「私やツェルトは、少しの星明かりでもこれが見える」
博士はスルリと言うが、族長は、
「冗談、そんなバケモノは君一人で十分だ。僕は言われなければ分からない程度だからなっ」
と、強く反論した。
月がすっかり白くなり、ネリたちには地図が見えなくなった。
部屋にカンテラが灯され、博士は地図の壁に大判のタペストリーを被せる。
「少なくともひい祖父さんの時代からこの場所にはタペストリーが掛かりっぱなしだった。だから私が地図に気付いたのは、家の修繕をするのに一旦壁を解体した時だ」
「このタペストリーで地図を保護していたんだろ。ひい爺さんも地図に気付いていたんだろうな。酔狂の血は継承されるってか」
「だから、お前の先祖でもあるんだぞ」
「それにしても偶然に委ね過ぎです。子孫の酔狂をそこまで信用できるなんて、本当にどうかしています」
マミヤが隣の間から茶器を運んで来ながら随分な事を行った。
「あのぉ…… あるんですか? 月の赤い光だけに反応する塗料なんて」
お茶を配るのを手伝いながら、ネリがもっともな事を聞いた。
「うん。私は専門外だから、ちょっと削って化学畑の友人に見て貰った事があるんだが。苔の成分みたいなのが検出された位で、大した事は分からなかった。それこそ魔法の類いかもしれないな、都合が良すぎる性能だし」
「魔法って……」
マミヤがチラとネリを見たが、ネリは(知りません)という顔で激しく首を振った。
「あるかもしれないねぇ。その近辺で蒼の妖精一族と交流が深かったみたいだし。彼ら古い強力な魔法が十八番だろ」
ツェルト族長の話に、マミヤはまたネリを見た。
「そういえばネリ、蒼の里ってクリンゲルの近くだよね、場所も知っていたみたいだし」
「ふうん?」
族長がネリの顔を覗き見た。薄い色だけれど力のある目。キトロス博士も黙って耳を傾けている。
「あ、あの……」
蒼の妖精に関しては思う所が一杯あるネリだけれど、あまり話さないようにしている。サクジ教授にだって全部は話していない。
「わ、私が中等の一年生の時に、学校の歴史の自由研究……フィールドワークで蒼の里へ行った事があるんです」
「フィールドワークぅ!?」
マミヤの呆れた声。
「極端に閉ざしている部族って聞いたけれど、よくそんな理由で入れたね」
「グループに、蒼の里に商品を卸している家の子がいて。たまたまなんです。今から考えると凄く運が良かったです」
「ね、術とか魔法とかみんな普通に使ってる感じ?」
「いえ、そんな事はなくて。子供は私たちと同じように成績で苦労したり蹴り球に夢中になったり。大人だって外の世界の便利な物は足りる分だけ受け入れていました。
でも術の力が凄いヒトはやっぱり凄くて、五百年効いてる術があるって言われても、有り得るだろうなと思っちゃいます」
博士と族長はあまり質問せずにニコニコと、ネリの話を聞いている。
「あっそうだ。蒼の里でも子供たちが通うのは学校じゃなくて修練所だって」
「うん」
族長が頷いた。
「三峰はヤンの時代以降もポツポツと交流はあったから。『修練所』って概念も多分あちらから来たと思うよ。そういう関わりを考えると、やっぱり塗料も彼らに貰ったのかもしれない」
「そんな気がして来ました」
「繋がっている物だねえ。たまたまでも偶然でも運任せでも、繋がる物は繋がる」
***
地図を描いたのはおそらく、表の舞姫画の作者。日記に出て来る『彼』だという。
「街の地図を描いたヤンとは違うのですか?」
「うん、ヤン自身は、地図にはあんまり執着していなかったと思う。それよりカラコーの事が結構好きなのが行間に滲み出ているからね。彼とのわだかまりを解消する方が大事だったんじゃないかな」
というのは族長の推理。
「友達がされた事を本人よりも怒ってしまうのは、ありがちだ」
博士に見つめられ、マミヤは耳を染めて頷いた。
その、『本人よりも怒ってしまった彼』の直系子孫で、代々ここに住んでいた酔狂者の末裔が、キトロス博士。
ツェルト族長はヤンの直系だが、両家は度々婚姻を結んでいたので、家系図に重なる部分が多い。
要するに先祖の悪口を言ったらブーメラン。
「『彼』の名前が日記に記されていないのは何ででしょう?」
「うん……親しい友人ではあったようだけれどね」
「家系図では?」
「家系図は『カペラ』となっている。が、注釈に『亡くなった歳の近い者の場所に嵌め込んだ』とあるんだ。要するに、カペラの親とは他人」
