サワシオン   作:西風 そら

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口琴

 

 

 

 子供は、自分の寝場(ねっぱ)を枯れ木の下に設えて、それから女性に勧められて竈の前で茶を飲んだ。普段は湯を沸かすのもガイドの仕事なので、また珍しいなと思った。

 

「ねえガイドさん、いつもあんな木の枝に布を掛けただけで寝ているのか?」

「今日くらいの気温なら平気だ」

「私らのテントに入るか? 余裕があるぞ」

「ダメだ」

「そうか……」

 女性は少し考えてから、

「では寝袋が余っているから使え」

 と命令口調で言った。

 それには子供は反論しなかった。

 

 本当は泊まりになる時は、子供はほぼ一晩焚き火番をする。一人用の寝場は客が気にするから作るだけ。この日もそのつもりで寝袋を使う予定も無かったが、説明するのもめんどうなので黙っていた。

 

 

 ――コォン

 

 不意に谷に音が響いて、子供はビクッとした。

 

「ああ、ツェルトだ」

 茶を飲みながら女性がのほほんと言った。

「あの男のヒト? 呼んでいるのか?」

 子供は腰を浮かしたが、女性は手を延ばして制した。

「いや違う。好きにさせてやってくれ」

 

 ――コォン

 ――コォン

 

 何を鳴らしているのだろう、乾いた木を打ち合わせたような音。

 

「口琴(こうきん)だ。このくらいの楽器」

 子供の疑問に先回りするように、女性が親指と人差し指で長細い形を作って説明してくれた。

「竹で出来ている。口に加えて指で弾いて共鳴させる。結構コツが要って私は鳴らせないがあいつはとても上手い」

 

 ――コォン

 

 そんなに小さな楽器の割に、随分大きな音だ。でも本当に何でまたあんな所で。子供はザワザワと嫌な気分がした。

 

「君の部族の生産品には無い物だね」

 女性がまた子供の思考に先回りした。

「あの口琴は子供の工作で作れてしまうような簡単な物だ。実際あれも、ツェルトが祖先の書き残した図を見て素人手で作った。君の前で楽器の講釈などおこがましいと思うが」

 

「そんな事はない」

 子供は思わず否定した。

「何を鳴らそうと好きにすればいい。おこがましいなどと言える口を私は持たない。私はそんな価値のある者ではない。一族は楽器造りで名を馳せているかもしれないが、私は皆が当たり前に分かる音の違いが分からない、楽器造りになれない味噌カスだ。だからせいぜいガイドで働いているしか能がない」

 また喋り過ぎだ。今日の客は二人とも調子を狂わされる客だ。子供は後悔しながら口を閉じた

 

 女性は黙って子供を見ている。哀れんでいるのとは違う感じ。ただ柑橘みたいな瞳をパチパチとしばたかせてじっと見ている。

 

 子供は視線を振り払うように立ち上がった。

「モヤが出て来た。少し早いけれど迎えに行って来る」

「ああ、気を付けてな」

 

 

 ***

 

 

 ――コォン

 

 思ったより立ち込めるのが早い霧に追われて、子供は急いて谷の瓦礫を渡った。

 こんな真っ白な中を男性はまだ楽器を鳴らしている。呑気な物だが、今は居場所が分かるので助かる。

 塔群の場所に着いた時には、ミルク色の靄は少し先の岩陰も見えぬ程に立ち込めていた。

 

 この谷は何度も来ているが、ここまで視界が悪くなるのは初めてだ。子供は用心しながら歩を進めた。

 この分だと暗くなるのも早い。早い目に来て正解だった。少しでも明るい内に、あの客に谷を渡らせなくては。

 

 しかし

 ――コォン、コォン

 口琴は聞こえるのだが、方向が定まらないのだ。谷の反響が思ったより音を散らしている。 

 おまけに

 ――コォン

 ――コォン

 ――コォン ――カコンン

 

 残響と本当の音が混じって区別が付かなくなって来た。こんな事ってありか?

 おぉい、と呼んでみたが返事もない。

 

 ――コォン

 ――コン ――カァン

 ――コォン

 ――カン ――コロン

 ――カン、コロロン、トトン

 

 ・・何だか違う音が重なって混じっているような……いやいや、まさか。

 自分まで夢想に巻き込まれてどうする。

 それよりこんな所で暗くなったらまずい。

 大声で呼ぼうと思ったその時、一際鮮明に

 

 ――コオオン

 

 谷全体を震わせる音、と同時に、辺り一面真っ赤になった。

 

 落ち着いて、正確には薄い桃色かオレンジだ。

 子供は一瞬硬直したが、心を落ち着けて空を見た。多分上空で雲の隙間から夕陽が射し込んだんだ。夕陽の朱(あか)が靄に映っているだけだ。

 まったくあんな音なんかに惑わされてるからこっちまでおかしくなるんだ。

 もう一度「おぉい……」

 声を上げかけたその時

 

 ――ブワァア――――

 

 音が谷に溢れた。何の音か分からない。一つの音じゃない。あっちからもこっちからも谷一杯に膨らんで赤い靄を震わせる。

 

「ひっ」

 身が縮んで思わず頭を覆ってしゃがみ込んだ。

 

 

「ガイドさん?」

 

 ・・目の前に男性が立っていた。

「凄い靄だね。急に立ち込めて来てびっくりした」

 

「…………」

「お出迎えありがとう、……どこか痛むの? 立てる?」

 音はやんで谷は何事もなかったかのように静まりかえっている。

 周囲の靄はまだ微かに赤いが、さっきみたいな気持ちが悪い赤じゃない。夕陽が沈んでしまったのだろう。

 

