[完結]拝啓パパ上マエストロ様。トリニティでも私は元気です。 作:がくらん
アリウス分校には現在、「人形派」と呼ばれる集団が存在する。
目立つようになってまだ数年も経っていない、新興の派閥だ。
この人形派、周囲からは、厳しい訓練や生活に頭が
構成人員はみな命令には従順であるが、自ら考えて行動をするという行為を放棄している。
他人に命じられなければ、人形派同士で集まり、永遠にその場に立ち続け、どこかを虚ろに見つめながら、クスクス、クスクスと笑い続ける。
おそらく派閥の名称通り、自らを人形に見立てることでつらい現実から逃避しているのだろう。
その様子は、端的に言って不気味であった。
いくら同胞といえども、人形派には関わりたくない。
多くのアリウス生はそう感じていた。
よって人形派に属したと目される者は、放置されるのが常である。
しかし、これらの認識は、人形派の真相とはほど遠い。
この派閥は、落伍者が集まって自然発生した派閥ではなかった。
明瞭に、できあがったきっかけがあった。
それは数年前、遊園アオという少女が、アリウス自治区へと赴いた日のこと。
アオは好奇心を押さえきれずに、ベアトリーチェを振り切って散策へと繰り出した。
そして彼女は、とある一人のアリウス生と接触する。
アリウスの様子について疎かったアオは、たまたま最初に出会ったアリウス生に、様々なことを聞きたがった。
アリウス生は戸惑うが、ベアトリーチェからの事前の通達もあり、下手な危害は加えられず。
無遠慮に近づいてくるアオが相手では、無理やりすり込まれただけの張りぼての憎悪も保ち切れない。
流されるままに会話を重ねていく。
そのなかで、アリウスで広く伝えられている警句が、当然のように話題にあがった。
「Vanitas vanitatum et omnia vanitas.……全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ」
それを聞いたアオの反応は、こうだ。
「あー、私もそれわかります。虚しさっていつもありますよねぇ」
アリウス生は面食らう。
常に笑顔で幸福そうなこのトリニティ生には。
きっとこの思想を理解できないはずだと、アリウスの本質を否定するはずだと、思っていた。
それがどうだ。返ってきたのは安易な同意の言葉であった。
……遅れて、腹がたってくる。
この女は、おそらくこの言葉の意義を軽んじているのだ。
アリウスに属する人間が、どれほどの想いを込めてこの言葉をそらんじているのかを、理解していないのだ。
怒りを込めて、アリウス生は真意を尋ねる。
「え? 真意っていわれても……」
「……物事にはなんでも、絶対に終わりがあるじゃないですか」
「だから私、いつも楽しければ楽しいほど、それが終わった後のことを想うと虚しく感じちゃいます」
「でもそれって、今を全力で楽しんでいるからこそ、感じられる虚しさなんですよね」
「逆に言えば、虚しさを感じられる時っていうのは……「今、すごく楽しい!」って時のことだとも思ってます!」
「あなたが言うように、どこまでいっても虚しいってことは……」
「それはきっと、いつだってずっとずっと楽しいってこと」
「あはは、永遠の楽しさですね。羨ましいなぁ」
「ゔぁにたす、ですか……私はその言葉、とっても素敵だと思いますよ!」
それは暴論だった。冒涜と表してもいい。
アリウス生の根幹をなす思想が、ひどく曲解されていた。
……しかし目から鱗が落ちるような、清々しく新鮮な気持ちでもあった。
虚しいと感じるのは、今が楽しいから。
では、ずっと虚しさに苛まれていた私は……もしやずっと楽しみの最中にいたのでは……?
アリウス生は目の前の少女へ、独り言のように問いかける。
ならお前は今、何をみて、何を感じて、楽しくなっているの……?
