「あーうざい。自分が可愛いと思ってお高く留まりやがってほんっと最悪最悪最悪」
ガンッガンッと柵が蹴られる。
「死ねばいいのに死ねばいいのに死ねばいいのに!堀北なんか」
少女の口から飛び出す内容は普段のそれとはかけ離れたものだ。
「うざい。ほんとうざい。糞女!」
少女の膂力から繰り出される蹴りの威力は低く、決して大きな音が響き渡るわけではない。だが、その音は背後から迫る一人の男の気配をごまかすには十分すぎるほどで、
「マジ死ね。堀北死ね堀北死ね堀北死「櫛田、忘れものだ」
声をかけられた直後、ピロン、と空気を読まない通知音が発せられ、声をかけられた声に少女の肩が跳ねる。それはいつの間にか男が背後に立っていた驚愕だったかもしれない、もしくは今までの言動を聞かれたという恐怖か。
「…は?きもい。マジきもい。なんであんたがいんの?」
「どうした櫛田。いやなことがあるなら話くらい聞くぞ」
「ナンパ?今なら私と付き合えるかもって?ほんと男ってキモいよね。勘違い甚だしいんだけど」
少年は「どしたん、はなしきこか?」などという下劣なミームは当然知らないのだが、櫛田桔梗という少女の自己評価の高さと、男子高校生のイメージから算出された結論は、いま自分をナンパしに来たごみという評価に落ち着いた。それが最後のターニングポイントとなることも知らずに。
「だれかに話したら容赦しないから」
「もし話したら?」
「あんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」
「冤罪だし、それ」
「大丈夫。冤罪じゃないから」
少女は少年の手を握り、自分の胸部に押し付ける。ゆっくりと慎重に、指紋が崩れないように。
「あんたの指紋、これでべっとりついたから。証拠もある」
両の手で、さらに押し付ける。
「私は本気」
少女の目には覚悟があった。対照的に、少年の目には何も見えない。美少女の胸に触れた歓喜も、冤罪を押し付けられた怒気も、犯罪者に仕立て上げられた恐怖さえ、見えない。
少年は少女に問いかけた。本当のお前はどっちだ。少女は答える。本当の私はこちらだ。堀北が憎く、馬鹿三人など退学してしまえばいいと思っている此方が、私の本心だ。
その答えを聞いた少年はおもむろにデバイスをポケットから取り出し、レコーディングを止めた。
「なあ櫛田?これがなんだかわかるか?」
少年の目には何も映らない。目の前の見目麗しい少女は、少年にとって使える駒の一つでしかないのだから。
「櫛田さん大丈夫か?」
「僕が声をかけても大丈夫の一点張りで、ちょっと心配だね」
「女の子にはそういう日もあるから、あんまり構い過ぎるのも良く無いのが難しいな」
「そ、そうだね」
平田ガールズには悪いが今日は平田との昼ごはんの時間は譲ってもらうことにした。ちなみに綾小路は話しかけたけど僕のことを憶えていないようだった。僕は泣いていいと思う。葛城と話して、現在クラスポイント0のDクラスにはある程度恩を売っておいても良いのではないかという結論が出たため、あの糞の役にも立たない過去問データを上げることにしたのだ。
「この前先輩から過去問のデータをもらったんだけどさ。見てくれよこれ。手抜きにもほどがないか?」
「本当だね。ここ最近のテスト全部同じなんだ。もしかして中間テストも同じだったり!」
「いやそれがそこだけ範囲ちげーんだよ。酷くない?今年から中間テストだけでも真面目に作ろうって話かね?」
「あーそうなんだ。うちのクラスは勉強が苦手な人が多いからそうだったら助かったんだけど」
ごめんな平田。僕らは君に親身になったって事実だけが欲しいんだ。まあ過去問挙げたから許してくれ。実質ゴミみたいなもんだけど。
「ごちそうさま。それじゃあBクラスにも用事があるから、またな」
「うん。過去問ありがとう。テスト頑張ってね」
「一之瀬さんいる?「「「「「「「「「帰れ!!!!!」」」」」」」」」失礼しました~」
計算通りである。葛城はBクラスに過去問を渡しに行くのを渋っていたが、僕が行けば葛城派閥はBクラスと協力しようとしていた事実だけが残る。のちにそれを知れば一之瀬はまるで小骨がのどに刺さったような気分になるだろう。善人だからな。ちなみにこの作戦のみそは平田に渡したすぐ後に彼女に話に行くところだ。同じ話題をしようとしてたんだよアピールになる。
「本願寺。二人はどうだった?」
「平田は相変わらずいい奴だったよ。すげえ貧乏くじ引かされてたけど、葛城も話してみるといいよ。頭も悪くないから話してて不快じゃないし、きっと気に入る。一之瀬さんって言うかBクラスは相変わらず。追い返されたよ」
