夢にも思わない 作:ODA
「あ」
例えば、自分には何の関係もない人物が、自分には何の関係のないことで困っていたとして、さて、あなたならばどうするだろうか。
単純に考えれば、選択肢は二つ。一、助ける。二、無視をする。通常はこの二択になるだろう。
では、私ならどうするかと言えば、その状況による。面倒が少ない困り事ならば手助けもするし、逆に面倒しかない困り事ならば放置を決め込む。ついでに、困っている人物がどんな人間であるかを判断の材料に加えてもいい。
ただし、私も鬼ではないので、よほどの迷惑がない限り、少々のことなら手を貸すだろう。
例えば、今日任務に向かう途中で一人の女性に出会った。任務と言ってもDランク任務だし、私はわりとのんびりと集合場所へ向かっていた。そんな私の目の前で、その女性の抱えていた買い物袋が器用に破れて、中身が盛大に飛び散ったのだ。
「ああっ!」
慌てて、中身を追い掛け回す女性の後ろ姿に、私も咄嗟に足元に転がるレモンを拾う。
拾い集める際に、偶然女性と私の手が触れた。
例えば、これが私でなくもっと年上の男性と女性であれば「立った! フラグが立った! 恋愛フラグキター」と騒ぎ立てるところである。しかし、実際には私は思いっ切り女で子どもで、彼女も女性で妙齢で、フラグなんて立ちようもない。
「ありがとう」
拾い上げたレモンを女性に渡せば、彼女はそう言って綺麗に笑った。それはまさしく子どもに向ける笑顔で、どこまでも優しく慈愛に満ちている。
これが私でなくどこぞの美少年、美青年だったら、お互いに頬を染めあったりしたのかもしれない。とはいえ、そればっかりはどうしようもないので、お互い運がなかったとしか言いようがない。
お礼に、と女性は私に飴玉を一つ渡した。悪気はないんだろうけど、完全に子ども扱いだ。私はちょっとへこむ。いや、どこからどう見ても私が子どもなのは間違いないのだけれど。精神年齢を思えば、自分より若い人に子ども扱いされるのには、やっぱり抵抗があったりする。
まぁ、そうは言っても飴玉に罪はないので、私は遠慮なく頂くことにした。集合場所に向かう途中に早速口に放り込む。ほんのり甘いそれはイチゴミルク味だった。
イチゴミルクの飴玉を舐めながら、さっきの女性を思い出す。優しそうで穏やかな感じの人だった。多分、私とは正反対だ。
一瞬触れた女性の手は柔らかくて、白くて細くて美しかった。よく手入れされた綺麗な手だった。
私は自分の手を見る。血豆やらたこやらがやたらとある荒れた手だ。クナイを持たない日なんて、三つの頃から既にない。気が付くと私の手は、なんだか可哀想な手になっていた。女として既に終わっている気がする。
少しだけ落ち込んだけれど、首を左右に振って自分の考えを振り払う。今日の任務は何だったっけと、無理やり考えを切り替えた。
迷子の迷子の子猫ちゃん。あなたのお家はどこですか。
そんな誰もが知っているような童謡を心の中で歌いながら、今日の任務の対象である迷子の子猫を追う。器用にもどうやってこんな高い気に登ったんだよ、おいおい、という場所に子猫はいた。
追いかけ回されている自覚はあるのか、何だか無駄にぷるぷる震えていて少し可哀想ではある。
いざ、捕獲! という段階になって、子猫は何を思ったか脚を踏み外して、木から滑り落ちた。
おいおい、猫としてそれでいいのかと、突っ込む間もなく、私は子猫の真下に体を滑り込ませる。何とか子猫を空中でキャッチした。
私自身も子猫も怪我一つなかったが、子猫を受け止めた際、思いっ切り爪を立てられてしまった。痛いとは思わなかったが、子猫の爪痕が残ってただでさえ可哀想な私の手はもっと可哀想になっている。何だか今日は踏んだり蹴ったりだ。少しだけ悲しくなった。
その日、私は家に帰ってからいつもより丹念に指の手入れをした。子猫に引っかかれた痕が残って痛々しいし、指先だってささくれ立って荒れ放題だ。それでも、少しでも指が綺麗になればいいなぁと僅かばかりの願いを込めずにいられない。
「姉さん、何してるの?」
そんな私にサスケが声をかけてきた。
「手入れ。私、手が荒れてるから」
みっともないよね。と言いながら、私は自分の手を眺める。昼間見た女性のものとは全然違う。ちっとも女らしくない自分の手を。
