両面宿儺(日本書紀)   作:ゾエア

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陀羅尼

 

 

 

 白米と獣肉。酒に汁物、魚など……この時代では比較的豪勢な食事。腕と口が常人の倍ある俺はそれぞれに口をつけて次々と味わうことができる。民の視線も気にならない。

 

 

「あの……こちら……ど、どうでしょうか」

 

 

「寄越せ」

 

 

 また一つ民から差し出された供物を受け取り味わう。山で獣と戯れたり、呪霊を屠ったりするだけでは時代背景など知る由もなかったのだが──ここにきてようやく目処がついた。

 

 恐らく奈良時代といった頃。都の存在やヤマトの国という名前を耳にして、王権から朝廷へ変わる頃だと判断した。この国は山にほど近い場所でもあるため、奈良の盆地に構える王権の影響が完全に及んでいるかは不明だ。

 

 この時代の言葉を現代的な知識から理解して聞き取ることは困難だった。しかしこの肉体は自然体でいながらも、旺盛に学習を繰り返した。それに、あの呪霊との会話で言語学習の何かを掴んだのか、この国の者たちの言葉の意味は次第に分かってきた。まるで赤子のように知識を吸収し理解を深めている。

 

 

 つまり初めに言葉を交わした時、俺の要望は伝わっていなかった。自らの適性が呪いと暴力に特化していることは分かっていたため、それを活かす対価──すなわち鬼退治の話を持ち出したのだが、あちらからしてみれば呪霊の次は我が身である。再び現れた俺に対して、ひれ伏し許しを乞うような態度を取ってきたのだ。

 

 その際、俺が敵意を顕にしなかったため、()()()が民と俺の間に立ちそのまま交渉を続けることができた。どちらかといえば、神に贄を差し出して怒りを鎮めようとするニュアンスを含んでいたようだが……俺が特に気にすることではない。

 

 力の差は歴然であり、暴力による支配で片がつけば早いとしても──美食には下拵えが肝心だ。滅ぼした国の瓦礫の上では複雑な旨味が得られない。俺は熟成肉の価値が少しばかり理解できる男だった。

 

 

 他者との関わりを始めるうえで必要なものは他にもある。それはシンプルな──名前だ。俺の名前。名付けられたこともなく、自ら名乗り始めたいと思ったこともなかったが。

 

 しかし民草は別だった。人は理解できないものを恐れる。名前を付け、言葉を交わし、理解を深めて既知の概念へと落とし込む。そうすることで人は遥か未来まで生きていくのだ。

 

 

 俺を対話不能の化け物として畏れるか、奉る神として崇めるのか。あまりにも生命としての強度が隔絶している場合、傍に寄り添おうとする者などいない。かといって無謀な排斥という愚行をしないだけ民は賢いようだった。

 

 此処は飛騨の国。現代でいう岐阜の北部に位置している。そこに現れた異形の現人神(あらひとがみ)。崇めるために付けられた俺の名前は──

 

 

追儺神(ついながみ)儺面(なめん)の王……大儺神(たいなのかみ)。それに──宿儺(すくな)とはな。そこまで"(おにやらい)"が恋しかったのか」

 

 

 先日祓った呪霊──七難。あの呪霊は鬼として畏れられていたらしい。鬼を祓った者をすなわち"(おにやらい)"と呼ぶ。

 

 俺が鬼神を倒した事実を遠くへ広めることで位山に向かう負の感情を抑え、再び集積するであろう七難の力自体を弱らせる。そう俺に宣った呪術師の言説は既に飛騨の民にも伝わっているようだった。

 

 

「七難はそれ程までに強大な呪霊だったのです。必ずや御活躍を鎮西に至るまで轟かせてみせましょう。いずれは大和国の帝すら超えて語り継がれることになります」

 

 

 宣った当の呪術師は配膳の最中にそう語り返して笑みを浮かべていた。黒髪を短く切り揃えた幼い見た目をした女。名前は確か……セキコクだったか。

 

 初対面の際にも、俺の見た目に面食らうことなく語りかける肝の据わりようで、呪術の知識と結界術の実力を兼ね備えた術師である。基礎的な呪術の知識を得るにはちょうどいい相手だったが、恭しい態度のまま呪術について教授する様が少し愉快ではあった。

 

 

「必要ない。俺がどう呼ばれようとも興味はない。欲するものは別にある」

 

