夢にも思わない 作:ODA
その日、私はイタチに頼み込んで家の外へと連れ出してもらった。幼児である私は当然、家から一人で出ることは出来ない。父が暇を持て余すことなど普段から殆どなかったし、母は赤ん坊であるサスケの世話に忙しい。あまり遠くに行かないことと、危険な場所に近寄らないことを条件に、イタチ同伴で私はようやく家の外に出ることが出来たのだ。
せっかくの外出だが私には特に行きたい場所も、やりたいこともなかった。いや、行きたい場所もやりたいことも本当はある。ただそれが具体性がないというだけの話だ。生まれてこの方、私はこの里をきちんと見てまわったことがなかったから、一度ゆっくりと見てまわりたいというのが私のささやかな望みであった。
そんな私の気まぐれとも取れる我が儘に、イタチが付き合ってくれていることが嬉しくもあり、心苦しくもある。彼の時間はあまりにも短い。今後の彼の宿命を知るものとしては、彼の一分一秒がとても貴重なものと感じて仕方ないのだ。こんなつまらないことで、彼の時間を割かせて申し訳ない。そう思うのにイタチに付き合ってもらっているのは、私の甘えに他ならないのだろう。
「ありがとう」
「大したことじゃない」
そう私の礼に答えながら、ただイタチは無言で私の手を握ってくれた。最初から当然のことをしているまでだと言わんばかりの態度だと思う。感謝くらい素直に受け取って喜べばいいのに。本当に子どもらしくない子どもだ。
幼い兄妹が手を繋いで歩いている様子は、きっと幸せを切り取った一枚の写真のように微笑ましいに違いない。私はそんな穏やかな情景が嫌いではないから、自分からもイタチの手を握り返した。
そうして、私たちは仲のいい兄妹ごっこを繰り返す。イタチがどう考えているかはこの際置いておくとしても、私にとってそれはまさしくごっこ遊びの延長でしかなかった。
私はイタチを好んでいる。が、依存は出来ないと思っているから。
「どこに行きたい?」
イタチの言葉に私は少しだけ思考を巡らせる。行ってみたい場所はたくさんあったが、どこから行ってみるべきか。第一、この体じゃ一日で歩いてまわれる範囲だなんて高が知れている。
「そうだなぁ」
やっぱり最初に見たいのは、あそこのような気がする。思うと同時に、私はイタチの手を引いた。
「行こう」
道なんて分からないくせに、私はイタチを引っ張るようにして先を急いだ。
「火影岩って大きいねぇ」
手を傘にしながら、私は歴代の火影を象ったという顔岩を見上げる。火影岩を遠目に見たことは今までにも幾度かあったが、こんなに間近で見るのは初めてだ。目の前に広がる顔岩は本当に大きいと思う。岩山にこんなものを作るのに、どれだけの期間と労力が必要かなんて私には想像もつかない。ずっと見上げていると、頭が痛くなりそうだった。
「火影岩、初めて見るのかい?」
背後から急に声を掛けられて、私とイタチは同時に振り返った。突然の事態に背中がひんやりしている。気配なんて全然感じなかった。
「こんにちは」
驚く私たちに、馬鹿にしているのかと訊きたくなるほど鮮やかな笑顔を向けて、その人は立っていた。その人物の顔を見た瞬間、私はさらに驚いて絶句する。私は無意識にその人物と顔岩とを見比べた。何故、彼がこんなところにいるのだろう。金色のふわふわした頭を見上げながら、そんなことを思う。彼とは会うこともないだろうと思っていたのに。
「四代目火影……?」
私の問いには答えず、彼は僅かに微笑んだだけだった。
確かに、火影ならば二歳の子どもにバレないように背後に近寄ることくらいは簡単だろう。いや、多分、別に彼に悪気があった訳ではない。職業柄、足音だとか気配だとか、そんなものを必要以上に立てない癖がついているのだと思う。それでも、気づかぬ内に背後に回られるというのは心臓に非常に悪いと思った。その辺りまで配慮してくれれば良かったのに、とほんの少しだけ思う。
「兄妹で散歩かな?」
人懐っこい笑顔で彼は言う。その笑顔にまだ会ったことはない(現時点では生まれてさえいない)少年の笑顔が浮かんだ。これが血の繋がりか。やっぱり、どこか似ている気がする。
「……里を見てまわっていただけです」
「そっか、俺と一緒だね」
