サワシオン   作:西風 そら

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朝靄の馬車

 

   

 

 

 馬車はカラカラと軽快に土道を進み、キオの乗馬は少し離れた後ろを静かに付いて来る。

 

「あいつ馬乗れんのか、かっけぇ――」

「そういえば牧場の子だものな」

「休みの日は羊や牛を追っておうちの手伝いをしているのよ」

 

 馬車のへりにもたれて揺られるルッカ、シュウ、ネリ。

 夜明け間近の薄空に雲がゆっくり進み、カポカポと小気味のいいリズムに合わせて道端の名もない花が流れて行く。

 小さい時は何をするにも三人一緒だったが、年齢が上がるにつれてそれぞれ行動範囲も変わった。こんな風に三人だけで過ごすのは確かに久し振りだ。

 

(やっぱりあの女の子たちにお帰り頂いてよかった)

 シュウは悪い事を考えながらも、のどかな空気を満喫していた。

 

 と、後ろからヒュッと高い音。

 見ると、キオが指を輪にして咥えている。

 その背後からポンポンと蒸気を吐きながらバスが迫っていた。ネリたちが乗る予定だった長距離バスだ。

 

「はいよはいよ」

 御者の叔父は上手に手綱を操作して馬車を道から外した。

 バスは馬を驚かさないよう静かに追い抜いて行く。窓から乗客の女性が小さい子に手を振らせていた。

 

「キオ、何気にカッコいいな、教室じゃ全然目立たない癖に」

「学校にいる姿だけが全てじゃないもの」

 ネリの言葉は、ちょっとだけシュウの鳩尾に落ちた。

 

「頼んだら俺も馬に乗せてくれるかな」

「今度キオのお父さんに頼んでみればいいわ。私は一回乗せて貰った事があるけれど、思ったよりも高くて怖くて、結局何も出来なかった」

「ネリ、高い所苦手だもんな。そういえばシュウも乗れるんだよな、馬」

 

「あ、うん……」

 急に振られてシュウは戸惑った。

 本家の別荘地へ行った時、上流の嗜みとして英国式の馬術を習わされた。もっとも自分は別荘地に行くと体調を崩す事が多くて、満足に通ったのは数える程だ。

 

 それに……

 遠く伸びるバス道と、地平にかすむ草原。

 こんな指導者もいない埒(ラチ)も無い、何処までも走って行ける恐ろしい場所で馬に跨がるなんて、トンでもない。でもネリみたいに素直に怖いと言える訳もなく。

「僕は習い事としてちょっと乗った程度だし。仕事でやっているヒトと一緒にしたら失礼だよ」

 

 ふぅん、そういう物か? と、ルッカはその話は終わらせてくれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その後ネリは、ディパックからメモを取り出し、フィールドワークの打ち合わせを始めようとした。

 しかし案の定、最初の二行も進まない内に、ルッカが眠掛けを漕ぎ出す。

 

「もぉ」

「しようがないよ、朝早かったんだから」

 シュウにしたら、久し振りにネリとの会話のキャッチボールが嬉しかった。

 

「本当に歴史って興味を持たれないのね」

「それはそうだよ。ネリだって、三角関数とか原素記号とか興味持てないだろ?」

 

「ああ、うん……」

 ネリは素直に肩を竦めた。

 歴史と生物学は得意だけれど後は並、数学に至っては赤点ギリギリってのがネリって子だ。

 あの帰った二人みたいにお洒落をバッチリ決めて来る意欲もない。興味はそれぞれって言葉を自らが体現している。

 

「ヒトの事なんかどうだっていいじゃない、僕はネリが好きな物に打ち込んでいる姿が好きだし」 

 思いきって言ってからシュウは顔をそむけた。

 

「そうね……」

 歴女は折角の勇気ある発言に気付かない。

「シュウ、ありがとうね、私がこのテーマを言い出した時に賛成してくれて」

 

「ぇぇ……ぁ、うぅん、他に誰も言い出さなくてシーンとなっちゃってたから助かったし」

 

「シュウも興味なかった?」

「いやいや、この前ルッカに言った通りだよ。学校で手抜きされている部分を埋めるのは楽しい」

「そっか、そういう入り方もあるのか」

「ネリは好きだよな、歴史」

「うん、でも自分の本当に好きな物はこういう所に出さない方がいいって、分かった」

 

 低調な声のネリに、シュウの頭は、『何を言えば楽しく会話を続けられるか』で一杯になった。頭が切れる高スペック男子といえど、所詮十三才の中等学生。 

 

 女の子の方から口を開いてくれた。

「私ね、多分一生、歴史を勉強し続けると思うの。こんな面白いもの他にないと思っているから」

 

「お、おぉ、凄いな」

 

「出来れば、歴史を教えるヒトになりたいの」 

 

「えっ、学校の先生? じゃ、『高等の学校』へ行くの?」

 それこそ理系の点数を爆上げさせねばならない。自分の出る幕がありそうだとシュウはまた心踊った。

 

