夢にも思わない 作:ODA
その日、私は図書館で借りてきた本を読もうと夕食後に自室に向かった。その途中で、部屋から人の気配を感じて、私は『あれ?』と思う。私の部屋に誰かが居るなんて珍しい。四歳になった頃に私は自室を与えられたのだが、母さんが偶に掃除する以外、私の断りなく部屋に誰かが入ってくることなど殆どなかったからだ。
その時、私の部屋に居たのはサスケだった。覗いて見れば、サスケは何やら私が借りてきた本を開き、真剣に眺めているようである。
「何をしているの?」
私が声を掛ければ、サスケはハッと驚いたように顔を上げた。私は別にサスケに気がつかれないように近付いたつもりはない。単純にサスケが本との睨めっこに集中していただけなんだろう。
サスケは困った顔をして、私を見る。それはまさしくイタズラを咎められる前の幼児の顔だった。
「……ごめんなさい」
怒られる、とサスケは思ったのだろう。勝手に部屋に入って、本を読んでいたことを。今にも泣きそうなサスケの顔に、私は苦笑を漏らした。
「それ、ちゃんと読めた?」
私が訊けば、サスケは目をパチパチさせた。私はそんなサスケを見て、思わず笑みを零す。
「サスケにはまだ難しいでしょう?」
私が借りてきた本は、チャクラの仕組みや忍術の原理について書かれている本だ。三つの子どもに読める代物ではない。図説も載ってはいるが、大半は文字で埋め尽くされている。漢字だって多用されているから、未だひらがなが読めたり読めなかったりのサスケには理解不能の筈だ。
だから、サスケには私の借りた本を読めるはずがないと思う。ただ、サスケは私の借りた本に興味があっただけなのだろう。
「サスケはもう忍術に興味があるんだね」
言いながら、私はサスケの頭を優しく撫でる。サスケは嬉しそうに目を細めた。
今はまだこの弟はこうやって黙って私に頭を撫でさせてくれる。手を繋ぐと喜んでくれる。でも、それもきっと今だけなんだろうなあと思ったら、少しだけ寂しくなった。
「おいで、サスケ」
私はサスケを抱えるようにして座り、自分の足の間にサスケを座らせた。サスケの後ろから手を伸ばして本を広げて、サスケの頭越しに本に目をやる。
分かりやすい図説のあるページを選んで開き、サスケに分かりやすいように言葉を砕いて本の内容を説明した。けれど、それでも三つのサスケはきっと意味なんて分からないんだろう。
分からなくてもいい、と私は思う。ただこうやって、過ごしたという記憶に意味があるのだ。それはサスケにとっての意味ではない。私にとっての意味だ。
だからこれは私の完全な自己満足。サスケはそれに付き合わされて、意味も分からない説明を受けているだけ。サスケにとってはいい迷惑だ。退屈だって感じているかもしれない。
それをごめんね、なんて謝るつもりは私には毛頭ない。謝る代わりに、サスケが嫌がらない限り、目一杯手を繋いだり、抱きしめてやろうと思った。それもまた、半分以上は自分の為になんだけど。
ごめんね、サスケ。君のお姉さんは、かなり自分勝手な人間なんだよ。
来期からアカデミーに通うことになった。それは予想通りの展開であり、覚悟はしていたつもりである。でも、やはり私の覚悟は中途半端であったらしい。
「嫌なのか」
何が、なんて今更か。言葉少ないイタチの一言に、私は思わず苦笑する。こんな子どもに見抜かれてどうするとは思うものの、元々私には隠す気もないのだからバレても当然かとも思った。
「別にこれ以上行動範囲を広げる必要性を感じないだけ」
嘘ではない。イコール真実全てではないけれど。
私の世界はあまりにも狭い。私の世界に住んでいるのは、私の家族と、稀に出会うその他の人々少々で構成されている。とはいえ、五歳児という年齢を考えれば当然かもしれないけれど。
見聞を広げるのは悪くない。それは必要なことだと思うし、いつまでもこの小さな世界に収まっているのは、いかに子どもと言えど不自然でしかない。だから、本当はアカデミーに通うのは必要なことだと分かっている。分かっているから、嫌だなんて我が儘を言うつもりはないのだ。ただ、私は。
私はふと目線を縁側に移した。イタチもそれに倣うように、視線を縁側に向ける。別に視線を向けなくても、イタチにならそこに何があるのかなんて分かるだろうに。律儀というかなんというか。生来が真面目な気質なのだろう。