「お前は一之瀬に何をしたんだ」
何もしてないよ。ただちょっと一之瀬さんに宗教法人に興味はないか質問しただけだよ。そしたら隣にいた神崎君と白波さんがキレ始めただけだよ。僕悪くないよ。
「カリスマ、教祖、傀儡、最高かよ」
「お前は何を言っているんだ」
「独り言だから気にすんな。それよりも僕が渡した課題どうだった?」
「もちろん回収してきた。しかしなぜ数学と英語だけなんだ。他の教科は見なくてもいいのか?」
「僕、他教科は死ぬほど暗記で解いてるからね。教えられることがあんまりないんだ。でもこの二教科は解くときのコツ、というかプロセスがあるからさ。それを教えてあげようってわけ」
数学は分かりやすいよな。足し算ができねえ奴は掛け算もできねえし、掛け算ができねえと図形問題とか確率とか解けねえからな。こういうのは順々に潰していくんだよ。
「まあ任しとけよリーダー。俺があいつらを一騎当千の猛者に仕立て上げてやるからよ」
「…勉強の話でいいんだよな?」
もちろん。ペンは剣より強いから、頭良くなったら戦闘能力も上がるってもんよ。
「今日はみんなに連絡がある。中間テストの範囲なんだが、少々変更することになった。いまから範囲変更のプリントを配るから、なくさないように」
うさんくせぇ!?わざわざデバイス配ってんのにメールじゃなくてプリントで配る理由もそうだが、なぜわざわざ履修範囲が終わってる範囲をテストから消すんだ?そんな疑問はプリントが回ってきた時点で霧散した。あーそういうことしちゃうんだ。なるほどね?
「葛城」
「わかっている。すまないがみんな少し教室に残ってほしい。坂柳の派閥もだ」
葛城は手に入れた過去問データ3年分と前回の小テストをプロジェクターに映しながら説明する。
「弥彦、本来テスト範囲の変更とはどういうときに行われると思う?」
「?授業でテスト範囲が終わらなかったときとかですかね」
「そうだな。他にも新しく新任の教師が授業ペースを間違えるなどがあるだろう。しかし前回の小テストは問題なく実施され、授業の進行はカリキュラム通りだ。つまり、今回のテスト範囲の変更はやや不自然なわけだが、その理由に過去問が関わっていると俺は見ている」
葛城の説明に半数の生徒は驚いているが、なんだ?もう半数の生徒はまるで占いが当たったみたいな表情をしている。…坂柳さんさぁ、なんかずっとニコニコしてるんだけどもしかしてさぁ。
「坂柳もしかして知ってた?」
「はい。まさか葛城君たちが気付いてなかったとは驚きです。私よりも1年分多くデータをもらっているのに?」
うおおおおお!!???葛城僕はこの糞女を殴るぞおおおお!!!なーにが「敵ですか?」だ!お前利敵行為どころかシンプルに裏切りじゃねえかあああ!!!
「落ち着け本願寺!坂柳を殴ったところでどうにもならない!正直俺もどの面下げて本願寺のことを敵とか言ってるんだとは思ったが堪えてくれ!」
許せねえ坂柳有栖。僕許せねえよ。だれか助けてくれよ。この裏切り女の動向探りながら別クラスを警戒しつつ綾小路を潰さなきゃいけないの?僕がもう一人ほしい。
うなだれた俺の肩にポンと手が置かれる。戸塚、お前…
「まあ落ち込むなよ。お前は葛城さんについてるし、いざというときは俺がいるからよ」
「お前僕が実施した数学英語の課題プリントどべだったんだけどしばき倒すぞ」
勉強なんか(必要)ねえよ。うるせえよ。黙れよ勉強なんか(必要)ねえよ。暗記こそが正義。勉強なんか、ねえよ。正しいのは僕
「その書き取り書き取りその書き取り、その書き取り書き取りその書き取り」
「本願寺君、だ、大丈夫?調子悪そうだけど」
弁当を作り忘れたので食堂で葛城と飯を食っていると平田が平田ガールズたちと一緒にこちらに来た。平田ガールズが俺を見て気味悪がっているのは何故?
「安心しろ平田。本願寺は5日前からずっとこんな調子だ。白目をむいてるように見えてほんの少し黒めが残っているから視界も確保できているらしい。上がり切った口角はもう気にしないことにした」
「ふっ、笑えよ平田。数多の情報を持ちながらシンプルに思考力で負けた無様な僕をよ。柔軟的思考力の、欠如っ!」
「えーっと、いまいち話が見えてこないな。何の話?」
どうやら本当に分かっていないらしい。平田ほどの男ならすぐに気づきそうなものだが。
「ほら、テスト範囲の変更があったでしょ?」
「はぁ!何それ聞いてな、ひぃ!」「うわっ」
平田ガールズの一人である軽井沢が俺に詰め寄ろうとしてくるが急に後ろに倒れそうになって平田に支えられる。大丈夫か?
