子の姿。
母を庇い命を散らす、大地の英雄の姿。
殺意の衝動に負け、愛するものの命を奪った魔物。
この世界には、救いがない。
誰も救われることなく、報われることなく、ただ、悲しみしかない。
悲しみの底に、ただ、沈み続けるしかない。
『アナタモ、沈ンデ、トモニ悲シミマショウ?』
『ナカマ、ナカマニナリマショウ?』
桃子の脳裏に、いつか聞こえた声が響く。
沈めば、沈んでしまえば、仲間になれるのだと。同じ想いに、同じ悲しみに苦しむ同胞たちが、他にも大勢いるのだと。
それは、とても甘美な声で。
桃子の心を、底へ、底へと、引きずり込んでいった。
――けれど。
カチン
音が、した。
カチン カチン
それは桃子の耳元で、何度も、何度も、鳴り響く。
そして――。
「桃子。泣くな。大丈夫だ。ヘノがついてるからな」
その音は、その声は。暗闇の中で、はっきりと。
「そろそろ起きて。あのでかい蛇を。一緒に退治するぞ」
カチン カチン カチン
うるさいほどに耳元で響き渡るその音で、沈み続けていた桃子の心が顔をあげる。遥か空を仰ぎ、緑の光をみつける。
救いがない――なんて、そんなわけがない。
たった今、桃子にとって一番大切な声が、聞こえたではないか。
桃子の沈んでいた心は、まるで頑丈なロープに結ばれ、勢いよく引き上げられるかのように急上昇していく。
そして、うっすらと開いた視界には、緑の光が見えた。
『その子を守れ! あと……なんだ? その、でっかい犬の治療を!』
『俺の実家は獣医だ、任せろ!』
『うぉぉおぉおお!!!』
桃子が意識を取り戻すと、そこは戦場だった。
見知らぬ探索者たちが、空中――いや、瘴気の水中を器用に泳ぎ回り、襲い来る怪魚の群れと戦っていた。
精悍な若者が、眠り続ける柚花の目の前で槍を振り回し、迫り来る怪魚を串刺しにする。
血に濡れたルシオンの毛皮に手をあて、優しい光を当てるものがいる。
幾つもの矢が、辺りを包囲する怪魚の群れに降り注いでいる。
『みんな、いけるぞ! 赤ずきんの子が目を覚ました!』
『よっしゃ!』
幾人もの、幾人もの探索者たちが、桃子たちを守るために戦ってくれている。
「……え……え?! え?! わ、私……っ」
「桃子。こんなにすぐ起きるなんて。珍しいな」
「え……っ!? な、なんで!?」
桃子はようやく、はっきりと意識を取り戻した。
だが、状況を理解するのは難しかった。
自分は今、あやかしと戦っていたはずだ。あやかしの悲しみの呪いに墜ち、眠らされていたはずだ。
しかし、目覚めれば多くの見知らぬ探索者たちが戦っているのだ。
そして、なにより。この場所に、死者の国ニライカナイにいるはずがないヘノが、目の前にいるのだ。すぐそばで、桃子の顔を覗き込んでいるのだ。
「ヘノちゃん、どうして……?! だって、ここ……!」
「ツヨマージがビリビリしたら。『ももちゃんを助けてあげてね』って声が聞こえて。力を貸してくれたんだ」
「あ、あ……」
見れば、ヘノの言葉通り、その手に持つツヨマージが『ビリビリ』と紫のスパークを放っている。
その光はヘノの身体も覆い、文字通り、ヘノの身を包み込むようにして、守ってくれているように見える。
桃子はそのスパークを知っていた。半年前、この死者の国ニライカナイで、相棒として桃子をずっと守ってくれていた、とある妖精の光だ。
ヘノの姉でもある、今は亡き雷の妖精、エレクの光だ。
「よくわからないけど。だから。ヘノは今。ここまで来られたんだぞ」
「……うん、うん……!」
静かな場所でゆっくりと魂を休ませているはずのエレクが、再びこのニライカナイで力を貸してくれている事実に。そして、桃子の危機に、死者の世界までヘノが駆けつけてくれた事実に。
桃子はただ、ヘノを胸元に抱きしめた。言いたい言葉、伝えたい言葉はいくらでもあるのに、言葉が出てこない。
『キミ、実に申し訳ないんだが……』
