サワシオン   作:西風 そら

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ネリとマアヤ

 

 太陽が高く昇って、昼休憩の声が掛かった。

 遺跡の建物の外で、地元の婦人会が、大鍋を持ち込んで汁物を作ってくれている。

 この辺りでは他所からの来訪者を炊き出しでもてなす習慣がある。多分五百年よりもっと昔から、戦禍を跨いでも失われなかったカタチの無い遺産のひとつだ。

 

 ネリも背中を伸ばして、少し深くなった穴から這い出ようとした。

 と、目の前に湯気の立つ椀が差し出された。

 

「貰って来てあげたわよ」

 近くで作業をしていた女学生二人組……この濃い睫毛、昨日フンヌル教授の隣でパチパチしていた奴だ。

 

 ネリは「どうもありがとうございます」と言って、椀を差し出させたまま穴の縁をよじ登った。だって椀を受け取ってしまうと手が塞がって出られない。

 

「ね、私たちの所で一緒に食べましょうよ」

「自己紹介なんかしながら」

 周囲に響く朗らかな声で誘う二人。

 外の明るい所で、十人ばかりの男女が輪になってこちらを見ている。皆、椀と食器を手にしているが食べ始めている者はいない。

 

「お誘いありがとうございます。でも私は先輩と食べるので」

 ネリは椀を受け取ると素早く会釈して、風のように逃げた。

 あの輪を形成するのはフンヌル教授ご一行様だ。自己紹介の必要なんか無い、ネリ以外。

 

 建物の陰、倒れた柱に腰掛けて一人食事をするマミヤ。

 その十歩離れた柱の端で、ネリがモリモリと汁物をかっ込んでいるのに気付いて、さすがの人形みたいな顔も目を見開いた。

 

「あ、マミヤさん、あの道具、釣り針みたいに曲がってる奴、使いやすくて助かりました。ありがとうございます」

「…………」

「今、何かの取手を掘っているんですけれど、そういうのを掘るのに凄い便利です」

「…………」

「ちょっと変わった質感の取手なんですよね、磁器っぽいけど磁器ではないって感じ。形も随分お洒落でS字にクルンってなってて」 

 

「……どんな?」

「こんな」

 ネリはマミヤの傍に来て、土の地面に絵を描いた。

 

 

 エライさんたちの講釈が終わって現場に下りて来たキトロス博士は、建物の陰で昼食そっちのけで何やら言い合っている二人を見付けた。

 

「じゃあ五百年も昔に、西方窯の陶器も普段使いされる程出回っていたって事ですか」

「普段使いかどうかは分からない。カラコーなら使っていたかもしれないって話だ」

「カラコーってそこまでお金持ちだったんですか」

「金もあったが新し物好きの見栄張りだ。いつの時代も、ヒトと違った事をやりたがる後世の学者泣かせの変わり者はいる」

「現代でもいますよね」

 

「西の陶器なんか土が悪くて東方みたいな真っ白な物が作れないから、金や絵付でごまかしているだけなのに」

「ええ? でも形は綺麗ですよ」

「独自のデザイン性だけは認める。だが品質は東の最下層の窯元の足元にすら及ばない」

 

 普段表情を動かさない助手がゼンマイが巻かれたように喋っている。博士は見なかったふりをして踵を返した。

(あの娘、思った以上に大物かもしれない)

 

 

 ***

 

 

 帰り道、ネリは借りている道具も自分で背負って、懸命に歩いた。キトロス博士は多分歩幅を小さくして歩いてくれている。

 マミヤは憤慨していた。

 

「そんなに怒っても仕方がないだろう」

「少なくともネリに対するあの処遇は納得行きません」

「私は気にしていないって言ってるじゃないですか」

「気にするべきだ」

 

 

 午後の発掘現場にちょっとした事件があった。

 

 狭い縦穴で掘削に勤しむネリの所に、昼食をゆっくり終えた女学生がやって来て、婦人会の鍋の後片づけを手伝えと言うのだ。

 

「へ??」

「大変そうだったから、お礼に一人回しますって約束したの」

「…………」

「アナタ子供だし、まだ私たちと同じ作業は無理だと思うのよね」

「…………」

「アナタも頂いたんだから手伝うべきだわ。私間違った事を言ってるかしら」

 

