夢にも思わない 作:ODA
辺りが暗い。多分、夜だからだ。見上げた空に浮かぶ月が眩しい。まん丸の満月。明るすぎて、逆に月だけが世界から浮いているみたいだと思う。いっそ不気味だ。
私は一族の敷地内にぽつんと立っていて、他に人の姿は見えない。静かすぎて、私だけが世界に取り残されたみたいだ。
「ナナセ」
聞き慣れた声で名前を呼ばれて、私は振り返る。そこに立っていたのはイタチだった。
イタチの服の所々には、赤黒い跡がついている。多分、返り血だ。だって、その証拠に、イタチの持つ刀は血で染まっているから。
イタチがゆっくりとその刀を此方へと向ける。
「ナナセ」
すまない。
イタチの唇がゆっくりと動いて、謝罪の言葉を口にした。
そして刀は振り抜かれる。
「姉さん、姉さん!」
目が覚めると、目の前にはサスケがいて、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「サスケ……?」
背中には冷たい汗が流れていて、自分の呼吸が荒れているのに気付いた。
――ゆめ。
私は心の中で呟く。
あれは確かサスケがアカデミー通い始めた以降の出来事だったはず。私が気が付いていないだけかもしれないけれど、一族の中でも反乱の兆しは少なくとも表面上は見られない。
まだ早い。まだ時期じゃない。
私は自分に必死に言い聞かせて、早鐘を打つ心臓に落ち着けと繰り返した。
「姉さん、悪い夢でも見てたの?」
魘されてた、とサスケが眉尻を下げながら、私に問いかける。
「大丈夫、何でもないよ」
そんなサスケに対して、私は無理やり笑ってそう答えた。
サスケはそんな私に納得していないらしく、じっと私を見つめてくる。
いつの間にか、サスケに握られていた右手に力が込められているのが分かった。
「痛いよ、サスケ」
痛いよ。私は呟くように言う。
痛い。胸が痛い。
以前の私なら、こんなに苦しい思いはせずに済んだ。
大切なものが増えれば増えるほど、喪失の痛みが増すことなんて容易に想像がつくことなのに、今更そんなことを思う。
一人でいる時に、痛みを覚えたことはない。二人でいるから痛いんだ。
孤独は辛くて悲しいけれど、痛くはならない。痛いのは、失う恐怖を覚えているから。
右手から伝わる温もりをいっそ突き放してしまいたくなる。温もりがあるから、こんな痛みを抱えなくちゃいけなくなるんだ。なのに、ずっとそばにいて欲しくなる。酷い矛盾。アンビバレンスな感情が私を乱して、壊していく。
もうこれ以上、そばにいないで。無くしてしまうと耐えられなくなってしまうから。
もっとずっとそばにいて。それだけで、私は笑って生きていけるから。
痛みと癒やしを同時に与えられるだなんて、一体私はどうすればいいんだろう。
「……姉さん?」
それでも、結局突き放すことなんて出来っこなくて、私はサスケを抱き締めた。
この幸せが胡蝶の夢でも、私はその夢に縋りたい。夢ならどうか覚めないで。
祈るように私は願う。その願いが何よりも難しいと知っていながら、それでも願わずにはいられない。
どうか、今だけでも縋らせてください。明日から、私はまたいつものように笑ってみせるから。
大人から見れば、自分は少しばかり問題児なんだろうと思う。いや、問題児と言っても、別に私は火影岩に落書きをしたり、教室の扉に黒板消しを仕掛けたりした訳ではない。ただ浮いた存在という意味では間違いなく問題児ではあったけれども。
アカデミー入学したての頃は、それなりに色んな子どもたちから声を掛けられていたように思う。例えば、昼休みだったり放課後だったり。一緒に遊ぼうとか、そういった類の誘いは確かにあった。
だから、決して私自身の第一印象が近寄り難いイメージがあるという訳ではないのだと信じたい。まあ、それらをことごとく断り続けたのは私なのだが。いくら見た目は幼児といえど、私の中身はれっきとした成人である。今更、見た目私と同年齢(要するに小学校の低学年くらい)の子どもたちと話が合う筈もなく、彼らと一緒に無邪気に遊びまわる気力もやる気もない私は、入学後しばらく経った頃にはものの見事にアカデミーで孤立してしまった訳だ。
子どもというのはとても素直で正直な生き物だと思う。何の打算もなしに本能で生きているものだから、こちらに興味がないと知れると早々に私に興味を持っていた子どもたちもまた私の元から散っていった。まあ、それも予想の範囲内な訳だからそれはそれで全然構わないのだが。
