両面宿儺(日本書紀)   作:ゾエア

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降誕

 

 

 

 それは死の影だった。黒々とした細長い手がいくつも揺らめいて俺の体を取り囲んでいる。畏れと恐怖を糧に育つ()()そのものの力。俺を傷つけるには至らないが、まとわりついて鬱陶しいことには変わりなかった。

 

 次に見えたものは枯葉と枝木。囲うように置かれた大小様々なそれらはよく乾燥していた。微かな死臭がどこからか漂ってきた頃、意識が明瞭になると共に現状を認識し始める。

 

 

 この世に産まれてまだ数十分ほどではあった。しかし、赤子である自らの体は粗雑に捨て置かれたままだ。

 

 名前すら思い出せずとも淡々と状況を把握できる。赤子らしからぬ知性がこの身に備わっていた。

 

 日本人としての常識。現代的価値観。つまりは前世の意味記憶か、はたまた輪廻転生か生まれ変わりの成れの果てといったところか。中途半端に現世との連続性が保たれた思考でも、不思議と混乱はなかった。

 

 あるのはシンプルな──"飢え"。

 

 腹が減っていた。どうしようもなく飢餓感を覚える。渇いて渇いて仕方がない。赤子であれば泣き出してもおかしくはないが、この身は急にしゃくり上げるようなことなどしなかった。

 

 身体は満足に動かせず、手を握って開いてと繰り返したり、妙に広い視界を眺めたりするほかない状況。

 

 ()()生えている自らの腕にはなんら違和感もない。備わっている現代日本の価値観が身体的特徴の異常を唱えるものの、思考には少しも影響しなかった。自然体であるがままの状態だったからだ。

 

 これが俺。誰の許しも要らない。誰の施しも必要ない。

 

 この身が最適であることに疑いの欠片もなく、圧倒的な自己と我執がそれを支えている。自己分析にも陰りはない。その事は確かだった。

 

 

 しばらくするとおもむろに周りが暖かくなってきた。じわじわと熱が伝播して、徐々に視界が明るくなっていく。薪に火が点いた。

 

 いや、火が点けられていた。産まれたばかりの赤子であるこの身が今まさに燃やされようとしている。

 

 

 呪いたかったのだろう。異形の俺を。殺して燃やし、灰となれば産まれてきた咎も許してやると。余程姿形が忌み嫌われたらしい。

 

 

 途端に活発となる死の呪詛。黒い腕が生き生きと動いている様子に恐怖も焦燥もなく、ただひたすら──()()()だった。腹が減って仕方なかった。

 

 

 ──だから喰らうと決めた。

 

 

 己を蝕もうとするそれを掴んで手繰り寄せる。焼け爛れる皮膚の痛みを無視しながら。なりふり構わず口に入れて噛みちぎった。

 

 身を起こすよりも先にこの身体は手を動かせるようになっていた。成長が始まっている。ふと浮かんだ思考を頭の端に追いやった。

 

 俺の腹にはもうひとつ口がある。臍の代わりに胎盤から栄養を啜っていたデカい口だ。そこにも呪いを放りこんでやった。幸い捕らえる腕も四本ある。俺には手と口が常人の倍備わっていた。

 

 噛みちぎるための歯は生後まもなくして生え揃っていた。顎の力も少しずつ増していく。さらにミシミシと軋むような音は呪いを喰らって身体が急成長している証に他ならない。常人とは違う自らの成長を冷静に受け止めていく。

 

 脂の焼ける匂いと呪いから発せられる死臭が鼻に入ってくるが、それもすぐに熱でかき消されていった。ただ一心に喰らい続けた。飢えを満たすために。

 

 まとわりついていた全ての腕を食い尽くすと、炎に包まれていながらも、腹が満たされたような全能感に似たナニカを覚えていた。

 

 

 身体の成長。呪いの知覚。先刻とは明らかに違う段階にあることを本能で理解する。

 

 

 呪い。負の感情を元にして腹から練り上げたそれを強く保ちながら身体中に流していく。成長した身体と纏う呪いは炎熱を遮断し、業火の中から立ち上がることすら可能にした。そして──

 

 

「『(カイ)』」

 

 

 本能に従うまま腹の口で唱えたのは(ほど)き卸すための(こと)。燃える焚き木と炭を切り刻むため、幾重にも積み重ねた斬撃を全方位へ放った。

 

 これが俺の呪い──不可視の刃。

 

 この身に刻まれた術の一つだと理解できた。瞬きをするように、息を吸って吐くように、当たり前のように扱える身体動作の延長線上にあるそれ。すなわち──(じゅつ)であると。

 

 

 灰と燃え滓が風に乗って飛んでいく。煤まみれの髪をかきあげて夜空を見上げた。

 