 女学生の大きめの声は周囲に響き渡る。皆黙って誰も異を唱えない。

 しかし、口出しをしないと思っていた田舎博士の人形みたいな助手が、女学生の耳の横に来て言った。

「君は一体何をしに来た?」

 

 その後何往復かの口論の末、いきり立った女学生がマミヤに掴み掛かり、止めに入った男子学生の一人が穴に落っこちてしまったのだ。(ネリは穴から出て止めようとしていた)

 

 ――パキ、グシャ

 

「あ」

「あ」

「あああ・・!」 

 

 五百年の刻を土中で待っていてくれた美しい茶器は、あと一息で完璧な姿のまま地上に戻って来られたのに、コンマ何秒かで粉々な『欠片A』になってしまった。

 

「あ、あの子が押したのよ! あの子のせいよ! ジョンは悪くないわ!」

 

 そりゃジョン(親切に止めに入ってあげたのに「触んないでよセクハラ!」と突き飛ばされた男子)は悪くないだろう……

 

 しかし、騒ぎを聞いて面倒くさそうにやって来た現場総指揮者のフンヌル教授が、三番目に叱ったのがジョンだった。

 二番目がマミヤ。

 そして何故か一番悪いとされたのがネリ。

『貴重品がある事をきちんと言っておかなかったから』らしい。

 お陰でネリは採掘メンバーから外されてしまった。

 

 

 

「それにしても、『単位が欲しければ教授に尻を振っていればよかろう、発掘現場を荒らすな』は、言い過ぎだぞ。いやちょっと笑ったが」

 

「その通りでしょう。学校の単位の為に嫌々来るのは構わないけれど、そういう連中に限って偉そうに仕切りたがって荒らすんだ。これはネリが諦めて済む問題ではない」

 マミヤは朝の無口が嘘みたいに捲し立てている。

 

「はい、でも私、お陰で暇になって地図の修復を近くで見られて良かったです」

 淡い栗毛の娘がキョンと答えて、博士も目を丸くした。

 

「今まで幾つかの現場にお邪魔させて貰いましたけれど、どこでも同じような事はありました。派閥がどうのとか学校の上下(うえした)とか。エライヒトの個人的な依怙贔屓まで持ち出されたら、もうどうしようもありません」

「…………」

「サクジ教授にも、そういう場合は深入りせずに三歩引いていなさいと言われています。胡散臭いヒトたちと関わってもロクな事にならないと」

 

 マミヤは言葉を呑み、キトロス博士が苦笑いしながら受けた。

「私は胡散臭くないのか?」

 

「変に庇い立てしなかったのは、私を派閥争いに巻き込みたくないからでしょう? 今日、鍋を洗いながら婦人会のヒトに聞きました。発見者の子供の話に最初に耳を傾けて、調査を始めたのはキトロス博士だって言うじゃないですか。それをフンヌル教授が出張って来て横取りしたって」

 

 キトロス博士は立ち止まった。マミヤも唇を噛んで止まり、ネリも止まって博士を見上げた。

 

「現場では口にするなよ」

「はい」

「サクジ教授には、変な噂が耳に入る前に私から手紙を書いておこう。ネリに落ち度は無いと。あの方なら理解して下さる」

「ありがとうございます。でも大丈夫じゃないかな、多分サクジ教授がいらしたら、マミヤさんよりもっと凄い事を言っちゃったと思います」 

 

 博士は首をすくめて微笑んで、二人の娘の肩をポンポン叩き、三人並んで夕暮れの街路を帰った。

 

 

 

   ***

 

 

 

 三人が煉瓦の平屋の別宅へ戻ると、窓に灯がともって野菜を煮る匂いが鼻をくすぐった。

 

「家に誰かが待っていてくれるのは有り難いものだな」

 博士が言って、ネリは自分の家を思い返した。

 三年前に実家から独立して今の家に独り暮らししているが、まだ寂しいと思った事がない。もう少し大人になって沢山のヒトと知り合ったら、博士みたいに寂しさや有り難さを感じる事が出来るのだろうか。

(それにしても管理人さん、朝のあのペースで皿を洗って、夕食の準備が間に合うのか……凄いな)

