夢にも思わない 作:ODA
だいぶ昔に書いた話なので、設定に矛盾などあったら教えて頂けると助かります。
夏の蒸し暑い熱気が私の体を包んでいる。その感覚は生々しく、だから私はこれが夢ではないのだと悟ることができた。
しかし、悟ったところで私はその時、驚きのあまりに呆然とすることしかできなかったのだから意味はない。けれど、それも仕方ないじゃないか。
だって、私はこんなこと夢にも思わなかったのだから。
生まれ変わりなんて信じない。そんなものを信じるのは不毛だから。あるかないかの可能性に賭けて生きられるほど、私はポジティブじゃないの。
神様なんて信じない。仮に世界を作って、私たちを見ているヤツがいるとしたとしても。何の役に立っているんだか分からない存在なんかを崇拝の対象にするのは、あまりにも馬鹿らしいと思うから。
非現実的なことなんて興味ない。否定する気はないけれど、好きじゃないから。だって、非現実的なことは私の理解の許容を超えているもの。自分の力を超えているものなんて、突きつけられてもどうしようもないでしょう? だから、嫌い。
そう、ずっと思ってたのに。
ああ、神様なんて信じてなかったのに。いや、やっぱりそれは神ではなくて、性悪な悪魔なのかもしれないけど。仮に神様だとしても、ソイツの性根は間違いなく腐ってやがるに違いない。
本当なら大泣きしなきゃいけない場面なんだろうけど、そんなことさえ忘れていた。その時の私と言ったら、ただ目を瞬かせながら『有り得ない』と呟いただけだった。
否、呟いたつもりが言葉にさえならなかったらしい。私は言葉を発したつもりだったが、それは『あー』とか『うー』とか意味のない音にしかならなかったのだ。
産まれたばかりにも関わらず、産声一つ上げない赤ん坊が漏らした声に、母親(多分)が少しだけ安心したような顔をする。
そりゃそうだろう。産声一つ上げない赤ん坊なんて、普通なら死んでると思われたって仕方ない。産まれたばかりの赤子が生きてるって分かったなら、母親ならとりあえず安心するだろう。
産まれたばかりの赤子。そう考えて私は私の置かれている現状に頭が痛くなった。
有り得ない。有り得なさすぎる。一体、私が何をしたというのだ。そのあまりの現状に私は絶望していた。思わず頭を抱えたくなる。実際には、私の短い手は頭まで届くことさえなかったけれど。
生まれ変わりなんて信じちゃいない。だけど、ないとも言い切れない。だから、本当は生まれ変わりがあったって、なくったってどっちだっていいのだ、私は。
ただ生まれ変わるのなら、まっさらな状態で生まれ変わらせてくれ。前世(ってことになってしまったんだろう、今までの“私”は)の記憶くらいきちんと処理して欲しかった。そうでなければ、息をしながら死んでいるのと同じだ。
神様ってヤツが居るんなら(多分、居るんだろう。じゃなきゃこの状況の説明が付かない)取りあえず職務怠慢で訴えてやりたい。中途半端に仕事しやがって!
仮にこれが故意だとしても、私にはこれだけの仕打ちを受ける覚えはない。ただ普通に生きて、普通に死んでいっただけなのに。そりゃあ、今までの私は完全に何の罪もない清廉潔白な人間とは言い切れないけど、それでも。誰にも迷惑をかけてない、なんて言ったら完璧に嘘になる。百歩譲ってその罰なのだとしたら、罪に対して不当な重さじゃないのか。
ああ、考えても埒があかない。とにかく、このどうしようもない怒りだか不満だかを一体どうしてくれようか。
なんて、半ば現実逃避、半ば開き直りで考えていたら母親(まだこの時点では暫定)が私に声を掛けてきた。
「ナナセ」
言われた単語が自分の名前なのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。母親の口にした言葉が前世の私の住んでいた国と似ていた(むしろ同じだった)からだ。
ここは日本? だとしたら、ラッキーなのかもしれない。少なくとも、言語をゼロから理解する努力をする必要はない。それに、安全で平和な国にもう一度産まれることが出来たのなら、これ以上ない幸せだと思った。私は基本的に平穏な幸せを愛する女なのだ。
けれど、そんな安っぽい私の推測は次の瞬間にはことごとく打ち砕かれた。
「ほら、ご覧なさいイタチ。あなたの妹よ」
その時の私の心情を何と言えばよいのだろうか。ピシリと固まった私の表情に、誰も気が付かないのは良かったのか、悪かったのか。
今まで父親と二人、母親の傍に控えていたのだろう。私の顔を無言で覗き込んできた三、四歳のイタチと呼ばれたその少年は白い肌に映える、夜を思い浮かべる黒い髪と瞳をしていた。
イタチという名前に私は聞き覚えがある。かつて見た少年漫画のキャラクターがそんな名前だった筈だ。
私が知るそのイタチよりも少年は遥かに幼かったけれど(そりゃそうだ。回想の中のイタチが私の知るイタチの最年少の記憶だ。その頃既に彼の弟が八歳だか七歳だかの年齢はあった筈だからイタチは十歳は超えていたことになる。三、四歳のイタチなんか当然見たことない)、その面影はあるような気がする。
仮に私の仮定が正しく、彼があのイタチなのだとしたら……。有り得ない。やっぱり有り得なさすぎる。本日、二度目の言葉を私は無意識に口にしていた。
冗談じゃない。ただの生まれ変わりだって勘弁して欲しいってのに。こんなところに生まれてきてたまるか!