それに対して、アオは笑顔で周囲を見渡す。
「え? えっと、今はあなたとのおしゃべりが一番楽しいと、私は思ってるけど……」
「それ以外なら……あ、ほらあの壁のシミ、花が咲いてるみたい。きれいですねぇ」
「あ、見てみてこの時計、ほらあと3秒で……いま! 3時33分の33秒だよ! あはは、すごーい!」
あまりに些細な事柄に、アリウス生は呆気にとられる。
なんだそんな程度のことか、と思う。
しかし同時に、クスクスクスと、自分が小さく笑っていることに気がついた。
笑うなど、いったいいつ以来であろう。
アリウス生は、自らにまだそんな感情が残っていたことに驚いた。
そして、その驚いたこと自体がおかしくて、またクスクスと笑った。
「あ、やっと笑ってくれた。ふふふ、やったね」
「むむ、そろそろベアトの姐さんに見つかりそう……うーん、まだちょっと遊びたいな。逃げちゃお!」
「ばいばい、また遊ぼうね!」
走っていく少女。マダムが人形と呼んでいたトリニティ生の背をじっと見つめる。
人形はそのアリウス生に、新たな生きる指針を提示してくれた。
以降そのアリウス生は、訓練の合間合間にかすかでも“楽しい”と感じられるものを見つけると、ただ立ち止まりクスクスと笑った。
そして小さく、ゔぁにたす、とつぶやく。
「虚しくなるほどに、楽しい」。そんな意味を込めて。
それを見ていた周囲の生徒が、なにをしているのかと尋ねる。
すると、もともと口数が多くはなかったそのアリウス生は、たいていその場で見ていた“楽しいもの”を指さした。
そして、やはりクスクスと笑い、もう一度、ゔぁにたす、とつぶやく。
たいていの者は首を傾げるか、気味悪がって離れる中。
なかには意図を理解し、共にその“楽しいもの”を見つめるような者も現れ始めた。
さらには最初のアリウス生から、人形の言葉「虚しくなるほどに、楽しい」を伝えられ、教わった者もまた別のだれかへと教えを伝え。
いつしか集団を形成し、人形派を自称するようになる。
最初のアリウス生は、人形から言葉を預かった者、すなわち預言者と呼ばれ。
あだなが「よっちゃん」になった。本人はこれをとても気に入っている。
話は移って、数年後のこと。
アオの残骸がカタコンベへと持ち込まれて、数日がたったころ。
アリウス自治区の間では、とある噂が蔓延していた。
曰く、カタコンベのとある区画で、「おーい……おーい……」との、不気味な声が聞こえてくる、と。
これを見逃す人形派ではない。
すぐさま「よっちゃん」を筆頭に、“楽しそうなもの”探しが行われ、そして……
「あっれー!? うわぁ、お久しぶりですね! こんにちは!」
無造作に打ち捨てられた麻袋から、首だけはみ出した人形を発見した。
脳天気にも挨拶をかました人形に、よっちゃんは駆け寄る。
「すみません、いろいろあって体がバラバラで動けないんですよ。よければちょっと、組み立てて欲しくて……えっとあなたのお名前はたしか……」
「……よっちゃん。……よっちゃんって呼んで」
「え? ……はい! よっちゃん! お願いできますか?」
「うん……任せて……」
「ありがとうございます! ……あ、それから、後ろのみなさんも!」
よっちゃんが率先して袋を破り、砕けた体の部品を取り出すなか。
うしろで呆然と見つめるいくつもの人影にも、人形は分け隔てなく声をかける。
「あはは! よければ、お友達になりませんか? お名前を教えてくださいな!」
人形の明るい声が……「歓喜」がその場を支配した。
カタコンベの片隅に、クスクスクスと、いくつもの笑い声が木霊した。
ーーー
「ーーと、このように、娘の……遊園アオの本質はミメシスである」
「ミメシスの定義については先ほど解説したか。「
「よって「神秘」の象徴たるヘイローが破壊されたとしても、存在や意識の維持には影響がなく、加えて……」
『…………』
こちらは簡易講義室でございます。
シャーレの会議室を大急ぎで模様替えして作りました。
みなさんきっちりと机に座って、演台の方へと目を向けます。
まるで学園で授業を受けているかのようですね。
そして講演者は、なんとパパ上!
