龍宮は広間の中央に静かに立っていた。揺らめく松明の光を浴び、その艶やかな赤い髪は膝元までながれ、黄金の双眸は神秘的な光を放つ。その場に居合わせた全員が息を呑み、空気は張り詰め、時が止まったかのように静まり返った。彼女の肉体からは、ただの人間ではない圧倒的な威圧感が溢れ出していた。そして次の瞬間、変化が始まった。
最初に変わったのは彼女の肌だった。滑らかで白磁のように美しかったその肌が、徐々に硬質な鱗へと姿を変える。小さな斑点のように現れた鱗は瞬く間に増殖し、波が押し寄せるように全身を覆い尽くしていく。赤を基調とした鱗は光を浴びて煌めき、炎の揺らめきのようなグラデーションを描きながら、その肉体を変えていった。
艶やかに流れていた長い赤髪は、背中から後頭部にかけて荒々しい鬣へと姿を変え、揺れるたびに獣じみた威容を誇示する。しなやかな指は音を立てるように伸び、やがて鋭利な鉤爪へと変貌した。一本一本の爪は子供の身長ほどの長さに成長し、僅かに触れるだけで肉も骨も容易く切り裂くだろうと直感させるほどに恐ろしい光を帯びていた。
女性的な柔らかさを持っていた体は引き締まったイタチのような、しなやかで俊敏な獣の姿へと変化していく。その輪郭は次第に東洋の龍を思わせる姿へと移り変わり、頭には鹿のように枝分かれした二本の角が伸び、彼女の表情に更なる威厳を加えていった。腹部から尾にかけては深紅の毛が流れ、背筋には鬣が燃え立つように広がり、長大な体を荘厳に飾り立てている。
やがて変化は完成し、龍宮は人ならざる姿へと完全に生まれ変わった。床を踏みしめる四肢はそのまま床を踏み割らんばかりの力強さを宿し、その巨大な体は圧倒的な存在感を放ちながら立ち上がる。その頭を高々と掲げた瞬間、天井に描かれた龍の絵がかすかに震え、やがて耐え切れず、乾いた破砕音と共に崩れ落ちていった。
次の瞬間、龍宮は天へ咆哮した。深く、地の底から響き渡るような咆哮が塔全体を震わせ、空気そのものを震動させる。崩れかけの石壁が音を立て、まるで地震に見舞われたかのように大地が揺れる。
「おいおい、ジャンル変わっちゃうよ。こりゃ」
銀時は引き攣った笑みを浮かべながらも、手の中の刀を握る指先に力を込める。
「龍の鎖を引きちぎってくれるんでしょう? 彼女の本性を見て日和ましたか?」
魈雲が挑発めいた言葉を投げかける。その声に銀時は乾いた笑いを漏らした。
「まさか……的がデカくなって、やりやすくて助からぁ。こっからはモンスターハンターの時間だ」
「逆鱗を狙ってください。顎の下の逆さまな鱗。血管と神経が付近に集中している、龍のたった一つの弱点です」
「なんだよ、結局的は小さいのかよ」
銀時は唇の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべて前へと進み出る。その背に、新八も深く息を吸い込み決意を込めて続いた。星海坊主は二人の姿を視界に捉えると、短く笑みを浮かべた。
「遅かったじゃねえか、殺されなくて何よりだよ」
彼は神楽や江鷹の姿が無いことに何かを思ったのかもしれないが、何も触れなかった。
「死に損ないが2人と、魈雲と、星海坊主。ようやく少しは楽しめそうだねぇ」
龍宮の黄金の瞳が愉悦に揺れる。
「言ってろクソトカゲ。剥製にしてその首事務所に飾ってやる」
「貴方事務所なんて無いじゃん。知ってるよ、貧乏だって」
「なんで知ってんだテメェ! じゃあテメェの鱗売っぱらってそれで事務所建ててやるよッ!」
挑発と嘲笑が交錯する中、戦いは始まった。
星海坊主が鋭く飛び出す。それを合図に銀時と新八も突撃した。龍宮は尻尾をしならせて星海坊主の攻撃を受け止める。銀時と新八の攻撃は片腕を軽く振り払うだけでその全てを弾き返した。その動作一つ一つは防御でありながらも、その圧倒的な質量と力により、攻撃そのものと化していた。
「ぐっ……!!」
骨が軋む音が銀時の身体に響き、彼は呻き声を漏らす。
(これがッ、化け物との戦いかッ!)
