もう1人のバカ兄貴   作:佐倉シキ

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再戦

 

 

 

 

地下都市花屋敷の闇の中、黒々とそびえ立つ塔はまるで天を貫くかのように荘厳で重苦しい影を落としていた。その内部は外観の荒涼とした姿とは裏腹に、重厚さと華美さが同居した異様な空間だった。天井を支える柱は漆黒の大理石に金箔を施され、壁一面には神話を思わせる浮き彫りが彫刻され、無数の宝石が嵌め込まれて鈍い光を放っている。だが、その豪奢な装飾も今はただ不気味に輝き、侵入者たちを冷たく見下ろしていた。

 

銀時たちは振り返ることなく、ただひたすらに上階を目指して駆け上がっていた。果てしなく続く階段は、本当に終わりがあるのかすら疑わしく思えてくる。だが彼らの足取りには迷いや躊躇など微塵もなかった。力強く床を蹴り、重くのしかかる空気を押し退けるように駆け上がる。階層を越えるたび、廊下はますます豪奢さを増し、天井には幾つもの巨大なシャンデリアが連なり、揺れる灯りが長い影を生んでいた。

 

「そういえば、龍宮って何者なんですか?」

 

駆け上がりながら新八が口を開いた。魈雲に聞いておけばよかったと一瞬後悔するが、その疑問は自然と口をついて出る。返答をしたのは背後から聞こえた星海坊主の声だった。

 

「なんだテメーら。龍宮の事も知らねぇで喧嘩売りに来てたのか」

 

その声音は呆れを含みつつも、底に重たい現実を滲ませている。銀時が横目を向けて短く問う。

 

「有名人なのか? ありゃただの女じゃねぇだろ。何者だ」

「俺が生まれるより前から宇宙に君臨してる女だ」

「お前が生まれるよりも前? クソババアじゃねぇか、幾つなんだよアイツ」

 

銀時の吐き捨てるような声に、星海坊主は肩をすくめた。

 

「さてな。総じて龍ってやつは長命なんだよ。4000歳の奴もいると聞いた事がある」

「龍……ドラゴンアルか?」

 

神楽が振り返り、少し目を見開く。

 

「ああ。アルタナ……地球じゃ龍脈って呼んでるんだったな。ドラゴンってのはそれと深く繋がりを持つ種族だ。テメーらの飼ってるあのデケェ犬と似た種族だよ」

「定春と!?」

 

驚愕の声をあげた新八の横で銀時が眉をひそめる。

 

「でもアイツは人型だぞ?」

「今は人の姿に化けてるだけだ。本性は怪物だよ。テメーらが想像するドラゴンそのものさ。硬質な鱗に覆われた体、鋭い爪と牙、そして千年以上を生きる寿命に圧倒的な怪力と治癒力。俺だって出来れば戦いたくねぇ相手だ」

 

星海坊主の声は普段の豪胆さを失い、わずかに重苦しい響きを帯びていた。その一言に、新八は背筋を粟立たせた。喉が渇き、ごくりと唾を飲み込むが、乾いた口内は潤わない。

 

「不夜城、赤龍。あの女が自分の気に入った物品や人間を集めて置いておくコレクションルームの名であり、同時にアイツの商売道具でもある。永遠に灯りの消えない城、輝き続ける龍の女王……宇宙で“不夜城”と聞けば、裏の連中は大抵龍宮を思い浮かべる。そのくらいの大物だ。そして龍宮は、鳳仙に勝るとも劣らぬ強者であると裏で囁かれている」

「……鳳仙と」

 

銀時は吉原での血戦を思い出し、一瞬その足取りを重くした。閉じられた空、血の臭い、散っていった者たちの姿。鳳仙の影と龍宮の名が重なり、胸の奥が鈍く疼いた。

 

「魈雲の言ってた事は事実だろうな。ドラゴンってのは理由もなく蒐集欲を持ってる。気に入ったものを集めて飾り立てるのが好きなんだ。俺が聞いた奴は宝石集めに躍起だったが、龍宮の趣味は人間だろう。せっかく集めた宝を掻っ攫おうなんて賊を、見逃すわけがねぇ。江鷹を連れ戻すには、やっぱりアイツを倒すしかねぇんだ」

 

星海坊主は階段の途中で立ち止まり、銀時たちに背を向けたまま低く言葉を投げる。その背は大きく、だが今はどこか孤独な影を背負って見えた。

 

「帰ってもいいんだぞ。これは俺の問題だ。お前達が命を賭ける理由はない」

「さっきも言っただろ。俺ぁ別にお前の為に戦うわけじゃねぇし」

 

銀時は淡々とした声でそう言い、星海坊主の横を追い抜いていく。前方に立つ神楽の背に近づき、彼女と同じ方向へ視線を向けた。

 