私たちの視線の先にいたのはサスケだった。
近頃のサスケは歩き回ったり、はしゃぎ回ったりと騒がしい。何にでも興味が湧く年頃なのだろう。時折飛んでくるモンシロチョウやスズメなどをよく見かける縁側は彼のお気に入りの場所だった。
ただし、今はサスケは疲れたのか縁側でこてりと横になって、眠っている。
おいおい。そんな場所で昼寝なんて転げ落ちたらどうするんだとは思うけれど、腹を上下させる小さな生き物に知らず和んでしまって、起こしてやる気がしない。まあ、サスケは寝相はきれいだし、何かあったら隣のイタチがどうにかしてくれるだろう。そんな随分と投げやりな思考の末、私は結局サスケをそのまま縁側で寝させたままにしている。
「寂しいのか?」
「……そうだね」
私があっさりと肯定して見せれば、イタチは少しだけ目を見開いた。その反応の理由は容易に想像が付いて、私は思わず苦笑を漏らす。
私は自他共に認めるほどの意地っ張りだ。その意地っ張りな私が素直に寂しいなんて言葉に肯定を示すなんて、意外としか言いようがないのだろう。
「もっとサスケとも遊んでいたいんだけどな」
「別に会えなくなる訳じゃない」
だから、隙をみて遊んでやればいいのだとイタチは言う。まったくその通りなんだけど、でも、それでも寂しいって思ってしまうのは仕方ないじゃないか。
時間は止まらない、戻らない。常に前へ前へと進んでいる。砂時計のようにひっくり返す訳にはいかないのだ。変わらずにいるつもりでも、いつの間にか前に進んでいることを自覚させられてしまうから。だから、私は少し寂しい。
進むことが怖いのではない。確かに私はずっと先の未来を知っていて、知っているからこその恐怖はある。だけど、それとは別に。
生まれた時はきっと嫌で嫌でたまらなかったのに。今はここを居心地がいいと感じてしまう。だから、ここをもっと感じていたいだけなのだ。
「私たち、ずっと子どものままで居られたらいいのに」
でも、それはきっと無理だから。
眠るサスケを見ながら呟いた私に、イタチは何も言わなかった。
一箇所に集められた大勢の子どもたち。どこの世界でも入学式なんてものはやることは同じらしい。周囲の子どもたちやらその親、教師たち、来賓なのだろう人々を見て、私はそんなことを思う。
周囲にそれとなく視線を送る。誰もが知らない子どもたちばかりだった。当然か。私が知っているあの子達は私より年下の子どもたちばかり。一緒に入学するなどという偶然が起こる確率はあまりないのだろう。アカデミーには入学の規定年齢が明記されてはいなかったから、もしかしたらとは思ったんだけど。
あの子達がいたからといって大して何かが変わるわけではないだろうが、まあ、半分以上は単なる好奇心と興味だ。深い意味はない。
里長の老人の挨拶を、私は適当に聞き流していた。褒められる行為ではないのは理解している。だが、他人の話を聞くだけという行為は案外疲れるものなのである。第一、老人の話は私一人に向けられたものではなく、大勢のものに向けられているのだ。私一人が聞き流したとて別段問題はあるまい。話している人間からすれば気分は悪いとは思うが。
ぼんやりとしていたら、何だか眠くなってきた。さすがにここで居眠りするのはまずかろう。私は慌てて、ゆるく首を左右に振ると欠伸を噛み殺した。退屈である。どうして老人の話というのはこんなにも長いのだろうか。
その時の私は、アカデミーに入学するという期待も緊張感もなく、『早く終わらないかなぁ』なんてただ不謹慎なことを考えていた。
私にとってアカデミーとは、その程度の存在だったのである。
入学式の後に、細々とした挨拶やらをして回り、その日は昼過ぎに家に帰り着いた。
「アカデミーはどうだった?」
昼食後、イタチにそう訊かれて私は小さく笑みを零す。
「まだ入学式に行っただけだよ。何も分からないって」
もしかして、心配してもらっているのだろうか。だとしたら、恥ずかしいような嬉しいような。心配されるほど、私もやわではないんだけど。
実際、何も心配されるようなことはなかったのだとアカデミーに通ってすぐに知った。