朗々と語られる講義の内容は、「崇高」と「神秘」と「
本日のイベントはゲマトリアプレゼンツ、「キヴォトス奇跡の生物:遊園アオの生態について!」……ではありません!
私がカタコンベから舞い戻って早数日。
すでにナギサさんの確保は、無事になされました。
大量の書類だって、続々と絶えずミカさんへ送られ続けています。
信頼できる各所には私の無事をお伝えしまして。
さらに同時に、今トリニティで起こっている事件の顛末や真相について……
「アリウス分校がミカさんとエデン条約を使って、学園転覆を謀っているという」情報も、隠さずお伝えしてしまいました。
そして仕上げに、お忙しいみなさんの日程をどうにかこうにかすり合わせまして。
きたる調印式に向けた、「アリウスおよびベアトの姐さん対策会議!」を開催するはずだったのですが……
……シャーレに潜伏していた私とは、みなさんは事件後初めて再会します。
それで私の顔を見て、まずは絶対にこう言うんですよ。
「アオさん(ちゃん)のそのボロボロの体は大丈夫なの? このままじゃ会議に集中できないよ!」って。
まぁ気持ちは分かります。
今の私、ほんとにツギハギだらけで不格好ですものねぇ……
そこで急遽、白羽の矢が立ったのが、ゲマトリア代表として会議に参加する予定だったパパでございます。
今の私の「ヘイローはなくなったけど、なんだかんだ元気だよ!」状態について、特別講師として理論を交えた説明を行ってもらっています。
そんなこんなで、みなさんは講義の内容にじっと耳を傾けているのですが……
私はなんと、見本としてパパの隣に立ちっぱなしです。
……なんだかさらし者になっているようで落ちつきません。
「ついては、友人等から授与された「神秘」にて、近頃は「生徒=神秘から成る存在」として安定していた」
「しかし特殊な方法でヘイローが破壊され、現在は「歓喜」を帯びたミメシスおよび「
「よって過剰な「歓喜」を周囲へ振りまくであろうが……じきに「神秘」の残滓と釣り合って見かけ上は安定する。しばし騒がしいが、耐えてほしい」
「後日そなたらには、娘へ再び「神秘」を授けるため、協力を要請するつもりである」
「そのためには、かつての「遊園地」での事象を再現する必要がありーー」
粛々と講義は続きます。
ですが、うーん……なんとも居づらいですし、退屈ですし……
こそっと出歩いて、みなさんにちょっかいをかけに行っちゃいましょう!
ふんふんふーん。
ではではまずは一番近くから、ゲヘナ風紀委員からお越しのアコさんへ!
こしょこしょ声で話しかけましてー。
「アコさん、私についてのお話、真剣に聞いてくれますねぇ。えへへ、うれしいです」
「はぁ? 聞いてませんが? あなたのことなんてどうでもいいんですが?」
「とか言ってぇ、ノートまでしっかり取ってくれちゃってぇ……うりうりー」
「ちょっと! 肘で押さないでください! ……せっかくの講義を聞かないのは、マエストロ氏に失礼ですからね……ただそれだけですよ!」
「またまたー」
「ちょっとアオちゃん、やめてあげようよ……」
「あ、ハスミちゃん」
反対側から私の暴挙を咎めたのは、正義実現委員会からご参加のハスミちゃんです。
ハスミちゃんは、“この子がどうもすみません”と、アコさんへと目礼を送ります。
アコさんもこれに黙してうなずいて。
「アオさん……あなたはもっと、こちらの品行方正なハスミさんを見習うべきです。あなたと比べてどれだけお話ししやすいことか」
「わ、いいなハスミちゃん、アコさんに誉めてもらえて……私、一回も誉めてもらえたことないですのに……!」
「そういうところだと思うよアオちゃん……」
「ほら、今は講義中です。どっかいってなさい。しっしっ!」
「ふへぇ。また後ほどー」
追い払われたので、しぶしぶ背を向けて退散しまーす。
そんなみじめな私の後ろで、アコさんとハスミちゃんったら、楽しそうにふたことみこと、小声でおしゃべりして。
少し二人で笑い合ってから、講義を聞く姿勢へと戻ったようです。
私の大好きなお二人です。仲が良さそうで嬉しいような、ちょっとジェラシーなような……
ふんだ、別にいいですもんねー。
私にはまだまだターゲットがいらっしゃいます!