馴れ合いが趣味ではないなどと、洒落たことを言うつもりはない。ただ、余計な人間関係を背負うのは嫌だった。“うちは”という一族の今後を思えば、私はなるべく一族以外の人間とは不要な関わりを持つべきではない。どうせ自分じゃ飼ってやれない野良猫に気まぐれの愛情と一時しのぎの餌をやるのは無視をするより酷だと思うから。それだけの理由だ。
これだけ集団から外れた私だが、一般的に言われるいじめという行為を受けたことはなかった。多分、私が全成績トップであることや、うちは一族であることも関係しているんだろう。エリートやら天才様はどこの世界でも孤高のものらしい。まあ、そのおかげで私は冷めた無愛想なヤツだと思われているようだ。そりゃあ、同年代の子達に比べれば愛嬌はないだろう。自分でも自分がまるで可愛くない子どもだという自覚くらいはある。
それにしても、エリートで天才か。我が事ながら、苦笑するしかない。精神年齢のことはこの際置いておくとしても、私の中身はただの地球生まれの典型的日本人でしかないというのに。過大評価もいいところである。
そして、その私への過大評価はどうやら子どもたちだけではなかったらしい。
「は……? アカデミー卒業試験ですか?」
いつもの通りアカデミーから帰ってきた後、父に呼び出しを食らい、なんだろうと父の部屋を訪れたときのことだ。正座で父の向かいに座る私に対して父は真面目な顔で、とんでもないことを言い出した。
「アカデミーから推薦状が届いている。ナナセ、今年の卒業試験を受けてみる気はないか」
馬鹿な。思わず、そんな言葉が口をつきそうになる。私の記憶が正しければ、私はアカデミーに通い始めて一年目である。卒業試験? アカデミーを一年で卒業しろというのか。いや、確かにアカデミーレベルの授業では学ぶものが殆どなかったのが実情ではあるが。
「イタチもアカデミーは一年で卒業している」
何の問題もあるまいと父は言う。確かにイタチは一年でアカデミーを卒業した。だが、あれは異例のことだろうと思う。そんな異例の事態が許されるのは、それこそ天才と呼ばれる人たちだけだ。
私をどう見るかはその当人の勝手だと思う。だが、周りに何と思われようと私は中身はただの凡人でしかない。天才のレッテルだとかエリート一族の看板だとか勝手に背負わされるのは困るのだ。知らず、私は険しい顔を浮かべていたらしい。
私の困惑を見てとった父は「しばらく考えてみなさい」と、それだけを言って席を立った。残された私はただただ呆然とするばかりだ。
アカデミーに通うということは忍者を目指すということだ。アカデミーを卒業するということは下忍になるということ。下忍といえども、忍の端くれには違いない。たとえ、最初はどんなに簡単な任務しか任されないとしても、だ。
アカデミーに入学した時点で多くの者はそこを、或いはその先を目指しているのだろう。けれど、私は違う。正直に言えば、私はアカデミーを卒業することなく“終わる”のだと思っていたから。
流されるままに生きるだけでも、選択肢というのは少なからず存在するのだと私はようやく知った。
「ねぇ、兄さんは何で忍になったの?」
父さんに呼び出された後。私は何の前触れもなくイタチの部屋を訪れて、そう言った。イタチは忍術書から顔を上げて、私を見る。私の不意の質問にイタチはどう思っただろうか。
おそらくは私に返事をする為に、イタチが口を開こうとする。が、私はイタチが言葉を発する前に左右に首を軽く振って「やっぱりいい」と言った。そうすることで、イタチの言葉を封じたのだ。
「今のは忘れて」
イタチが忍になった理由を聞いても仕方がない。イタチの理由はイタチの理由でしかなく、私の理由になることはないのだ。参考にするのは構わないが、自分の理由を重ねることは出来ない。してはいけないと思う。私の答えは、結局私にしか出せないのだから。
「ちょっと出掛けてくるね」
そうして、私はまるで逃げるようにイタチの部屋を後にした。
実際、私は逃げたかったのかもしれない。何か一つのことについて真剣に考えるのは、昔から苦手だったから。
「ふぅ……」
思わずため息が漏れる。空はこんなに晴れてるっていうのに、私の気持ちは晴れない。頭が痛くなりそうだった。
うちはの敷地内をとばとば歩く私はある意味異様であったに違いない。これはもしかしなくても、噂になるんじゃないだろうかと思ってしまう。うちはの集落はそれなりに大きいが、それでもその大きさなんて知れている。明日には集落中に広まってしまうかもしれない。が、それを気に出来る程の余裕は、正直現在の私にはなかった。
