【本編完結】 ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
爽やかな花畑だったその世界はもう、瘴気の風の荒れ狂う世界と化していた。
視線の先の空に見えるのは、我が物顔でこの世界を飛び交う漆黒のワイバーンたちの姿。だが、桃子たちが睨み付けているのはワイバーンなどではない。
瘴気が一つの地点に集まり、具現化し始めている。それは、高層ビルほどもある巨大な邪竜――ジャバウォックだ。
だが、それは一般的にイメージされるドラゴンからはほど遠い姿だった。巨大な爬虫類の身体に巨大な翼。胴体からは幾つもの、触手とも腕ともつかぬ節くれだった器官が生えている。そして身体の至るところに空いた穴からは、まるで呼吸でもするように瘴気が噴出し、そこから続々と漆黒のワイバーンが飛び立つ様子が見える。
それはまるで地獄から這い上がってきたような、底知れぬ悍ましさを孕むものだった。
「あれが……ティル・ナ・ノーグを滅ぼした邪竜、ジャバウォック……!」
「なんだか。見てると。気持ち悪くなってくるな」
離れて対峙するだけでも伝わってくるものがある。その邪竜は人間を、妖精を、世界の全てを憎んでいた。あざ笑っていた。蔑んでいた。
それは、溶岩のように煮えたぎった負の念を混ぜ合わせた、存在するだけでも許し難い、『冒涜的ななにか』であった。
妖精たちの女王と九人の娘たち。そして、たった一人の人間の少女。彼女らは、瘴気の風に負けじと、真っ直ぐにその邪悪なる存在を睨み付ける。
「私が本体の動きを封じますから、あなたたちは周囲の魔物の討伐をお願いします!」
「ククク……任せるがいいさぁ、我らが女王!」
「いくのヨ、みんな!」
「女王の力を貸してもらえるなら。百人力だぞ!」
妖精たちは、力強く母の声に応えていく。
先ほどまでは漆黒のワイバーン一体にすら苦戦していた娘たちだが、今はそれぞれが先ほどまでとは比べものにならぬほどの力を漲らせている。これは、女王による加護だ。戦いの前に、女王が娘たち一人一人に、その大いなる力をそそぎ込んだものである。
先代女王ネーレイスやジェヴォーダンの獣と比べればまだ劣る魔力だけれど、それでも今やティタニアは日本中のダンジョンを庇護下に入れる妖精女王である。その魔力の力強さは、目の前に現れた邪竜に引けを取らない。
力を得た娘たちの魔力も力強く光を放ち、まさにヘノの言うように『百人力』と言えよう。
「桃子。最初から全力だ。全力のつむじ風でいくぞ!」
「うん! お願いヘノちゃん! 私も翔ぶ!」
ティタニアから力を付与されているのは、娘たちだけではない。桃子もまた、妖精の女王から、戦うための莫大な魔力を受け取っていた。
両脚につむじ風を纏った桃子は、地を駈け、宙を翔ぶ。ティタニアから受け取った魔力で強化された今の桃子ならば、ワイバーンに一方的に翻弄されることはない。
「ゆ、柚花さんが来てくれるまで、頑張りましょうねぇ……!」
「ルゥも一緒にいく、よ! 四人で、吹雪の力だ、よ!」
桃子の横にはヘノだけでなく、ニムとルゥの姿もあった。
桃子の【氷結】の魔法、そして妖精たちの風、水、氷という属性。それらによる凍えるほどの吹雪の魔法は、空を飛び交うワイバーンにも十分に通じる合体魔法となっていた。
「今でもはっきりと覚えています。お母様があなたを封印し、私だけが残されたあの日のことを……!」
娘たちの活躍を見ながら、体長百メートルを超えるであろう邪竜ジャバウォックに対峙するのは、たかだか二十㎝程度の存在、妖精女王ティタニアだ。
彼女はジャバウォックの眼前で両手を広げ、その邪竜の巨体を、虹色の光で拘束している。
「私は、お母様ほどの力を持ってはいません。あなたを打倒するほどの強さはありません。ですが……」
ティタニアの脳裏には、過ぎ去った日々が映し出されていた。
ネーレイスの元で、仲間たちと過ごした日々。クリスティーナとの出会い。そして、この日までの多くの出会いと、別れ。
その全てが、ティタニアに力を与えてくれている。
ティタニアは、一人ではない。
「私たちを、甘くみないでください!」
虹色の拘束が、邪竜ジャバウォックの身体を締め付ける。邪竜が悍ましい咆哮をあげながら身をよじるが、しかし虹色の光はその動きすら許さない。
これは封印であり、攻撃だ。
虹色の光は邪竜の身体を拘束すると同時に、その身を形作る瘴気を物凄い速度で消滅させていく。
「あなたには、身じろぎ一つさせません!!」
これは、間違いなく。
妖精女王と邪竜ジャバウォックによる、互いの存亡をかけた戦いであった。
「ククク……この『妖精の国』は、私たちに返してもらおうかねぇ……!」
