未来から転移してきた最強兵士、アイドルになった元上官と渋谷駅前にて再会す 作:オムライス2023
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あれから二日が過ぎた。
少尉殿は相変わらず子供が欲しいとゴネ続けている。反対し続ける僕から同意を引き出そうと躍起なのだ。
この二日間、僕は頭が痛くなるほど真剣に悩み、いかにして少尉殿を説得するか検討し続けた。しかし伊達に彼女との付き合いは長くない。何を言おうが絶対に諦めないであろう事が嫌でも分かってしまう。ちゃぶ台の向こうで懇願し続けている少尉殿を前にして、僕の苦悩は限界に達しつつあった。
そんな時だった。子供子供と腕を振り回して喚く少尉殿を死んだ目で眺めながら、僕は気づいてしまったのだ。
これ、適当に流しておけば良くないか?
どうせ将来の事だろう。その時にまた考えればいい。
僕は自分の閃きに衝撃を受けて愕然とした。第三者が聞けば何を大袈裟なと笑うかも知れないが、これは紛れもなく僕に巨大な変化が起きている証拠だった。
これまでの僕は、遭遇した困難に対して常に誠実に向き合おうとしてきた。例えそれが制空権の取れていない戦域への降下といった、バカげた自殺行為であってもだ。右から左に流すなど及びもつかぬ考えだった。いや待て、それ以前に僕は少尉殿に平気で嘘を吐き続けているじゃないか。以前ならば天地がひっくり返っても考えられなかった事だ。
味の分からない食事を継続しながら、この変化が起きた原因を検討する。結論までにそれほど時間は掛からなかった。
間違い無く副脳の停止が原因だ。
考えてみれば当たり前の話だ。僕らは兵器である。思考はある程度制御されていて然るべきなのだ。副脳がその制御を担っていたという事なのだろう。
無反応になった僕に焦る少尉殿をよそに、僕は足元が崩れるような感覚に肌寒さを感じていた。
※
あの日から、僕は自分に起きた変化をつぶさに観察し始めた。これまでの僕は、思考だけではなく五感という入力に対しても副脳のアシストを受けていた。アシストと言えば聞こえが良いが、本質的には緩やかに支配されていたと言ってもいい。
こうして布団の上から眺めている見慣れた天井でも、その変化を確認する事ができる。意識しながら目を向けていると、天板の模様のいくつかが人の顔に見えてくるのだ。これまでは気づけなかった。副脳が『天井』というタグ付けを完了したら、あとはそのタグを見るだけで事足りた。そのタグの向こうにある天井が、どんな細部を持つのかを深く知らずに生きる事が出来ていたのだ。
身の回りのつまらない物ですらこうだ。少尉殿という最も重要な対象に至っては、気が遠くなるほどの数の新たな発見があった。彼女の持つ造形、振る舞い、香り、そして何よりもその表情。笑顔一つ取っても同じものは二つと無い。今の僕はそれらの膨大な情報に圧倒され、処理しきれずに溺れているような状態だった。
布団の上で、携帯を胸に抱きつつ考えあぐねる。06に相談したい。だが何をどう話すんだ?どうしたって驚きを報告する通話に終わるだけだろう。
枕元の時計へと視線を向けると、そろそろ少尉殿が仕事から帰ってきそうな時刻だった。相談を諦めた僕は、携帯の電源を切ってノソノソと起き上がり、押入れから衣類の詰まったケースを引っ張り出す。暑さが本格的になり始めている今、厚手の衣類が納められてるこれが開かれる可能性はまず無いと考えて良い。蓋を開けて奥深くに携帯を突っ込むと、全てを元に戻してから布団に戻る。毎度面倒ではあるが、携帯を少尉殿に発見されたら大変な事になる。これくらいの手間は致し方ない。
案の定、一時間もしないうちに少尉殿が部屋に戻ってきた。彼女はただいまと声を張り上げながら勢いよく居間に入ってくると、体を起こした僕にチラチラと視線を向けながらちゃぶ台の上に何かを置く。
妙に慌ただしく台所へと戻っていく彼女を訝しみながら見送った後、僕はちゃぶ台に残された物へと視線を向けた。鮮やかな色彩の本が一冊置かれている。少尉殿が好んで読んでいる週刊青年誌というやつだ。その表紙を飾っている人物が誰なのかを識別した瞬間、僕は思わず立ち上がっていた。
表紙の中で、少尉殿がぎこちない笑みを浮かべながら佇んでいる。
