サワシオン   作:西風 そら

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谷間に幽かに残る音
学者と夢想家


 

  

「ペースを落としてくれ、キティ」

「私の名前はもうキトロスだ。いい加減覚えろ」

「いいからちょっと待て……ぜぇ……ぜぇ」

「そんなに細っこいからすぐにヘバるんだ。普段からもっと肉を食え」

「僕はこれで丁度いいんだ。君の骨格を基準にされてたまるか」

 

 後ろを歩く二人の大人は、さっきから同じような会話を繰り返している。よく飽きないものだと呆れながら、子供は大岩の登りに掛かった。

 

「しようがないなぁ。お――い、少し休憩にしよう」

 

 呼ばれてしまった。あ――あ……

 だが機嫌を損ねてはいけない。払いの良い客だから丁寧に扱えと言われている。

 子供は感情を仕草に現さぬよう、無表情で頷いて引き返した。

 

 素人が登るには少々険しい山道。

 今日の客は男女二人組。コーコガクシャと名乗っていた。

 コーコガクシャってのはたまに来るけれど、女性は珍しい。もっとも女性とは思えない程大きくて強そうだ。自分も肉を食べたらこんな風になれるんだろうか。

 

 子供は担いでいたザックからアルマイトのカップを出して、立ったまま休憩している女性に差し出した。彼女は大荷物を背負っているので、小休止では座らない。

「ありがとう、私はいいからあちらのおじさんに水をあげてくれるか」

 男性の方は青い顔をして座り込んでいる。

 

 子供は聞こえなかったように、水筒からカップに水を注いで女性に押し付けた。

 女性は仕方なく受け取り、男性の所へ運んでやる。

 その間に子供は二人からうんと離れて、すました顔で岩に腰掛けた。

 

「言葉、通じないのか? 標準語が分かる案内人をって頼んだのに」

「ガイドとしてはちゃんとプロの仕事をしている。問題ない」

「どうして僕に手の届く範囲に近寄らないんだ」

「あまり気にするな。子供には子供のこだわりがあるんだろう」

「見た感じの危険度は君の方が高いだろ」

「絞めるぞ」

 

 子供は塩を口に含みながら、大小の大人を眺める。筋骨逞しい女性と、色の薄い貧弱な男性。反対の事を言い合っているようなのに楽しそうだ。珍しい大人だな、と思った。

 

 偉そうに講釈を喋り続ける集団をこれまで何回も案内したが、険しい登り道にだんだんと静かになり、ご希望の目的地に着くと完全に沈黙してしまう。

 そんなのの繰り返しなので、子供にとってのこの仕事は、一族の大人に言い付けられて勤めるだけの、乾いたビジネスでしかなかった。

 そもそも何であんな()()()()()に、このヒトたちは高いガイド料を払って行きたがるのか。

 

 

 ***

 

 

 道の所々に白い残雪が現れ出した。

 子供はヒョイヒョイと渡ったが、振り向いていきなり「ダメだ!」と叫んだ。

 

 三人の真ん中を歩いていた男性が足を上げかけていた所だった。

 

「足跡以外踏むなってさ」

「だってあの子の足跡小さいじゃないか。その割に歩幅が大きいし」

「ガイドに従え」

「こっちだって山育ちなんだ。雪渓のセオリーくらい知っている」

「お前は頭でっかちの引きこもりだろうが。ここではあの子がルールなんだから従え。ほら、私が先に行って王子様に道を作ってやる」

 

 女性が彼を追い抜いて、ズシズシと子供の足跡の上にスタンプし、足場を広げてやった。

 男性はえっちらおっちらと、女性の大きな足跡にいちいち両足を揃えながら着いて行く。

 確かにこんな春先の雪渓は下が空洞だらけで、踏み抜いたら一巻の終わりって事もある。道迷いの原因にもなる。だから夏道を熟知しているガイドが雇われたのだ。

 

「こんな季節に無理矢理来たがったのはお前なんだから、責任持って頑張れ」

「だってさ、親父の奴、ずっと引退したがってて。兄貴たちは帰って来ないし……」

「…………」

「春繭の奉納祭が終わったら、今度こそ逃れられない気がする。族長になっちまったらもう出掛けられないだろ、こんな旅」

「……まあな」

「ここだけは来ておきたかったんだ」

 

 

 ***

 

 

