朝食と身支度もそこそこに。クロウリーの指示に従い一同がやってきたのは、七つの石像が建ち並ぶ学園のメインストリートだ。
雑用係として学園に身を置くことを許された一同が本日任された仕事は学園の掃除。
とはいえ、魔法の使えない彼らに広大な敷地を一日で全て綺麗にしろ、というのは到底無理な話であるため、今日は手始めに正門から図書館にかけたこの『メインストリート』の清掃をお願いされたわけだ。
「ふわぁ~……スゲーんだゾ。ここがメインストリートか」
道中、「掃除なんてやってられねー」と文句ばかり言っていたグリムだったが、いざ学園前まで来るとその光景に釘づけになったようで、本来の目的も忘れて一人でウロチョロと歩き回っている。
そんなグリムの姿を眺めていたメローネが背後へと視線を移せば、そこには不機嫌オーラ全開でメインストリートを睨みつけているミアの姿があった。
「なあミア、いい加減機嫌なおせよ」
「ムリ」
バッサリとにべもなく答えた彼女の顔には、見慣れない眼鏡がかけられている。
この眼鏡は寮から出る際にクロウリーから渡されたものである。
なんでも『かけた人間への認識を阻害する魔法』がかかっているとか。
まあ平たく言えば、『この眼鏡をかけている間、周囲の人間はミアを女ではなく男として認識する』というわけだ。
とはいえ、ギアッチョやメローネのようなすでにミアを女性だと知っている人間にはなんの効果もないらしいが。
「この私に男の真似事をしろだなんてふざけやがって……。いつかあの羽根むしってショールにしてやる」
「物騒だな」
「今更ンなこと言ったってしかたねーだろ。おら、とっととやることやれや」
「ギアッチョ……アンタこそよく平静でいられるものね。いつもなら他の誰よりもキレ散らかしてるくせに。まさかこんなクソみたいな状況に納得しているわけじゃあないわよね?」
不満げな表情を隠そうともせずにこちらを睨み据えるミアの視線を受けながら、ギアッチョは「まさか」と鼻で笑う。
「納得なんざしてねーし、気に入らねぇのはオメーと一緒だぜ」
「じゃあどうしてそんなに落ち着いていられるのよ?」
「言ったろーがよォ~~……『今更ンなこと言ったってしかたねー』ってな。あのクソカラスに腹を立てるオメーの気持ちはよくわかる。スゲーわかる。オレだってアイツが『寮への宿泊はタダでいいが、衣食住は自分たちで支払え』なんて言いやがった時には、あのふざけた仮面ごとブチ割ってやろうかと思ったくれーだからなァ……」
昨晩、クロウリーと交わした会話を思い出し再び腹が立ってきたのか、持っていた箒を粗暴な素振りで肩へ担ぐギアッチョ。
正確にはブチ割ってやろうかと『思っただけ』ではなく、実際に殴りかかっていたのだが……まあ、そこは今更ツッコむまい。
「だが、それを今更とやかく言ったってどうにもなんねーのも事実だ。オレたちにとっちゃ、この世界は全くの未知の領域。元いた場所に帰る方法が分かってねぇ以上、どんだけクソみてーな待遇だろうがオレたちはこの場所を追い出されるわけにはいかねぇんだ。……オメーだってそんくらい分かってんだろ。ミア」
「……」
いつもの狂人ぶりはどこへやら。至極真面目な態度で語りだすギアッチョにミアは言葉を詰まらせる。
このギアッチョという男。普段、妙なところでキレまくるせいで『イカれ野郎』だと勘違いされやすいが、その実、仲間への理解もあれば、物事を冷静に俯瞰できる一面も持つ男なのだ。
「オレたちは一刻も早く元の世界に帰る必要がある。改めて言うまでのことじゃあねーけどな……。そのためにも今は目先の仕事に注力すべきだ。あのクソカラスへの不満なら手動かしながらでも出来んだろ」
「……わかったわよ」
