ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
『エレーヌ……』
『Coucou♪ ああ……本当に、本当にルシオンなんですね……』
静かな丘の上に、ローラは――いや、エレーヌはいた。
様々なダンジョンで多くの魔物たちを討伐してきた桃子たちと違い、彼女は魔物に恨みを持たれることもなく、魔物との争いに巻き込まれることなく。
ただ、ここで。死者の国の入り口で、静かにルシオンを待っていたのだろう。
丘の上に、体長三メートルを超える黒い獣が、ゆっくりと歩いていく。
桃子たちは、それを離れて眺めていた。決して、邪魔はしない。
今は、ルシオンとエレーヌ、二人の時間だ。
『エレーヌ、吾輩は……吾輩は……』
『ルシオン……ルシオン……ごめんなさい、ごめんなさい……こんな、長い間……』
ルシオンが、その鼻先で静かに、エレーヌに触れる。
エレーヌが手を伸ばし、大きな獣の首に触れる。そして、そっと抱き寄せる。
嘘ではなく、幻ではなく。互いが本当にそこにいることを、その身で確かめ合うように。
『すまなかった、吾輩は……そなたを探すことを、あきらめて……』
『いいの、いいんです。今はこうして……あなたの温もりを……感じさせてください』
『会いたかった、エレーヌ』
『私もです……ルシオン』
双方とも、言葉は少なく。
シンとした青い夜空の下で、そっと、互いの温もりを確かめあっていた。
三百年前の赤ずきんと、ジェヴォーダンの魔獣は。ただ、静かに、寄り添いあっていた。
「なんか……良かったね。ルシオンさんとエレーヌさん、ようやく会えたんだ……」
「でもあいつら。何を言ってるのか。ぜんぜんわからないな」
離れた場所で、ルシオンたちの邂逅を眺めているのは桃子と柚花、そしてヘノの三人だ。
桃子とて、ローラの友人として、どうして彼女がここにいるのか、何が目的なのか、色々と聞きたいことはある。
けれど、今は違う。
三百年越しの、愛した相手との再会を邪魔するほどに、桃子と柚花はデリカシーを失ってはいない。
デリカシーの面で言えばかなり疑わしいヘノは、桃子にしっかりと捕まっている。
「あれってやっぱり、フランスの言葉なんだよね。柚花はわかる?」
「私もフランス語の簡単な挨拶くらいなら覚えてますけど、ああも流暢に話されると、もうさっぱりです」
「そっか」
静かな世界なので、ボソリボソリと、二人の会話は桃子の耳にも届いている。
けれど、残念ながらそれは桃子の知っている日本語ではなく、英語ですらない。もちろん、言葉の意味はさっぱりわからない。
博識な柚花ならと思ったけれど、さすがの柚花もフランス語まではわからないようだ。
桃子はだから、あの二人はきっと、フランス映画のような愛の言葉を囁きあっているのだろうと、勝手にそう理解する。
愛し合う二人の、再会のシーンだ。
長い間、ずっと会えなかった二人が、生まれ変わってもう一度邂逅できた、奇跡のシーンだ。
――だというのに。
柚花の顔色が冴えない。
桃子は横目でちらりと、柚花の様子を窺う。
横に立つ後輩は、愛する者たちの再会を祝福する表情というよりは、どことなく苦虫をかみつぶすような、そのような顔をしている。
「柚花?」
柚花は、ジッと。
丘の上のエレーヌと、ルシオンを見つめていた。桃子の目には、それは、どことなく辛そうな顔に見えた。
そして柚花は丘の上を見つめたまま、桃子ではなく、ヘノに声をかける。
「……ヘノ先輩。ちゃんと見てくださいね。ヘノ先輩は、見ていないといけないと思います」
「大丈夫だ。見てるぞ」
「なら、わかりますか? わかりますよね?」
「……わかるぞ。わかる」
柚花とヘノが、桃子には見えないものを見て、真剣な言葉を交わしている。いつもならばすぐによそ見をしてしまうヘノが、真剣にエレーヌの姿を見つめている。
