[完結]拝啓パパ上マエストロ様。トリニティでも私は元気です。   作:がくらん

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遊園アオ、2年生の年度末ごろのお話。
いつもより少し長いです。




ホシノさんのアルバイト

 

 

 昔から私は、よく黒服さんの実験のお手伝いをしておりました。

 

 お手伝いといっても私がなにか手を動かしたり、頭を使ったりする訳ではありません。

 黒服さんの実験室、机も壁もなにもかもが、黒く透き通ったガラスのような材質でこしらえられた室内にて。

 照り返す暗めの蛍光灯と、目に悪い感じのする赤い間接照明にさらされて。

 電極なのかなんなのか、よくわからない線やら管を、胴とか頭なりにくっつけられて。

 ただ、ぼーっと寝転がっていただけなんですけどね。

 

 ある日……うーん、だいたい私が2年に進級するかどうかという時期だったでしょうか。

 いつものように実験を始めて、固い実験台に仰向けでいて、しばらくのこと。

 私はそれまでになかった感覚を覚えます。

 

 なんだか、お腹の真ん中よりちょっと上のあたりの、鳩尾とも違うよくわからない場所から。

 なにかぼんやりとした“もや”が、コネ固められて形を作って、ずいっと抜けていくような。

 痛がゆいような、こそばゆいような……どうにも地味な不快感を抱いて、思わず抗議の視線を傍らの黒服さんに向けますと。

 

「これは……すばらしい! クーックックックックックッ……!」

「……うわぁ」

 

 見たことのないほどに大興奮で、裏返りかけた高音の笑い声をあげる黒服さんがそこにいました。

 白く走った顔のヒビからはなぜか大量の光が漏れだし、直線的な白い煙を吹いているみたいになっていまして……

 うーん、正直ちょっと気持ち悪いですね……

 

「クククッ……! アオさん、こちらをご覧ください……!」

「それは……小瓶? あ、なにか入っていますね……青く光る液体? もやもや……?」

「これはあなたの「恐怖(テラー)」ですよ。特別なミメシスたるあなたを介して、とうとう「恐怖(テラー)」の抽出と物質化に成功したのです……!」

「……てらー? それってすごいんです?」

「もちろん! いままでの私の研究でも、もっとも実用に近い技術を確立できたと言って過言ではないでしょう」

「はへー、そうなんですねぇ」

「アオさん、あなたには格別の感謝を……!」

「あ、いえいえおかまいなくー」

 

 実験ではいつも天井を眺めていたばかりで、特段なにもしていなかった私です。

 正直に言うとあんまり実感が湧きませんが、なんだか大成功みたいです。

 

 黒服さん、ちょっとテンションが高すぎて怖いので、もう少し離れていてほしいのが本音ではありますが……

 まぁ、なにかがうまくいったのなら、それはそれで、よかったよかった。

 

「私の当初の想定では……生徒の「神秘」に「恐怖」を付与するならば、対象の生徒に負荷を与え、内在性の「恐怖(テラー)」を表へと顕現させる必要がありました」

「あ、なんか語るモードに入りましたね」

「ですがこの外用「恐怖(テラー)」を用いれば……より自然な状態の生徒に「恐怖(テラー)」を施用することができましょう」

「おーい、くろふくさーん、戻ってきてくださーい」

「若干スランピア由来の「歓喜」の概念も不純物として混ざっていますが、許容範囲でしょう。後は極めて強大な「神秘」の持ち主……暁のホルスの協力さえ得られれば……私の仮説は……! 崇高への到達が……!」

「あー、だめですねこれ。完全に自分の世界に入っちゃってます」

 

 手のひらサイズの小瓶を眼前に掲げた黒服さんは、それはそれは、とってもご機嫌です。

 うわごとのように、研究? 実験? 真理? についての諸々を語りますが……

 私には知識が足りなくって、なにを言っているのかあんまりわかりません。

 

 今ならこっそり実験室を抜け出して、パパのところに帰ってもばれないでしょうか。

 この黒服さん、体中からモウモウと光の“もや”を漏らしていますし、なんか目がいつもの3倍くらいで光っていまして。

 まぶしいし、煙いし、うるさいし、の三重苦。最悪です。

 