「銀ちゃん。私、江鷹が好きアル」

 

神楽の声は階段の喧騒に紛れながらも真っ直ぐに響いた。彼女はポケットから、小さな押し花のお守りを取り出し、掌の中で大切そうに包み込む。

 

「パピーは忙しいし、マミーは具合悪いし、神威はよく分からない奴らと連んでて寂しかった私に、優しくしてくれたのは江鷹だったアル」

 

瞳を伏せ、微かに震える声。それでも言葉の芯には揺るぎない強さがあった。

 

「ずっとずっと会いたかった。変わってしまったって言うのはもうしょうがないネ。随分と長い時間が経ってしまったから。でも、アイツがいつか殺される運命にあるって言うんなら、それは認めない。拒絶されても殴られても、絶対に龍の宝箱から連れ出すアル」

 

神楽は強い光を宿した眼差しを銀時へと向ける。その決意を確かめるように、銀時は無言で彼女の頭に手を置き、軽く撫でた。そのまま足を前へと進め、新八もまた迷いなくその背に続く。

 

「まあ、若い兄妹なんて意見がぶつかり合うもんだからいいんじゃない。僕も姉上と意見が合わない事ってよくあるし。どんなに仲が良くても喧嘩くらい誰だってやるよ」

「火事と喧嘩は江戸の花ってな。喧嘩なら俺らも手ェ貸すぜ。得意分野だ」

「銀ちゃん……新八……」

「お前の喧嘩は俺らの喧嘩だ。行くぞ」

 

銀時が先陣を切って再び駆け出す。塔の内部は異様な静けさに包まれていた。下層での戦闘の騒がしさが遠のくほど、逆にこの静寂は耳に痛く、緊張感を極限まで高めていく。息を呑むような冷たい空気が漂う中、神楽はそれを振り払うかのように力強く足を踏み鳴らし、階段をさらに駆け上がっていった。

 

数分が経ち、延々と続いていた石の階段が突如途切れ、視界がぱっと開けた。そこに広がっていたのは、まるで別世界のような広間だった。

足を踏み入れた瞬間、空気そのものが一変する。床には緻密な金の装飾が敷き詰められ、重厚な光沢を放ちながら彼らの足元を照らす。天井にはいっぱいに描かれた龍の絵がうねるように広がっていた。その龍は力強く、しなやかで、今にも壁面を突き破って舞い降りてきそうなほどの迫力を放っている。鱗一枚一枚に込められた筆致は生き物そのものの質感を帯び、見る者の心を圧する。

 

思わずその壮麗さに息を呑み、誰もが一瞬足を止めた。だが、すぐに胸の奥の焦燥が美しさを打ち消し、彼らは再び動き出そうとした、その時だった。

 

「待てッ」

 

星海坊主が咄嗟に手を広げ、3人を制した。その声音は鋭く、長年の戦いで磨かれた勘が告げる危険の気配を孕んでいた。次の瞬間、静寂を破るように小さな足音が響いてきた。軽やかだが確かな二つの足音。しかも走ってこちらへと近づいてくる。

 

やがて、その音の正体が視界に現れた。

 

「ベルッ!!」

 

神楽の声が弾ける。彼女は反射的に駆け寄った。その先に立っていたのは、小柄な少女ベル。そして、その隣にいたのは彼女とよく似た顔立ちを持ち、猫耳を備えた少年だった。年の頃も近い。誘拐されたベルの兄、ルイに違いなかった。

 

「再会できたアルか! 良かったなぁ」

 

神楽はまるで自分のことのように喜び、ベルの肩を抱きしめる。

しかし銀時の眼差しは僅かに鋭さを帯びていた。魈雲は確かに二人は確保してあると言っていたはずだ。ではなぜ、今ここに現れるのか。銀時は眉をひそめ、問いを投げかけた。

 

「狭い部屋、ずっとイタです。でも鍵開いてた」

「部屋の前から物音がして、扉を開けたら誰もいなかったんだ。かけられてた南京錠はひしゃげて壊れてた」

「ドアの前、血溜まりあった。ちょっと怖かったケド、そこ居続ける方が怖い、だから逃げた」

「とりあえず下行こうって……そしたら途中でベルが知ってる匂いがするって言うから、そちらに向かったら貴方達が」

 

幼い声で紡がれる言葉。しかしその内容は異様な重みを帯びていた。

銀時と星海坊主は即座に同じ結論に辿り着く。これはあまりにも不自然だ。精神的に追い詰められた子供なら気づかぬことも、大人の目には明白だった。檻を守っていたはずの見張りは殺された。血溜まりがそれを物語る。そして死体を隠し、南京錠を破壊したのは圧倒的な怪力を持つ者。

 