しかし、残念ながらここは戦場である。
ヘノを抱擁して感動している桃子に対し、遠慮がちに声をかける探索者を、誰も責められないだろう。
桃子が顔をあげると、そこには苦笑気味に微笑む若い男性がいた。体はほんのりと透けている。
彼が、そしていま周囲で戦っているのが誰なのか。聞くまでもなく、桃子にはすぐに理解できた。
あやかしを相手に、いまなお奮闘している彼らは――ヒメがあやかしを討伐したあの日、闇から解放されたはずの、数多の魂だ。
十三年前の事件で、尾道ダンジョンはあやかしのスタンピードを抑えられず、瘴気の溢れ出る洞穴となった。
ダンジョンから溢れ出る瘴気は地上を侵し、尾道の、瀬戸内海の人々の生活を脅かしたのだという。
そこで、多くの人々が、武器を手に取り戦った。ただ、故郷を守るために。家族を守るために。
そして。
彼らの犠牲と引き換えに、瀬戸内海は平和を取り戻したのだ。
「ヘノがきたら。こいつらが皆で。桃子たちを守ってたんだ。知らない連中だけどな」
「あ……あの……」
『聞いてくれ。悔しいが、私たちだけでは、あの憎きあやかしを倒しきれない』
こうしている今もなお、過去の探索者たちが必死の声をあげ、戦っている。
眠る柚花とルシオンを守り続けている。
けれど、そこには決定力がない。あやかしを討伐した神弓士のような、力強い存在がいないのだ。
『だから、キミにまた、全てを任せてしまうことになるが……』
桃子は、胸に抱きしめていたヘノをゆっくりと離した。
そしてその手に、ハンマーを強く、握り締める。
はるか先にうごめく、憎むべき海蛇の姿を睨みつける。
「私が、戦います! 何度でも、倒します! 皆さんが、安心して眠れるように……!!」
『……ありがとう』
桃子に礼を伝えるその男性は。
どこか、桃子もよく知る弓使いの少女と似た眼差しをしていた。
『まだまだ……俺は、俺はまだ戦えたんだ! こうして、最後まで戦うはずだったんだ!!』
槍を持つ若者が、怪魚の群れを相手に戦いながら、声を荒げる。
若くして早逝した己の力を誇示するかように、ここで、己の魂を最期まで燃やし尽くすために。
『この寝てる子は任せなァ! 俺はもう家族を守れんから、せめてこの子たちは守らせてくれなァ!』
棍棒のような武器を持つ男性が、器用に水中で怪魚を殴りつけながら桃子に笑いかける。
不器用そうな、それでも、とても優しそうな笑顔だった。
『さあ、行ってくれ』
「はい! はいっ……!」
桃子の両脚が、雷を伴った緑色のつむじ風を纏う。
「いくぞ。桃子。なんかふわふわして変だけど。あいつ。弱そうだしな」
「あははっ、ヘノちゃん、余裕じゃん!」
あやかしは、悲しみで動いている。あの暗闇には、悲しみと絶望が渦巻いている。
けれど、桃子は知っている。悲しみは、決して永遠に続くわけではないのだと。
どれだけ悲しくとも、どれだけ絶望的だったとしても。今の桃子には、光で照らしてくれる仲間が、大切なパートナーがいるのだということを。
「だから、あやかし! 私は、あなたには負けてあげない……!!」
桃子は、悲しみの呪いを完全に振り払う。ヘノの風が、桃子をいくらでも支えてくれる。
この『水中』と化した空間では、つむじ風の魔法はあたかもスクリューのように渦を巻きながら、桃子を前へ、前へと加速させる。
正面に見えるのは、あやかしだ。人の心を操り、悲しみを振りまく存在だ。
『キサマ……キサマか……二度までも……!!』
巨大な海蛇だ。決してセイレーンの肉体を所持していたときのような、人の声帯を持つわけではない。
けれど、桃子には、あやかしの怨嗟の声が聞こえた気がした。
桃子はハンマーを振り上げる。ハンマーにはめ込まれた紅珠が桃子の魔力に反応し、強く、強く輝き始める。
「あなたが何度生き返ったって! 私たちは――」
あやかしが、大量の怪魚を召喚し、桃子に向かわせる。