「植物たちを、馬鹿にするんじゃないヨ!」
「んふふ♪ 妖精の国に咲き乱れた花々は、伊達じゃないのよ♪」
桃子たちの組が一体ずつ確実にワイバーンを撃破していく一方で、ルイ、クルラ、リフィのチームは大規模な植物魔法により、この植物で覆われた世界を自分たちのフィールドへと変えていく。
瘴気に汚染された空気が、彼女たちの魔法により清浄な空気となり、瘴気の炎が脅威でなくなっていく。
「これが『謎』の答えさ。漆黒の魔物たちには効果てきめんだったのでは、ないかな?」
「どんどん岩を生み出すよぉ! 全部、全部全部、ワイバーンを討伐する岩だよぉ!」
「いくぞ! 躯のためにも、この妖精の国を滅ぼさせてたまるかあっ!」
そして更にその向こう。炎の岩を散弾銃のようにまとめて砲撃することで魔物の集団を相手取っているのは、リドル、ノン、フラムのパーティだ。
個々の岩石が避けられるのならば、散弾のような『面の攻撃』にシフトすればよい。絶え間なく放射され続ける燃え盛る散弾岩は確実に、漆黒の魔物たちにダメージを与えていく。
無限に湧き出てくるような瘴気の魔物に対して、仲間である妖精の数は多くない。百人中百人が、勝ち目は薄いと判断する状況だろう。
けれど、それでも。全員が前を向き、この妖精の国を護るために、死力を尽くしていた。
「くそ。こいつら。いくらでも出てくるな」
すでに広大な花畑のあちこちが焼け焦げ、地面が抉れている。
空には瘴気の風が渦巻き、美しかった妖精の国の景色はとうに魔物との戦場のそれになっている。
そんな中で、桃子たちのチームもまた数えきれない程のワイバーンを撃破していた。
「さっきの女王様の話ではさ、外のダンジョンでみんなが勝利してれば、敵は弱まっていくってことなんだよね!」
「よくわからないけど。そういうことだろうな」
桃子が、確認するように周囲の妖精たちに声をかける。
過去のティル・ナ・ノーグでの戦いでは、各地のダンジョンが瘴気で滅ぼされたことが敗因だった。
しかしそれは逆に言えば、各地のダンジョンで人間や魔法生物たちが勝利を収めたならば、この妖精の国に現れた邪竜の力も削られていく、ということである。
「だったら、それまで何時間でも、私たちが時間を稼ごう……!」
「わ、わかりましたぁ……! うぅ……が、頑張りましょう……!」
「うん! ルゥも頑張って、早く、ドワーフを助けにいく……よ!」
正直言えば、桃子たちには余裕などない。
ただ、それでも。外の世界で戦っているはずの仲間たちが、きっと勝利をもたらしてくれるはずだと、それを信じている。
それだけが、今の桃子たちの命綱なのだから。
だが――。
果たして、どれくらい戦っていただろうか。
いくら妖精女王から力を付与されようと、妖精たちとて無限に戦えるわけではない。
ダメージは蓄積し、延々と続く戦いの中では、犠牲となる妖精も、現れる。
「ルイちゃん! フラムちゃん!」
「あ、あぁ……ルイが、フラムが……うぅ……」
植物の結界を維持していたルイが集中的な砲撃を受け、黒炎に巻かれて吹き飛ぶ姿が見えた。
とっさにそれを助けに向かったフラムが正面にいたワイバーンに狙われ、その凶悪な鉤爪の一撃を食らい、花畑へと力なく落下していく姿が見えた。
即座にそれらのワイバーンは桃子たちによって滅ぼされる。ルイとフラムは、クルラたちによってすぐに保護された。
「くそっ! なんで。この魔物たち。減らないんだ……っ!」
「ヘノちゃん、でも、戦おう……!」
クルラが二人の妖精を回収し、妖精の畑のあった場所へと運ぶ姿が見えた。
妖精の畑に茂っていた果樹の数々は、もうその大半が焼け落ちている。けれど、その中心部にある桃の木は、クルラの結界によって未だ無事に保護されていた。
魔力を失い虫の息となっているルイとフラムは、ゆっくりと桃の木の根本に寝かされる。
クルラが二人に何か言葉をかけて。そして、泣きながら離れていく様子が見えた。
ルイとフラムは死んではいない。消えてはいない。小さくなった魔力の光が、彼女たちの生存を示している。けれど、二人はもう――脱落だ。
ルイとフラムは、桃の木の下で目を閉じて横たわる。
そんな二人の姿を。
桃の木の横に埋められ、未だ力を取り戻せていない、炎の刀を手にした緑の幼女――アルラウネだけが。
ずっと、ずっと。瞬き一つせず、まっすぐに見つめていた。
ルイとフラムが脱落した戦線は、厳しいものだった。
「お母様……クリス……お願い、早く……」
かろうじて、ティタニア一人でジャバウォックを封じることには成功している。
けれど、ティタニアが誰よりも護りたい娘たちは、この死地のなかで徐々にその力を削られつつあった。