 

 家に入ると厨房で、老管理人はゆっくりと鍋をかき回していた。

 台所はきれいに片付いて、朝の混雑の名残はない。寡黙なお婆さんは一日を無理なくのんびり自分のペースで働いているんだ。多分できない事はやらない。

 

 地産野菜のシチューを頂き、ネリは外のポーチで今日使った道具の手入れを始める。

 ふと屋根の裏の欄干を見上げた。古い板目に目を凝らすとそこここに、木彫りの猫が二匹三匹、まるで生きているように佇んでいる。この街の古い屋敷の屋根裏には大概あるんだと、昼間一緒に鍋を洗った地元のおかみさんが教えてくれた。

 

 

 

「あの家、この辺では結構な旧家でさ。元々は今管理人をやっているお婆さんの持ち物だったのよ」

「そうなんですか」

 

 ネリは生真面目に婦人会の手伝いを続ける。

 おかみさんたちは人数を増やして、ぽけっとしていて頼りなさそうな娘に、『親切』で色々『教え』てくれようとする。

 

「ちょっと前に税法が変わったでしょ。持っている土地や家に価値が付けられて、毎年税金を払わなきゃならなくなった奴」

「はい、お金持ちから税金を余分に貰う為の制度だと習いました」

 

「ここみたいに古い街だと、お金持ちじゃないのに先祖代々の土地があるヒトが一杯いてさ、もう本当に困ったのよ」

「あの時代に街がガラッと変わったわよね。古い家屋が取り壊されて、新しい商業ビルがどんどん建って」

「表通りとかすっかり知らないヒトの店ばっかりになっちゃって。うちの親戚もその時さあ~~・・」

「うちもさあ~~・・」

 

 おかみさんたちはひとしきり喋り尽くした後、黙々と洗い物を続ける娘に顔を寄せた。

 

「だからあんた、あの女学者にだって気を許しちゃいけないよ。所詮私ら庶民の気持ちなんか分からないエリートさんだからね」

「そうなんですか」

「そりゃそうだろ、よそから来て先祖伝来の土地家を買い叩いて、元の家主を女中みたいにコキ使っているなんて。私らの感覚じゃ有り得ないわよぉ」

「まあ、どうせあんなボケた年寄りすぐ動けなくなるし、ボロ家に毎年税金払って、トンだお荷物を抱えちゃったもんだわね」

「そうなんですか」

 

 ネリは余計な事は言わずにひたすら手伝いを続けた。

 ヒトというフィルターを通すと印象は変わる。おかみさんたちは別に悪人ではない。こちらがちゃんと取捨選択をしてシンプルに、あった事だけを受け取っていればいい。

 

 

 

 所々ツタの絡まる煉瓦作りの平屋。欄干の木彫り猫。

 ネリはぼぉっと見上げる。

 博士はこの平屋が好きだと言っていた。きっとあの古い猫や庭や子供部屋や、そこに生活するお婆さんごと好きなんだ……

 

「ネズミ除けの呪(まじな)い」

 ボソッとした声に、ネリは振り向いた。

 マミヤが自分の道具を持ってポーチに下りて来て、離れた所に腰掛けて手入れを始めた。

 

「この家には、あの木彫り猫みたいな昔ながらの意匠が沢山ある。居る間に探してみればいい。棚の書物など、何でも好きに見ていいらしい。管理人がそれを許している」

「本当ですか、それは嬉しいです」

 

「ただ、必ず元の場所に戻すんだ。ご老媼(ろうおう)はすべての配置を記憶している。あるべき場所に物が無いと逆鱗に触れ、食事の品数に響いて博士が悲しむ」

「は、はい」

「昼間の議論の続きをやりに来た」

「あ、はい」

 

 マミヤは古い道具全般が好きらしく特に陶器に対する造詣が深い。聞けば何でも教えてくれる。口調は相変わらず固いけれどネリには嬉しかった。

 

 

 書斎で手紙を書き終えたキトロス博士がふと見ると、山藤香る棚の下に今日出会った二人の少女が、少し距離を置いて小鳥のようにさえずり合っている。

 この家に似合う光景だなと、瞳を細めてしばし眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

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