「滝野優二郎くん」
担任の佐田先生に呼ばれて、僕は返事をしながらイヤイヤ起立した。先生が手に持ってるのは通知表だ。あれを僕に渡すつもりみたいだけど、本当にいらない。なんとか受け取らずに帰る方法は無いのか。
無かった。学校からの帰り道を歩きながら、僕はもう一度通知表を開いてみた。やっぱりBとかCばっかりだ。明日から夏休みなのに気分は最悪だ。オヤジはどうでもいいけど、母ちゃんは死ぬほど怒ると思う。
この通知表じゃ、十一歳の誕生日プレゼントは良くて野球グローブ、悪くて辞書か参考書だと思う。どっちも置き場に困るだけだ。スイッチ4がどうしても欲しかったのに。この世の全てがイヤになってきた。
帰りたくなかったから、だいぶ遠回りして家にもどった。
僕んちは新北赤羽の駅前でゲーム屋をやってる。母ちゃんに見つからないように店の中に入ると、またあの子がいた。
たぶん僕と同じくらいの年だと思う。もう何日も来てて、スイッチ3のゲームコーナーにずっといる感じだ。おかっぱ頭と赤いランドセルの後ろ姿が何時間も立ってるから気になってたんだ。
分かる。
ゲームを買うのはゼッタイに失敗できない。
年に一本か二本くらいしか買えないから、クソゲー買っちゃったら一年じゅうクソゲーを遊ぶことになるんだ。なんでこんなの買ったのって毎日苦しむことになる。あと、クソゲーなんてだれも借りたがらないから、ゲームの貸し借りがすごく大変になる。
どうしてクソゲー作るの?やめてほしいと思う。
僕は女の子が何を選ぶのか気になって、女の子の近くの棚の後ろにかくれた。いつの間にか、仲間を見守るような気持ちになってた。
だいぶ長い時間、ハラハラしながら待った気がする。僕はきんちょうした。ついに女の子がソフトを持ってレジまで歩き始めた。でも手に持ってるソフトがサイアクだ。『レジェンズ伝説』じゃん。こんなに考えてそれ?なんでだよ!
気が付いたら、僕は女の子の前に立ってた。
「それダメ!絶対ダメ!!」
びっくりして不思議なおどりみたいな動きをしてる女の子に、僕はそいつがどれだけ危険なクソゲーなのかを全力で説明し始めた。説明しながら気づく。この子めちゃくちゃかわいいんだけど。
「あの⋯⋯ありがとう」
女の子にそう言われて頭の中が真っ白になった。その後はあんまり覚えてないんだけど、僕らはいつの間にか、僕の部屋で一緒に『レジェンズ伝説』を遊んでた。
生まれてはじめて、クソゲーを買っといてよかったと思った日だった。
※
「ハナ、帰ろう」
「うん」
カバンに教科書を詰め終えた花子が頷いた。その笑顔を目にした僕は、心臓を掴まれて呼吸ができなくなる。
僕の部屋で一緒にゲームを遊んだあの日から、花子とは七年近い付き合いになる。
元々可愛い花子だが、高校に入って更に、信じられんくらい可愛くなった。見た目はもちろん、仕草も表情も考え方も、それぐらいでもう可愛くなるのをやめとけと言いたくなるくらいに可愛い。
花子の事を地味だの暗いだの言う奴らが居るが、そいつらはマジで目が腐ってる。何人かの女が花子よりも自分の方が良いみたいな事を僕に言ってきたが、あいつら僕を怒らせて何がしたかったんだ。
「冬休みはどうする?」
「ジロちゃんちで一週間耐久ゲームする」
「部活とバイトがあるから一週間耐久は無理だわ⋯⋯年末なんだし、なんか特別な事しないか」
「特別?」
花子が興味津々な表情で顔を近づけてくる。
やめろ。殺す気か。
「あー、そうだな、恵比寿のイルミネーションとか、渋谷のカウントダウンとか」
花子の顔がどんどん渋くなる。心から嫌がってる顔だ。
「⋯⋯ジロちゃん。それ本気で行きたいの?」
「いや、全く」
「じゃあゲームでいいじゃん」
いや別にいいんだが、なんかこう、特別感がほしい。それに渡したい物がある。ゲームやりながら渡すのはなんか違う。
「普段と違う事がやりたいんだよ」
花子は口をへの字に曲げて目を強く閉じた。真剣に考えている時の顔だ。
「⋯⋯じゃあ、初日の出を見るイベントを追加しよう」
「どこでさ」
「荒川の土手」
全く特別感がないし、全くキラキラしていない。
だがまぁ、そんなもんか。
「⋯⋯そうするか」
「そうする!」
鼻を鳴らす花子に、僕は苦笑いするしかなかった。
※
花子と僕は、家族ぐるみの付き合いをしている。僕らが遊ぶようになったら自然とそうなってた。今年の大晦日も僕ら一家は花子んちに押しかけて、コタツを囲みテレビを観ながら過ごしていた。
「ジロちゃん、そろそろ行こう」
「ん、ああ」
隣に座る花子につつかれて、僕は時計を見上げた。夜中の三時を回ったあたりだ。
「早くないか?日の出まで四時間くらいあるぞ」
「歩きながら喋ってたら四時間なんてすぐだよ」
また無茶を言いだした。そんな訳あるか。
僕はどうしたものかと母ちゃんの方に視線を向ける。
「気をつけて行ってきなよ」
「優ちゃんケンカ強いんだから大丈夫よ」
まだまだ飲む気らしい母ちゃんたちが、怪しい呂律でそう言った。できればこんな時間の外出は止めてほしいんだが、オヤジ達もとっくに潰れてるしで誰も止める奴がいない。