桃子には見えない。けれどきっと、【看破】という力を持つ柚花には、妖精の瞳を持つヘノには、桃子にはわからないものがわかるのかもしれない。
「あの……どういうことなのか、私も聞いていい?」
桃子が問いかけると、ヘノがちらりと桃子を見て。
少しだけ逡巡するように、口元をもにょもにょと動かしてから、口を開く。
「桃子。えれーぬは。ものすごく幸せそうなんだけど。それと同じくらい。ものすごく悲しんでるんだ」
「え……?」
「あいつ。幸せなはずなのに。ずっと。泣いてるんだ」
せっかく、再会できたのに? 桃子の脳裏に浮かんだのは、それくらいシンプルな疑問だった。会いたい相手に会えたら嬉しい。それはもちろん、当然のことなのだから。
しかし、桃子が言葉として声に出さずとも、その疑問は顔に出ていたのかもしれない。ヘノに続き、桃子の顔をちらりと見遣った柚花が、続けて口を開く。
「私はエレーヌさんではありませんから、本当のところはわかりません。ローラさんとエレーヌさんの関係も、はっきりとは理解できていません。でも、先輩」
柚花は、ジッとエレーヌたちを見つめている。
【看破】の魔力の光の中で、柚花のオッドアイが、キラリと光を反射した。柚花は間違いなく、涙を浮かべていた。
「エレーヌさんは、自分からは会いにいけなかった。この『死者の国』で待つことしかできなかった。それが、全てだと思います」
「あ……」
「エレーヌさんはもう、死者なんです」
りりたんなどという、記憶を持ち越して生まれ変わった存在が身近にいるからこそ――桃子は、失念していたのだ。
それは、言われてみれば当たり前の話だ。どうしようもないほどの、現実だ。
エレーヌは、死者なのだ。
だからこそ。死者の国であるニライカナイに現れて、ルシオンの到着を待ち続けていたのだ。
死者の国でしか、彼女は存在できなかったのだ。
桃子の脳裏に、半年前に出会い、そして光が消えるまで見送った、大切な仲間たちの思い出がよぎる。
共にいたくても。どれだけ愛し合っていても。彼らの行くべき場所は、生者とは違う。
「じゃあ……あれは……」
「きっと。最期の……お別れの挨拶をしたかったんだと、思います」
これは、幸せな邂逅の話だと思っていた。ルシオンの三百年は、報われるものだと思っていた。そう、願っていた。
ルシオンは、約束通り、三百年もの時を越えて、エレーヌを捜し出した。
けれど、けれど。
エレーヌと共に生きていくことは、もう。できないのだ。
『エレーヌ、吾輩は、今度こそ、今度こそ君を――』
『……ルシオン、聞いて。聞いてください』
彼女は、阿瀬ローラと同じ顔で。けれど、間違いなくエレーヌとして。
自分を愛してくれた魔獣を抱きしめたまま。彼のぬくもりを感じたままで。
どこか寂しげに、言葉を紡いでいく。
『私はあれから、ずっと後悔していたんです』
『エレーヌ……』
『あの約束は、私が最後に述べた約束は、あなたを呪ってしまったのではないか、あなたの未来を縛り付けてしまったのではないか。そう、悔やんでいたんです』
『吾輩は、そんなことは……』
ルシオンが否定しようとするが、エレーヌは静かに、首を横に振る。
三百年だ。三百年という、長い月日だ。
それは人間はおろか、人間よりはるかに長い寿命を持つ魔法生物だとしても、決して短い時間ではない。
ルシオンは、その長い時間を、ずっと。エレーヌだけを求めて、生きてきた。
『ルシオン。優しいルシオン。あなたはきっと、なん百年も、私のために心を削り続けてくれたんですね……』
エレーヌは、ルシオンの長い毛皮に、その身体を埋めるように。抱きつく腕に、力を込める。
その声は震え、ルシオンの毛皮に埋めた目元にはきっと、涙が溢れ出ているのだろう。
『でも、私はいま、幸せなんです。こうして再びあなたに会えて、あなたに謝ることができて、あなたに触れられて』