でも、まだ決まった訳じゃない。泣きたくなる衝動を抑え、私は冷静に自分にそう言い聞かせた。本当はここはかつて私の住んでいた場所と全く同じ日本で、偶然あのイタチに似たイタチ君(珍しい名前だけどないとは言い切れない)がいるだけなのかもしれない。
藁にも縋る思いでそんなことを考えてはみるけれど、でも、私自身、本当は真実に気が付いていた。この少年はあのイタチなんだって。
幸せで平穏な生活という私のささやかな願いは、早くもスタート時点で打ち砕かれてしまった。
「ナナセ」
名前を呼ばれて、私は顔を上げた(ちなみに、今までの私はうつ伏せで畳に突っ伏していた。ハイハイの訓練中である)。
私の名を呼ぶ時のどこか舌足らずな発音も、丸みを帯びた顔立ちもどう見てもただの幼い少年にしか見えない。彼が後に天才と形容される忍者になるまで、あと数年と掛からないのだろうと思うと複雑だ。つまりはこの少年は少し先には命懸けの争いに身を投じることになる訳で――。いや、それ以前に十年も立てば彼は。
そこまで考えて、私は思考を止めた。
取りあえず、私は十メートル先でガラガラを揺らしている兄(やっぱりこの呼称には違和感がある)の下を目指し、手足にぐいと力を入れた。
えい、くそ! ハイハイさえまともに出来ないとはなんと不便な体なのか。前の体ならハイハイどころか、ほふく前進だって余裕だったのに。多分やる機会はないけど。
第三者から見れば、非常に微笑ましい光景だろう。
赤ん坊と赤ん坊の面倒を見る兄。微笑まし過ぎて泣けてくる。一言断っておくが、この涙はこんな小さい子に面倒を見てもらう事態になっている私を情けなく思って流れている訳ではない。ええ、絶対に。
こっちは死に物狂いだなんて、見てる奴らにはきっと分からないんだろう。赤ん坊の時の苦労など、誰も覚えてないに決まってる。
悪態をつきたくて堪らない。もっとも、赤ん坊に悪態をつかれる方が堪らないのでやらないが。
やっとこさ、重い頭と体を引き摺って兄の下に辿り着くと、兄はその黒い目でじっと私を見ていた。
前々から思っていたが、この少年は大人しい子だ。その所為もあって年齢よりずっと大人びて見える。幼児の時くらい、幼児らしくしていてもいいのに。
大人びた子どもっていうのは、大抵損をする。今のうちに幼児を満喫すべきではないのだろうか、……って、私が言えた義理じゃないか。赤ん坊のまま何も出来ずにいるのが嫌で、足掻いてる私には(足掻く、といってもハイハイの練習だって言うんだから、やってることは他の赤ん坊と変わらないけど)。
何を思ったか、イタチはガラガラをほっぽりだして、私を抱え上げようとする。が、無理だった。半分引き摺られるような形になってしまう。正直、体が痛い。
おい、無理はするな。少年。赤ん坊っていうのは、案外あっさり怪我するし、死ぬぞ。死因が兄に構われてなんて嫌だぞ、私は。というか、親。親はどうしたんだ。おかあーさーん!