「アオさん!」

「うわぁ! いきなりなんですか!」

「いえ、すみません。私としたことが。どうにも興奮を抑えきれず、お見苦しいところを」

「あ、自覚はあったんですね」

 

 少しは光が収まってきた黒服さんが、その名前の由来になった真っ黒のスーツの襟を、ぴっと引っ張って整えます。

 よかった。まだちゃんと理性は残っていたんですね。

 

「アオさん。聞くところに寄れば、近頃はトリニティの外とも交流をお持ちのようで……ときにアビドス高等学校には、どなたか知己はお持ちでしょうか?」

「あー……残念ながら、アビドスにはまだちょっとご縁がありませんね。でもせっかくですし、なにか都合を見つけて行ってみることもできますが……」

「ああいえいえ、そこまでの頼みではございません。あくまでなにかのついでに、さりげなくで構わないのです」

「と、いうと?」

 

 黒服さんはどこか遠くを見るような、夢を語る少年のような、純真さを感じさせる声を発しまして。

 私にひとつの頼み事を託します。

 

「アビドスの小鳥遊ホシノ……彼女にはぜひ私の実験へ協力をしていただきたいのですが……お恥ずかしながら、幾度となく声をおかけしても、なかなか良い返事をいただけませんで」

「実験? 黒服さん念願のテラー化のやつです? ってことは、いわば治験のアルバイトみたいな?」

「そのような認識で、()()()()()間違っておりません。最終的には確実に協力していただけるよう、方々で準備を進めてはいるのですが……」

「ほほうなるほど、それでも手段は多い方が良い、と……。ふふふ、ではこのアオちゃんにお任せくださいな!」

「それはそれは、頼もしい限りで」

 

 またまた黒服さんったら、大げさに言っちゃいましてー。

 アビドスと言えば、常々借金で困っているとお聞ききします。

 少しバイト代に色を付けて上げれば、割と簡単に飛びついてくれるのでは?

 

 ……ああさては黒服さんったら、きっと興奮しすぎて、気持ち悪めのマッドサイエンティストモードでホシノさんにお会いしましたね?

 それなら私が少し誤解を解いてあげれば、すぐに了承していただけると思われます。

 

「ですがアオさん、あくまで本命の依頼計画がありますので……本当にさりげなく、小鳥遊ホシノを少々振り向かせるための、ヒントとなる情報でも得られれば良いものですから」

「はいはーい! さりげなくですね了解です! そういうの私、得意ですから! 大船に乗ったつもりでいてくださいな!」

「……クックック、本当にありがたい。なにかお礼の品を用意いたしましょう」

「わぁい! なんだろ? やっぱり甘いものがいいですね!」

「ではカイザー印の金箔チョコ饅頭など……」

「え。カイザーのはイヤです。あそこはだいたい、おいしくない」

「クックックックックッ……」

 

 暗い部屋に、黒服さんのなんともいえない声が響きました。

 

 

ーーー

 

 

 そして時は経ち、こんな記憶もおぼろげになり始めたころのことーー

 

「そんなお話を、前に黒服さんとしたんですよねぇ」

「待って待って……え? おじさんちょっと怖いんだけど」

「ですから、黒服さんとこのバイト、実際どうです? やりません?」

「いやいやいやいや。どうしていきなり、アオちゃんの口からあいつの名前が出るのさ?」

 

 私はとうとう、小鳥遊ホシノさんに出会いました。

 

 ここはアビドス高等学校の対策委員会室です。

 少しだけお砂でしゃりしゃりする机を挟んで、私とホシノさんは向かい合います。

 他の生徒は出払っているという事で、今は二人きりでございます。

 

 どうして私がアビドスまで参ったかと申しますと。

 ゲヘナ風紀委員とトリニティ正義実現委員会の交流成功に気をよくした私は、合同火力演習に、もっとたくさんの学園を招待できないかと画策をしておりまして。

 アビドス代表のホシノさんとの、そのための交渉が先ほど終わったところです。

 

 金銭や設備の援助との引き替えで簡単に参加を承知してくれたのには、私も楽で良かったのですが……

 どうにも時間が余ってしまって、そこで思い出しました。

 あ、そういえばこの方って、黒服さんが言っていた、“あのホシノさん”ではありませんか! と。

 