ギアッチョの言葉を受けてもなお若干の不服さを残すミアだったが、それでも彼の言い分はもっともであると理解しているため、素直に差し出された箒を受け取った。
「まさか、ギアッチョに正論で説き伏せられる日がくるとは思ってもなかったな? ミア」
「うっせーぞ、メローネ」
二人の会話を聞いていたメローネがからかうように口を挟めば、それを聞いたギアッチョが即座に吐き捨てる。
「まあでも、ギアッチョの言うとおりだ。オレたちはこの世界について知らなすぎる。情報収集の意味を兼ねても、しばらくの間この学園に滞在するのはそう悪いことじゃあない」
「わかってるわよ、そんなこと。ただ、あのクソカラスに良いように扱われているようで腹が立っただけ。……でも、『背に腹はかえられない』ものね。この眼鏡は相変わらずムカつくけれど」
「でもそれをかけている方が色々と楽じゃあないか? アンタだって、その気もない『馬の骨』を相手にするのは面倒だっていつも言っているだろ?』
「ただの凡夫避けならアンタたちだけで十分。……ギアッチョ?」
「……『背に腹はかえられない』『どこぞの馬の骨』って言葉よォ〜〜……」
「あーほら、アンタがいつまでも駄々こねるから。またギアッチョの悪い癖が始まったぜ」
「……それ、私のせいなの?」
先ほどまでの真剣な様子から一転、例の如く『面倒臭いモード』に入ったギアッチョを二人がうんざりとした様子で眺めている頃、グリムは少し離れた場所でメインストリートに並ぶ七体の石像を眺めていた。
「昨日はよく見てなかったけど、この石像は誰だ? 七つあるけど、なんかみんなコワイ顔。このおばちゃんなんか、特に偉そうなんだゾ」
正門から入って奥側に佇むそれは、足元を大輪の薔薇で覆いつくしたふくよかな女性の像だ。
凛然と張られた胸と、その身に纏うドレスや王冠を見る限り、どこかの国のお偉いさんか何かなのだろうが……悲しいかな、グリムにその類の知識はなかった。
「ハートの女王を知らねーの?」
不意に聞こえた声に顔を上げれば、そこにはこの学園の制服を身に纏った赤髪の青年が立っていた。
「ハートの女王? 偉い人なのか?」
「昔、薔薇の迷宮に住んでた女王だよ。規律を重んじる厳格な人柄で、トランプ兵の行進も薔薇の花の色も一切乱れを許さない。マッドな奴らばっかりの国なのに、誰もが彼女には絶対服従。なんでかって? 規律違反は即打ち首だったから!」
「こ、こえーんだゾ!」
「クールじゃん! オレは好き。だって、優しいだけの女王なんてみんな従わないだろ?」
「確かに。リーダーは強いほうがいいんだゾ。……って言うか、オマエは誰だ?」
あまりにも自然に声をかけてくるものだからつい普通に話を聞いてしまったが、知らない顔である。
グリムの問いかけに、青年は人好きしそうな笑顔を浮かばせながら自身を『エース』と名乗った。
「オレ様はグリム! 大魔法士になる予定の天才だゾ。そしてコッチのは……って、アイツら、まだあんなところでくっちゃべってんだゾ。オイ、オメーら!」
「あ゛~~?」
未だメインストリートの入り口付近で騒々しく言い争っている(?)ギアッチョたちを発見したグリムが声を上げれば、それに気づいた三人がようやくこちらに向かって歩いてくる。
「まったく。親分であるオレ様を放ってサボるだなんて、とんでもねー子分なんだゾ!」
「オレたちがいつオメーの子分になったんだァ~~~~?」
「エース、紹介するんだゾ! この冴えない奴らがオレ様の子分。ギアッチョとメローネとミアだ」
グリムがそう言うと同時に三人の視線が一斉にエースへと向けられる。
その瞬間、彼は浮かばせていた笑顔をビシリと凍り付かせ硬直した。
実のところこのエースという男。そもそもなぜグリムに声をかけたのかといえば、彼を『からかってやろう』と目論んだからなのである。