「どうだろ、うちは行かせて貰えるか分からない」

「あ……」

 

 教育に対する考え方は種族によって様々だ。

 自分たちクリンゲル街では重きを置いている方だが、それでも女子で上の学校へ進めるのは、よほどお金持ちの子か、周囲がもったいないと思ってくれるほど学力の高い子だ。

 ネリの家は弟が二人いるし、教育費はそちらに優先されるのだろう。

 

「高等の学校へ行けたら嬉しいけれど、歴史の勉強だけなら、書物のある所なら何処でも出来るものね」

 

「うん、そうだね」 

 図書館で勉強するのなら、学校を出てからも一緒に過ごす機会を持てそうだ。それならそれでいい。

 シュウは気持ちを持ち直した。将来の話をしてくれるなんて、結構良い会話が出来ているじゃないか。

 

 

 

   ***

 

 

 

「これの著者なんか、学校に行った事がないのよ」

 

 揺られる馬車の上。

 ネリはディパックから、大切そうに四角い布包みを取り出して、シュウに見せた。

 開いて出て来たのは、萌黄色の革表紙の書物。かなり古い物で、擦りきれてタイトルが読めない。

 

「狩猟生活をしているような山の部族の族長さんなのに、かなり広い範囲の歴史の流れが書かれているの。この国がどうなったからこちらがこうなったとか、関係性が凄く分かりやすい。十代の頃から生涯かけて、起こった出来事を淡々と書き連ねた記録。見付けて出版したのは後世の子孫なんですって」

 

「ほお」

 渡された書物を少しめくって、シュウは素直に興味を持った。今から四、五百年前から始まって、草原の各部族の動向が、年代別につまびらかにまとめられている。

 文章は古めかしいが簡潔で、ネリのような普通の子供でも十分に読める。

 

「そのヒト、族長なのに、あちこち出歩いて見聞していたの? 今みたいな通信設備もラジオも無いんだろ?」

 

「うぅん、彼自身は地元から離れてなくて、商人や旅人のコミューンの世話役をやっていたの。皆の話を統合して発信する役目……元祖ネットワークって奴ね」

 

「ほお、その時代にそれは凄いね」

 

「でも一番凄いのが、鷹よ」

「鷹?」

 

「伝書鷹で、山を越えたような遠くの民族と文通していたって」

「ええっ、そんなおとぎ話みたいな」

 

「私たちだって、ちょっと前まで伝書鳩を使っていたじゃない」

 

「そうだけれど……」

 シュウはまたページをパラパラとめくった。鷹ね……

 ふと、所々、見たこともない文字が入っている事に気付いた。

 活版印刷の、そこだけ別に手彫りした感じ。

 

「これ、何語?」

 

「えっと、それは北の少数民族の言葉。現代ではもう使うヒトはいないらしい」

 

「失われた言語って奴? へええ!」

 

 そういうのはシュウのツボだったみたいで、ネリは鼻の穴を広げて上機嫌になった。

「うふふ、俄然興味が湧くでしょ」

 

「う、うん」

 昔みたいな子供っぽい目で見上げられ、シュウの胸がまた踊る。

 よしよしよし、いい感じだ、いい感じいい感じ。

(ルッカ、頼むからいつまでも寝ていてくれ)

 

 

 

  ***

 

 

 

 ――ヒュッ

 

 また指笛が鳴った。

 キオの背後から、貨物自動車が満載の荷物を揺らしながら近付いて来る。

 叔父はそちらを見て左手を上げ、左側へ馬車を寄せて先を譲った。

 貨物も馬を驚かさないよう、十分に減速して追い抜いて行く。

 一台分の狭い道、身軽い方が避けるという不文律が出来ているんだろう。

 キオも合図係として慣れている感じで、貨物に手を振って道へ戻った。

 

「あっ、そうだ、おーい、キオ!」

 ネリが口に両手を添えて呼んだ。

 

 シュウは鼻苦く感じたが、離れている彼にもキチンと声を掛けるのはネリの美点だ、と思い直した。

 

 少年は馬を速めて近付いて来る。

 

「ねえ、これ、ここの文字、何て訳するんだっけ?」

 

 キオは臆することなく「何頁?」と聞いた。

 

「百六十頁。風出流山(かぜいずるやま)の古代文字」

 

 黒髪の少年はスッと息を吸う。

 

「――頂きは遥か雲上」

 

 シュウは、え? と表情を止める。

 

「峰々は氷を抱き

 そこに息づく者あれど

 地上のヒトの生業に

 欠片の拘(かかずら)いも示さず――」

 

 朗々と吟じる。

 彼の声を初めて聞いた気がする。

 もっさりした外見に似合わない、声変わりしていない、濁りの無い澄んだ音。

 

 シュウは内容が入って来なかった。

 なんで? なんで? が頭に渦巻いている。

 

「ああ、キオの愛読書だったの、これ」

 

「え……あ……そ……」

 

「この書物、キオのお父さんに頂いたのよ」

 

「・・!!・・」

 

 

 

 

 

 





挿し絵:馬車
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