「今、変な音……」

「変な音? 僕の口琴の音?」

「違う、いや……もういい、何でもない」

 立ち上がろうとして、子供はバランスを崩して尻餅を着いてしまった。

 

「おいおい、大丈夫か」

 男性が助け起こそうとして手を腕の裏に回した。

 途端、子供は座った状態のまま飛び退った。そのまま野性動物みたいな目で男性を睨む。

 

「おい……」

 さすがに男性も不快を露にしたが、すぐに肩を下ろして息を吐いた。

「すまないよ、触られるのが嫌いなんだな。分かったからほら、帰ろう、案内をしておくれ」

 猫か犬かに接するような言い方だ。彼は多分そう思うように切り替えたのだろう。

 子供は黙って立ち上がった。そのまま先に立って歩き出し掛けたが

 

「まったく宝の持ち腐れだな、それだけ可愛い顔をして勿体ない」

 

 後ろからのボヤキに子供は感電したように震えた。

 男性は気付かなかったようで、真後ろを歩きながら続ける。

「街場でも君ほど可愛い子はいないよ。もっと自信を持って愛想良くしたら……」

 

 言い終わる前に子供は居なくなった。いきなり駆け出したのだ。

 

 男性は靄の中、唖然と立ち尽くす。

(またヘソを曲げたのか?)

 でも喉から絞るような「ぁ゛ぁ゛」という悲鳴が聞こえた気もする?

 

 

 ***

 

 

 子供は闇雲に駆けていた。

 

 ・・カワイイ・・カワイイ・・

 

 それは呪いの言葉、内蔵をむさぼる獣の唸り声だ。

 頭が沸騰する、逃げたい、その言葉を発する者からただただ逃げたい。

 

 ゾン!

 

 え!?

 ここ地面じゃない、

 雪渓を踏み抜いた、馬鹿だ!

 しかも一番踏んじゃいけない場所!

 

 一気に周囲が崩れる。両腕を広げたが駄目だ、何ひとつ掴まる物が無い。

 落ちる、高い・・!

 

 ザブン!

 

 足に激痛が走った。

 川に太股まで入ったが、幸いあまり深い場所じゃない。だけれどここ以外はどうなっているか分からない。

 雪の下の空洞。身体はかろうじて氷の壁にしがみ付いているが、周囲が崩れた雪塊に覆われて状況が見えない。落ちて来た穴は遥か上。

 

 そしてとにかく足が痛い。水の中でどうなっているか、ビクともしない。動かそうとすると激痛が走る。

 

 容赦のない雪解け水がみるみる衣服を浸す。肌が針のような冷気に刺される。それもすぐに失せて後は芯から捩られる気持ちの悪い鈍痛になった。これはなってはいけない感覚だ。

(このまま後ちょっとでも浸っていたら)

 恐怖に駆られてもがくが、掴まっている場所さえ崩してしまいそうだ。足はどうしても動けない。

 

「おぉい、どこにいる――?」

 

 男性の声が耳に入った。

 

(ここだ、おぉい)

 

 叫ぼうとして、凍えて声が出ないのにゾッとなった。

 絶望で涙が出た。どうしていつも自分だけ。

 

 ――コォン

 

 口琴の音。何で今!?

 怒りで頭が爆発しそうになった所で

 

 ――カン ――トトン、フォン

 

 ??

 さっきも聞いた? 分からない、もう朦朧と……

 

 …………

「しっかりっ!? 聞こえるっ!?」

 

 耳元で声。

 男性の顔がすぐそこにあった。腹這いで穴に上半身を突っ込んで、指が肩に触れる所まで手を伸ばしている。

 

「掴まれるっ? 上がれるっ?」

 

「ダメ……足が何かに挟まッテ……」

 

 男性は口を結んで身を引いて、穴の上に消えた。女性を呼びに行ったのだろうか。あのヒトだとどれだけ時間が掛かってしまうか。自分はもつだろうか……

 

 ――ザブッ、ザブン

 

 心底驚いた。身を低くした男性が足元に現れたのだ。

 別の箇所から川に下りて水の中を歩いて来たのだ。衣服を脱いで下履き姿で。

 

「どっちの足!?」

 

「ワカラナ……」

 

「待ってろ!」

 

 男性の肩がザフンと雪解け水に潜る。

 ギチ・・ 気絶しそうに痛んだが、その後はスッと楽になって水から両足が引き上げられた。

 

「僕の背に乗って、そっち……そっちが岸だから、僕を蹴って上がれ」

「ムリ、痛い……」

「頑張れ」

「あんたの来た方は……」

「完全に頭が潜ってしまう場所もあったんだ」

 

 白い頭はぐっしょり濡れてしぐれを被っている。

「押し上げるから、痛いだろうけど頑張ってくれ、頼む」

 声が凍えている。このヒトだって限界近いんだ。

 でも……痛い、痛すぎて動けない。

 

「ちょっとずつでも上がれ。ちっぽけでも積み上げていれば……ゲホゲホ」

(ぇ・・なに・・?)

「ゼエ……子孫が、避難する時間を、作れたんだ……ゼエゼエ……石垣はけして、無駄じゃなかった……君らは、この谷の先人に、生かされたんだ……だから僕らも、繋いでいかなきゃ……ガボボ」

 

 細っこいと思っていた男性の腕が、信じられない力で身体を押し上げて来た。

 子供は歯を食いしばって、大丈夫な方の足と膝と、とにかく全身を使って雪壁に取り付いた。周囲が明るくなった。渾身の力で身体を伸ばして前方に両腕を伸ばす。

 しかしそこにも亀裂が・・

 

 ――ガシ!

 

 大きい熱い両手に腕を掴まれた。

「大丈夫かっ」

 女性の力強い声に、子供は情けない嗚咽を上げた。

 

 

 

 

 

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