お呼びでないのに入学式に乱入してきてボヤ騒ぎを起こした挙句、先輩たちや学園長の手によって学外へ放り出されたモンスターが、なぜか知らないがまたもや学園へ舞い戻ってきた。
それに、よく見れば闇の鏡に『魔力なし』の烙印をおされた三人組もいるし、これは少しおちょくって笑ってやろう! ……そんな軽い気持ちで声をかけたのに。
三人の視線が自らに注がれた瞬間、感じたのは『警告』。
今までなまじ要領よく、器用に生きてきた彼の本能的な部分が警鐘を鳴らしている。
――この三人は、冗談なんか通じる相手じゃあない! と。
「オレはエース。今日からピカピカの一年生。どーぞヨロシク♪」
精一杯の虚勢を張りながら、それでもそれを悟らせないように。先ほど同様、人好きのしそうな笑顔で取り繕うエース。
そんな彼の心中などつゆぞ知らないグリムは、背後にある石像を指さしながら話し始める。
「今、コイツにこの石像のおばちゃんについて教えてもらってたんだゾ」
「テメーこそ掃除もしねぇで何やってんだ」
「コイツはな、なんかスゲー厳しくて、おっかねー女王だったんだって。トランプの行進とか薔薇の色とかが乱れてるとすーぐ首を刎ねちまうんだゾ!」
「なにそれ。この世界、トランプにまで自我が宿ってるの?」
「それはそれは、ずいぶんな暴君だったんだな。体型といい、性格といい、実際にいたらいい『母体』になりそうだ……」
今さっき教えてもらったばかりの情報をまるで自分の知識かのように得意げに話すグリムに対し、各々がそれぞれの反応を見せる。
その中でも、メローネだけが異質な目でハートの女王の石像を見つめていることに、エースは言い表しようのない危機感のようなものを覚えた。
「なあなあ、エース。それじゃあっちの目に傷のあるライオンも有名なヤツなのか?」
「オイオイ、グリムよォ~~……オレたちにはやんなきゃいけねーことがあんだろ。余計なことに時間割いている暇は……」
「いいじゃあないか、ギアッチョ。せっかくだから教えてもらおうぜ」
「はァ? メローネ、テメー何言って……」
突然、なぜかノリノリで石像の話に興味を持ち出したメローネに、ギアッチョが困惑した様子を見せる。
かと思えば隣にいたミアまでもが、すかさず口を開いた。
「だってギアッチョ。こんなに立派な石像が建てられているってことは、この世界ではきっと物凄く有名な人たちに違いないわ。私たちの故郷でいうダ・ヴィンチやミケランジェロと同じくらい。ね、そうでしょう?」
「え? あ、まあ。アンタらの言うミケなんちゃらとかはよくわかんねーけど……。グレートセブンのことは幼稚園児だってフツーに知ってるくらいの『常識』っていうか……」
「ほら、今の聞いたか? この世に生を受けてまだ片手で数えられるくらいしか生きちゃいないベイビィですら知っているときた。それなのにいい歳したオレたちが何も知らないなんて、学のない恥知らずだと公言しているようなもんだぜ?」
「メローネもさっき言ってたじゃあない。私たちはこの場所について何も知らない。だからこそ、情報収集の意味も兼ねてこの学園に滞在するんだって。あのクソカラスはどうせ宛にならないし、せっかく親切に教えてやろうって言ってくれる人がいるんだから、ありがたく教わるべきじゃあないの?」
「オメーらそうやって掃除が嫌なだけだろーが……」
こんな時ばかり息の合うメローネとミアの言葉に、ギアッチョは呆れたように深い溜息をつく。
とはいえ、『幼稚園児でも知っている常識』などと言われてしまうとギャングとしてのメンツもクソもない気がして、ギアッチョは仕方なく二人の要望を聞き入れることにした。
……が、それが間違いであったと数分後、ギアッチョは思い知ることになる。