刺すような光にまぶたを襲撃され、ネリは目を覚ました。
家・・と違う、そうだ、昨日はサクジ教授に紹介されたボランティアで、アウトへーベンの街へ来たんだった。
そして鷹を連れたキトロス博士に偶然出逢えて…………
アタマ、イタイ
起き上がって見回す。いつ宿に入ったんだっけ? 服装は昨日のまま? ん……?
「っていうかここ、どこ?」
壁沿いに物が一杯詰まった棚、子供用の机と椅子、古い壁紙、煤けた木馬と玩具箱。
ベッドも子供用な感じで、ネリの荷物と靴が下に置かれていた。
(宿って感じじゃない。ここに来た記憶……が、無い?)
まぶたを刺していた光は長いカーテンの隙間で、それをめくると大きな窓が現れた。どっしり分厚い古風な出窓。ガラスの向こうは木と草花の繁った……庭?
ネリは出窓に身を乗り出して窓枠を押した。植物と土の匂いが鼻から入って来る。
「!!」
目の前にいきなりヒトが居た。
腰の曲がったお婆さん。
ジョウロを持って、ネリを見て一瞬目を見開いたが、すぐに何事もなかったように通り過ぎてしまった。無言だ。
「・・・・」
どうしよう……
「おはよう!」
反対側から声がした。
そちらはタイル張りのポーチになっていて、山藤の棚の下に琥珀の肌のキトロス博士が立っていた。
「あうう……」
ネリは緊張の糸が切れて泣きそうになった。
「すまん、うっかりウォッカをストレートで飲ませてしまって」
「はあ……」
朝食が山積みの食卓。
今ネリは、働かない頭のまま座らされて目を白黒させている。
「歴史は座学のみに終わらない。まずはタンパク質だ。腹筋が無いと潜りたい場所にも潜れないぞ」
遠慮する暇(いとま)もなく、目の前の皿に卵と鶏のむね肉が盛られる。
「あんな一気に行くとは思わなかった。まあ飲ませてしまったのは私の責任だ」
へべれけになったネリを背負って自宅へ連れ帰り、空き部屋に寝かせてくれたという。まったく記憶の無いネリは恐縮しきりだ。
博士の自宅と言っても本宅ではなく、交通便利なアウトヘーベンに置いている拠点との事。
煉瓦造りの古い平屋がいたく気に入って、即入手したらしい。庭にいたお婆さんは住み込みの管理人。
(別宅を即入手できるなんて、博士はお金持ちなのかしら。書籍も沢山出しているし)
ネリがまたぼぉっと考えている間に、博士が話を進め始めた。
「ボランティアは十日間と言っていたな。うちに泊まって一緒に通えばいい。宿代の節約にもなるだろう。その分肉を沢山食べて身体を作れ。そんなにヒョロヒョロで遺跡が掘れるか」
有無を言わさず追加の肉がドサドサと盛られる。口を差し挟む余地を貰えない。
サクジ教授の紹介であちこちの史跡に赴き、変わり者の研究者たちに結構会って来たつもりだったが、こんな状況初めて。
でも確かに昨日の治安の悪さを考えたら、大変有り難い申し出だ。
盛られた物を一所懸命片付け、お茶を流し込んで、やっと部屋を見回す余裕が出来た。
仮の住まいという割に、家財道具の置かれ方に年季を感じる。以前の住人の物をそのままま残しているのだろうか。ネリの地元の住まいもそうなので、親近感を覚えた。
入り口側の壁際だけ家具が無く、博士の私物らしき大型の土器等のレプリカが並んでいる。
その中に、色目の違う女性の人形が立て掛けてある。等身大で、生え際が濃い紫の真っ直ぐな髪、象牙色の肌。何処の人種を模した物だろう。
よく見てみようと、腰を浮かした……と、人形が独りでに首を回してそっぽを向いた。
「ぎゃああっ!」
お茶をファンブルする娘を、博士は「どうした?」と不思議そうに見つめる。
「人形おぉ、人形が動いたあ!」
「はあ?」
言っている間に人形はスタスタ歩いて、博士の横に来た。
「出発の準備が整いました」
「・・!」
ヒトだった。よく見ると立っていたのは部屋の戸口で、多分入ろうとして、ネリを見て固まっていたのだろう。
「あう、すみません」
人形みたいなヒトはツンと視線を反らせ、博士の後ろに隠れた。
肩で切り揃えられた髪は毛先に行くほど色が薄くなりまるで藤の花びら。手足の長いプロポーションも自然の造詣と言ってしまうにはあまりに完璧で、もしかして何処かの遺跡から掘り出した古代文明のオーパーツを博士が公表せずに匿っているのでは? とさえ思えた。
「さっき話したろ、ボランティアのネリだ。お前より一個年下。十日間逗留させる。勝手を教えてやってくれ」
キトロス博士の喉やかな声。
「ネリ、私の助手のマミヤ。人形よりもずっと優秀で頼もしい」
「よ、宜しくお願いします」
ネリは急いで立ち上がった。
マミヤと呼ばれた助手は博士に小さく返事をし、お辞儀をして出て行き掛けた。
ネリが戸惑っていると、戸口で冷たい視線で呼ぶ。慌てて着いて行った。
「洗濯場はそこ、洗面はそっち、朝食六の刻。分からない事は随時質問して」
「は、はい」
質問を受け付けてくれる雰囲気じゃない。
「発掘道具を持ち、身支度を整えたら玄関で待て」
「あの」
硝子みたいな薄紫の瞳がギロリと睨む。
「朝食の片付けを手伝います」
「君は何をしに来た」
「だって下宿代分くらい働きたいです」