そんなことを言われても、何と返せばいいのだろう。この人は一体どんな答えを私に期待しているのだか。お揃いですね、とでも言って可愛らしく笑えば良いのだろうか。……やれと言われてもしないけど。
第一、火影がウロウロしていていいのだろうか。火影とは里長のことだろう。こんなところで油を売るほど暇だとは到底思えないけれど。
どうしたものかと考えていたら、突然、ポンと大きな手で頭をなでられた。見上げた先にあるのは、慈しむような優しい眼差し。彼は里の者全てにこのような眼差しを向けているのだろうか。ふと疑問がよぎる。この人に似たあの少年は、その眼差しを受けることさえ知らずに育っていくと言うのに。
「あの……」
思わず彼に声を掛けたのは何故だろうか。罪悪感からかもしれない。
あの少年が受けることのない眼差しを自分だけが知ってしまったことへの。あるいは、これから起こる出来事を知りながら目の前の彼を救うことが出来ないことへの。
それを伝えてもどうにもならないことを私は知っている。自らの死を知っていても、彼は望んで九尾と相対するのだろう。そして、里の為に命を投げ出すのだろう。大した自己犠牲の精神だと思う。私だったら、とっくに逃げ出している。尤も、彼は里のために死ぬことも承知で火影になったのだろうけれど。
「……奥さんとお子さんを大切にして下さい。それから、……ご自分を。後悔しないで済むように」
私の言葉に、里長の青年は驚いたように僅かに目を見開いた。けれど、それも一瞬ですぐに元の優しい笑顔を浮かべる姿はさすがだと思う。
「ありがとう」
礼なんていらないのに。私は何も出来ないのに。恨み言を言われる理由はあっても、礼を言われる理由なんて一つもない。その眼差しが優しすぎるから苦しくて、私は避けるように視線を地面に落とした。
「……ごめんなさい」
私の謝罪を青年はどう取ったのだろうか。私には知る由もなかった。
「……火影さま!」
不意に青年の向こうから、彼を呼ぶ声が聞こえて私は顔を上げた。青年を呼んだのは、忍の男性のようだ。青年を探していたように見える。不思議に思って青年を見上げれば、『見つかっちゃった』と呟きながら、苦笑いを浮かべていた。どうやら無言で外を出歩いていたらしい。
「それじゃあ、またね」
言いながら、彼は私に背を向けた。けれど、私はその“またね”が叶うことがないことを知っている。
彼の後ろ姿を眺めながら、私は兄の袖をぎゅっと掴んだ。
「兄さん、家に帰ろう」
「もう、いいのか?」
私は首を小さく縦に振った。もうどこかに出掛ける気はしなかった。
その日から一月後、木の葉の里に九尾が現れた。
ボロボロに朽ちた建物の合間を縫って、私は歩く。九尾が現れたのは、つい一週間ほど前の話だった。かの化け物が暴れた爪痕は未だ痛々しく里の至る所に残っており、九尾の力の凄まじさを物語っている。
里全体が暗く澱んでいるように感じるのは、多分私の気のせいではない。この里はあの災害で、あまりに多くを失った。家を、人を、そしてあの若き里長を。
失ったものは戻らない。それでも、残されたものは進まなければならない。それが生きるということだから。
失意から立ち上がろうと足掻く里の中を、私は早足で進む。つい一月ほど前、イタチと共に歩いた道を。ただし今は私は一人だったし、その道は荒れて、かつての見る影もなかったけれど。
母にも父にも、イタチにさえも一言も告げずに私は家を出た。お咎めは覚悟の上。こんな幼児が一人で出歩くなんて非常識だってことも、十分理解しているつもりだ。けれども、私はどうしてもここに来たかった。
目的の場所に着いて、私は足を止めた。視線を上げ、岩山を見上げる。そこには、前日出会った青年の顔を象った顔岩があった。
「……大切にしてくれって、言ったのにな」
呟いた私の言葉は、風に舞って消えた。
死人にくちなし。そんなことは分かっている。だから、この恨み言は私の自己満足のための行為だ。
「あなたが死んじゃったから、いろんな人が悲しんでるよ」
死を悼む人の数がその人の生前の行為を示す鏡なのだとしたら、彼は生前多くの人に愛され、そして多くの人を愛してきたということを示しているのだろう。それが少しだけ羨ましい気もするし、ひどく悲しいことにも思えた。
以前の私が死んだ時も、大勢の人が悲しんでくれたのだろうか。このような想いを味わったのだろうか。だとしたら、不可抗力とはいえ申し訳ない気がした。