「……って事はなにさ。アオちゃん……いや、あんたって黒服の仲間なの?」

「仲間というか、黒服さんは私のパパのお友達ですね! 昔からまぁまぁお世話になってます!」

「うへぇ……友達とか、人間っぽいとこあったんだ、あいつ」

「むっ。確かに見た目が奇抜ですから、そう思うのも無理はないですけど……黒服さんも多少はまともですよ? 変なテンションで絡まれたときだけ、生理的にキツくなるくらいで」

「うーん……言われようが、たまに会う親戚のおっちゃんなんだよねぇ。おかしいなぁ」

 

 やっぱり黒服さんったら、これなんか誤解されるようなことをしたんでしょう。

 緩くて可愛らしいはずのホシノさんのお顔が、嫌悪に歪んで鬼気すら感じてしまいます。

 好感度が最低を軽く貫いて、地底の先のマグマかマントルかまで達してしまっているようです。

 

「そんなに嫌われるとか、黒服さんそんなに気持ち悪かったですか? そもそもどんな風に勧誘されているんです?」

「……聞いてない? 借金を減らす代わりに、学校を辞めてあいつの企業のPMCに入れってさ」

「ええっ!? 学校辞めるんですか!? だめですよそんなの!!」

「むしろなんでそこは伝わってないの……? おじさんもう、この子がどういう立ち位置なのかわかんないよ……」

「ちょっと今、黒服さんに文句言いますから! 待っててください!」

「ええ……?」

 

 そんな、ただのバイトって言ってたじゃないですか! 黒服さんのウソつきー!

 ……あれ? よくよく思い返せば、黒服さんの口からはバイトという言葉は出ていない……?

 私が勘違いしていただけ?

 

 ……まぁそんなことはどうでもよくってですね!

 学校を辞めさせるとか、絶対にダメです! どんな生徒だって、学校で青春を堪能するのがなによりも大切なことなのです!

 

 私は通信機の連絡先一覧から、黒服さんの番号を選択します。

 鳴り響く発信音は、たった2拍ほどで途切れまして。

 

『おや、アオさん。あなたからご連絡をいただけるとはめずらしい……』

「黒服さん! どういうことですか!」

『クックッ……これはこれは、いったいなんのこと……』

「ホシノさん、困ってるじゃないですか! どうしても手伝ってほしいんでしょう? テラー化の実験! ならもっと誠実にお話しないとダメじゃないですか!」

『む。アオさん、もしや小鳥遊ホシノに接触を……』

「どうせホシノさんが可愛いからって、手元に置いておきたくなっちゃったんでしょう! そう言うの、気持ち悪いから止めた方がいいですよ!」

『ああいえ、実験の効率を考ると……』

「今ならほら、バイトってことにしてお賃金に色つければ、まだ許してもらえますから! ちゃんと妥協してください! 黒服さんもいい大人なんですから!」

「あ、待ってよ。まだバイトなら受けるとか、おじさんが言った訳でもなくって……」

「ホシノさん!」

 

 日和りそうになっているホシノさんに、待ったをかけます。

 依頼を受ける受けないは置いといて、「今はこのまま勢いで押した方がいいですよ! きっと!」と、目で訴えまして、ホシノさんを押しとどめます。

 相手に非があるうちに、とりあえず良い条件だけでも引き出すべきですからね!

 

「ホシノさん! 時給、いくらがいいですか!?」

「ええ……? ……じゃあ、時給500万とか……? まぁそんなのどうせ無理だろうから……」

「聞きましたね黒服さん! いけますか? いけますよね!? それとも黒服さんの研究って、たかだか時給500万を惜しむほどのちゃっちい研究なんですか!?」

『おや、それは聞き捨てが成りませんね。……いいでしょう。時給500万、それで手を打ちましょう。つきましては私の方で契約書を作成して……』

「あっ、でた! 黒服さんが大好きな契約バトル! まずは草案からですよ! いきなりサインを求めたりしないでくださいね!」

『クックックッ、これは手厳しい……もちろん、明瞭な契約書のドラフトを用意いたしますよ。では、交渉につきましてはまた後日に』

「はいはーい! またねー!」

 

 通信を切って、どこか愉快げだった黒服さんの姿を、この部屋からかき消します。

 ふぅっと息を吐いて、あがっていたボルテージを落ち着けていきます。

 