 月明かりもない代わりに星々が煌々と輝いていた。現代日本の常識と照らし合わせると、見える星々の並び──星座には差異がない。どうやら異界や異星に産まれたわけではなさそうだ。常識外れの肉体と呪いの力が備わっているにも関わらず、俺は地球に生を受けたらしい。

 

 

 燃え残った炭を踏みつけながら歩き始めた。そう遠くない距離に数匹の獣の気配がある。周りに文明の空気はなく、人里の明かりすら見当たらなかった。すぐに新鮮な肉で腹を満たしたい。この身は飢えている。殺生の不快など微塵もなかった。

 

 俺を産んだ者。呪いをかけた者。火を点けた者。全てどうでもよかった。そこに恨みも敵意もない。喰らった呪いの気配は覚えている。やろうと思えば辿れるだろうが、今のところその気はなかった。

 

 人肉の味。現代の価値観がそれを禁忌だと教えてくるものの、飢えて歪んだ今の俺には少し鬱陶しく感じられた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 視界の高さと草木の高さを比較し、掌と葉を見比べながら、俺は自身の身長や成長の度合いを測ろうとしていた。

 

 児童といえるほどまで成長しただろうか。お陰で赤子のまま這いつくばって移動する羽目にはならなかった。

 

 進む足取りや四本の腕に不自由はなく、それどころか軽やかに駆けて跳ぶことができる。視界の違いについても簡単に説明がついた。()()ある俺の眼は常人よりも鮮明に夜闇を見通せる。当然視界も広範囲に及び死角は限りなく小さい。

 

 顔の右部分は肉の板が貼り付いたように歪んでおり、縦に二つの眼が並んでいる。左部分には人間らしい顔があるようだが、やはりこちらも二つの眼が並んでいる。鏡もない現状では瞼や目元を触って推測するしかないが、一目で異形だと分かる姿形だろう。

 

 四つ目に四つ腕、人間離れした身体能力に呪いの力と術。世が世なら神として崇められてもおかしくない特徴だ。俺を運んだ者達はそうしなかったようだが。

 

 

 先刻までいた開けた場所。火葬場と言うべきか、祭場のような屋根もない空間。そこから少し離れると深い山林に入った。

 

 夜の山。呪いと獣の気配が入り交じった暗闇でも恐怖は感じなかった。馳走を前にしてはしゃぐような心地にある。俺の身に備わった埒外の身体性能と呪いの力は概ね確認済みだ。並の鳥獣は容易く卸して喰えることも分かっていた。

 

 

 空気の冷えた夜の森で気配の元へと進む。目指すは新鮮な獣肉だ。現状も把握出来ればなおのこと良いが、今のところ、山林の植生から現在地を類推する知識など俺にはない。

 

 しかしその獣の姿を見れば現在地は明らかになった。

 

 

(此奴は……)

 

 

 カモシカ。それも身体の大きな雄の個体だ。

 

 眼下腺の肥大した特徴的な瘤も相まって四つ目にも見える。灰がかった毛色からしても間違いない。ニホンカモシカだった。つまり──ここは日本。

 

 

「ハハッ。この(なり)で日本に生まれるとはな」

 

 

 声に出して自嘲しながらも、既に不可視の刃を振るっていた。言を唱えずとも術は使える。威力や大きさ、斬撃の数も可変であり、弱めたこの斬撃でも殺傷能力においては申し分ない。

 

 

 頚椎を断つ斬撃。悲鳴も無く崩れ落ちたその身体を掴み、持ち上げて検分する。この身は小さく幼いが、この程度の重量を持ち上げても全く負担にはならなかった。

 

 

 解体にも不便はしなかった。腕が四つあれば、脚を持ちながら皮を剥ぎ取ることもできる。斬撃で肉を卸して口へと運び、時には滴り落ちる血を啜って喉を潤す。

 

 飢えを満たすためひたすら喰らった。太い腿骨を噛み砕いて骨髄を毟り、新鮮な生命の温もりを味わった。これこそが己の快であると──そう思えた。

 

 

「……来たか」

 

 

 杜撰な血抜きは匂いを振りまくためだった。血の匂いにつられてやってくる肉食の獣達と、雑多な呪いの気配。その数は俺の両腕全ての指でも足りない程度。

 

 

 一番乗りは足の速い()()()()の群れ。突然放たれる俺の殺気に面食らって足を止めたようだが──既にそこは射程内だ。

 

 

「『(カイ)』」

 

 

 言を唱え手で照準を定める。周りの草木ごと切り刻む格子状の斬撃を放った。益々血の匂いが濃くなっていく。

 

 

 込める呪いの多寡によって威力や速度、斬撃の数が変わることは分かっていた。俺がやりたいことは術を行使する手順の省略、あるいは簡略化だった。

 