さーて次にちょっかいをかけるのはーっと。
「サクラコさん、サクラコさん。パパの講義、いかがです?」
「ええ、非常に興味深く聞いていますよ」
シスターフッドのサクラコさん。
私が声をかけても正面から体を反らさず、しっかりとパパの話を聞いています。
「特に、「歓喜」の「
「ああ、それは私も思いましたね」
「カンナさん?」
隣に座っていた、ヴァルキューレを代表して参加のカンナさんが、お話に加わります。
「天性のコミュニケーション能力というものですか……私は昔から、この険しい顔で怖がられやすかったですから、どうにも羨ましい限りです」
「おや? あなたも人に怯えられたご経験が……? 実は私も、よく意図せぬ威圧感を発してしまうことがあるようでして……」
「ふむ……サクラコさんでしたか? あなたは優しげなお顔立ちをお持ちですから、自然体を意識すればーー」
「いえ、あなた……カンナさんこそ、その凛々しさは警官としてとても頼もしいですし、そう悲観をなさらずにーー」
気がつけば初対面のはずのお二人が、「いえいえ……」、「いえいえいえ……」なんて、謙遜しあいながら会話をしてくれています。
おお、これは私抜きでも同じ悩みを持つ同士、お友達になってくれるのでは?
ふふふ、なんだか仲を取り持ったみたいで鼻が高いです。
ここはお若い二人に場を任せしましてーっと……
そそくさとその場を離れると、別の方向からツイっと袖を引かれました。
「……アオさん、アオさん。ちょっといいですか?」
「ユウカさん? どうしました?」
そちらを向くと、ミレニアムから来たユウカさんがそっと声をかけてきてくれました。
どうにも困った表情で、眉がハの字に下がっています。
「なんか私、場違いではないですか? 周りの方達、みんな3年生の先輩ばかりで……」
「あはは、そんなことはないですよ。今やユウカさん、リオさんの立派な右腕ではないですか!」
「そ、そんな風に言われるほどでは……」
「それにほら、そっちでぐでっとしてるホシノさんよりは、ずっとしっかりしてますよ?」
「うへぇ、言われちゃったかぁ。……でもそうそう、年齢とか気にしないでいいんじゃないー? 学園の代表ができるならそれでいいのさー」
前の席に座っていた、アビドス所属のホシノさん。
机に預けていた体をゆっくり起こして延びをして、軽く振り向いて私に同意をしてくれます。
「そ、そうですかね……?」
「ですです。調印式の戦闘では、ミレニアムの技術力にも期待していますから、お願いしますね?」
「は、はい!」
「あれー? アビドスには期待してくれないのー?」
「ホシノさんはいい感じのタイミングで、「テラってて」くれればオッケーです!」
「「テラってて」って、「テラー化してて」ってこと? ……簡単にいわないでよねぇ。そこそこ恥ずかしいんだよ? あれ」
「まぁまぁ、お賃金はいっぱい出しますから」
「へ~? 黒服さんよりいっぱい?」
「え……そ、そこまではさすがに……いやでもかき集めれば……」
「あはは、うそうそ。アオちゃんにはお世話になってるからねぇ。そのへんは遠慮せず頼ってよー」
「よかったー!」
ホシノさんの気さくなジョークに、隣で聞いてたユウカさんも笑ってくれます。
どうやら堅くなっていたのも、ほぐれてきましたかね?