「ホシノさん。黒服さん、最初は変な契約書の草案を提示してくると思うので気をつけてくださいね。修正を要求する時は、食ってかかるくらいがちょうど良いですからね」

「ええ……? おじさんちょっと、なにがなんだか……」

「あ、そうですよね。いきなり契約書って言われても難くて心配ですよね……。それなら私、連邦生徒会のリンさんとアユムさんなら紹介できますよ! 専門的なことは専門家に聞くのが一番です! いっそ交渉の場にも、同席してもらった方が安心ですね!」

「うーん、そういうことじゃないんだよねぇ……」

 

 ホシノさんが手持ちのクッションに頭を埋めてしまいました。

 ううむ、勢いで決めちゃいましたが、時給500万なんて破格も破格です。

 決して、悪い状況ではないと思いますが……

 

「そもそもさ~、テラー化ってなんなのさ? おじさん、元はPMCへの所属としか聞いてなかったんだけど」

「うーん……? 黒服さん曰く、「神秘」と「恐怖」を合わせて「崇高」になろう! みたいな? なんかこう、めーっちゃ強くなって、テンションもハイな感じになるんですよね!」

「……え、なったことあるの? その、テラーってやつ」

「ふっふっふ、数年前までは私ってば、テラー100%のミメシスちゃんでしたよ! 今は違いますけどね。でも時々遊園地に遊びに行くと、昔を思い出してすごくエキサイティングしちゃいます!」

「うへぇ~、ミメシス……? なんかどんどん知らない単語が出てくるよ……。っていうか、聞く限り危ないお薬みたいな感じじゃん……やだよおじさん、そんなのになるの」

「むむ! それは勘違いですよ! けっして悪いものではありませんって!」

「ほんとに~?」

「ほんとですよ、ほんと! ……いえ、私が言っても信用できませんよね……。ちょっと待ってください! いま証人を呼びますから!」

 

 「え~? もう別にいいって……」というホシノさんのお言葉は聞こえなかったことにしつつ。

 私は我が唯一無二の親友、ハスミちゃんに通信を繋ぎます。

 

『あれ? アオちゃんどうしたの? 今日は出張だったはず……あ、もしかしてそちらの方がアビドスの?』

「あ、あ~……こんにちは、アビドスの小鳥遊ホシノです……」

『はいこんにちは。羽川ハスミです……ああこれはもしかして、アオちゃんがまたなにか突飛な行動でも……?』

「あ、わかるんだね。そういうの」

『はい、お二方の今の顔を見ればなんとなく。まったく本当にウチの子は……ホシノさん、申し訳ありません……』

「いやいや、まともじゃないのがトリニティ全体じゃなくってよかったよ~」

「な、なんか私の扱い悪くないですか!?」

「そりゃあねぇ」

『アオちゃんはもう少し、おしとやかさも持ってていいと思うよ……?』

「ええー!」

 

 ハスミちゃんの思わぬ造反に焦りますが、ひとまず今は関係ありません……!

 聞くべきは、テラー化についての客観的な意見です!

 

「で、ハスミちゃん! ハスミちゃんは私が一番テラー的だった時を知っていますよね? そのお話をしてほしくってですね!」

『テラー的? ああ、1年の終わりごろの、遊園地で大暴れしたときのこと?』

「ですです! ホシノさんが今度あんな感じになるかもなんですが、「ちょっと怖いなぁ」って言ってて……。だから、「大丈夫だよ! なんともないよ!」って、伝えてあげたいんですよ!」

『ええ、あれに……? ……えっと、ホシノさん?』

「……なにさ」

 

 通信先のハスミちゃんへ、ホシノさんは警戒するように目を向けます。

 それに対してハスミちゃんは、まっすぐしっかりと向き合って口を開き……

 

『やめておいた方がいいと思いますよ……? あの時のアオちゃん、ちょっと目がランランとしすぎるくらいで、とても正気には見えなかったですし』 

 

 きちんと、まごうことなき制止の言葉を発しました。

 なんでー!?