ルシオンは言葉をなくし、ただ、エレーヌの声だけが静かな丘に響いている。
『だから――』
青い花の丘に、びゅう、と。一陣の風が吹いた。
誰も、何も言わない。異国の言葉が分からない桃子も、柚花も。ヘノですら、静かに、ただ静かに見守っている。
『――あなたは、これからは、あなたのために生きてください。私、それを……それをずっとね、伝えたかったの……』
『エレーヌ……』
彼女は、ルシオンの首を抱きしめていた腕を解き、上体を起こす。
彼女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ルシオンの赤い瞳を、真っ直ぐに見つめる。
その表情は、とても寂しい、笑顔だった。それは、桃子が知っている友人の笑顔だけれど、桃子の知らない女性の、とても儚い笑顔だった。
『私の魂は、ローラに返さないといけないんです。ここでだけ、少しだけ……神様が、この時間を下さっただけなんです』
『わかっている、わかっているさ。それでも、それでも吾輩は……』
それでも、ルシオンは受け入れられない。
ルシオンは、やっと、やっと会えたのだ。長い時間、このぬくもりを求めてきたのだ。
それなのに、それなのに、ここで別れねばならない運命など、認められるわけもない。
けれど、現実は残酷だ。
『……覚えていますか? あなたと、森の中を飛び回りました。いろいろな花を眺めました。暖かい夜を、過ごしましたよね――』
エレーヌは語る。
ルシオンの領域で過ごした十年間のことを。
自身が生まれてきた意味を見失い、泣きわめいた夜もあった。
ルシオンの背にのって、地上では体験できないような冒険をした日もあった。
時間をかけて、初めは何もなかった世界を、二人で生きていく環境へと変えていく楽しみがあった。
美味しいものを食べた日があった。まずいものを食べ、二人で絶句した日だってあった。
ルシオンとの、とても幸せだった日々を、語る。
『――それは全部、私たちの宝物。私は、その宝物をたくさん抱えて、先に……生まれ変わりますね。阿瀬ローラとして……幸せに、なりますね』
ルシオンは、何も語らない。
何も語らず、ただ、瞳から涙を流し続けている。
『ねえ、ルシオン。お友達は、出来ましたか?』
『……ああ』
ルシオンは、ようやく掠れた声をあげる。
丘の上からは、ずっとこちらを見つめている桃子たちの姿が見下ろせる。
彼女らは、友だ。不器用で、人にあわせるのが苦手で、寂しがり屋で、泣き虫なジェヴォーダンの獣にできた、掛け替えのない友だ。
『あれは随分と騒がしく、珍妙なものたちだがな……』
『ふふ、よかった。あなたが一人きりじゃないって知れたのが、私にとっては……一番嬉しいお知らせです』
ルシオンが、ようやく顔をあげる。
今の彼の姿は大きな獣だ。人のように、その表情から感情を読み取るのは難しい。
だが、いまの彼は。不器用でも、分かりづらくとも。ようやく、微笑みを浮かべることが出来ていた。
ルシオンの瞳にうつるエレーヌは、光とともに、消えようとしている。
今の彼女は、あくまでこの時代を生きている阿瀬ローラという女性の魂だ。だから、桃子が過去に出会った故人たちのように、別な世界へと旅立つわけではない。
ただ、地上で眠る阿瀬ローラのもとへと戻り。
エレーヌの記憶を持たぬ普通の人間として、再び目覚めるだけなのだ。
それは、死による別離と何が違うのか。それは、存在の消滅と何が違うのか。
その答えは、誰にも分からない。
『……あなたに出会えて、本当に、幸せでした。ルシオン』
『吾輩もだ。吾輩に心をくれたのは、君だ、エレーヌ。……君に出会えて。本当に、幸せだった……』
最期に、エレーヌはルシオンの鼻先に、小さく口づけをして。
『ありがとう、ルシオン』
その囁きだけを残して。
光の粒となり、消えていった。