サワシオン   作:西風 そら

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竜胆色の瞳

   

 

 

 

 引かれる、引っ張られる。

 

 胴に回っていた長様の腕も、尻餅を付いていた床もなくなった。

 そして真っ白、足の下も。自分の影がうっすら周囲に映っているだけ。

 また霧の中? 落ちてる? 飛んでる? 回ってる?

 

「あわわ」

 ネリは身を縮めた。怖い、地に足が付いていないのはとにかく怖い!

 身体の周りを白いモヤが切るような冷たさで流れて行く。何が何だか分からない、横なのか下なのか、とにかく一つの方向へ身体が持って行かれる。

 引かれる方向、モヤの向こうに何かがどんどん近付いて来る。オレンジの光、チラチラと、なにあれ?

 

「ひっ」

 クモの巣だ!

 オレンジ色の、大きい大きいクモの巣!

 正確にはガラスに石を当てたような放射状のヒビ。それが白い空間を裂きながらメキメキと枝を伸ばしている。

 ヒビの集まった真ん中が砕けて空間を無視した穴が開き、向こう側は何も見えない真っ暗。その深い井戸みたいな底知れない暗闇へ引っ張られているのだ。

「やだあああっ!」

 

 空を掻こうとして、左手が肩から動かない事に焦った。

 違う?

 左手は反対方向に伸びて、何者かに掴まれている。今やっと気付いた。その手が奈落に落ちるのを防いでくれていたのだ。

 ネリは懸命にその手を掴み返した。

 疑う余裕なんかない、右手も伸ばして肘まで掴み、必死ですがり付いた。 

 

(長様の手と違う……?)

 小さくて細くて冷たくて、木の枝みたいに心許ない手。それでも溺れる者のネリには大海の船のようだった。

 

 細い手は思いのほか力強く、ネリの全体重を引き留めて、グイと引き寄せてくれた。手の持ち主の身体が正面に来る。

「・・!!」

 子供!? 今すがり付いているのは、ネリより一回り小さい、女の子。

 

「術を隠さねば」

 血の気の薄い小さい唇から、さっきのパォで聞いた声が発せられた。

 

「え、は?」

 

「あの『クモの巣』は、術力に反応して引く力を増す。お前の術力を畳んで隠さねばならぬ、一時期心を私に預けろ」

 声の調子は相変わらず無機質だが、さっきのわんわん響く不快感はなくなっている。

 

「え、はい、でも……」

 術を隠すって、術を抑える事でいいのかな?

「抑えるだけなら、自分で出来ます」

 すがり付いてはいるけれど、まだ信用出来るか分からない。ネリは慌てて目を閉じて動作に入った。

 ハルさんの訓練、頭の天辺から指先までのエネルギーをへその真ん中に集めて、折り畳んで折り畳んで、ギュウギュウ圧縮するイメージ。

 細い手がガッシリ支えてくれているのでそちらに集中出来た。

 小さく、小さく、ギュウギュウギュウ……

 

 引かれる圧はだんだんに緩くなり、周囲の冷たいモヤは走るのをやめた。

 目を開けるとオレンジのクモの巣はあるが、またたきを落として停止している。

 

「こ、これでいいんですか?」

 

「ああ」

 正面の女の子の声に少しだけ色が着いた。

「ハールートに教わったのか?」

 

「はい、十歳の時」

 

「なんだ、奴はキチンと仕事をしているのか」

 女の子はツイと横を向いて、ネリの質問を遮るように手を引いた。 

「そっと離れるぞ。術力を漏らすなよ、また反応して追い掛けて来る」

 

 女の子は静かに歩き出した。ネリは足元をふわふわさせたまま、繋いだ手に引かれる。

 

「あのオレンジの、『クモの巣』なんですか? さっきのパオの真ん中へ引っ張ったのもアレの仕業?」

 

「いや、形からそう呼んでいるだけで、虫のクモの巣ではない。パォの中心の引力とはまったくの別物で、……おっと」

 足を躓(つまず)かせて、小さい身体がよろめいた。

「さすがに今のは体力を使った。お前さん、自分で歩けないか?」

 

 見ると、女の子の足下にだけ水面みたいな反射があって、その上を裸足で踏んでいる。

 水のような波紋が広がるが、足がもぐる様子はない。

 

「どうして貴女にだけ地面があるの?」

「お前は立てないか? 私が立てているのだから、お前だって立てると思うぞ」

 

 そうかしら? ネリは水面みたいな波紋の上に足を伸ばしてみた。

 靴の爪先にふにゃり、と感触。

 両足を着けると、今着地したようにそこに体重が乗った。少しグラグラするが大丈夫っぽい。

 

「立てる、みたい、です?」

「では行こう」

 

 二人は手を繋いだまま白い中を歩き始めた。歩く度に二人分の波紋が広がり、何処かしらから射し込む光にユラユラと揺れる。何歩か歩いて安心感が増すと、ネリの足元は固く安定して行った。

 

 少し落ち着いて、改めて女の子を見る。

 小さな白い顔に、ビー玉みたいな真ん丸い瞳、竜胆(りんどう)色の光彩。同じ色の前髪がネリの目の前を漂い、後ろ髪はチトより薄い水色が藻のように広がっている。

 見た目は完全に幼い子供だ。無機質な大人の声が、かなりな違和感…… そう思っていると、女の子の方から切り出してくれた。

 

「これは今の私の肉体ではない。お前が安心しそうなカタチを作った。私が子供の頃の姿」

「そ、そうですか……」

 

 ネリは返事に困る。気を回してくれたのかもしれないが、姿と声が合っていなさ過ぎて、申し訳ないが不気味だ。

(偽りの姿しか見せてくれないのは、信頼して貰おうという気がないのだろうか)

 そうは思っても手を離す事は出来ない。この空間はあやふやで、身体があちこちに揺さぶられる気がする。離すと何処かへ飛ばされてしまいそう。

 

 白いモヤの中を幾ばくか進み、オレンジは見えなくなった。モヤが薄まって明るくなった気もする。

 女の子が立ち止まったので、ネリも止まった。

 

「済まなかったな。お前の眠らされている術力を見てみたくて、挑発して叩き起こしてしまった。あのカップを粉々にする力まであるとは思わなかった。あれはお気に入りだから守護を掛けていたのに」

 

「はあ」

 ネリは腑抜けた返事をした。

 あんな強引にグイグイ押し付けられたら、誰だってパニックになるじゃないの。

 その挙げ句壊されてしまったって文句は言えない……って言うか、脅しにお気に入りを使ってはいけないと思う。

 何だかこのヒト、長様の事をうつけだとか言える身じゃない気がする。

 

「まぁ、確かに私のカップを砕く程の術力。見付け出して手懐けたのは正道だ。その点はハールートはきちんと仕事をしている」

 

「仕事……」

 言い掛けてネリは口をつぐんだ。耳を塞ぎたい。何だか心がぐにゃりとする。

 

 ハルさんの『仕事』って……なに……? 

 

 

 

 

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