 

 飛騨の民にとって塩は貴重である。内陸に位置する飛騨では当然のことだが、俺はなんら遠慮することもなく塩気のある食事を味わった。この歓待の場も飛騨有数の豪族に用意させている。いちいち気にかけてはいない。

 

 

 ところが、奈良時代文化の中枢である都との関係性と、仏教の伝来が事態をややこしくしていた。殺生への忌避感、そして律令による肉食の制限だ。

 

 これからの時代はちょうど味噌や豆腐、砂糖などが唐から伝わる。この時代に進歩するそれらの繊細な食文化が肉や魚に合わない訳ではないが、肉食文化は長らく歩を緩める。恐らく都の中枢では肉がまともに食えなくなるだろう。それは俺の舌に──好みには合わない。

 

 この飛騨の国には仏教の文化が完全に伝わってはいないようで、山の鹿や猪も変わらず食べ続けているようだった。だが狩猟以外の牧畜の分野では、やはり中枢より一歩劣る。

 

 鶏や牛は都の貴族達によって独占状態だ。肉食が禁じられる頃に時を同じくして、荘園という大規模農地を活かした牧畜を行うようになるだろう。

 

 法の是非について俺がどうこう指図するつもりはない。しかし牛肉や鶏肉の味を知識として知っていながら、現時点で食う展望が見えないとなれば話は変わる。

 

 ここ飛騨の国と、これから発展する大和の国。どちらが己の"飢え"を満たすことができるのか。呪いと斬撃で一切を殺してしまえば爽快ではあるだろうが、それよりも……()()()

 

 

「この国に宿儺様を祀る御社を設えましょうか。満月には神酒と美食を献じ、国一番の美女の神楽を納めさぜっ──」

 

 

 ベラベラと喋る女の額に斬撃を軽く一振り。しんと空気が静まり返るが、俺は露ほども気にせず言葉を続ける。

 

 

「迂遠な探りはいらん。不愉快だ。次は舌を落とす」

 

 

「申し訳ありません。差し出がましい真似をしました。如何様にも罰は受けます」

 

 

 この女──セキコクが七難を祓った後から俺を尾けてきたことは知っている。時機よく仲介役を申し出たその献身ぶりを評価していたが、煽ててこちらの出方を見ようという魂胆が気に食わなかった。

 

 この時代で具体的かつ体系的な呪術知識を身につけている者が都を離れている事実。まず間違いなく何処かの──貴族の息がかかった者だ。洗練された技術と暴力の裏には常に権力が付きまとう。過去も現代とはそう変わりないらしい。

 

 どうやら大和の国による征服は未だ完了していないようで、俺という力が飛騨との関係性にどう影響するか測りかねているのだろう。いや、既に危険視して遣わした者がこの女であった可能性もあった。

 

 俺の傍に付き纏うのは結構だが、目障りであれば斬り刻む。そういった意味を込めた斬撃である。女はやっと理解できたらしい。零れる血も拭わずに頭を下げて平伏し続けている。

 

 

「許す。どうせお前は捨て石として遣わされたのだろう。仲介の礼だ。言伝があれば聞いてやる」

 

 

「寛大な御心、痛み入ります。宿儺様の威に縋る形となりますが──」

 

 

 

 


 

 

 

 

 飛騨の国から南へ向かった先、濃尾平野には木曽川水系と呼ばれる大河川が三つ流れている。水の豊富な土地にしては増水時の河川の水位変動も緩やかであり、多少の洪水では影響を受けなかったものの、豪雨と共に起きる大洪水では幾度も甚大な被害を受けていた。

 

 その地の人々は荒れ狂う大水を畏れるようになった。古代の人間が負の感情を向ける先は専ら自然災害である。そこに結びつくのは古くから存在する水神信仰・龍神信仰といった、農耕や雨と密接に関わる土着の神だ。

 

 神の怒り、あるいは龍の怒りが洪水を起こして全てを押し流すと信じられていたのだ。暗夜に見上げた稲光の中に人々は()()を見た。

 

 龍という呪い。自然への畏怖によって形作られた龍神はいつしか統合と吸収を繰り返し、実在する強大な呪霊として語り継がれるようになる。

 

 

 美濃からほど近い高沢山。そこに住む一体の龍神によって美濃の民は苦しめられていた。

 