すると横から別の笑い声も聞こえてきまして。
「クスクス……ここではみんな、ゔぁにたす、だね……」
「よっちゃんはいつでもなんだか楽しそうで、とってもいいですねぇ」
「それはアオも一緒……クスクスクス……」
アリウスからこっそり来ているよっちゃんが、静かに、でも愉快そうに体を揺らします。
こちらへ来るのに危険はないか、最初は心配だったのですが……
どうやら人形派の仲間がいれば、一人抜けたくらいなら余裕でごまかせるとか。
この子からいただける情報は作戦の助けになるので、私としては大歓迎ですね!
さて後は……ティーパーティーから軟禁中のナギサさん、ですが……
「ナギサさん、その……ちゃんと休めていますか?」
「……それが、あまり……ご心配をかけて申し訳ありません」
「……いえいえ、セイアさんのことも、ミカさんのことも……相当なショックだったと思いますから、無理はなさらずに」
「はい……」
シャーレで保護しているナギサさんには、すぐに先生が真相をお話しました。
もちろん、決定的ないくつもの証拠を添えて、です。
セイアさんの無事と、ミカさんの凶行。
主にこの二つは、ナギサさんの精神を大きく揺さぶったかと思われます。
相変わらず深いクマは直らずに、日々なにかしらを思い悩んでいるようです。
幼なじみからの手ひどい裏切りは、簡単には割り切れないでのしょう。
今はまだ、そっとして置くほかありません。
「……もしや、ナギサさんには「救護」が必要なのでは?」
「あわわ、ミネさん、ちょっと待ってくださいって……!」
「しかし……!」
「ミネさんはセイアさんの看病で、会議後すぐに帰らないといけないんですよね? ナギサさんは私と先生でしっかり「救護」しておきますから……!」
「……わかりました。アオさんがそうおっしゃるのなら」
「ふぅ……」
脇から「救護」の化身がエントリーしようとしましたが、どうにかインターセプトします。
セイアさんは、ヘイローこそ壊されていなかったようですが、その後はずっと謎の昏睡が続いていたと聞きます。
しかし最近は、どうにか小康状態なのだとか。
今日はわずかな時間のみ、ミネさんもこの会議に参加してくれています。
さて、これでこの場の生徒全員とは、話し終わってしまいましたか?
このたびの作戦へは……
メインの武装組織としてゲヘナ風紀委員、正義実現委員会、シスターフッド。
捕縛や搬送などのサポートに、ヴァルキューレ警察学校。
技術支援のミレニアム、遊撃を請け負うアビドス。
諸処の情報提供や道案内にアリウス人形派。
救護騎士団も、もちろん怪我の治療のために控えについて。
そこにシャーレとゲマトリアを含めた、十の組織が参加します。
後は連邦生徒会も、事件後の諸々についてお手伝いはしてくれるようです。
いやぁ、ちょっと本気出して集めすぎましたかね?
……いえ、そんなことないですね。
この作戦の最終目的は「ベアトの姐さんの打倒と、全アリウス生徒の捕縛」です。
こんな大きな目標を掲げる以上、戦力はどれだけ過剰でもかまいません。
と言うわけで、一回りしたのでパパの下へ戻ります。
聞き流しておりましたが、講義もそろそろ終盤でしょうか?
「ーーその体についても、灰にでも成らない限り存在をなくすことはないだろう」
「たとえ体を部品ごとに仕分けたとしても、組み直せば動き出す」
「大変
「もとより、幼少期より継ぎ足し続けてきた体だ。私が出会った当初に、娘を構成していた材はもうほとんど残っていない。にも関わらず、意識と記憶は連続している」
「参考として、最も幼かった娘のレプリカがここに、またその1年後のレプリカが……」
「え、え!? ぱ、パパ何してるの!?」
油断していたところで、いきなりパパが私の成長記録的なやつ……幼少アオちゃんの等身大木工レプリカを取り出し始めました……!