「家の事は管理人がやる。他者の仕事を奪ってはならない」
マミヤは事務的に言い放つと、さっさと踵を返した。
ネリは慌てて部屋の荷物から掘削道具を引っ張り出すと、玄関へ走った。
***
煉瓦の平屋のキトロス博士宅、暴走トロッコのような初日の朝。
玄関に向かうネリは、途中の厨房で、管理人の老夫人がのろのろと皿を洗う後ろ姿を見た。
動きがかたつむりのよう。あれじゃいつ片付くか分からない。
(やっぱり手伝った方がいいのではないかしら)
それでも自分の今は、博士に付いて発掘現場に向かう事だ。
「あの、マミヤさん、荷物持ちま……」
最後まで言い終わらない内に、さっさと先に行かれてしまった。
目的地の史跡は同じ街の郊外にあるので、通いは徒歩だ。
長身の博士は大股でスタスタ歩く。
助手のマミヤはネリより頭半分背が高いだけなのに等身は全然違って、ネリの胸ぐらいに腰がある。当然歩幅も広くて、両肩に大荷物を掛けているのに博士と同じペースで歩いている。
ネリは自分の道具を背負って付いて行くだけで精一杯。確かにこれ以上荷物なんて持てなかった。
『カラコーの茶屋跡』は旧市街、今は使われていない廃屋群の一角にある。
五百年程前の比較的新しい遺跡だが、長年正確な所在が分からなかった。
何度かの災厄で市街図も記録も失われたせいだ。災厄の中には戦禍もあった。
廃墟で隠れ鬼をしていた子供が、剥がれた煉瓦の下に鮮やかな地図らしき絵を見付けた。
これは、文献にだけ残る商人たちの情報交換場所、『カラコー茶屋の大壁地図』じゃないのか? と、研究者界隈で大いに盛り上がった。
学者たちが注目している理由は、その時代はまだ「庶民の為の組織立った情報網」という概念が無かったからだ。
今では当たり前にある新聞やラジオの情報。そういうのを最初に欲したのは、各地を渡る旅人や商人だった。
「どこで事故があって道が寸断された」「どことどこが争(いさか)っているから今通るのは危ない」等の必要な情報は、それまで口伝てのあやふやな物だった。
それをカラコーという当時の豪商が、きちんと情報管理して各地に茶屋を置き、伝書鳩や早馬で連携を取って、どこでも安心して情報を得られるようにしたのだ。
出来てしまえば当たり前になるのだが、無い時には気付かないもので、そういう物って実は山ほどある。
正確な統計が残っている訳ではないが旅人の安全率は上がったろうし、文字を読める事の有利が浸透して識字率も上がったと言われている。
他の街の茶屋のあった場所は判明しているのだが、ここアウトへーベンの元祖、記念すべき一号店だけは不明だった。
それが見付かり、一番最初の壁地図が残っていると聞けば、研究者たちが踊り出すのも無理はない。
茶屋の他の部分は崩れているのに、その壁一枚だけはほぼ完璧に残っている。地図の前に煉瓦が積まれ、漆喰で頑丈に上塗りされていたからだ。
一次調査でどうやらドンピシャだと判明し、都会の中央学府から有名教授が責任者としてやって来てチームが組まれた。キトロス博士もその傘下だ。
今回は周囲の発掘と復元作業の為に、各地の学院にボランティアの募集も掛けられた。ネリはそちら経由。
五百年前にこの地の商人たちはどんな地図で旅をしていたのかな。どんな話をしていたのかな、どんなお茶を飲んで、何に笑って何に感動したのかな。ネリの興味は尽きない。
「ボランティアのヒトはこっち」
キトロス博士は採掘責任者にネリを軽く紹介した後、エライさんたちとの会議に行ってしまった。
ボランティアは十数人の学生風男女で、ネリが一番年下っぽい。昨日食堂で会った学生たちが過半数をしめている。固まってクスクス笑いをしているが、空気空気。
お仕事は、建物があった跡地の土や灰が堆積した土壌から、当時の細かい遺物を掘り出す作業。
貴重な大地図になんか勿論触らせて貰えない。そちらの復元は専門職がやる。その作業を間近で見られる事を、ネリは大いに楽しみにしている。
気が付くとマミヤもこちら側にいた。
「狭いな」
「えっ、はあ、そうですね」
ネリに割り振られた場所は、建物の柱と土台に囲われた、一人がしゃがむだけでやっとの縦穴だ。深さはネリの膝上位。
「ここ入れるの私ぐらいだからじゃないですかね。腹筋なくても役立つ事があって良かったです」
ちょっとは笑って欲しかったのだが、人形はニコリともせず、抱えていた鞄から布包みを出して突き出した。
(??)
開いてみると、細くてコンパクトな掘削道具一式。
「君の使っている柄の長い道具はその場所では効率が悪い」
「はい……」
ネリは目を丸くしてそれらをよく見た。既製品に手を加え、狭い空間で使いやすく改良してある。
マミヤは返事を待たずに自分の場所へ行ってしまった。彼女も細身だから狭い場所を割り当てられている。
ネリの為に使いやすい道具を譲ってくれたの? と思ったが、彼女も同じ物を使っている。要するにこんなケースを見越して、
(お礼を、言おうかな、でも……)
一拍おいて考える。
『効率が悪いのが嫌いなだけだ』と冷たくあしらわれそう。
でも心が冷たい訳じゃない。ネリはこういうヒトを一人知っている。