 山から流れる川には泡がたって澱み濁っている。弾ける音が聞こえたならばたちまち魂を抜き取られてしまう……と。人々はそう囁き、いつしか"高沢山の毒龍"を認識し畏れるようになっていた。負の感情、そして()()が集積することに繋がってしまった。

 

 

「毒龍とはよく言ったものだ。人間は()()()()の認識しかできん。畏れて山へ近寄らなければ尚更か」

 

 

 高沢山の頂で呟いた者。龍神退治に現れたその男こそ、かの七難を祓った者──両面宿儺であった。

 

 四つ腕を組んだ姿は自然体であり、この豪雨と雷轟の中でも余裕は崩れていない。雲の中に光る二対の赤眼から睨まれていようとも薄笑いは健在だった。

 

 

「魅せてみろ」

 

 

 引き金はその一言だった。

 

 

 雨滴が宿儺の身体を強く叩く。車軸を流すような雨が視界を遮ると──(いかづち)()(はし)った。

 

 

「──ハッ!!いいぞ!!」

 

 

 宿儺の身を浮かせる程の衝撃。腕による防御は確かに間に合っていた。

 

 しかし、雷撃を受けた腕に外傷は見えずとも完璧に絶縁できた訳ではない。どこか痺れるような感覚を覚えた宿儺に対して、龍神は矢継ぎ早に追撃をしかける。迎え撃つは──不可視の刃。

 

 

「『(カイ)』」

 

 

 掌印を象り放たれた斬撃。雲を裂くことには成功したものの──龍神には届かない。その手応えの無さに宿儺は思案を重ねる。

 

 

(距離による減衰とは何か違うな。鱗も単純に硬いだろうが──恐らく何かタネがある。探ってみるか)

 

 

 跳躍。宿儺は比類なき脚力で空へと跳び上がり、さらに()()()()を足で捉えた。

 

 大気では温度や密度など様々な条件下のもと、圧力差のある気体同士の間に境界面が発生する。その面を捉えることが出来れば──(くう)を蹴り自在に飛び回ることができる。

 

 とととんっ。と軽い調子で駆け登った宿儺は遂に龍神と対面した。

 

 

 薄く青みがかった鱗に覆われた長い胴体。後方へ伸び枝分かれする二対の角と赤く光る玉眼が龍神たらしめる。紫電を帯びた雲を操り、神威を放つ呪いがそこに鎮座していた。

 

 

()が前に身を見せるか。小童が

 

 

「まずは一発──」

 

 

 (くう)を蹴りながら不規則な軌道で龍神へ近づく宿儺。吹き荒ぶ風も、打ち付ける雨水もまるで影響していないような足運びである。そのまま流麗な呪力強化による剛拳が炸裂──することはなかった。

 

 

(きたな)らしい。野蛮な異形が触れるな

 

 

「ハハッ!!なるほどなるほど!!」

 

 

 打ち付けた感触はクッション性の高い液体のようなもの。鱗に触れることすら叶わないそれは不可侵に近い防護であった。

 

 立て続けに斬撃をぶつけるものの、これも手応えはなく。

 

 

霹靂(かみとけ)

 

 

 バチバチと弾ける音が鳴ったかと思えば、複数の雷撃が宿儺の身体へ打ち付けられた。

 

 

──ッ!!やってくれるな!!龍神め!!」

 

 

 "高沢山の毒龍"。それは(いかづち)と雨を操る術式を持って生まれた龍神の呪霊である。

 

 毒とはすなわち電気分解によって生じた高濃度の酸素・水素のこと。この呪霊は川の上流に体を浸からせ、放電を繰り返しながら発生したガスを溜め込む習性があった。高濃度の酸素は当然有毒であるため、龍神を目撃して生き延びた人々はそれを毒を放つ龍として認識する他なかった。

 

 さらに土着の信仰と畏れから、龍神は呪霊として著しい成長を遂げている。掌印もなく領域を展開し延ばす──領域展延の技術を獲得していたのだ。領域展延は術式効果や物理的な呪力の衝突を緩衝・中和することが可能である。

 

 硬質な龍鱗も相まって、領域展延中の龍神はまさに不可侵。術式による雷撃は宿儺でも回避不能であり、加えて完全な防御は不可能に近い厄介な性質も持つ。龍神はこの攻防を上手く切り替えることで長らく高沢山に君臨していた。

 

 