渋々玄関を出て歩き始めると、さすがの寒さだった。僕がマフラーを引き寄せる一方で、花子は前を元気に歩いている。跳ねるように、踊るように。時折振り返ってはこちらに笑いかけてくる。億劫だった気分が簡単に解消されてしまい、僕は自分のお手軽さを改めて自覚した。
この辺りは漂流物の被害で一度区画整理されているから、川までの道は一直線だ。ほどなく川に到着して土手に上がった僕らは、二人並んでその向こうの景色を眺めた。
銀色の月が雲を照らしている。
寝静まった街が対岸に佇み、風もなく、音も無い。
ただ月光を受けて輝く川面だけが、ざわめくように揺れつづけているだけだった。
「きれいだね」
花子がつぶやく。
いや、お前の方がよっぽど綺麗だろ。コイツに今から告白するのか。まぁ失敗することは無いと思うが、それでもだいぶ身の程知らずな事をしようとしている気がする。
「あのさ、これ」
僕は花子へと手を差し伸ばした。開いた掌には銀色の花がついた指輪が乗っている。何日かのバイト代で買った安物指輪だ。
「あたしに?」
僕が頷くと、花子は壊れ物にでも触れるみたいに、そっと僕の掌から指輪をつまみ取った。まじまじと指輪を見つめる花子に、僕は覚悟を決めて口を開く。
「好きだ、ハナ。俺と付き合ってくれ」
僕の言葉に花子は目を丸くした。
「…………今さら?」
「え?いや、まだ言ってなかっただろ」
「着けて」
花子が指輪を差し出してくる。受け取った僕は、それを慎重に花子の薬指に通した。すると花子はしげしげと指を眺めながら、独り言のようにぽつりとこぼす。
「何も変わらないね」
おいおい、まさかの失敗かよ!!
少しは感激してくれるかと期待してたのに、この反応の薄さは無いだろ。
「なんだよそれ、こっちは一世一代の告白のつもりなんだぜ?!」
「なんだよそれ、って、こっちのセリフだよ!告白とかいつの話してるの?あたしはとっくに結婚まで確定してると思ってたんだけど」
は?
「むしろ今までどういうつもりで付き合ってたのさ。友達?そっちのほうがひどいんだけど」
そして、指輪をはめた手で俺の腕を掴みながら言う。
「あのねジロちゃん。言っとくけど、ジロちゃんはとっくにあたしに捕まっちゃってるから。もしジロちゃんがあたしを嫌になって逃げても、気が遠くなるくらいずっと遠くに行ってしまったとしても、あたしはジロちゃんを追いかけるよ。何年でも、何千年でも、何万年でも、生まれ変わって追いかけて、絶対にまた捕まえる」
「な……なんだそれ」
月の光にも負けない、輝くような笑みを浮かべて花子が言う。
「告白の返事だよ」
なぜだ⋯⋯嬉しいはずなのに。
猛烈に悔しい。僕が言うはずだったことが、コイツに全部奪われた気がする。
「俺だって……」
「はいはい、ジロちゃんの気持ちは知ってるから。この指輪は一生外さない。なので、もう指輪は買わないでね。かわりに二人で遊ぶ用のゲーム買って」
物凄い敗北感に打ちのめされながら、僕は再び歩き始めた花子の後を追う。やがてたどり着いた花子オススメの日の出スポットに腰を下ろすと、僕らは朝が来るのを待ち続けた。
まだ少し悔しい思いをくすぶらせながら、僕の足の間に納まった花子を抱きかかえる。柔らかな体温が心地良い。僕らは互いの頭をそれぞれの肩に乗せ合い、揺れる水面を眺めながら無言だった。
やがて、東の空が赤く燃え上がり始めた。
風が吹き、土手の草が一斉になびく。
「⋯⋯ジロちゃん、なんで泣いてるの」
花子のささやき声。
僕は慌てて目許を拭う。ほんとだ、なんで泣いてる。
さっぱり分からない。
でも。
「⋯⋯お前も泣いてるじゃん」
花子の頬が、朝日を受けて金色に輝いていた。花子も意外だったようで、僕と同じように顔を拭い始める。
「なんだろこれ……安心したから、かな」
なぜか、花子の安心という言葉が何の抵抗もなく胸に落ちた。
何に怯えていたのかは分からない。
ただその何かが、たった今終わった事だけは分かる。
深い充足感、いや、達成感だろうか。僕は長い息を吐いた。
僕らはあたたかな光を浴びながら、互いの呼吸を感じていた。
やがて日がすっかり昇り切ったころ。
花子がこちらを振り返って言った。
「⋯⋯ねぇジロちゃん。あたし子供が欲しいな。きっと楽しいよ。三人でやりたい事がいっぱいあるんだ。たくさん愛情を注いであげたいし、幸せにしてあげたい」
「なんだよ急に。……まぁ、大人になったらな」
「もうすぐだね」
「からかってんな?やめろよ」
僕は花子の腕を引いて立ち上がらせた。
「帰ろう、ハナ」
「うん、ジロちゃん」
笑みを交わした僕らは、再び歩き出す。
河川敷のどこまでも続く道を、二人で手をつないで。
〈終〉
これにて、完結です。
ここまで読んでくれた人は本当に少ないです。
読みづらい話だったんだなと思います。
だからこそ、あなたが最後まで読んでくれた事にとても感謝しています。
ありがとうございました。
どうか、心の片隅に二人を住まわせてやって下さい。