「みっともなくなんてないよ!」
そんな私の呟きに、サスケが叫んだ。
「俺、姉さんの手好きだよ。だって、頑張ってる人の手だもん!」
サスケの言葉に、私は思わず眉尻を下げた。
「……サスケ、ありがとう」
私はサスケが好きだと言ってくれたその手で、彼の頭を撫でた。
そうだ。例え、荒れ放題で見た目が多少不格好であったって構わない。
あの猫を抱き留めた時のように、私の両手は何かを失わぬためにあるのだ。その為に傷が付くんなら、それは名誉の負傷じゃないか。
綺麗な指先は持ってなくても、もっと素晴らしいものに私の指先は触れている。
「中忍選抜試験に、お前たちを推薦しようと思う」
ある日の任務の後。何の前触れもなく担当上忍は私たちにそう告げた。
担当上忍の言葉に、私は知らず息を飲む。その発言に、どうやったって飛び跳ねる心臓を抑えることなんて出来やしない。
予測していなかった訳ではない。多分、そろそろだろうなとは思った。
ただ、やっぱり面と向かって言われると、危機感はそれまでの比じゃないくらいに増す。手のひらに知らず指先が食い込んだ。
中忍選抜試験と言われて、一番に思い浮かぶのはかつて漫画で見た未来のそれだ。あれもだいぶイレギュラーが起こっていたので、実際にはあそこまでの危険はないのかもしれない。だが、十分に危険なことには違いないだろう。何せ怪しげな誓約書にサインしなければいけないくらいだし。
漫画の内容を思い出しながら、私は考える。
既に写輪眼を開眼済みのあの時のサスケでさえボロボロの瀕死状態だったのだ。写輪眼を未だ持たない私では、もしかしなくても死ぬのではないだろうか。
写輪眼に興味がない訳じゃない。けれど、誰かに聞いたから、ちゃんと学習したからと言って開眼するものでもない。
前世の私の記憶によれば写輪眼の開眼条件は確か心理的なものに要因していた筈だ。心理的負荷がかかる状況なんて、故意で生み出すようなものでもない。条件を思えば、そんな状況に追い込まれたいとも思わないけれど。こればっかりは、どうしようもないのだ。
ないものはない。私は、自分が今持っているものしか持っていない。
「受けるか受けないかは、お前たち次第だ」
上忍の言葉を、私は一度瞼を下ろして反芻する。
“お前たち次第”。では、私自身の意思はどうなのか。
別に、私自身、中忍になることにこだわりはない、と思う。下忍である今の生活を私は案外気に入っている。向上心がないと言われそうだが、中忍になる利点を私にはさほど見出すことが出来ない。
一応、中忍であるということは実力を示す一つの目安にはなるだろう。けれど、それもあくまで目安。このお話の主人公なんて、下忍のまま他に追随を許さないような超進化を遂げている訳で、言うほどアテにはならない気もする。
私自身に別に中忍になることに特別な思い入れがない以上、受けないという選択肢も勿論ある。
しかし、そうなった時、困るのはイタチだと思う。
確か中忍選抜試験は三人一組でなければならなかった筈だ。私が受けないと言えば、イタチも当然受けられない。
別に私のせいで中忍選抜試験を受けられなかったとしても、イタチは私を責めたりはしないだろう。問題はそこじゃない。
イタチは今十歳。私の記憶が正しければ、原作ではイタチはこの年に中忍に昇格している。この機を逃せば、今年中に中忍になるのはおそらくは不可能だ。
すべてをシナリオ通りに進める気はない。むしろ、変えたいと願う部分も多々ある。しかし、だからといって不容易に運命を自由にあちこちへねじ曲げるのには危険が伴う。
何が切っ掛けで原作と違う流れになるかは分かりはしないのだ。それなりに遵守する必要はあると思う。
下手に運命を捻じ曲げた結果、一族の滅亡が早まりましたなんてことになったら洒落にならない。それだけならまだしも、木ノ葉の里からの一族へのスパイがイタチ以外の存在に変わってでもみろ。本来なら生き残れる筈のサスケの命だって保証されなくなる。
イタチの存在は、あまりにも大きい。私にとってというだけじゃない。サスケにとっても。つまりは、この物語において重要なのだ。