「ええ……何でそんな事を……」
「僕の予想だけれどね。『彼』とその妻は、他所から流れて来た異邦人……悪く言えば流民だったんじゃないかと。当時の部族社会の外面上、三峰のどこかの『家』に入れてやる必要があった。それでヤンも、名を明確に書く事を控えていたと思う」
流民……ネリの頭の中に、つまはじきにされて肩身狭く生きる『彼』が想像されてしまった。
そんなネリの心を読むように、博士が語りかけた。
「学校の子供たち。私みたいな濃い肌色の子も、ツェルトのように色の薄い子もいたろう。どちらも『彼』とその嫁さんがこの村に持って来た色だ。もうすっかり三峰の色だ」
場所の歴史もヒトの歴史も、奥深い。
***
五百年と少し前、三峰集落のおつかい係の少年ヤンは、街を訪れる旅人の為に壁地図を描いた。
しかし商人カラコーが、その場所を奪ってお金儲けの為の茶屋にしてしまった。成人でもない少年には抗議する術も無い。
やがて酔狂者の友人『彼』を交えて話し合いが行われ、決着。カラコーとの間柄も修復する。
ヤンはそれで終わらせたつもりでいたが、『彼』は納得していなかったようで、誰にも内緒で月光の地図を残して鬱憤を晴らした。
お茶の二杯目がなくなる頃、四人でそういう筋書きに落ち着いた。
「検証って面白いですね」
「面白いだろ」
「しかしキトロスよ」
族長が真面目な顔になって切り出した。
「カラコーの地図を剥がして裏を覗き見るなんて、危なっかし過ぎるぞ。聞いて肝が冷えた。裏に残っている保証もないのに」
「確信はあったさ」
博士は言い返したが、少しだけ首を竦めた。
ネリにはそこが疑問だった。何故カラコー地図の下に元地図が残されていると思ったのか。支店が出来た時点で地図の範囲を描き変える必要があったなら、塗りつぶしたと考えるのが普通だ。
博士はネリとマミヤに正面向き、問い掛けた。
「カラコーは壱ヶ原の豪商だ」
「はい」
「当然あの街に拠点があった、家族も住んでいた。羽振りが良かったから一族も栄えただろう」
「はい。そうだと思います」
「街の名前が変わって時が記憶を薄れさせても、操業時の記録はどこかに保管されていると思わないか?」
「え? いえ、戦禍もあったし、あの街は新旧交代が目まぐるしくて、族長家のようには………… あ」
「あっただろ、古い中身も丸々残った家が」
「・・!!」
二人の娘は顔を見合わせた。
「例の、『カラコーの名すら忘れた末裔』の住む旧家、か?」
族長は知っていたようだ。
「何か見付けたのか? 見付けたんならすぐに報告しろよ! あの家を入手したいと君が駄々を捏ねた時、僕は結構私財をなげうった記憶があるのだがっ!?」
それはもっともな抗議だ。
「いやいや、生涯ヤンに紙とインクを提供し続けてくれたカラコーの子孫だぞ。困っていたら純粋に助けたいと思うのは当たり前だろ。
けして家捜し目的ではない。当時の帳簿がまるまる残っていたのもたまたまだ。その隙間に地図改装時の工程表が挟まっていたのも、まったくの偶然だよ、ツェルト」
「だ、だから、やらかす前に報告しろよ!」
「報告したら止めるだろ」
「~~!!」
「まぁそうじゃないかなって気はしていたんだ。カラコーは、ヤンが純粋に人助けで描いた地図を塗り潰してしまえるような奴じゃないって。食事の合間の雑談を覚えていて喜ぶ物を贈ってくれるような人物だぞ」
「…………」
族長は何を言う気力も失したようで、肩を落として溜め息を吐いた。
ネリは目を白黒させて双方を見ている。
何と当たり前に、危ない道でもバリバリ突き進んで、大昔の会った事もない人物の所へ寄り添いに行ってしまえるヒトだろう。
マミヤが博士を「ああいうヒトだから」と常に心配しているのが、別な意味で理解出来た。
ネリはそろっと口を開く。
「あの、戦乱の時代……地図を煉瓦で覆って隠したのって、カラコーなんでしょうか?」
「どうだろうな、年代的に微妙だし、晩年は不明瞭な人物だ」
「私はそうだったらいいなと思います。敵に資料を渡したくないならそれこそ塗りつぶせばいいだけだもの。わざわざ煉瓦を積み上げたのは、『裏の地図を守りたかったから』って考えたいです」
「…………」
「ここの月光の地図を描いた『彼』も、博士と同じようにカラコーを理解していたんじゃないでしょうか。
そしてイタズラを残したんだわ。いつか