理由は一つ。逃がすためではない。逃げる先に、標的がいるからだ。

 

バキィィィ──────

 

突如、広間に木が砕けるような轟音が響き渡った。

 

先に動いたのは星海坊主だった。判断は一瞬。迷いなく子供二人を両腕で掴み、銀時達の方へ投げ飛ばす。さらに神楽の身体を軽く蹴り飛ばし、強制的にその場から退かした。

 

次の瞬間、影が目の前に迫る。大地を割るような踏み込み。

 

龍の刺青を全身に刻み込んだ男、燕心がそこに立っていた。

 

星海坊主は即座に傘を振るう。だが燕心はその寸前で軽やかに跳躍し、傘に片手をかけ、体を捻って両脚で星海坊主の顔面を蹴り飛ばした。

 

「パピーッ!!」

 

神楽の悲鳴が広間に響き渡る。星海坊主の巨体が宙を舞い、壁へと激突。轟音とともに瓦礫が崩れ、土埃がもうもうと舞い上がる。

 

「これはこれは、驚いた」

 

燕心はゆっくりと前髪を撫で上げ、唇の端を吊り上げた。その声は低く掠れていたが、驚きの色は欠片もなかった。むしろ不気味な落ち着きが漂う。

 

「死んだと思っていた人間が3人とも生きている。なるほど、魈雲は随分と上手くやったものだ」

 

気づかなかったよ、と肩をすくめ、ため息を洩らす。

 

「だが星海坊主がいると言うのは本当だったのか。真実を交えた方が嘘で相手を騙しやすいとは事実だな。あの野郎、俺を騙しやがって!」

 

その声には徐々に苛立ちが滲み、やがて口元に陰惨な笑みが広がっていく。

 

「まあいいさ。星海坊主とは戦ってみたかったんだ。俺も夜兎の男だしな」

 

燕心の双眸が、血のような光を宿し、土埃の向こうを射抜いた。

 

「随分な挨拶だな」

 

低く響く声。瓦礫を押しのけ、星海坊主が立ち上がる。顔面には赤く鮮やかな血が流れていたが、その眼差しは鋭く研ぎ澄まされていた。

 

「殴られる覚悟はしていたけど、まさか両足で顔面を蹴り飛ばされるとは思っていなかったぞ。随分とヤンチャになったもんだ。お父さん、刺青はちょっとショックだぞ」

「はぁ?」

 

燕心が眉をひそめる。だが星海坊主は鼻血を拭い取り、落としていた傘を拾い上げる。その姿を見て神楽はぎゅっと拳を握り、小さく頷くと一歩、銀時達より前へと踏み出した。

 

「テメーら、ここは任せるぞ」

 

銀時は短く言い放ち、神楽と星海坊主に背を預けた。その声には一片の迷いもなかった。

 

「おい、分かってんのか。龍宮に挑むって事の意味を」

「ああ。鳳仙くらいにヤベェんだろ。承知の上だ。まぁなんだ、時間稼ぎくらいはやってやる。さっさと親子喧嘩終わらせて手伝いに来い」

「時間稼ぎ? 消極的だな、倒してくれてもいいんだぞ」

「へいへい、努力するよ」

 

銀時は気怠げに肩をすくめながらも、その瞳だけは鋭く研ぎ澄まされていた。軽口を叩きながらも、己が背負うものの重さを理解している目だった。彼は星海坊主と神楽に短く声をかけ、ためらいなく背を向けて部屋を後にした。その足取りに迷いはなく、ただ真っ直ぐに更なる高み、龍宮の待つ場所へと続いていく。

 

燕心はその背中を見送りながら、低く乾いた笑いを洩らした。やがてそれは堰を切ったように膨れ上がり、嘲るような哄笑へと変わる。

 

「はは、ははは! あッはははは! 倒す? 倒すって言ったか今!? 龍宮様を倒す? 出来るわけねぇだろ間抜け! アイツらは死ぬぜ、骨の一片も残らずな」

 

声が石壁に反響し、空気そのものが歪むかのようだった。その目には冷たく光る狂気が宿り、吐き捨てるように言葉を重ねる。

 

「まあ死ぬのはお前らも同じだけどな」

 

乾いた音を立てて拳を打ち合わせると、甲冑の金属同士が擦れ合い、耳障りなほど甲高い響きが広間に突き刺さった。

 

「……江鷹、久しぶりアルな」

「あ?」

 

息を詰めていた神楽が、覚悟を決めるように深く息を吸い込み、燕心へと言葉を投げかけた。その横顔を星海坊主は険しい眼差しで見守る。

 

「ずっと、お前を探してたアル。お前が攫われたあの日からずっと、また会える日を待ってた」

「攫われた、あの日……」

 