「本願寺。急に真顔に戻るのはやめろ。戻ってくる黒目の動きが気持ち悪すぎる」
「平田さあ、5日前にテスト範囲の変更があった話聞いてる?」
「いや、Dクラスでは話されてないな。ちょっと茶柱先生に話を聞いてくる。皆は先に教室に戻ってて、まだ確証はないからくれぐれも話さないようにしてね」
「せっかくだから僕も行くよ。茶柱先生タイプだし。葛城はどうする?」
「俺も行こう。少々この学校のシステムに疑問を抱いていたところだ。教員に話を聞いてみたい」
茶柱先生は、友達に数分の遅刻を謝るかの如く謝罪した。
「ああ、そうだったな。伝え忘れていた。すまない」
「茶柱先生!いくらなんでもひどすぎます!僕たちの授業態度が酷かったことは認めますが、それでもこの学校の成績は僕たちの将来にかかわってくるんです!」
「ああ、だからすまんと言っているだろう。それともなにか?私が土下座したらお前の気分は晴れるのか、平田」
平田はまだいくつもの不満があるような、それを押し殺すような複雑な表情をして茶柱先生を見ている。
「茶柱教諭、プライベートポイントの補填はどうでしょうか?」
「何だ葛城。Aクラスのお前たちが一緒に此処に来たことも驚きだったが、まさか口まで出してくるとは。お前はどの立場で意見しているんだ?」
「Aクラスである前に私たちは3年間切磋琢磨するライバルであり、平田は良き友です。友が悩んでいる時にいずれ敵になるからと見捨てるような男にはなりたくありません」
「ふむ、しかし以前お前がDクラスとは無関係であることに変わりはない。違うか?」
ちょぉーっと葛城君かっこよすぎかぁ?このままだと平田の親友ポジが葛城の者になってしまう!ていうかちょっと前にいい奴だよって話したばっかりなのにたった5日で仲良くなり過ぎなんだよなぁ。しゃあねえ、手助けしてやるか。
「であれば茶柱先生。同じ学校の生徒として意見さてもらいましょう。今までこのような事態はありましたか?」
「ああ、今までもこういうことはあったな」
葛城と平田が驚いた顔をしている。でも冷静に考えりゃこれDクラスへのトラップないし救済措置なんだよな。でなけりゃわざわざ学年主任の真嶋先生がメールを一斉送信しない理由がない。
「なら過去にこの問題の補填としてクラスポイントやプライベートポイントが払われたことがあったのでは?」
「…ああ、そういう年度はもちろんあった。しかしそれはポイントを補填して納得できる理由を学生が提示してきたからだ。平田、お前はどのように補填するのが適切だと思う?」
ここで平田に投げるのか。茶柱先生もしかしてツンデレ?
「佐―枝ちゃん!面白そうな話してるじゃん。私にも聞かせてよ」
「知恵、邪魔だけはするなよ」
なんだこのけしからんムチムチボディ、じゃなかった。誰だこの人。俺らの授業では見たことねえ先生だ。遠くから真嶋先生も見てるってことは別クラスの担任か?
「では、先生は5日テスト範囲を伝えられるのが遅れたら平均点は何点下がると思いますか?」
「ふむ、17~22点ほどじゃないか?」
「なら、今回の中間テストでもらえるクラスポイントを全員が22点上がった想定のクラスポイントをください」
「却下だ。担任の裁量ではクラスポイントを譲渡するのは非常に難しい」
「…なら、本来そのクラスポイントでもらえたはずのプライベートポイントを毎月もらうことは可能でしょうか?」
「毎月?土台無理な相談だ。そもそもお前たちはたった一か月でクラスポイントを0にした欠陥品だ。このクラスポイントも来月には0になっているだろう。せいぜい一か月分だな」
「わかりました。では一か月分のプライベートポイント「待った平田。まだ搾り取れる」?…!クラスポイントを入手すれば同時にプライベートポイントも手に入りますが、プライベートポイントを入手してもクラスポイントは手に入りません!なので本来もらえたはずのプライベートポイントをさらに倍額もらうことは可能でしょうか!」
「いいだろう。テスト終了後に各生徒にメールと共に振り込んでおく」
「ありがとうございます!」
すっかり昼休みは溶けて残り数分となってしまったが、やりきった顔の平田、真顔を維持しようとしているがやや口元がにやけている葛城。茶柱先生を見れて満足な俺。まあ有意義な休み時間だったのではなかろうか。
教員室をでた二人は肺の中に残っていた重苦しい空気を吐き出すように深呼吸すると、各々口を開いた。
「つ、つかれたー」
「本願寺、真面目なことを良いながら茶柱教諭の胸を凝視するのはやめろ。危うく噴き出すところだった」
「でもあんな服装で上からのぞき込めるチャンスがあるなら見るでしょ。胸のサイズにスーツがあってないんだって。真嶋先生もまじまじと見てたじゃん」
「それダジャレのつもりかい?あと見てたのは茶柱先生じゃなくて二人のことだよ」
ややふざけた話をしながら僕たちは別れて教室に帰った。そのあとの授業が全く頭に入らなかったのは3人だけの秘密だ。