 黒い高い木の森を抜けて、ついに目的地に辿り着いた。

 山の谷間に突如現れる、広々とした河原。上流からの砂や石が大昔からタイセキしたキセキのようなテイエン、と過去に案内したガクシャは言っていた。

 谷の春霞に覆われて遠くはぼんやりしている。

 ポツポツと芽吹き始めた湿った土壌に、青やピンクの花が色を付けている。子供もこういう春の景色は好きだった。

 

「もう少し後なら風露草(フウロソウ)が見事なんだがな」

 言いながら荷物を下ろす女性は、ここは初めてではないらしい。こんな辺鄙な場所に何回も来るなんて変な奴、と子供は思った。

 

 広場の右奥は谷川になっていて、今は雪が詰まっている。半透明になっている下で雪解け川が激しい水音をさせている。更に奥、霧に霞んだ向こう側に大きな岩が何本か、尖った槍のように真っ直ぐ天に突き出している。ガクシャは『チュージョーセツリ』と言っていた。

 

「君らの祖先はあの塔の上に住んでいた」

 

 後ろから女性に言われて、子供は振り向かずに眉間にシワを入れた。

 あそこに住んでいた部族の子孫だから、ガクシャは自分らにガイドさせる事に価値を感じるそうだ。

 そんなの自分に関係ない。

 そんな大昔の事知らない。

 今を生きなきゃならない自分に押し付けないで欲しい。

 

 

 ***

 

 

 雇い主の男女は、本日はここで宿泊予定。健脚なら日帰りの出来る距離だが、あの歩みの遅さなら確かにその方が無難だろう。

 勿論子供も一緒に泊まる。が、寝場(ねっぱ)は離れた所に一人用を設える。その為の天幕は自分で担いで来ている。

 

 女性は場所を選んでてきぱきと、シートを敷いてテントの設営を始めた。自分たちの為の装備は自分たち(主に彼女)で担いで来た。ポーターを雇わないのも珍しいなと思った。

 

 男性は? 設営そっちのけで谷を勝手にうろうろしている。危なっかしい、あちらを見ていなければ。

 子供は集めていた薪を下に置いて、谷へ向かう男性の方へ駆けた。

 

「そっち行くな!」

 

 鳶みたいな声に、雪渓に足を掛けようとしていた男性は、不機嫌そうに振り向いた。

「ちょっとあの塔の根本へ行ってみたいだけだよ」

 確かに谷の細い所には白い雪が詰まり、一見渡れそうに見えている。

 

 女性は手を離せない作業をしているらしく、顔だけ上げて怒鳴った。

「雪渓には乗るなと言われたろ」

「でもぉ」

「ああ――、君、ガイドさん、そのおじさんをあちら岸へ案内してやってくれるか。確か回り込む道があった筈だ」

 

 子供は小さく了解の返事をして、男性に対して別方向を指差して促した。

 男性はブツブツ言いながら引き返して来た。

 二人は、設営をする女性を残して、谷沿いを上流へ歩いた。

 一定の距離を取ってスタスタ歩く子供。しかし男性が遅れると立ち止まって待ってくれる。仕事はするがあくまで近寄りたくないって所だ。男性は肩を竦めて溜め息し、大人しく付いて行った。

 

 

 ***

 

 

 白い化石のような巨大な岩が、折り重なって倒れている場所に出た。それが谷に被さって、向こう岸へ行ける道を作っている。

 この瓦礫を上手く伝って行けば、あちらに見える群塔の下へ行ける。

 もっとも子供にはただの取り残された岩が突っ立っているだけにしか見えず、ただただ無駄な労力にしか感じない。

 でも客の希望だ、仕事はこなさねば。

 

 あの貧弱な男性でも歩けそうな足場を探して、さて渡り始めようかと振り向いたら、彼がいない。

 

 慌てて引き返すと、岩を回り込んだ大分離れた所に、背中を向けてしゃがみ込んでいる。

「おい」と声を掛けても、背中は動かない。またヘバったのかと、子供は苦い気持ちで近付いた。

 

 尖った岩がゴツゴツと中途半端に地面から突き出している場所だが、男性の周囲には、ヒトがやっと運べるぐらいの大きさの石が、規則正しく並べられている。

 過去に来たガクシャが、塔の根元をホゴしていたボウゴヘキの跡だと言っていた。あちらの塔の根本にも同じような物がある。

 

「護ろうとしていたんだな。石を積んで」

 男性はしゃがんだまま古い石垣に手を当てている。

 