(領域を押し広げる時の感覚に近い。限定的な領域展開による防御壁のようなものを纏っている。攻撃には転用しないようだが……いや、できないのか)

 

 

 雷撃と斬撃の応酬の最中。宿儺は生得術式と防御壁の併用について考察を続けていた。龍神が雷撃を操る間は防御壁の手応えが感じられず、防御壁がある間は雷撃を放ってこない──という事実がある。

 

 宿儺は二つの併用が不可能であると判断した。龍神は展延を用いながら雷の術式が使えない──()()()()()

 

 龍神に有効打を与える条件。すなわち"雷撃が放たれると同時に叩く"。防御を捨てて互いに術を放ち合う戦法しかない。

 

 

 しかしそれは龍神が領域を展開しないという前提あってこその戦法。領域内であれば術式と展延の併用が可能だ。空間に付与された術式が自動(オート)で発動し、本体は展延に集中できるためである。

 

 つまり、龍神が後詰めを割り切り、宿儺を先に屠ると決めた時がすなわち領域展開の合図となる。それは宿儺の予想より早く訪れた。両者の展開は──()()

 

 

領域展開」「領域展開」

 

 

天鼓(てんく)鳴霆(めいてい)』『降魔御厨子』

 

 

 互角。領域内において互いの必中効果が互いを打ち消し合う状態。再び互いの雷撃と斬撃をぶつけ合う振り出しに戻った。

 

 

 宿儺の目に稲光が映った瞬間。同時に衝撃が襲いかかる。龍神が雷撃の術式を行使する瞬間はそう長くもなく、展延による防御の時間の方が圧倒的に長い。

 

 

(なるほど。陰湿なやり口だが──確かに効果的だ)

 

 

 この膠着は宿儺にとって好ましくなかった。今の状態で宿儺がダメージ覚悟のカウンターを仕掛ければ、領域の維持が困難となる可能性が高いためである。

 

 現在の宿儺は領域の押し合いを保ちつつ、術式も能動的に用いる離れ(わざ)を披露していた。そこで雷撃を防御せずに受けようものなら、如何に宿儺といえど何れかの操作に綻びが生じる。

 

 龍神は展延で守りに徹しながら隙を見て雷撃を撃つだけで良かった。撃ち合いとなれば斬撃よりも雷撃の方が圧倒的に速い。不利な状況に追い込まれたのは宿儺の方であった。

 

 

(俺が領域の主導権を握れば話は早い……だが相手もそう易々と勝ちを譲ることはないだろう。このままでは俺の不利が覆せない。ならばどうする?)

 

 

 龍神は展延と生得術式を切り替えながら、さらに領域の主導権も手放すことはなかった。その精度はまさに神業。この牙城を崩す術は見当たらない。龍神はそう確信していた。

 

 宿儺の取った手段は──

 

 

「──やめだ」

 

 

 掌印を解いて手を開くと一言呟いた。身体に流れる呪力が穏やかになっていく。肩の力を抜いた自然体。そして──

 

 

ようやくか。手間をかけさせる。醜い小童め──

 

 

"龍鱗" "反発" "(つが)いの流星"

 

 

 呪詞の詠唱。それは今まで省略していたもの。

 

 領域の維持を放棄し塗り替えられる直前。術式が焼き切れる瀬戸際。まさにその一瞬の間に、()()()()()()()()()()()()という"縛り"が──出力を飛躍的に押し上げた!!

 

 

(カイ)

 

 

な゙っ

 

 

 ぞぶっ。と龍神の頭部にめり込む不可視の刃。斬れ味を増した斬撃は、展延による中和をものともせず、ゆっくりと、しかし確実に、ずぶずぶと音をたてて頭部を斬り進んでいく。

 

 

あっ、あ゙がっ。あ゙ぁ……あ゙ぁぁぁ!!

 

 

「速度は落としておいた。心して味わうといい」

 

 

 鼻先から脳天にまで通る刃の感触。それを味わう龍神の悲鳴と共に──領域の崩壊が始まる。

 

 そのまま両者は宙空へと投げ出された。宿儺は悲鳴を耳にしつつ上機嫌なまま自由落下を楽しんでいる。

 

 

 かくして、高沢山の毒龍は自らの卸される感触を堪能しながら絶命した。

 

 

 

 

 

 






龍神退治を引き受けた理由や呪詞の概念を知った経緯もちゃんとあります。次話まで少々お待ち下さい。
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