まぁ、冷静に考えれば、いかに忍者を志す子どもたちが通うと言っても、彼らは前の世界で言うところの小学生と年齢的にはほとんど変わりはないのだ。精神年齢がとっくに成人している人間から見れば、そんな子どもたちの学習など物足りないものが多いに決まっている。体力や才能はひとまず置いておくにしても、判断力や理解力、知識においては彼らとは雲泥の差があることなど明らかだ。
それにアカデミーでは、幼い子どもたちに忍術にしろ、体術にしろ、原作で使用していたような派手なものを教えてくれることはなかった。まぁ、教えたからといって習得できるかどうかはともかく、あんなものを幼児が普通に使っていたら危険に違いないとは思う。日頃、修行と称して父に教えてもらうそれらの方がよっぽど危険なものばかりである。
そういえば、原作に描かれていたいつぞやの卒業試験の内容を思い出して、私は首を傾げてしまいたくなった。あれも確か基本忍術だったはずだ。そこを卒業の目安にするなんて、忍者アカデミーとは一体……。
原作を思い返してみると、忍の子どもたちの育成という役割を担っているのは、下忍になってからのフォーマンセルの方が意味合いが大きい気がしてきた。
多分、あくまでアカデミーは忍の心構えだとか、簡単な体術や忍術とか、基本的なことを教えるだけの教育機関に過ぎないのだろう。実際に各人の能力を伸ばすのは、フォーマンセルという仕組みの中で行うことなのだ。
アカデミーで地盤を作り、フォーマンセルで成長を促す。それが多分、木ノ葉の里の教育方針なのだろう。
だとすれば、やっぱりアカデミーは私の認識で言うところの小学校と大差ないのかもしれない。
その疑問は私がアカデミーに入って三ヶ月もした頃、成績として返ってくることになった。
――わぁお。全科目、一位だってさ。
そりゃあ、小学生相手なら真面目にやってればそうなるよね。私は内心苦笑する。
もしかしなくても、私はサスケのハードルを上げているのではないだろうか。なんて、ふと不安に思った。
よく笑うし、よく泣くし、よく怒る子だと思う、サスケは。
もっとも、もうそろそろ四つになるくらいの年齢だから、こんなものなのかもしれないけれど。彼の兄も、私もこんなに子どもじゃなかった。まあ、私は反則みたいなものだから、比べるのはどうかとは思う。イタチにしたって、あれはだいぶ規格外な気がするから比較対象にするにはあてにならない。
サスケのことを子どもだと思ってしまうのは、多分実際に彼が年齢相応に子どもだからだ。
この子の未来を良くも悪くも知っているものだから、目の前のサスケと将来のサスケが一致しなくて私は少し悲しくなる。この子の笑顔だとか泣き顔だとかを守っていけたらいいなぁとは思ったけれど、それはあまりにも私には身分不相応な気がした。だって、その願いは物語の核心に近すぎる。
と、同時に拙いなとも思った。最初から分かっていたのにも関わらず、ぬるま湯に浸かりすぎたらしい。あまりにもここが居心地が良すぎるから、今更無くしてしまうのが怖いだなんて思っている。本当に今更だ。
「サスケ」
近頃、手裏剣に興味を持つ弟は今もそれをいじっていた。彼の年齢を思えば、そんな危険なものを触っちゃ駄目だろと言ってやりたいが、兄も私もその年齢には手裏剣を投げていたような気がするので言わない。サスケもその事実を知っているだろうから、余計に言えない。ただそれでも、心配してしまうのは彼が年齢相応に子どもだからで――、ああ、思考が堂々巡りしている。
「なに?」
子ども特有の大きな目が私をじっと見ていた。
私は一体何を言おうとしたのだろう。振り返った弟にそんなことを思う。名前を呼んでから、言うべき言葉を探すだなんてあまりにも非効率的だ。
「……がんばれ」
結局、ようやく出た言葉はあまりにも無責任で意味不明な言葉だった。
不思議そうな顔で、私を見つめている弟の顔を見ているのがつらい。しまった失言だったかと思った時には、どうしようもなかった。覆水盆に返らず。言ってしまった言葉はもう引っ込みがつかない。この言葉をサスケはどう取っただろうか。いつだって本当に言いたい言葉なんて、言えやしないのだ。サスケが一刻も早く、この意味不明な言葉を忘れてくれることを祈るしかなかった。
「役に立たない馬鹿なお姉ちゃんで、ごめん」
もう後ろを向いてしまったサスケに対して、唇だけを動かしてそう言った。当然、サスケからは返事はなかった。
真実を口にする勇気が私にあれば、何か変われただろうか。
それさえも出来やしないけど。