けれど、それはヘノが許さない。ここが本当の水中ならばあやかしの領域だったかもしれないが、ここは決して水中そのものではない。
ヘノの操る、紫電をまとった暴風が、怪魚の群れを容易く吹き飛ばす。
そして、桃子は巨大な海蛇へと肉薄し。
「負けないんだからぁぁあっ!」
ドン、という臓腑に響く巨大な衝撃と共に。
魔力の爆発と共に光が膨れ上がり――あやかしは、このニライカナイの地で。
一人の少女に、討伐された。
「皆さん。本当に……ありがとうございました!」
「助かったぞ。お前たちがいなかったら。桃子が危険だったんだ」
悲しみを司る特殊個体、あやかしの討伐は成った。
周辺領域を水中のようにしていた不可思議な瘴気もあやかしとともに消滅し、桃子はしっかりとその脚で、地面に降り立っている。
今は夜空の下に広がる、ただ静かな花畑に戻っていた。
『いいんだ。私たちこそ、キミらには助けられてきたのだからね』
何人もの見知らぬ探索者たちが、互いの健闘を称え、笑い合っている。
それは決して、心からの笑顔ではない。どこか悲しく、後悔や諦念も含まれた笑顔だ。いくらあやかしを討伐したとて、彼らが志半ばに命を失っていった存在であることには変わりないのだから。
けれど、それでも。
そこには笑顔があった。
桃子は視線を動かす。そこには、身を小さくした巨大な大型犬がおり、何人もの探索者に囲まれていた。
『あはは、こんなでっけえ犬もいるんだなあ!』
「……吾輩としたことが……」
『最後に、こんなでっかい犬を抱きしめられるなんて幸せじゃねえの! 飼ってた犬に似てるぜ!』
『うちの犬も、空の上で待ってるはずだ。そろそろ虹の橋まで迎えに逝ってやらないとな……』
目覚めたルシオンは、どうやら己に起きたことを全て把握していたようで、驚くほどに意気消沈していた。
数百年生きてきた伝説の魔獣が、あやかしの呪い一つに完全敗北したのだ。その自信の失墜も、さもありなんと言ったところだろう。
もっとも、いつもの攻撃的な威圧感を失ったジェヴォーダンの獣は非常にしおらしく、愛犬家の探索者たちに大人気である。
「皆さん……ありがとう、ございました! お陰で、私も先輩も助かりました!」
『いいってことよ。若い娘さんが頑張ってんのに、俺らもゆっくり死んでる場合じゃねえからよ』
そして、柚花もまた桃子とともに、過去の英雄たちに頭を下げてまわっている。
【看破】という瞳をもつ柚花はきっと、桃子以上に彼らの状況が把握できてしまうのだろう。すり減った魂も、彼らの抱えた悔いや、悲しみも。
探索者たちと相対した柚花は、何かを堪えるかのように唇をかみしめて、手をぎゅっと握り締めている。
そして、探索者を代表して、先ほどの男性が再び、桃子の前に立つ。
もう、彼らの身体は光の粒となり、消えかけている。桃子たちを救ってくれた尾道の英雄たちは、行くべき場所へと、逝く時間だ。
『ありがとう。尾道を……私の娘たちを……よろしく頼むよ』
「……はい!」
桃子が最後に見たのは、寂しそうで、それでも。
未来への希望を信じる、彼らの笑顔だった。
静かになった青い花畑に、柚花たちの呟きが響く。
「……先輩、私、ふがいないですよ」
「吾輩としたことが……」
二人とも、直前まであやかしを軽んじており、完全に油断をしていた。
今更ながら、それを恥じ、ふがいなさにうなだれている。
「あはは、結果オーライだよ。ね? ヘノちゃん」
「そうだぞ。それに。おかげで。瘴気が晴れたんじゃないか?」
「そう……ですね」
瘴気は、晴れた。
ニライカナイに、たった半年でここまでの瘴気が集まった理由はわからない。それはきっと、これから先に考えていかねばならない『なにか』があるのだろう。
けれど、それは今度でいい。今は、違う。
「エレーヌに、会おう」
永遠の命と、儚い命。
出会いと、別れ。
三百年の時間を越えて。桃子たちは、彼女に会いにきたのだから。