未来から転移してきた最強兵士、アイドルになった元上官と渋谷駅前にて再会す 作:オムライス2000
「あ、ジロー、起きたか!」
まどろみから浮かび上がった僕の耳に、心地よい声が響く。
嗅ぎ慣れた匂い。木製の天井。漆喰の壁と、そこに貼られた一枚のポスター。僕は少しばかり痛む体を起こした。掛け布団が体からずり落ちていく。
そこは見慣れた少尉殿の部屋だった。昨日退院してようやくこの部屋に戻ってくる事ができたのだが、こうして見渡してみれば、06と共に戦った事が夢の中の出来事の様に感じる。ずっとここにいたような気分になるのだ。
「丁度起こそうと思ってたんだ。昼ごはん、食べるだろ」
エプロンを身につけた少尉殿が、料理をちゃぶ台に並べながら輝くような笑顔を浮かべている。少尉殿の声はピンク色だった。声に色が着いているなんておかしな話だが、間違いなくそう感じる。
「……どうした、ジロー。どこか痛むのか?」
表情を曇らせてこちらを伺う少尉殿に、僕は慌てて笑顔を作った。
「大丈夫です、ハナさん。今起きます」
少尉殿の表情がクルクルと変わる。今の顔は不満を全力で表明していた。
「さんはやめろ……ハナって、呼んでくれ」
徐々に言い淀み、顔を赤くしていく。その様子を脱力しながら眺めつつ、僕はこの短期間に起きた急激な変化に戸惑うほか無かった。
※
少尉殿が変になってしまったのは、六日前、彼女と病室で再会した時からだ。
西陽の眩しさで目を開くと、僕の頭のすぐ隣で少尉殿がつむじをこちらに向けていた。寝台に突っ伏しているその寝顔を覗き見て、胸が一杯になった事を覚えている。
そんな幸福な時間は長続きしなかった。僕の身動きで少尉殿が起きてしまったのだ。目覚めて視線を合わせるなり、彼女の目が三角形になっていく。少尉殿は怒った。それはもう、泣きながら滅茶苦茶に怒りまくった。その怒りがようやく鎮火してきた辺りで日本語が分からない事を共通語で伝えると、今度は共通語で同じだけ怒られた。
怒鳴りすぎて、さすがの少尉殿も疲れ果てたらしい。その後は落ち着いた調子の質問が続いたのだが、幸いにも「記憶喪失を盾にしろ」という06の指示が頭に残っていたお陰で、覚えてませんの一点張りで押し通し続ける事ができた。
そんな不毛な会話が途絶えるのを待っていたかのように、どう見ても一般人の体格じゃない白衣の男が入室してきた。そいつは僕らを見渡した後で、少尉殿に何やら話し掛け始める。言葉が分からないため何を言っているのか不明だったが、時折こちらに向けられるそいつの目が念を押していた……絶対に忘れたフリでやり通せと。
白衣の男が去った後で何だったのかと少尉殿に聞いてみれば、僕の容体に関する説明だった。僕の記憶が戻る可能性はほとんど無いと言われたそうだ。どんなヤブ医者だとツッコミたくなるが、なんと、それを信じ切ってしまった少尉殿の表情は絶望で一杯だった。目には溢れそうになっている涙が夕陽を浴びて輝いており、引き結んだ唇からは嗚咽が今にも漏れ出て来そうだった。
打ちひしがれている彼女を見るのは、どう表現して良いか分からないほどの苦痛だった。苦痛のあまり、僕の耐用年数がどんどん短くなっている気がする。彼女が悲しんでいる事だけでも我慢ならないのに、その発端が僕の嘘なのだ。いつまでもこんな嘘を貫き通せるとはとても思えず、心は早くも折れかかっていた。
ところがだ。
一夜明けた少尉殿は、前日までの落ち込みが何かの間違いだったかのように顔を輝かせていた。
「事故なんだし、忘れてしまったのは仕方がない。だが、私達の関係まで無かった事にはしたくないんだ」
こちらに向けられた彼女の目は座っていて、何か重大な覚悟を決めたような気迫が伝わってくる。
「二人で頑張って、元の暮らしを取り戻そう」
勢いに押されて何も考えずに頷いた僕に、上目遣いの彼女は深呼吸のあとで言葉を続けたものだ。
「まずな、私と貴様は婚約している。結婚する予定なんだ」
※
「ほら、ジロー。ご飯粒が着いてるぞ」
少尉殿の声で、僕は我に返った。
ちゃぶ台の向こうに座る少尉殿が僕の口元に手を伸ばし、つまんだ米粒を自分の口に運ぶ。
喜色満面の彼女を見ながら、僕は心の中で首を傾げていた。これが「取り戻すべき以前の生活」なのか?彼女の説明によると、結婚を約束した僕らは『ソウシソウアイ』で、お互いを『デキアイ』していたという事だった。どちらも共通語に無い単語であるため彼女は説明に四苦八苦していたが、要するに今の少尉殿のような振る舞いがそうなのだろう。
僕はようやく理解した。少尉殿はこの機に乗じて、僕らの過去を自分の望む形に変えたいと考えているらしい。僕は彼女の嘘に乗っかるつもりだった。それが償いになるかもしれないと思ったのだ。
結婚したら直ぐに『子供』を作る予定である、という言葉を彼女から聞くまでは。
僕は今、恐ろしく間抜けな顔をしていると思う。対する少尉殿は真っ赤にした顔を綻ばせている。これほど幸せそうな彼女を見るのは初めてだった。
「きっと楽しいぞ。三人でやりたい事がいっぱいあるんだ。たくさん愛情を注いでやりたいし、幸せにしてやりたい」
僕は眉根を寄せながらそんな彼女に言葉を返す。
「ハナ、子供はどうやって製造するんですか?」
大きな音が響く。少尉殿が手に持っていた茶碗を落としたのだ。
「せっ……」
「工場が無いし、無理なのではないでしょうか」
少尉殿の動揺が一瞬で収まった。
彼女はしばし僕を呆れたような表情で見ていたが、やがてちゃぶ台から茶碗を拾い直すと不味そうな顔で米を口に運ぶ。
「……なぁ、軍……ジロー。この世の中には子供が溢れ返ってるよな?あの子たちはどこから来たんだと思う?言っとくが工場じゃないからな」
「不勉強で恐縮です、少尉殿。では一体どこで製造されているのでしょうか」
「こいつ……!!」
肩をいからせた少尉殿は茶碗の中身を睨んでから掻き込むと、空になったそれをちゃぶ台に勢い良く置いた。
俯いている少尉殿から、地の底から響くような声が押し出される。
「……いいだろう。どうやって製造されるか教えてやろうじゃないか。だが事を始めるにしても、貴様の体が完全に治ってからだ」
顔を上げた少尉殿の目は血走っていた。
「せいぜい覚悟しておくんだな」