白い部屋から出たとして   作:九頭竜 胆平

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本願寺解体新書

 冬休みに入って、1週間が経過した。本願寺が出したカードゲームは冬休み直前にリリースしたのもあって話題性が高く、第2弾の発売に向けて本人も忙しそうだった。

 

「あと2週間しかねえんだ。いやマジで悪いとは思ってるけど僕も余裕がなくてさ。葛城とか平田とか誘うのそっちでやってくれ。流石に今お前の面倒見てる余裕はねえわ」

 

 全身から噴き出した汗が蒸気となっている人間加湿器はそんなことを言って部屋から出てこなくなった。正直に言うと俺から二人を誘うのはハードルが少し高かったが、冬休み直前には二人を誘ってみる決心がついていた。そのタイミングなら予定があって断る口実になったりするだろうし、予定がすっからかんの時に断られるよりダメージが少ないと思ったからだ。別に俺の誘いが断られるとは思っていないが、一応保険としてそのタイミングが良いと思っただけだ。そんな予定が爆散したのが冬休み3日前、俺はその日から寝食以外のほぼ全ての時間をその読み物に費やしている。今日だってそうだ。明日は久しぶりに綾小路グループで遊ぶというのに、俺は睡眠時間を少しずつ削りながら、それを読み進めている。

 

「ホメオスタシスは新たに組み込んだAlteration cellには存在しない機能のため、肉体変化量は現在の肉体に許容できるAlteration cellの量と直結する。そのため、早急に解決しなければいけなかったのは免疫機能の確保と、温熱ストレスへの…」

 

 またこれだ。前提となる知識が足りてないせいで、他の論文を漁る羽目になる。どの論文から持ってきたか書いてあるものならすぐに読み終わるが、本人の頭から当然の知識として出されたものは何処から引っ張って来ればよいのかわからず多大な時間を要する。論文としては下の下の下であろうこれがそのままgoogle scholarに載ってしまった理由は、Alteration cellが既に幾人かの権力者に渡っていることと、論文を書いた本人が外界と接触できる場所にいないため、現在の粗のある状態でも、とりあえず載せるしかないという判断が下されたのだろう。

 恒常性維持(ホメオスタシス)は体を元に戻そうとする機能であり、これの機能が存在しないと体温調節や免疫機能などがおかしくなり体温を上げ続けたり、免疫応答が過剰になってあらゆるものにアレルギー反応を起こすようになったりする。

 

「汗腺から蒸気を吹き出しているところを見るとバグってるのは間違いない、間違い、無い、はず、なんだが…」

 

 何故あれで生命活動を維持できるか俺には答えを出すことができない。それはホワイトルームで学習した範囲を大きく超えたまさしく現代生物学の最先端であり、未だ正解と不正解が混ざり合った混沌の世界だ。ホワイトルームの学習はできるだけ間違った情報が入らないように研究途中のものや真偽が確かめられにくいものなどが排除されているため、こういった最先端のものは俺でも知らないものが多い。

 少し話は脱線するが、そんなホワイトルームでもたまに間違った情報を教えてしまうことがある。一番わかりやすい例としてはスタンフォード監獄実験である。新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けると、看守役は最初は指示の元だったが、だんだんと命じていない罰などを執行し始めたというものだ。

 話の流れから推測しただろうが、まあこれは嘘だ。看守役は刑務所長役に指導されていたことが音声からわかったらしい。これはホワイトルームではミルグラム実験に酷似した実験結果の例として挙げられたが、俺はミルグラム実験もどこまで信じて良いかこの結果で分からなくなっている。心理学は思考回路のパターン化をして当てはめていくものだが、対象が一人ならホットリーディングを応用した読心術の方がずっと正確性が高いし、複数人数を操るのも、正直心理学のデータを信用するよりヒプノーシスを使い集団の流れを作るほうが確実だ。正直いらない学問だと思っている。

 

 閑話休題(さて)

 

 話を戻すが、俺が読んでいる論文。『後天的遺伝子組み換えと人工的キメラ遺伝子作成』は、本願寺寺が複数の研究者と共に共同研究し書き上げた論文であり、最終的に安全性が確保されていない状況下で自分たちを被検体にした倫理コードぶっちぎりアウトの論文は今、特定の学問分野の人間を一斉に興奮の渦に陥れ、後追いで倫理コードをぶっちぎる可能性のある犯罪者予備軍を大量に呼び出すとともに、本来ならば世代を超えて遺伝子変化していく()()退()()という事象を、生物個体が一生の間に変化する()()で抜き去るどころか本当にぶっちぎっていく理論が書かれたどう考えても今世紀最大の厄ネタだ。

 この論文の内容自体は馬鹿にはわからないが、この論文が広まればどうなるかは馬鹿でもわかる。遺伝子改造を行った人間と行っていない人間が差別しあい、SFでよく見る新人類VS旧人類の戦いが秒読みで発生するだろう。先天的遺伝子改造であるゲノム編集をヒト胚に使用することは倫理的観点で禁止されているが、禁止されていないのを良いことに一斉に新人類(仮称)になった前例があるのが最悪だ。研究者たちが自分たちを対象にAlteration cellを肉体に組み込んだことと、研究者の名前の中に本願寺の名前があることから、時間が立てば日本陸上競技連盟も黙っていないだろう。日本各地の野生の馬を育てて競わせていたところに品種改良したサラブレッドをぶち込んだようなものだ。本願寺が取ったあらゆる記録が2、3年後にはすべて抹消されることだろう。

 組み込んだ研究者の4分の1が死んでいる悪魔の発明Alteration cellについて書かれたその論文は無駄を省き、無駄じゃない部分もいくつか省いているせいで、難解すぎる論文として俺の前に立ちはだかっている。俺の手駒である茶柱は早々に知恵熱をだしてダウンし、俺と同じく最速でこの存在に気づいた同志坂柳は、「ちょっともう無理です。この論文は人類には早すぎました」と言って解読を放棄した。

 

「タンパク質の異常増殖を防ぐこと自体を止め、発生した癌細胞を本来過剰になる筈だった免疫機能で抑制することで、体力の消費は組み込む前の比ではなく…」

 

 なぜあの日俺は本願寺を殴ってでも止めなかったのだろうか。馬鹿なカードゲームの第2弾なんか作らせなければ俺の冬休みはこんなに削れることなんてなかった。2ページに付き他の論文を探し出して読まなければならないこの作業も、本願寺がいれば聞くだけで解決するはずだ。

 

「誰か…助けてくれ…」

 

 俺の呟きは朝日に吸い込まれるように消えていった。

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