脳裏をよぎるのは、星海坊主が日常的にこの規模の怪物と戦っているという現実だった。畏怖と驚愕が胸を焼き、吹き飛ばされた彼の体を辰羅の兵士たちが慌てて受け止める。
「放てッ!!」
兵士たちが一斉に暗器を投げ放つ。無数の刃が空を裂き龍宮へと降り注ぐ。彼女にとっては塵のような攻撃。しかし魈雲が無意味な行動を取るとは思えず、龍宮はすべてを払い落とすべく体を回転させた。硬質な鱗が金属を弾き飛ばし、耳を劈く金属音が広間に轟く。さらに尾を振り払い、兵士たちをまとめて吹き飛ばした。
だがその尾を、星海坊主が傘で受け止めた。傘の骨組みが悲鳴を上げ、床を抉りながらも彼は踏みとどまる。その一瞬の隙を突き、銀時が飛び込み、鱗と鱗のわずかな隙間へ刃をねじ込んだ。
龍宮の体が僅かに震え、鋭い痛みに黄金の瞳が銀時を捉える。力で刀を押し潰される前に、彼は即座に刃を抜き取って跳び退いた。その動きに合わせるように、魈雲と新八が前に出て、薄い鱗が覗く腹部を狙って刃を振り下ろす。
(ふふ、やっと少しだけ面白いね。ぼんやりと流れる時が退屈で仕方なかったけど、今は少し、血が湧くよぉ)
龍宮の口元が歪み、次の瞬間、巨体を持ち上げ、全身を床へ叩きつけた。圧倒的な質量によるプレス攻撃。
轟音と共に広間が崩壊する。石柱が砕け散り、天井が崩れ落ち、銀時たちは3、4階下の広間まで瓦礫と共に叩き落とされた。瓦礫に埋もれ、呻き声を上げながら、彼らは再び立ち上がろうと体を震わせる。
龍宮は巨大な体を低く構え、その黄金の瞳を細めると、まるで慈しむような声音で言葉を吐いた。
「頑張って生きる命は可愛いねぇ。可愛い命は私の無聊を慰めてくれるから好きだよぉ。私の為に頑張ってくれてありがとうねぇ、でも、ここまでだねぇ」
次の瞬間、その巨大な掌が銀時を覆い尽くし、体を地に押し潰す。床板が悲鳴をあげ、銀時の全身から骨が軋む音が鳴り響く。圧力は増していき、肋骨の隙間から内臓が軋み、悲鳴を上げるのが自分でも分かるほどだ。銀時の口からは血が一気に噴き出し、顎から滴り落ちて床を汚した。
「みんなまとめて殺してあげるよ、楽しかったから剥製にして船に飾るね。そうしたらいつでも思い出し笑いができるからね」
さらに力が加わり、血が逆流するかのように銀時の喉から噴き出した。
「銀さん!!」
新八が絶叫し、必死に前足へ斬りかかる。しかし龍宮にとってそれは蚊ほどの煩わしさにもならず、爪の先ひとつ動かさずに無視される。魈雲は瓦礫の下で頭を打ち付けたのか微動だにせず、星海坊主はさらに下層へと落ちてしまい、しかも片腕を失っているために這い上がることさえ難しい状況だ。銀時はまさに押し潰され、殺されようとしていた。だがその瞬間、
ガンッ──────
重く鈍い衝撃音が龍宮の頭蓋を揺らし、全身に響き渡った。まるで骨に直接響くような不快な音。その巨体が大きく揺らぎ、銀時の体がわずかに持ち上がる。銀時はその一瞬を逃さず、地を蹴って掌から転がり出た。腰の刀を引き抜き、血に濡れた足で龍宮の鱗を駆け上がる。勢いを殺さぬまま跳躍し、その左目に刀を突き刺した。刃が眼窩を貫いた瞬間、粘ついた液体が噴き出し、龍宮の視界の半分を奪った。
「わぁ、驚いたよぉ」
呻くように言いながら龍宮は巨体を揺らし、視線を動かす。自らの頭を殴り飛ばした存在を探し、そしてその正体を視認した。
赤い肌の女、夕染が血に濡れた金棒を肩に担ぎ、龍宮を鋭く睨み据えていた。
「貴方もそっちにつく事にしたの? 夕染」
龍宮の右目に映ったその姿は揺るぎなく、黄金の瞳と真っ向から対峙していた。
「お前、無事だったのか」
銀時が思わず声をかける。夕染は彼に視線を向けることなく、ただ龍宮を見据えたまま淡々と答えた。
「そこで伸びている方が私の体に解毒薬を打ち込んでいたようで。活性アンプルの効力は長く続きませんでした」
彼女の言葉の先には、瓦礫を退かしながら立ち上がる魈雲の姿があった。
「遅かったですね」
「確実な隙を作れと言ったのは貴方です」
「こちらは死にかけましたが。助けようとか思いませんでした?」
「思いませんでした。貴方に刺された傷がとても痛かったので。毒も辛い、すごく」
「そうですか……。まあ目を潰せたので僕もその事には目を瞑る事にしましょう」