「姉さん!」
不意に背後からタックルを受けて、私はよろめく。振り返ると、そこには笑顔のサスケがいた。その後ろには母さんもいる。どうやら二人で買い物をしていたらしい。
最初は笑顔だったサスケだが、私の顔を見上げてからその笑顔は急に引っ込んだ。代わりにサスケの顔に浮かんだのは、心配そうな顔だった。
「……姉さん?」
不安そうなサスケの声に、私はしまったと思う。この子にまで心配をかけてしまうなんて。私は駄目なお姉ちゃんだ。
ぽんぽん、とサスケの頭を軽く叩いてから私は無理やり笑顔を浮かべた。上手く笑えているといい。
「母さんと買い物?」
私が訊けば、サスケは「うん」と頷いてみせた。
「ナナセ」
母さんに名を呼ばれて、私は顔を上げる。母さんは柔らかな笑顔を浮かべて私を見ていた。
「私は今から家に帰って夕飯の支度をしなきゃいけないの」
「うん?」
母さんの突然の切り出しに私は首を捻る。話の内容が読めない。
「それまでサスケと遊んであげて」
ね? と、母さんは綺麗に笑った。気晴らしをして来いということなのだろう。どうやら、気を使われてしまったらしい。
「……分かった」
私は素直に母さんの言葉に甘えることにした。実際に私は煮詰まっていると言っても過言ではなかったし、気晴らしは必要なことに思えたから。
そういえば、こうやってサスケと遊びに出掛けるのは久し振りだ。アカデミーに通い始めてからは、サスケと共に過ごせる時間は間違いなく減ってしまっていた。この子と過ごす時間は、私の宝だったと言ってもいいのに。
「ねぇ、サスケ」
河原沿いの道を二人で歩きながら、私はサスケに訊いた。
「サスケは忍になりたいって思う?」
私の一言に、サスケは赤とんぼを追いかけ回すのを止めて振り向いた。夕陽に照らされて、その表情はほんのり赤く染まって見える。
「うん!」
兄さんみたいに立派な忍になるのだと、サスケは言った。まだ曖昧な目標だけど、まっすぐな意志を持っているサスケが羨ましい。この子の方が、ずっと私よりしっかりしている。
「姉さんは?」
サスケに問われて、私は言葉に詰まってしまった。それが分からないから、こんなにも悩んでいるのだ。
私を見つめる曇り一つ見当たらないサスケの瞳を、私は見返した。私はきっとこんなにも純粋に憧れや希望を抱くことは出来ない。
「私はね、多分……ちょっと怖い、かな」
「怖い?」
「うん」
言いながら、そうだと私は思う。怖い。本当は少しなんてもんじゃなく怖い。とても怖くて仕方ないのだ。
忍とは命のやり取りをする職業だから。殺すのが怖い。殺されるのが怖い。命を奪うのも、奪われるのも嫌だった。
私は酷い人間だから。他人の命だとか、運命だとかそんなものを背負って生きていくことなんてできない。
「姉さんなら大丈夫だよ!」
私の考えていることを知ってか知らずか、サスケは明るくそう言った。それはきっと口先だけの言葉じゃない。この子は嘘は上手くない。だから、本心からサスケは私を大丈夫だと信じているのだ。
「……ありがとう」
私は笑ってサスケに礼を言った。やはりそれはぎこちないものであったけれど、それでも先ほどの笑みよりはずっと上手く笑えていたに違いない。
奪うのも奪われるのもイヤだなんて、我ながら馬鹿げたことを言う。どうせ諦めていたクセに。私が死ぬ時はあの人の手で一族と共に、だなんて私は考えていた。私はいつからそんなロマンチストになったのか。
死ぬ時は死ぬ。それがどのような最期であろうと、結果は変わらないというのに。死に意味を求めることは無意味だと、私は身を持って知っていたではないか。
それなのに、私はあるかないかも分からない死に怯えている。確定された死に諦めを抱いているクセに。
今だってそれは変わらない。変わらないけど。
「……近付きたい、かな」
「?」
私の呟きを聞き取ったサスケが、首を傾けながらこちらを見上げた。私は、サスケに無言で微笑み返す。
あの人に、この子に近付きたいと思う。守りたいだなんて、そんな大それたことは言えない。いつだって、私は自分のことだけで精一杯だ。
ただ置いていかれるのも寂しいから。前を向くサスケに、先を歩くイタチに。私一人取り残されるのも癪だから。
「帰ろうか、サスケ」
私はサスケと共に家路を急ぐ。家に帰って一番に、私は父の部屋に向かった。
「受けます、卒業試験」
私は父に向かって、はっきりとそう告げた。
流されていても泳げればいい。そのまま何もしなければ、ただ海底に沈むだけ。