 ここにも大きな塔があったのが、倒れてあちらの谷に渡る瓦礫となった……とは、やはり過去にここへ来た誰かから聞かされた。だけれどどうでもいい事だ。どんな理屈を並べたって今はただの残骸でしかない。

 

 子供はしばらく無言で待ったが、男性がいつまでも石なんか撫で続けているのでいい加減苛ついた。これから自分は薪を集めて火をおこし、夜営の準備をせねばならない。自分の寝床の準備もまだだというのに。とうとう声を出した。

 

「守ってもどうせ崩れてしまった」

 

 男性が止まって顔を上げたので、子供は更に言葉を続けた。

 

「だってそんなちっぽけなヒトが積んだ石垣なんて、何の役にも立たない、自然の災害の前では。何百年かに一度の嵐が来て、雨と土砂とが山の形が変わる程流れたら、もうそんな石垣なんか何の意味もなさなかった。無駄な労力だった。そんな事をやっている間に、子孫にもっと財産を残せば良かったのに」

 これは、子供の親や親族が、仕事の進められない雨の夜なんかに寄り合ってブツブツ言っている事だ。

 

 男性がしゃがんだまま身をひねって真っ直ぐに見て来たので、子供は言葉を止めた。

 怒らせてしまったか、でも怖い顔はしていない。

 ただ黙って薄い色の目で、子供の顔をじっと見つめている。

 このヒトは髪が真っ白だが、ふっさりとした睫毛も白いんだと思った。

 

 その睫毛を伏せて、男性は立ち上がった。

「君は戻っていていいよ」

 言って、スタスタと谷を越える瓦礫の方へ歩き出した。

 

「ダメだ!」

 叫んでも今度は男性は止まらない。面倒くさい。

「あちらの女が雇い主だ。あんたを向こう岸へ安全に連れて行けと言われた」

「一人で大丈夫だよ、これくらい」

「このくらいと言っている客ほど何かあったらすぐガイドのせいにする。そして難癖付けて賃金を踏み倒すんだ」

「キティはそんな事しないよ」

「ガクシャなんかみんな同じだ。大昔の事ばっかり大袈裟に崇めて、今そこに住んでいる者を踏み台ぐらいにしか考えていない」

「…………」

「ガイドは私だ、案内するのが仕事だ」

 

 男性が反論をやめて大人しく後ろに従ったので、子供はホッとした。よかった、つい言い過ぎた。

 あんなに沢山喋るつもりじゃなかった。今まで知ったかぶったガクシャにどんなに腹が立ってもグッと溜めて口を閉じていられたのに、何でかこの呑気な男性に対しては堰を切った。

 

 瓦礫は確かに危ない箇所だらけで、平らに見えても砂が乗っているだけで足を置くと思いきり滑り出したり、浮き石が直角に動いたりする。子供はこの道は嫌いだが、あちらへ行きたがる客が多いので、ある程度の経路は頭に入れている。

 

 最後の岩を降りて、塔群の根元に着いた。雨季には川になる場所で、今でも年々塔は崩れて行っている。

 男性は塔のひとつの根元にしゃがみ込んで、また石垣に手を当てた。

 

「先に戻っていてくれ」

「ダメだ」

 

 男性は振り向いたが、今度はさっきと違って表情のある顔だった。

「君がプロフェッショナルなのはよく分かったよ。僕はここでしばらく一人でいたいから、陽が沈む少し前に迎えに来てくれ。勝手に危ない所へ行ったりしない、約束する」

 

 陽が沈むまではまだ大分ある。確かにそんなに長い時間付き合わされては堪らない。

「本当に谷に近付くな。山の方にもだぞ」

「ああ、谷の神に誓う」

 

 谷の神なんて言葉は聞いた事もないが、子供は了承して来た道を戻った。

 

 

 最初の広場に戻ると、女性は黙々と竈を組んでいた。自分の設営はすっかり済んで、何だったら薪集めも終わっている。

 連れが一人で残りたがった事を告げると、特に驚きもせず、案内の礼を丁寧に述べた。

 

「ツェルトは我が儘だから。手間をかけてすまない」

「ガクシャの我が儘には慣れている」

「あいつは学者と違うよ。ただの夢想家だ」

「ムソウカ……」

 また厄介人種のリストが増えた。

 

 

 

 




挿し絵:谷間に幽かに残る音・表紙
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