「上手くないですからね別に」
冷ややかな応酬の間にも、龍宮は前足を振り下ろした。その巨大な腕が床を砕きながら迫る。銀時たちは即座に散開し、地を縫うように駆け抜けて攻撃を仕掛ける。鋼の刃が鱗を叩き、夕染の棍棒が火花を散らして弾かれる。
「夕染、なんでそっちについたかだけ聞いてもいいかなぁ? 貴方は裏切れないと思ってた」
龍宮の問いに、夕染は攻撃を受け止めながら答える。
「簡単な話、私が荼吉尼の戦士であるというだけです。貴女に支え、戦う日々も充実していました。ですがその日々は同時に貴女に捨てられ、殺される事への怯えも含んでいた。抑圧された日々に真の充実は存在していなかった」
龍宮の前足を棍棒で受け止め、夕染は歯を剥き出しにして笑った。
「ですが捨てられた今、最早その怯えはありません。それに、私より遥かに脆い種族が何度も立ち上がり貴女に挑み続ける様を見て、いつまでも膝をついていられるでしょうか? 恐怖に怯え、それでも貴女に縋るような無様はこれ以上晒せませんよ。
私は勝つ事が好きです。さきの戦いで死にかけたあの時、私は貴女のことを忘れた。ただ勝ちたいと、その一心で立ち上がった。それが良い事なのか悪い事なのかは分かりませんが、充実していたのは確かでした。
戦うのが好きです。勝つ事が好きです。強者と戦って勝つ事はもっと好きです。ならば捨てられて自由になった今、どちらにつくかなど考えるまでもない」
夕染の声は力強く、棍棒を押し返す力もまた増していった。
「荼吉尼の誇りも魂もここにある! 私は荼吉尼の戦士、夕染! 今は貴女に勝つ為にここにいる!」
「へっ、いいね」
銀時は血に濡れた顔を拭い、不敵に笑った。
「鎖がまた一本千切れたぜ、後は」
その言葉をかき消すように、龍宮が再び大口を開けた。牙は剣のように光り、銀時たちを噛み砕こうと迫る。
だがその瞬間、上空から轟く声が響いた。
「おらぁぁぁぁぁッ!!」
「はあッ!!」
二つの影が落ちてくる。可憐な少女の鋭い叫びと、掠れた低い声が重なった。神楽と燕心だ。二人の傘が同時に振り下ろされ、龍宮の巨大な頭蓋を叩きつけた。衝撃で床が爆ぜ、龍の頭が地に叩きつけられる。
「神楽ちゃんッ!!」
「燕心さん」
新八と魈雲が声を上げる。神楽と燕心は同じように体を一回転させて龍の頭から飛び退き、銀時たちの前に並び立った。その眼光は鋭く、全身に闘志を漲らせている。
だが龍宮は即座に頭を振り、まるで何事もなかったかのようにゆらりと立ち上がった。二人の夜兎の渾身の一撃ですら、大した傷を与えることはできていなかった。
龍宮の口元が愉快そうに歪んだ。
「へぇ、貴方もそっちにしたんだねぇ。まだ余力があるとは驚いたよ」
その声にはまるで子供が意外な玩具を見つけたような無邪気さと、同時に人を嘲る冷酷さが入り混じっている。燕心はその声音を真っ向から受け止め、口元を歪ませて笑った。
「生半可な鍛え方はされておりませんので、貴女もご存知でしょう? 元主」
「うんうん、知ってるよぉ。それでも驚くよぉ、もうとっくに、死んじゃってるかと思ってたもん」
「はは! あッははは! 死んでられませんよ! 死ぬのはもうちょい先の話です!」
燕心の豪快な笑い声とともに、龍宮の巨体が大きくうねりを見せた。尾が薙ぎ払われ、瓦礫と炎を巻き込んで6人を一掃しようとする。轟音と共に空気が押し流され、全員が瞬時に散開した。その刹那、各々が全力の攻撃を叩き込む。
燕心はすばやく龍宮の身体を駆け上がり、既に片目に突き刺さっていた銀時の刀の柄を思い切り蹴り飛ばした。金属が肉を裂き、刃はさらに眼窩の奥へと沈み込む。鈍い破砕音と共に視覚器官が完全に破壊され、龍宮の世界は片側から闇に閉ざされた。
「いい判断だねぇ、こっちは何も見えなくなっちゃったよ」
龍宮は嘲笑を含みながら頭を大きく振り回し、額のツノで燕心を引っ掛け、その身体を放り投げる。燕心が地に叩きつけられるより早く神楽が滑り込み、彼の腕をがっしりと掴んで受け止めた。二人はそのまま床を転がり、体勢を立て直す。
「随分仲良くなったねぇ、ひょっとして思い出したの?」
龍宮の問いかけに、燕心は肩をすくめるように笑いながら答える。