言葉にならない(文字通り)叫びを上げれば、母親があらあらどうしたの、とすかさずやって来た。昼食の準備をしていたらしい彼女は可愛らしいエプロンを付けている。
「あら、イタチ駄目よ。そんな風に引き摺っちゃ」
母親は暢気にイタチから、私を救い出した。イタチは無言でその様子をじっと目で追っている。よしよし、と母親が宥めている時も彼は漆黒の目でただ私を見つめていた。
まったく、子どもの考えることはよく分からない。一体何がしたかったのだろうか、イタチは。
もっとも、その時イタチがしたかったことは昼食後には分かることになるけれど。なんということはない。彼は私を褒めたかった(或いは既に褒めているつもりだった)らしい。
母親が先程のイタチと同じようにガラガラを持って十メートル先で私を呼び、なんとか辿り着いた私を『偉いわね、ナナセ』と褒めながら抱きかかえてきて、ようやくそのことに気付いた。
彼は母親の真似をして、妹の面倒をみていたのだ。
天才少年という原作のイメージが強すぎたせいで、その姿が私には何だか意外に見えた。
イタチは案外普通の少年なのかもしれない、なんて思った。
それから、さらに一年以上の時間が流れた。
その間に、私は順調に育っていき、やがて二足歩行が出来るようになり、言葉を話すようになり、文字を読むようになった。多分、普通の子より成長は早いと思う。この世界での普通が、私の元いた世界の普通と同じならば、の話だけれど。
なにせ、十をようやく超えたか超えないかの年齢の子どもたちが忍者として働いているくらいだ。中には五歳でアカデミー卒業などという強者も存在する訳で、実際はどこの赤ん坊も、こんなもんなのかもしれない。
まあ、とにかくそろそろ私も二歳の誕生日を迎えようというその傍らで、私には弟が出来た。名をサスケという。
赤ん坊というのは苦手だ。すぐ泣くから。しかも、まだ二つになったばかりの私では泣き止ませようにもそれも出来ない。この幼い体では満足におしめも変えてあげられないし、ミルクだって沸かせやしないのだから。
なので、必然的に周りの大人(この場合は主に母親がそれにあたる)に頼らざるを得なくなる。子どもというのは、本当に不便だ。早く大人になりたい……とまではいかないが、生活に不自由しなくて済む年齢になりたい。ああ、それが大人ってことか。
普段の私はよくイタチに構ってもらっている。彼はとても賢く、この頃には私の良き理解者になっていた。ちっとも子どもらしくない私は、ちっとも子どもらしくないイタチの目にはどう映っていたのかは知らない。が、イタチは何も問わずに私によくしてくれていた。私はそれに甘えている。
けれど、近頃はイタチは父に連れられて修行に出掛けることが増えた。イタチももう随分大きくなったし、忍としての修行を始めてもいいだろうと父が言い出したのはつい数ヶ月前のことだ。
父はイタチに期待しているらしく、暇があれば彼の修行に付き合った。二歳の私はサスケと同じように、修行云々以前にまだ庇護される立場である為、修行に付いていったことはない。
イタチがいない間、私は彼の与えてくれた絵本を読んだりして暇を潰している。彼が与えてくれる絵本は、イタチの趣味なのか、母の趣味なのか(おそらく父の趣味はありえない)、どこまでいっても穏やかで優しい。そのどこまでも優しい世界が、あまりにも作り物めいていると感じるのは私が歪んでいるからだろうか。我ながら、あまりにも子どもらしくなく、可愛げに欠けると思う。
しかし、文句を言いながらも、前世で漫画なり小説なりが好きだった私としては、おとぎ話の世界に思いを馳せるのも悪くない習慣だと思っている。が、さすがにそれにも限度があった。要するに、私は本を読むのに飽きたのだ。
「サスケ」
幼い私はやることも出来ることもないから、傍らで眠っているサスケを覗き込んだ。確かに赤ん坊は苦手だが、眠っている赤ん坊というのは可愛い。安らかな顔して寝やがって、頬を引っ張ってくれようかと考えて、止めた。あまりにも大人気ない。仕方なく、サスケの隣りに私も横になった。
そして、いつの間にか私はそのまま眠ってしまったらしい。起きた時には、いつの間にか帰ってきていたイタチが、私たちの隣りで忍術書を読んでいた。
「起きたのか」
重い瞼を押し上げながら上半身を起こせば、ひらりとタオルケットが畳に落ちた。こんなもの被って寝た記憶はない。
「かあさんがかけてくれたのかな……」
それは疑問というよりも呟きに近いものだったからだろう、イタチは何も答えなかった。ただ彼のまとう雰囲気はどことなく柔らかいと感じる。
「おかえり、にいさん」
目を擦りながら、ようやくはっきりしてきた視界にイタチを捉えると、イタチは『ただいま』と小さく微笑んだ。
外を見れば、もう西の空が赤くなり始めていた。