 任意の座標・向きで放たれる不可視の斬撃。これらを予備動作なく放つことを目指す。手順の省略によって斬撃の各要素にブレやムラが出るものの──これは恐らく練度の問題だと判断した。

 

 呪いを只管多く込めれば良いものでもない。最小の労力で最大の効果を発揮する必要がある。込めた呪いの量に対して高い効果を発揮するように扱う意識も怠らない。

 

 数回ほど使えば容易に感覚が掴めた。複雑な条件と緻密な精度を保った複数の斬撃。さらに高威力・高速の斬撃を無造作に放って辺りの木々ごとオオカミ共を卸す。生の肉を時折腹の口に放りながら新鮮な旨味を味わっていた。

 

 

 しばらく切り刻んで楽しんだ頃、近づいてきた呪いの気配。実体ではなく呪いそのもので構成されたソレ。木々を倒しながら毛むくじゃらの巨体が顔を出し──そこに線を刻んだ。

 

 

うゔぁっ──」

 

 

「おっと。思ったよりも柔らかいな」

 

 

 軽く指を振るい、加減した斬撃でソレの頭部へ切り込みを入れたつもりだった。ところが、刃は頭蓋骨まで簡単に達してしまう。輪切りにした頭部がずり落ちると、身体は崩れて煙を上げながら、塵となって消えていった。死体も残らない。

 

 

「獣よりは素早く堅いが……弱い。肉も残らんとはつまらん」

 

 

 粗方似たようなものを十数匹間引いたところで、寄ってくる気配がなくなったことに気づいた。まだまだこの身は十全に動くが、屠る獲物もなしに狩りは楽しめない。今日はここまでだろう。

 

 

 刻んだ獣から喰える部分の肉を削ぎ取り腹に詰め込むと、咀嚼して飲み込んでから、次に毛皮を噛み潰す。薬液も使わない原始的な鞣し方だが、皮に残った血肉が味わえる利点もあった。二つある口を使えばそう時間もかからない。

 

 次に繊維質を含んだ──麻に似た植物を採る。その茎の皮を斬撃で程よく剥いでいく。こうして取り出した繊維質を叩いて解しながら均一な繊維に裂き、よりをかけて──糸を紡いだ。急ごしらえだがないよりはマシだろう。

 

 鞣した毛皮へ適当に縫い穴を開ける。斬撃を微調整すれば正確に刻み込めた。そこに糸を通して縫い付けていき──即席の山袴を拵えた。馬子にもなんとやらだ。

 

 

 衣食足りたところで肩を回し、軽く跳んで頭上の枝を掴んだ。そのまま樹木の頂上を目指して一気に駆け登る。高い場所から景色を眺めておきたかった。湧いた疑念に対する答えを見つけるためでもある。

 

 

(オオカミがまだ日本に残っていた。そう結論づけるには違和感が残る)

 

 

 最上部まではすぐに辿り着いた。近場の山では一番高い場所からの景色だ。見渡す限り()()()の自然が広がっている。遠くには富士山ではない形のなだらかな山頂が雪を被って白くなっている様が窺えた。

 

 

「絶景かな。それにしても……」

 

 

 ニホンオオカミは野犬と見分けがつかない。種として小柄なことも災いして外見での判別は難しかった。だが、仮に野犬であったとしてもそう何度も群れに遭遇することは考えにくかった。()()()()()()()()()

 

 忌み子を呪い燃やす前時代的文化。植林場もなく、手付かずの山林が一面に広がる光景。ニホンオオカミが未だ絶滅せずに残る時代。それすなわち──

 

 

「過去の日本か。ニホンオオカミの目撃例からしてここは19世紀以前……いや、それよりも遥かに古い。呪いの気配がそこかしこにあるな」

 

 

 くつくつと笑いながら現状を認識した。

 

 推し量ったそれらの呪いの強さからして常人にはまず対処不可能。現代兵器で対処するなら絨毯爆撃が適正といったところか。

 

 手付かずの自然に猛獣よりも凶暴な呪いが潜んでいる。開墾しようにもこれでは文明を開く余地がない。つまり、人が自然を切り開き管理できない。

 

 そのような時代と云えば奈良時代か、飛鳥時代といった前時代──いわゆる古代だ。そこまで遡ってようやく開墾の痕が見当たらない時代だと分かるのだ。

 

 

 古代日本に産まれた可能性。その事実に不安や不満はなかった。俺は異形の身に生まれたが、備わった力と呪いに不足はない。試したいことも山ほどある。

 

 俺の望みはそう大層なことでもなかった。過去の改編。現代知識を活かして歴史に名を残す。どれもまるで違う。

 

 そんなものに興味はなかった。ただ単純な──"飢え"。それを満たすために力を好きに振るいたい。無垢な欲望が膨らみ始めていた。

 

 

 

 

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