「いいえぇ、何も。キッパリさっぱりなーんも覚えておりませんとも。微かに思い出した気がしても、またすぐ霧のように霞んで消えてしまう。でもどうも、彼らの言葉を借りると魂とやらは覚えているようでしてね。分かるんですよ、俺は」
「何が分かるのぉ? 燕心」
「……嘗て地獄を見ました。全てを忘れて空になる程の地獄を。名を忘れ、記憶を忘れ、貴女の臣燕心として生まれ変わった。それでも、過去は消えない。この空の器の底に刻み込まれていた、俺は俺であるのだと!」
燕心は足裏で床を砕き、土煙を巻き上げながら拳を構えた。その眼差しはかつての陰鬱さを脱ぎ捨て、勝負の炎を宿していた。血走った目の奥に確かな意志が光り、口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。
「俺は貴女の元臣下、燕心! そしてこの神楽の兄にして、今は何故かここにいない
「そっかぁ、そっち行っちゃったかぁ。ウジウジしてた頃の方がいじらしくて可愛かったけど……まぁいいや。そういう事なら、みんな纏めて潰しちゃうね」
龍宮が四肢を踏みしめ、次の一撃を繰り出そうとした瞬間、轟音と共に地面が爆ぜた。瓦礫が四散し、そこから突き上がるように鋭利な傘の先端が龍宮の胴を貫き、巨体を後方へと押し飛ばす。
「ハゲじゃありません」
瓦礫の雨を器用に傘で受け流しながら、ゆったりと姿を現したのは星海坊主だった。その瞳には殺意と闘志が滾り、背筋を真っ直ぐに伸ばす。
「爽やかな頭のお父さんと呼びなさい」
その軽口の直後、龍宮の巨体が背後に墜落する。地面を大きく抉る衝撃音と共に、龍宮は思わず大きく咳き込み、口から鮮血を吐き出した。星海坊主は一撃で仕留めたつもりだったが、致命には至らず、その生命力に舌打ちする。
龍宮はすぐさま立ち上がり、敵が固まっているのを見て口を大きく開いた。嫌な予感を感じ取った星海坊主は声を張り上げる。
「ッ!! 全員俺の後ろに来いッ!!」
その叫びと同時に皆が彼の背後へ飛び込む。次の瞬間、龍宮の喉奥から迸ったのは怒涛の炎だった。
灼熱の豪炎が咆哮と共に吐き出され、部屋は瞬時に赤黒い地獄へと変貌する。轟々と燃え盛る炎が空気を歪ませ、石壁を溶かすように焼き尽くす。圧倒的な熱波が津波のように押し寄せ、皮膚を刺すような痛みが襲いかかる。
「ウッソだろおいッ!!」
「火ぃ吹いた! 火ぃ吹きましたよ銀さんどうするんですか!?」
「ジャンル違うってクソが!」
「言ってる場合じゃないアル!!」
星海坊主は全身の力を込めて傘を広げ、豪炎を受け止める。だが防御範囲の外では全てが焼き焦げ、天井は崩れ、床は溶解していく。防御の内側にいる仲間たちの肌にも焦熱が突き刺さり、汗は滝のように流れ、息を吸うだけで喉が焼け付く。
「魈雲さん達何か案はないんですか!?」
「ない」
「無理」
「初見」
「使えねぇッ!! あ゛ー、体が焦げるッ!! 無理無理暑いッ!!」
「うるさいですね、眼鏡なんだからもう少しインテリっぽくしてください。僕の株まで下がるでしょう。あ、やべ、服焦げた」
「アンタの株は関係ないでしょう!? アンタ別にそんなインテリっぽくないですからね!! 似非インテリなのバレバレだからな!!」
「うるせぇぞダブル眼鏡。略してダ眼鏡」
「嫌な略し方しないでください。僕はダメじゃないです」
「じゃあ何か案出せ。このままじゃ焼き殺されるぞ」
「いくら夜兎でも炎には勝てねぇぞ」
呼吸すら困難な熱地獄の中で、魈雲は鋭く天井を仰ぎ、龍宮の動きを観察した。
「いくらドラゴンと言っても無限に火を吹ける訳ではありません。体内にある特殊な臓器に溜めた燃料を発火させる事で火を放出しているのでしょう、彼女も生物である以上限度はあるはずです」
「つまりアイツも追い詰められてるって事か」
「ええ。これだけ吹き続けるという事は、このまま僕らを焼き殺すのがベストなんでしょう」
「なら、この流れを逃す訳にはいかねぇな」
全員が構え直すのを確認し、魈雲は天井を見据えたまま声を張り上げる。
「放てぇぇッ!!」
轟音と炎の唸りを突き抜け、その合図は上に潜む辰羅達へと届いた。次の瞬間、無数の暗器か龍宮の巨躯へと殺到した。