 

「な、なんてこと言うんですかハスミちゃん!」

『でもアオちゃん、ウソは良くないし……』

「ほら~やっぱり体に良くないんだってばぁ。はいはい、やめやめ~。黒服の話はもうおしまい~」

「あわわ、ホシノさん早まらないでください! ……もうハスミちゃんったら、信じてたのにぃ! しょうがない、また後でね! おみやげは期待してていいからね!」

『うん、また後でね。砂漠は遭難しやすいって言うから、帰りも気をつけて』

「うんありがとー! ぽちっとな!」

 

 このままハスミちゃんの証言を聞いているのは不利だと悟って、私は早々に通信を切り上げます。

 ぐぬぬ、ハスミちゃんったら、遊園地の私のことをそんな風に思って見てただなんて……まったく失礼しちゃいます!

 

 でも私に最も甘いハスミちゃんでさえあれならば、もしかして他のみなさんも似たような感想だったんでしょうか……?

 なんだかあんまり知りたくなかった事実を、突きつけられてしまった気がします……!

 

 まぁそれはさておき……!

 

「えっとあとはお給料以外の、なにかテラー化のメリットは……!」

「え~? もうやめようよ~?」

「いえ、こうなれば私も意地です……! あっ! そうだホシノさん!」

「うーん、なにさ~?」

 

 脳内を漁って記憶を掘り起こし、黒服さんが研究中にぽつぽつと漏らしていた独り言をつなぎ合わせていきます。

 すると天啓のように降りてきた、一つの可能性が私を奮い立たせました。

 そうだ、これならばきっと!

 

「黒服さん、前に言ってました! テラー化すると、一時的な身体の成熟が見込まれるって!」

「成熟?」

「ですです! テラー化すると体が活性化して……こう、ボンキュッボンな感じになれるんですって! すごくありません!? ボンキュッボン!」

「……それはアオちゃんもなったの?」

「いえ、私は体の造りが普通ではないので、特に変化はありませんでしたが……」

「じゃあやっぱり望み薄じゃん。眉唾でしょーそんなのー」

「そんなことないですってー! ホシノさんはほら、なんか「神秘」がすごいらしいですし? 絶対超絶ナイスバディになれますって!」

「いや~、おじさんそういうのは別にいらないかなぁ」

「そんなー!」

 

 ここまでやってもダメですかー! ……ううん、もうムリでしょうか。

 さすがにこうまで嫌がっているホシノさんに、これ以上は強請できません。

 素直に諦めるべきでしょう……

 

 ……っていうか、そもそもなんで私、こんなに必死になって説得しようとしているんでしたっけ?

 よく考えてみれば、別になにがなんでも黒服さんのためにがんばる必要ってないんですよね。

 なんか落ち着いてきて、「断られたなら、それはそれでまあいっかー」という気持ちが芽生えてきました。

 

「うーん、ごめんなさい。ちょっと意気込みすぎていました。あんまり無理強いするものではありませんでしたね。気が向いたら、ご検討ください」

「はぁ~……ようやくわかってくれたみたいで、おじさんうれしいよ~」

「でも、成長したホシノさん、きっとカッコいいとも思うんですけどねぇ……ボンキュッボン……」

 

「ん、私もそう思う。ホシノ先輩、やるべき」

「え? どなたさま?」

「あ~っと、シロコちゃん。ちょっと待とうか」

「私も、アリだと思いますよ~?」

「ノノミちゃんも、ストップストップ」

 

 私が空想の中で組み上げた、パーフェクトホシノさん像を一人惜しんでいましたところ。

 会話に乱入してきたお方が、二人ほど。

 おもむろに部屋に入ってきたのは、アビドスの下級生の子たちでしょうか。

 ホシノさんの反応を聞く限り、お名前はシロコさんとノノミさん?

 どうやらいつからかこっそりと、扉の前で聞き耳を立てていたご様子です?

 

「ホシノ先輩のナイスバディが見られる。お金も入る。良いことばかり。絶対にやるべき」

「いやいやいや、でもあいつ……黒服って本当に怪しくってさぁ」

「連邦生徒会も間に入ってくれる。安心」

「うへ~、どっから聞いてたのさー?」

「待ってくださいシロコちゃん」

「あ、ノノミちゃん。そうそう、言ってあげてよ~。安易に乗っかるのはよくないってさ?」

「成長したホシノ先輩がボンキュッボンとは限りません~。もしかしたらスレンダーモデルさんみたいになるかもしれませんよ~?」

「おおっと、ぜんぜん味方じゃなかったかぁ」

「ん、その発想はなかった。それはそれであり」

「でしょう~?」

「うへ~……」

 

 ホシノさんも数で負ける下級生には、どうやらたじたじなようですね。

 やいのやいのと盛り上がるアビドスのみなさんが、とっても仲が良さそうで、見ていてほっこりしちゃいます。

 ふふふ、なんだか羨ましいので、私もまぜてくださいなー!