その胸部と下腹部を覆っている真っ白な布は申し訳程度の面積しか無く、色素の薄い少尉殿の肌に溶け込んで何も着ていないようにすら見える。
困惑しつつも膝をつくと、僕は雑誌を手に取って表紙をめくる。次に現れたのは別の少尉殿だ。鮮やかな青空を背にして、躊躇いの表情を浮かべながら両腕で体を隠そうとしている。
「……少尉殿。これは一体何ですか」
驚くほど平坦な声が出た。
だが少尉殿はその温度に気がついていないのか、買い物袋を漁りながら能天気な声で返答してくる。
「綺麗に撮れてるだろ?沖縄で撮影したんだ!その本は超メジャーで三十万部は発行されるんだぞ!」
声を聞きながら僕はページをめくり続けた。水辺で弾むように走る少尉殿が、次のページでは水の中へと派手に転んでいる。そんな躍動感や生命力を感じさせるページの合間に、日陰で気だるげに視線を迷わせるような静かな一枚が幾つか紛れ込んでいる。
最後のページ。僕は手を止めて見入った。
夕陽を背にした少尉殿が、大気の中に消えてしまいそうな淡い笑みを浮かべている。こちらに向けたその瞳には、見る者に切実な何かを問うような熱が込められていた。
理解不能な感情が、胸の中で湧き上がり始めていた。雑誌を掴む手に力が入り、紙の中の少尉殿が波打って歪む。
……これを三十万人が見る。
鼓動が早くなり、視界が暗く、そして狭くなっていく。
今の感情をどう名付けるべきか分からない。だが間違いなく、この黒く煮えたぎる不快感は今まで味わった事がない種類の物だ。
抑えきれない衝動が背中を押してくる。僕は閉じた雑誌をちゃぶ台に叩きつけて台所に駆け込むと、少尉殿には目もくれずに扉を開けて外へと飛び出した。
※
出鱈目に走って、走り続け、気がつくと僕は荒川の土手へと続く階段の前に立っていた。見上げた土手の上では、まばらな黒い人影が赤い空を背景にして行き交っている。
息を整えているうちに、足の裏が痛い事に気づく。そういえば裸足じゃないか。案の定、細かな切り傷がいくつも出来てしまっていた。
何をしてるんだ、僕は。
忌々しさをため息で押し流すと、僕は痛みに眉根を寄せながら階段を登っていく。
登りきったその向こうには、夕陽を反射して赤熱している雄大な河が横たわっていた。ぼんやりと見惚れている僕の前を何人かが通り過ぎるが、彼らは一様にこちらを凝視しながら去っていく。着崩れた寝巻き姿の男が裸足で立っているのだ。それは奇異に映るだろう。
どうでもいい。
土手の上の道を横切って、草が生い茂る斜面に座り込む。
無心に走り続けた間に、どうやら胸の中に詰まっていた不快感が薄れたようだ。だいぶ落ち着いているのが自分でも分かる。
だが、そんな平穏はしばらくの間しか続かなかった。こうして座りながら膝を抱えていると、雑誌の中の少尉殿が次々と脳裏に浮かんでは消えていく。僕の思考はまたも負の循環に陥り始めていた。
「ぐん、そう」
やがて響いた聞き慣れた声に、僕は振り返った。そこには髪を振り乱し、肩で息をしながら膝に手を置いている少尉殿の姿があった。俯き加減の顔に浮かぶ表情はいかにも苦しそうだ。
「この、バカが!!貴様は、怪我人だぞ!!」
息も絶え絶えに叱責する少尉殿から視線を外し、僕は再び川面へと向き直った。彼女の顔を見たせいで更に怒りが増していく。訳が分からないが止められない。
少し戸惑った気配の後で、まだ息の荒い少尉殿が僕の隣に腰を下ろした。視界の端に、こちらを覗き込んでいる少尉殿の顔が映る。
「軍曹、一体どうした」
分からない。
分からない以上は事実を端的に述べるほか無い。
「……雑誌に載っている少尉殿を見て、とても不快な気持ちになりました」
「なんで!?!?」
叫んだ少尉殿は派手にひっくり返り、バランスを崩して土手の急斜面を転がり落ちていく。だいぶ下の方でようやく止まる事に成功した彼女は、草まみれになった髪を邪魔そうに跳ね除けながら必死に土手を登り始めた。
「なんでだ!!セク……綺麗な写真だっただろ!?」
こちらを見上げる少尉殿が不満げな顔で叫ぶ。
僕はきつく拳を握り込んだ。綺麗という言葉だけでは終わらない。あの青と白の世界には、見る者を一瞬で引き込むほどの力があった。
だがそんなのはどうでもいい事だ。例え少尉殿の姿が恐ろしく醜かったとしても、結果は何も変わらなかっただろう。
「確かに綺麗でした。とても」
僕はそう言いながら立ち上がると、少尉殿に背を向けて土手を下る階段へと歩き始めた。