燕心は眉を僅かにひそめ、目を細めた。脳裏に走るのは、壊れかけの映像機のように乱れた記憶。砂嵐の中から断片だけが浮かんでは消える。幸せだったはずの時間が、酷く曖昧なノイズとなって崩れていく。

 

「お前俺の妹か」

 

その声は乾いていた。思い出せない。だが、繋ぎ合わせれば答えはひとつ。神威に似た顔を持つ少女。共に現れたのは確かに自分の父である男。そして、忘れたはずの名を呼んだ。

 

「ッ! そうだよ! 兄ちゃん、神楽アル!」

「そうかい」

「私はあの日からずっとずっと、お前に会いたかった! 助けたかった、この日をずっと待ってた」

「いなくなった奴の事など放っておけば良いだろうに、面倒な奴だな。なんで態々ここまで来た?」

「大事な家族だから!」

「大事な家族?」

 

燕心はわずかに拳を緩め、姿勢を崩す。その言葉に胸の奥を抉られるような感覚が走り、無意識に構えを解いていた。神楽は夢で見た光景そのものに立たされ、心臓を鷲掴みにされるような緊張に胃が軋んだ。燕心はその揺らぎを見逃さず、口角をわずかに吊り上げる。

 

「……じゃあ何で助けてくれなかったんだよ」

 

──その瞬間、悪夢と現実が重なった。神楽の体が硬直し、呼吸が止まる。燕心は獣のようにその隙を突いた。

 

脱力した姿勢から一気に爆発的な加速を見せ、蹴りが神楽の腹部を打ち据える。鈍い衝撃音が響き、神楽の身体が弾かれるように吹き飛んだ。

 

「とでも、言うと思ったかよッ!」

「神楽ァァァッ!!」

「今更どうでもいいんだよ!」

 

追撃を仕掛けようとした燕心に、そうはさせないと星海坊主が殴りかかる。燕心はその拳を避けて、何度か打ち合うと距離をとった。夜兎の拳による風圧で塔の柱が軋んでいる。

 

「前に神威にも聞かれたよ。“お前は江鷹だろう”とな」

「お前、神威に会ったのか」

「イかれた男だ。取引の場でいきなり殴りかかってきた。だがまぁ、助かった事もある」

 

星海坊主の言葉に燕心の目が細まる。次の瞬間、彼は声を張り上げ、自らを名乗った。

 

「いいかよく聞け! 俺は燕心だ! お前らの家族である江鷹はもういない。過去など不要、全て無意味。記憶も名前も忘却し、何者でもなくなった時点で江鷹は死んだのだと理解しろ。空っぽの骸は、生まれ変わったんだ!  我が名は燕心! 不夜城赤龍が主、龍宮様の臣、燕心だ!!」

 

そのドスの効いた低い声は広間を揺るがせた。

 

次の瞬間、燕心が全力で傘を振り下ろす。鋼鉄をも砕く凄烈な一撃を、星海坊主は腕で受け止めた。衝撃が床を割り、金の装飾がひび割れ、砂塵が舞い上がる。

 

両者の目が火花を散らすように交錯し、戦いが始まった。

 

煌びやかな広間が一瞬で修羅場と化す。傘と傘がぶつかり合う音は剣戟のように鋭く、振り抜くたびに空気が裂け、衝撃波が石床を震わせた。

 

星海坊主の渾身の一撃を燕心は受け流し、逆に鋭い突きを脇腹へ突き立てる。しかし星海坊主はその先端を素手で掴み取り、力任せに捻り潰そうとする。燕心は鉄板仕込みの靴で蹴り上げ、その腕を弾き返した。

 

両者は跳ねて距離を取り、次の瞬間にはまた激突する。火花が散り、床が砕け、連撃の応酬は止まらない。

 

やがて、星海坊主の視線が一瞬だけ神楽へと向いた。その刹那の隙を燕心は逃さない。鋭い踏み込みから関節を取り、強引に捻り上げる。骨が軋み、星海坊主の拳から力が抜け、手にしていた傘が床へ叩き落とされた。

 

燕心はすかさずそれを蹴り飛ばし、遠くへ弾き飛ばす。だがその瞬間、わずかに緩んだ燕心の力を星海坊主は見逃さなかった。握りしめた拳を解き放ち、渾身の正拳突きを燕心の顔面へ叩き込む。

 

轟音が響き、燕心の身体がよろめき、傘を握る手が緩む。その隙を狙い、星海坊主は素早く足を振り上げ、燕心の拳を蹴りつける。

 

弾かれた傘は宙を舞い、重い音を立てて遠くの床に転がった。

 

燕心は視線だけで転がる傘を確認すると、口元を歪めながらゆっくりと拳を構える。ここからは拳と拳の殴り合い。夜兎の血が震える本物の殺し合いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

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