ちょ、ちょっと待ってくださいって!
「パパっ! さすがにそれは恥ずかしいって! もう、やめてよー!」
「むぅ……しかし身体の変遷をみれば、意識の連続性を理解しやすいと……」
「だとしても! もうちょっと! デリカシーとか気にして欲しいの!」
「う、うむ……すまない……」
パパを相手に、いつもよりもフランクになってしまっていた私がおかしかったのでしょう。
部屋のそこかしこから、小さな笑い声が聞こえてきます。
もう、恥ずかしくって耳が熱いです。これもパパのせいなんですからね!
そんな私の訴えはそこそこに、パパが咳払いをひとつ。空気を整えまして。
2つの頭をみなさんへまっすぐと向けて、講義の総括に入ります。
「娘よ、お前もよく聞くように。……娘は今、本人の自覚は薄いようだが、確実に損失を被っている。ヘイローを見れば自明であるし、崩れた体も、「歓喜」を押さえきれない精神もこれを証明している」
「…………」
「同時に、娘はその出自が影響して「憤怒」の感情が乏しい。激しく怒るということができないのだ」
「……えー? でも私、実は結構怒ってますよ? ミカさんったら、みんなから分けてもらった私のヘイローを壊したんです! まったく、とってもひどいですよね!」
「……このとおり、常人ならば絶命しかねない危害を受けたというのに……あまりに感情が軽薄である」
「そうかなー?」
「そうとも」
みなさんそろって、うんうんと頷いていました。
うーん、パパだけじゃなくってみんなも言うのなら、そうなんでしょうかねぇ。
「……そなたらには、娘のことをよく見て助けてやってもらいたい。「歓喜」に由来する過剰な寛容さのせいで、“通すべき筋”や“つけるべき落とし前”などの理解が、娘には困難なようでーー」
「落とし前……? そう! それですそれ! “落とし前”! パパ、いい言葉をみつけましたね!」
「む……?」
どうやら「怒れない」らしい、私のなかで。
ミカさんへの感情は、どうにも
でもそれが今、パパの発言が、びびびッときまして。
“落とし前をつけさせるべき”……うん! しっくりくる良い言い回しです!
「事件が終われば、ミカさんには罰が与えられますよね? それが公聴会でなのか、裁判や矯正局のプログラムでなのかは、まだわかりませんけど……ねぇ、先生?」
「うん? ……まぁそうなるだろうね」
「でもその前に私、“落とし前”をつけたいみたいです! ミカさんと私で、なんかぐちゃってなってる関係を、すっきりさせたい!」
「……うーん?」
「だから公のとは別に、個人的にちょっとした“仕返し”をしたいです! ほんとにこう、少しびっくりって驚かすくらいでいいですので! ……ダメですかね?」
『…………』
みなさんどうにも困ったように、戸惑うように、黙り込んでしまいます。
「アオちゃん、またおかしなこと言い出して……」
「マエストロ氏の言うとおり、やっぱりなんか軽いんですよね……。“仕返し”とか、もうそういう次元ではないはずなんですが……理屈もよくわからないですし……」
「ハスミちゃん、アコさん! なんですかそんな頭抱えて! ……え? だめです? ほんとにちょっとだけ、私の気が少し晴れる程度でいいんですけど……」
『はぁ……』
ため息をつかれていまいました。
仕方がないのでターゲットを変えて、我らが先生へ、期待を込めたまなざしを向けてみます。
「……まぁひとまず、アオがやりたいようにやってもいいんじゃないかな? ……それくらいの権利はあると思うよ」
「先生!」
「その上で後日ミカには、きっちり罪を償ってもらうんだものね?」
「はい! もちろんです!」
やれやれ……って感じでですが、先生が承諾してくださいました!