 

「では、成熟ホシノさんのお姿予想大会なんていかがでしょう! 最も近かった人には、私からなにか賞品もだしちゃったり!」

『おー!』

「ちょ、ちょっと待ってよ~」

「さぁまずはホシノさんから! ホシノさんはご自身がどんなふうになると思いますか? むしろどんな感じな自分になりたいですか?」

「ええ……? おじさんも参加するのそれ……?」

 

 机に大きな模造紙を広げて、カラフルなマジックペンを用意しまして。

 困惑するホシノさんをしり目に、あっという間に紙面は様々なホシノさんで埋まっていきます。

 

 ホシノさんが黒服さんのアルバイトを、本当にやるかやらないかは別として。

 今この瞬間はとっても楽しいので、それはそれで、正解なんです!

 

「みんなー、もうやめようよ~」

「いえいえそんな、こんなに楽しいのにもったいない!」

「ん。マッチョホシノ先輩の可能性も考慮するべき」

「うーん、その絵だと少し体格がよすぎますね~? こう、薄く腹筋が浮かぶくらいがいいと思います~」

「うへ~……」

 

 フタを開けられたマジックが何本も放り出されて、インクの臭いが漂う部屋の中から。

 アビドス砂漠へ、ホシノさんの声が細く頼りなく響いていきました。

 

 

ーーー

 

 

 先生がキヴォトスへと赴任して、短くない時間が過ぎ去った。

 日々の働きによって多くの生徒たちから信頼を寄せられつつも、先生はいつだって、自身の力不足を嘆き続ける。

 

 アビドスの校舎にほど近い砂漠の一角、無限にも見える砂の頂に囲まれた荒野にて。

 月星の明かりを浴びながら、先生は黒服と対峙する。

 

「クックックックッ……これは先生、ようこそいらっしゃいました」

「黒服っ……! ホシノに何をした!」

「それをこれから、ぜひご覧いただきたいと思いまして。ご足労ありがとうございます」

「くっ……!」

 

 怒り。焦り。心配。先生の体内に渦巻く感情が、彼を内から引きちぎろうと暴れ回る。

 にらみつける視線の先には、悠然と立つ黒服と……その傍らにうずくまり、無言で微動だにしないホシノがいた。

 

「ホシノさん、先生の御前ですよ。私の……いえ、()()()()研究の成果を、この場でご披露して差し上げようではありませんか」

「……先生」

「ホシノ!」

「おっと先生、近づくのはおすすめいたしません。先生の脆弱な肉体では、余波でさえも命を奪うに十分な威力がありますので」

「……っ!!」

 

 自分一人では何一つできないという事実に、先生は唇を強く噛みしめる。

 だれか他の生徒が駆けつけるまでは、見ている他にないというのか……あの、苦しげにうめくホシノの姿を……!

 

 せめてもの抵抗に、ホシノの声を、一言たりとも聞き漏らさないようにする。

 その体の異常を見逃さないよう、巻き上がる砂混じりの風も無視して、瞬きもせずに全力で目を向ける……!

 

「……見ないで、先生……見ないでってばぁ!」

「クックックッ! これぞキヴォトス最高の「神秘」と「恐怖」の融合! 「崇高」の一端を具現し、今こそ、その存在を現世に示し光臨するのです! ホシノさん!」

「あ、あああ……っ!」

「ほ、ホシノっ……!」

 

 ホシノの足元に、手のひら大の小瓶が落ちる。

 なにかを飲まされたのか、ホシノの体はドス黒く光り、不穏な暗がりを纏いながら。

 小柄だったはずのその姿が、見る見るうちに大きく変貌していく。

 

「先生……先生……!」

「ホシノ! ……ホシノーーっ!!」

 

 もはや先生には、呼びかけることしかできない。

 走り寄ろうにも、ホシノから全方向へ吹き荒れる重圧に、飛ばされないように耐えるので精一杯だ。

 