「会わなければ、こんな想いをしなくて済んだのかな」
彼が私の知らない誰かでいたままであれば。知らないところで死んでくれたら。あの眼差しさえ受けなければ。私は傷つかずに済んだのかもしれない。自分の考えに笑いが零れる。それこそ不可抗力だ。彼に落ち度はない。
「……、何かご用ですか?」
唐突に、私は私の背後に立っているらしい誰かさんに声を掛けた。振り返ると、そこには一人の青年がいた。
彼の顔を見て、私は僅かに目を細める。私はその青年に(向こうはないだろうけれど)見覚えがあったからだ。
「なんで分かった?」
私はここに至るまで一度も振り返ることはなかった。それなのに、背後の人物に気づくことができたことが不思議でならないのだろう。
「そちらは風上ですから」
青年の疑問に、当然のように私は答える。
以前にも私はこの場所で、あの金髪の青年に背後に回られた。知らぬ間に背後を取られるのは、気持ちのいいものではない。あれは私にとって、ちょっとしたトラウマになっていた。だから、そのせいもあるのだろう。容易に気付くことが出来たのだ。
「忍っていう人種は、気づかれないように幼児の背後に回る趣味でもあるんですか?」
だとしたら、最悪ですね。呟いた私の言葉は完全な皮肉。でも、これくらいの意趣返しくらいは許されるだろう。姿を消して追っていた訳ではないといえ、後を付けられていたのだから。
「本当に子ども?」
誰かが変化で化けてるんじゃないかと、青年が疑いの眼差しを私に向けた。
そんなことして、一体何の利があるというのか。私の服の背中にはうちはの家紋が付いている。うちはの子どもなんて目立つような存在に化ける意味なんてない。そんなこと、目の前の彼だって考えればすぐに分かるだろうに。
「それで、何かご用ですか?」
ぐるりと会話は一回りして、結局は最初の質問に行き着いた。まさか私の年齢が気になって、声を掛けてきた(いや、最初に声を掛けたのは私か、どちらでもいいけど)訳でもあるまい。身に覚えはないとはいえ、彼はきっと私に何かしらの用があるのだろう。
「先生が感謝してた」
ポツリ、青年が言った。
先生、という単語を私は口の中で転がす。あの人が私のことを彼に話したのだろうことは、彼の顔を見た時から想像は付いていた。というか、それしか接点がない。だから、それは私には大して驚くべき事実ではなかった。あの人が何を語ったのかは知らないけれど。
「……私は怒っています」
私は呟くように言う。だって、あの人はありがとうと笑っておきながら、自分を大切にはしなかった。そうするだろうとは予測は付いていたけれど、感情はまた別物だ。
男っていうのは身勝手だと思う。死ぬことばかり考えやがって。自分を犠牲にして他人を守ろうだなんて傲慢だ。自分を守れない人間に、一体誰を守れよう。遺された者のことなんて、ちっとも考えちゃくれない。彼らは優しすぎるから、残酷なのだ。
ふうっと、私は一息吐いてから踵を返した。
「帰ります」
宣言するようにそれだけを言って、私は来た道を戻る。青年の横を通り過ぎてからしばらくして、私はふと思い立って足を止めた。青年の方を向いて、彼の目を見つめる。
「また会いましょう、カカシさん」
私の言葉は呟くように小さなものだったから、きっと彼には聞こえなかっただろう。けれど、彼は私の唇を読んだのか、驚いたような表情をしていた。珍しいものを見れたような気がして、私は少し愉快になる。いい意趣返しはできたのではないだろうか。
青年が何か叫んでいたようだが、私は気にせずに帰路に着いた。
予期せぬ邂逅はあれど、その後しばらく私は穏やかな毎日を送っていた。
不満があるとすれば、一つ。近頃伸び始めた自分の後ろ髪に関することくらいである。
「痛い、痛い!」
止めてくれと言っても、痛みを訴えてもサスケは止めてくれそうにもない。何が楽しいのか、キャッキャッと声を上げながら、サスケは笑っている。といっても、サスケは私が苦しむ様を見て喜んでいる訳ではない(だったら嫌すぎる)。
サスケは、私の後ろ髪を思いっ切り引っ張って遊んでいるのだ。