「敵が弱まるどころか、強くなっていってる気がするよぉ……!」
「ははは。もしや……外のダンジョンの状況が、想像以上に芳しくないのでは、ないかな……?」
劣勢のなかで。皮肉にも、リドルはこの『謎』の正解を言い当てていた。
外のダンジョンの状況は、決して桃子たちが望むようなものではないのだ。なぜならば、人間たちは敗退し、ダンジョンの封印に動き出しているのだから。
人間たちはすでに、ダンジョンに敗北している。
「うぅ……魔物が増えて、攻撃が……」
「負けないっ! ドワーフのところに、帰るん……だっ!!」
飛び交うワイバーンを、どうにか撃退していく。ルイとフラムが抜けた穴は大きいが、それでもここで戦いをやめてしまえば、それこそが『終わり』なのだから。
そしてそのとき、桃子は気づいてしまった。
ともに戦う妖精、ニムとルゥへと向かい、真上から。漆黒のワイバーンが急降下してきていることを。
ヘノすらもまだ、それに気づいていない。気づいているのは、桃子だけだった。
「ニムちゃんっ! ルゥちゃんっ!」
気づけば。桃子の足は、ニムとルゥを庇うように、駈けていた。
それは桃子にとって、反射的な行動だった。
考える前にはもう、桃子は妖精たちを庇っていた。
そして、身体を抉られる衝撃とともに――桃子の視界は、赤く染まる。
午後4時43分。
「桃子っ。桃子っ。起きろ。起きてくれ。頼む……!」
「ヘノ……ちゃ……」
桃子は気づけば、どこかに横たわっていた。
顔のすぐ横では、ヘノが泣いている。顔をグシャグシャにしている。桃子の頬に、ヘノの涙が滴り落ちる。
「桃子っ。大丈夫だ。破れちゃったお腹は。なんか。ふさがったから……」
「うぅ……ほ、骨も、身体も……魔女さんの魔法で、蘇生されたはずです……けど、桃子さんの魔力が……」
「起きて、よ! 桃子、起きて……よ!」
倒れている桃子には、自分の身体に何が起きていたのかなどはわからない。
ただ、事実だけを述べるならば、桃子の身体は残酷すぎるほどの致命傷を受けていた。しかし、一回きり。深潭の魔女が桃子に付与していた、一度きりの蘇生魔法が即座に発動し、桃子がその命を失う前に、その肉体は再生されていた。
けれど、流れ出た血は戻らない。失われた魔力は帰ってこない。
魔力を失えば、人間はダンジョンの中で生きられない。地面に倒れ伏す桃子は、未だ、生死の境にいることに変わりない。
「ごめ、ん……ルゥが、弱かったから……」
「うぅ……桃子さん……桃子さん……」
「桃子。ヘノがついてるから。ヘノが……ついてるから……」
ここは今、戦場であるはずなのに。
ヘノと、ニムと、ルゥが。大切な仲間たちが、自分のそばで、泣いている。
――大丈夫だよ。
――きっと外のみんなが助けてくれるから、みんなで、戦おうね。
桃子はその言葉を伝えようとしたけれど。声が出ない。
腕を上げ、ヘノを撫でて安心させようとしたけれど。身体が動かない。
寝ている場合ではないというのに。ヘノが目の前で泣いているというのに。
午後4時44分。桃子の意識は、真っ白に――遠のいていった。
『……ん? あれ? ここ、どこ?』
午後4時44分。桃子は、気がつけば見知らぬ場所にいた。
木造の壁に囲まれた、小さな部屋の中に座っていた。
静かで、照明こそついていないものの、その個室は魔法光によって優しく照らされている。
記憶が追いつかない。先ほどまで、どこかで何かをしていた気がする。手に武器を持ち、ずっと駆け回っていた気がする。
だが、曖昧な記憶は何も教えてくれない。
桃子はとりあえず、立ち上がる。
いま自分がいる場所を確認しようと、まずは自分の座っていたものを確認する。
『え、トイレ?! え、なんで……?!』
そこは、そう。トイレだった。
用を足していたというわけでもないのに、桃子は何故だか、トイレの個室に座っていた。
理解が追いつかず、あわてて桃子は扉を開ける。
妙に広いトイレから駈けだして、外の様子を確認する。
『嘘、ここって……』
そこはどこまでも続く木造の廊下で、横にはいくつもの扉が並んでいる。
窓ガラスの外は霧がかかったかのように視界が悪くなっているが、そこにあるのは馬鹿みたいに広い中庭だということを知っている。
そして――。
「嘘……桃子、ちゃん?」
『え? ……ま、茉莉子ちゃん?!』
桃子の目の前に現れたのは、腰まで伸びる柔らかそうな長い黒髪と可愛らしいワンピース姿の小学生、名波茉莉子だった。
その周囲には、茉莉子を守る騎士のように、連なる火の玉で作られた棒人間たちが並んでいる。
『あの、これってもしかして、また……七不思議なの?!』
長崎、七守小学校旧校舎に伝わる伝説の『七不思議』が。
いま再び、この世界に息を吹き返していた。