 先生は憂慮する。はたしてホシノの変化は、体の形だけで済むのだろうかと。

 精神までが歪み、元のホシノはかき消され、まったくの別人になってしまうのではないだろうかと。

 先生は喉が引き裂かれんばかりに声を張り上げ、ホシノがホシノのままでいられるように、その名を呼び続ける。

 

 だが永遠に続くかに思われた重圧には、終わりがあった。

 風は次第に弱くなり、先生でさえが自然と立つことができるようになった時。

 

 ……成熟し、一切の幼さを失ったホシノが、先生を睨みつけた。

 

 ……先生は最悪を予感する。

 悲観におぼれ、崩れ落ちそうな先生へ、ホシノが……いや、ホシノ*テラーが声をかけた。

 

「……先生。私は見ないでって言ったよ」

「ホ、ホシノ……」

「…………うへ~、黒服さん早く着替えちょうだいよ~。こっちの姿だと制服ぴっちぴちですっごく恥ずかしいんだってば~」

「……んん?」

 

 先生は、聞き慣れた気の抜けた声音に困惑する。

 

「ええ。少々お待ちを。時にホシノさん、体の調子はいかがですか?」

「なんともないよ~。やっぱこっちだと体が軽いねぇ。なんかめっちゃ遊園地行きたくなるのもいつも通り。ああでも……」

「ふむ?」

「……んんん?」

 

 改めてホシノが先生をにらむ。

 いやよく見ると、すらりとした切れ長の目元がそう感じさせるだけで、実際のところは、少し目をやったという程度であろうか。

 

「……はみ出ちゃったおへそとか太ももとか、パツパツの胸とか、先生がずっと見てるから、もう恥ずかしくって顔から火がでそうかな~?」

 

 ……恥ずかしげな、ちょっとした非難の気持ち。

 それが込められた上目遣いが、先生を射抜く。

 

「おやおや……。しかしホシノさん、先生も一人の男性でございますから……。そこは黙って許容してさしあげるのが、レディというものですよ」

「とはいってもね~……あそこまで熱烈だと、さすがのおじさんもねぇ」

「……んんんん??」

 

 あまりに予想外の展開……談笑するホシノと黒服という不可解から目が離せない。

 どうしても二人の様子を凝視してしまう。

 

「……なんでまだ見てるのかな~?……もう、先生のえっち」

「んなっ……!」

 

 たった一言。されど先生の大人の矜持を打ちのめす、圧倒的な一言。

 あまりのショックに、開いた口がふさがらない。

 

「クククッ……先生、私の研究の成果はいかがでしたか? 衝撃波の関係で屋内ではなかなか披露ができませんが……自画自賛にはなりますが、大変すばらしいでしょう?」

「ええ……? まぁ……」

「近くに歓談の場も用意してございます。そちらでぜひ感想などもお聞かせいただければ……では私はお先に」

「場所はアビドスの空き教室だよ~。シロコちゃんたちがお料理とか作ってくれてるってさ。じゃ、おじさんも先に行くね。待ってるから、早くきてね~」

「あ、ああ、うん……?」

 

 そう言って、二人は校舎のほうへ向かって去っていった。

 先生には、なにがなんだかわからなかった。

 

 それでも数分か、もしくは十数分が経ってからただ一つ、気がついたことがあった。

 ……どうやら今日のキヴォトスは、いたって平和であったらしい。

 

 夜の砂漠には冷たい風が吹く。

 体の芯まで冷たくなった頃にようやく、先生は校舎へ向かって歩き出した。

 

 やがて先生は、対策委員会のメンバーと黒服と、なぜかいつの間にか参上していた遊園アオも含めた7人で。

 夜のパーティーとしゃれ込んで、大層に盛り上がるアビドス高等学校へとたどり着く。

 

 「あ! 先生おそーい! 待っていたんですよー!」とか、「クククッ、こちらにはアルコールも用意してあります。これも大人の特権です」とか、各々に好き勝手に言われながら。

 まずは歓迎にと、紙カップに注がれたスープが先生へと手渡される。

 

 その温かさが、先生の手先と骨身を、それはそれはよく温めた。

 先生は、「……もう、どうにでもなーれ!」だなんて、思いはじめていた。

 

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