わぁい! なんかよく分からない流れでしたが、先生から「よし!」って言ってもらえたなら、もうだいたいOKですからね!
「それで、具体的にはどんな“仕返し”をするつもりなの?」
「あ、それはですねーー」
びっくりさせるなら、もちろん「あれ」ですよね!って案が一つ、ありましてーー
ーーー
「うう、減らない。ぜんぜん減らない……もうやだよぉ、助けてナギちゃん……」
エデン条約の調印式を翌日に控えた夜。
ティーパーティーの執務室には、ペン先が紙を擦る音だけが、いやに響く。
すでに時計の針が頂点を越えようとしている頃合いのこと。
ミカはまったく減る気配のない書類の山に、立ち向かい続けていた。
「ナギちゃんが連れていかれてからもうずっと……私、サインしてばっかり……ううう、何でこんなに忙しいの……? いつもこんなじゃなかったじゃん……絶対おかしいよ……」
ミカが本来もっていた明るさや無垢なワガママは、もう発揮されなくなって久しい。
ナギサの代わりに書類を片づけ始めた当初こそ、文句を垂らしたり、時折サボったりなど素行不良な場面も見られた。
しかしその間にも、重要書類……処理が一日遅れただけで学園が転覆しかねないような代物の束が、ミカを襲う。
この手続きが終わらなければ、電気と水道が1ヶ月は止まる。
この許可をだしておかなければ、全生徒が寮を追い出される。
この契約をこなさなければ、トリニティの土地が連邦生徒会に接収される。
そんなあり得ないような内容の書類が、無限に届けられていて。
結局は学園そのものを人質に、ミカは無限に仕事をさせられ続け、早幾日。
連日におよぶ深夜までの労働に、ミカはもう、憔悴しきりで頭がうまく働かない。
エデン条約とかそんな高尚なことについて考える余裕は、全くない。
たった今、差し迫っている学園の危機……書類不備による学園運営の即時停止に対処するので精一杯だった。
「うう、あともう少し、あとこれだけ見たら、今日はいったん仮眠をとるから……だれか私を朝の4時に……って、あれ?」
仮眠後に起こしてもらう時間を伝えようとして、その相手がいないことに気がついた。
おかしい、とミカは訝しく思う。
普段からミカには、パテル分派の従卒が常に侍っている。
それに加えてこの書類仕事中には、ミカがちゃんと働いているかの監視もかねて、ナギサの派閥の総務担当がいつもサポートに控えていたはず。
それがいつの間にやら、だれもいなくなっていた。
「おーい、みんなー? どこいったのー? だれかー?」
そんな呼びかけにも誰一人応じない、部屋のすぐ外の、警備の人員すらいないのだろうか。
確認のために扉に向かって歩き出した。そのとき。
「きゃあっ! なに? 停電!? ……って、あれ、戻った……びっくりしたー」
部屋の電気が一瞬消えて暗闇になり、しかしすぐさま明るくなる。
しかしなにやら、電灯の色が消える前よりも不気味に青白く、薄暗く感じる。
ちょっと怖いな……でも少し待てば、元に戻るかな……
そう考えていたところで、カタリと、背後で自身以外のだれかが鳴らした音を聞く。
「あ! なんだ、だれかいるなら、早く言って…………え?」
「…………」
振り向いて、すぐ正面の場所。歩いて数歩もない距離から。
ひび割れた顔面にはめられた、うつろな眼球でこちらを見ていたのは。
「…………遊園、アオ……?」
「……ねぇ、ミカさん」
左右不均衡に身体が崩れ、傾きながら立つ人形。
ミカがヘイローを壊したはずの少女……遊園アオ。
ミカの目の前で、アオは漫然と、不自然に細い腕を上に向けていき。
「私のヘイロー、どこに行ったか知りませんか……?」
空っぽの頭の上を指さして、問いかけた。
次回「ミカ専用スペシャルホラーハウス」の開場です。