身勝手な変革は、下手をすれば木ノ葉の里そのものに甚大な被害を及ぼすかもしれない。もしかすると、木ノ葉だけでは済まなくなる可能性だってある。
だから、何としてもイタチを中忍に押し上げることは私の義務でもあった。ひとまずは物語の流れに沿い、イタチには中忍になってもらわなければならない。
スリーマンセルが基本である以上、私も中忍選抜試験への参加は必須。
まあ、最終試験までたどり着けさえすればあとは個人戦。そこはイタチなら多分問題ない。放っておいてもイタチなら勝手に合格してくれるに違いないだろうから。
極論を言えば、そこまでの試験さえ通過すれば、私は途中で棄権したって構わないと言うことが出来るだろう。私の中忍選抜試験はそこまでだ。
だから、せめてそこまでは、何としてでも私はイタチの足手まといにだけはならないようにしなくてはならない。
「まあ、それぞれよく考えろ」
上忍の言葉を聞きながら、けれど、私の答えは決まっていた。
私はイタチにそっと視線を送る。イタチと目があった。
「私は受けるよ、中忍選抜試験」
イタチを見つめたまま、私ははっきりとそう口にした。
イタチは言うまでもなく優秀な兄だ。
七歳で下忍、八歳で写輪眼習得。それは一族でも異例とも呼べる結果だ。
優秀で知られるうちは一族の中でも特に優秀なイタチ。イタチにとって、この世界はどんな風に見えているんだろうか。
「写輪眼ってどんな感じなの?」
上忍から中忍選抜試験の話をされたその日のこと。任務からの帰り道、何となく思いついて私はイタチにそう訊いた。
我ながら今更の質問だとも思う。ただ今までは疑問に思っても、何となく尋ねる機会がなくて聞きそびれたままだった。写輪眼については興味がなかった訳ではないけれど、うちは一族である私が写輪眼について聞くのも何だか変な気がしていたから。
原作知識としての写輪眼は大体どんなものかは知っているけれど、それも“こういうことが出来る”とか“こんな能力がある”とか、知識としての代物だ。実際使ってみた感覚がどうだとかは、漫画でもあまり多くは語られていなかったように思う。私が知らないだけで、もっと違う用途が実はある可能性もなきにしもあらず。
せっかく使用者が目の前にいるのだから、具体的な話を聞くのも悪くはないだろう。一応、今は使えなくても血縁上、私だっていつ使えるようになったとしてもおかしくない訳だし。
ましてやこれから中忍試験に挑むことになるのだ。身の危険を感じるような機会だってあるかもしれない。そうなった時、私が写輪眼を開眼するというのは十分有り得る展開のような気がした。
急に写輪眼が使えるようになって、普段見えないものが見えたりしたら、突然の展開に圧倒してしまう可能性だってない訳じゃないだろう。そうならないためにも事前知識はあっていいと思うのだ。
「ねぇ、写輪眼で見る世界ってどんな感じ?」
私が問えば、少しだけイタチは考える仕草を見せた。
「別に普通だな。相手の動きやチャクラの流れはよく見えるようになるが……」
「そういうものなの?」
私が小首を傾げれば、イタチが不思議そうに私を見下ろす。
私の言葉の響きから、私がもっと別の答えを求めているということに気がついたんだろう。私を見下ろすイタチの瞳は私を探っているような気がする。生真面目なイタチは私がどんな答えを望んでいるのかを推測しているのかもしれない。
「何でそんなに聞きたがるんだ?」
ナナセはそんなに写輪眼に興味があったのかと問われれば、まぁそれなりというのが私の答えだ。
でも、一番の要因はそこじゃない。
「……予想もしてないものが急に見えたりしたら、怖いじゃない?」
「予想もしてないもの?」
オウム返しのイタチの言葉に、私は真顔で頷く。
そう、心の準備もせずにそんなものが見えたりしたら、私はきっと戦闘中だろうが硬直してしまうと思う。
「血まみれの青白い顔の女とか、生首とか、足がない老人とか」
「……それはない」
少しだけ呆れたような顔でイタチが言い切る。
いや、自分でもくだらないことを聞いているとは思うよ。思うけど、実際見えたら嫌じゃないか。
とりあえず、私はイタチの言葉に少しだけ安心をした。私が思っていたよりも、写輪眼は恐ろしいものではないらしい。