どうやら、私は赤ん坊の力など大したことはないとサスケを甘く見過ぎたらしい。サスケはまだ幼児と呼ぶ年齢にも至っていないのは事実だ。が、昨今はおすわり、ハイハイもマスターし、それなりに育ってきていたらしい。物を掴む力や、引っ張る力も生まれたばかりの頃に比べたら各段と強くなったのだ。加えて、赤ん坊特有の無邪気さ、無知さのおかげで遠慮など当然ない。サスケはおそらく目一杯の力を尽くして私の髪を引っ張っているに違いない。そのおかげで、頭が痛い。髪も何本か抜けた気がするし、頭皮だって赤くなっているのではないだろうか。禿げたらどうしてくれるんだ! 叫んだところで、サスケには意味が分からないに違いない。笑顔でこのような凶行に及ぶとは、我が弟ながら恐ろしい子である。
「サスケ、ナナセが痛がってる」
それを諌めてくれたのは、イタチだった。普段なら、イタチにありがとうの一つも言うのだが、今日の私はそんなこと言う気もおきない。なぜなら。
「……兄さんのせいでしょう」
声がいつもよりほんの少し低くなったのが、自分でも分かった。私は他人事のように、そんなことを言うイタチに怒っている。
元を正せば、最大の原因はイタチにあるというのに。だって、サスケはイタチの真似をしているだけなんだから。
ぐい、と突然に後ろ髪を引かれた。頭がかくん、と力のかかる方角に倒れる。犯人は分かっていた。イタチだ。
むっとした表情で、私は振り返った。そこにいたのは、どこか楽しそうなイタチ。遊ばれている、と私は思う。私に用事があるのだとしても、普通に声を掛ければいいのであって、別に髪を引っ張る必要はない。だから、これはイタチが私で遊んでいるのだ、とそう確信する。
いつからだろう、イタチがこんな訳の分からない行動に出たのは。はっきりとは覚えていないが、ここ数ヶ月のうちであることは確かだ。
「……どうして、こんなことするの?」
ついに、溜まりかねて私はその疑問を兄にぶつけた。
「覚えてないのか?」
「え?」
「先に仕掛けてきたのはナナセだ」
イタチの言葉に、私は目を丸くする。そんなこと、記憶にはないのだけれど。
私の表情を見て、イタチは私が何を言わんとしているか分かったらしい。少しだけ微笑むと、イタチは私の後ろに回った。また髪を引っ張られるのだろうかと身構えるが、それは私の杞憂に終わる。イタチの手が触れたのは私の髪ではなく、私の目許だったからだ。
「だあれだ?」
手のひらで私の視界を塞いだまま、イタチはそう言った。私はようやく思い出して『あっ』と声を上げる。
そうだ、確かにこれはやった。火影岩で二度も背後に回られたのが癪で(二回目は先に気が付いたけど)、八つ当たり半分、からかい半分でイタチの背後に気配を消してこっそりと回ったことがあった。その時にどうせだから、とイタチの目を手のひらで覆って今の彼と同じことを言ったことは確かにある。イタチの不思議な行動はあれの延長上の遊びだったのか。
理解は出来た。が、私は納得は出来なかった。
「だとしても、髪を引っ張らなくてもいいでしょう?」
髪を引っ張られるのは痛いんだから。サスケほど容赦なくイタチに髪を引っ張られたことはない。けれど、痛いことには変わりないのだ。出来れば止めて欲しいと思う。素直に目を覆いながら『だあれだ?』ってやってもらった方がいいと思った。私の髪は、そんなに引っ張りやすそうな髪に見えたのだろうか。
私の疑問に答えるように、イタチは瞬き一つをして当然のようにこう言った。
「ナナセの髪が綺麗だったから」
だから引っ張りたくなったのだと、イタチは続ける。
言われた言葉に、私は唖然とした。今の私は余程の間抜け面をしているに違いない。そう確信できるくらいには私は驚いていた。
「……天然タラシ」
まだほんの子どもの彼に、そんなこと言われるだなんて思ってもいなかった。予想外過ぎる。イタチの将来が急に不安になった。
「そういう言葉は、誰にでも言わない方がいいよ」
妹の私にならともかく、他の女性にそんなことを言ったら大変なことになるに違いない(男性に言っても、それはそれで問題だが)。私は思わず呆れたように、ため息を吐いてしまった。
しかし、当のイタチは意味が分かっていない様子。完全に素で言ったということか。どれだけ末恐ろしい子どもなんだ、と思ってしまう。
「天然……」
まさか六つの子どもに口説かれる日が来るだなんて、思ってもいなかった。