「まだいたのか」
山へ入ろうとする俺の背中に刺さったままの視線。浮遊してついてきたのは自ら"天使"と名乗った女だ。村からここまでの道中は無視していたが、そろそろ鬱陶しくなってきた。ひとまず相手をしてやる。
村人と話していても呪いが向こうから来る訳ではない。先刻の探った様子からしても、呪いは俺との力の差を理解するような知恵を備えているようだった。逃げに徹されることも想定すると、獣を狩るように気配を殺して追い詰めねばならない。だというのに、後ろの天使はお構い無しに清らかな威をばらまいている。
「お前も術を使える──"天使"ということなんだろう?だが、魔の者と似た気配もする。まだ完全に信用できるとは言えない」
「なんとも、宝の持ち腐れだな」
碧眼が尚も油断なく俺を見据えていた。恐らく此奴は天使の概念を体現する術式を持っているのだ。それを用いることで翼を羽ばたかせることなく浮遊している。まだ奥の手や術式効果の本領は見えないものの、ポテンシャルは悪くない。本人がこうも余裕なく振る舞っていれば形無しだが。
「私は
「……分かった分かった。教えてやる。呪いがこの村を餌場に選んだことは偶然ではない。俺の気配をいち早く察知し、息を潜めて逃げ隠れ始めた。この意味が理解できるか?」
こういう手合いは実に面倒だ。かといって無遠慮に此奴を斬り刻むと、術理の気配を悟った呪いが完全に逃げ出すだろう。無手で黙らせることも考えたが……戦闘の空気が生じれば意味もない。拳を引っ込めて対話を続ける他なかった。
「餌場……村人が喰われていると。しかし魔の者は村に近寄れない筈だ。結界によって守られているのだから有り得ない」
「あの程度すぐに破れる。そも、呪いは村へ近寄る必要もない。少し病を蒔いてしまえば後は勝手に蔓延り、人々は苦しみ続ける。特にあの村は疱瘡の温床として適しているようだ。貴様らが何を信じようとも興味はないが、いずれ教えに殉ずることとなるだろうな」
発端は呪いそのものではなかったかもしれん。人々の行き来によって流れ着いた疱瘡が定着し、蔓延しやすい環境が偶然そこにあっただけだろう。だが、呪いは恐らく違った。疱瘡が絶えない地は病への負の感情が絶えない地でもある。そこへ目をつけた呪いが、ウイルスと人々のバランスを保つ
痘痕まみれの人々を真に救いたければ、それこそ衛生環境の改革と改宗そのものが必要となる。しかし俺は救済を掲げて生きてなどいない。好きに"飢え"を満たすだけだ。喰らい続けるだけでいい。弱い者を甚振ってもつまらん。かといって弱い者を救おうなどとは思わない。
この天使や村人が悪い訳でもない。弱い者が弱いまま群れて生きていた過去があり、強い者が弱い者から搾取していく現状がある。そして強い者はさらに強い者から喰われるのだ。身の丈に合った幸と不幸があるだけだ。俺はその是非を議論するつもりはなかった。
「何か……何か手はあるんだろう?口に任せて火葬を献策した訳ではない筈だ。まだ救う手立てが──」
「──畑を耕し、飯を食って英気を養う必要がある。死と病の穢を浄め燃やさねばならん。だが、今や村は弱った病人ばかりだ。お前が看病しようと全ては救えん。気づいているのだろう」
この女──天使も分かっている。呪いを祓う天使であろうとも、病を治す薬が作れる訳ではない。神に祈れど病症が回復することなどないのだ。
疱瘡に特効薬はない。現代とは比べ物にならないこの時代の劣悪な健康状態で発症すれば、致死率は50%程度にまで上るだろう。劇的な改善が見込めない現状に天使は焦っているようだ。信用ならないと評した俺に対して、一転して問いを投げかけたことからも焦燥は見て取れる。
人々を救済する意思。ご立派なことだが、俺にはそう大層な使命感もない。呪いを祓いに来たのも身勝手な味見のためだ。俺の読み通りに疱瘡の呪いが居たとしても、祓ったところで全ての疱瘡が治癒する訳ではないのだ。病と戦うのは各々の身体である。わざわざ誰かを看病する心積りなど俺には欠片もなかった。
「分かったら疾く去ね。天使の御言葉とでも言いくるめて穢を清めてこい。このまま糾弾したければ先に黙らせるだけだ。お前はどうする。天使」
「……そうか。お前は……いや、
再三の問答でようやく飲み込めてきたらしい。いや、寧ろ理解の早い方か。俺を同類としてカテゴリーするのは勝手だが……さっさと村か寺にでも行ってほしいことは確かだ。
俺は此奴と仲良く活動したい訳ではない。呪霊の実力がどんなものか試したいだけだ。呪霊の講じる策が逃走一辺倒であればまだマシな方だが、悪辣な手を打ってくるやもしれん。純粋な力比べで終わるかどうか、術式次第で出方も変わる。
「初めは魔の者にしか見えなかったが……思慮深い一面もあるんだな。聖痕もはっきりと刻まれている。お前も、あの子達と同じで天使だとは──」
「二度言わせるな」
俺が追い払うような仕草をすれば、天使は眉間に皺を寄せたまま背を向け、村へと飛んでいった。
呪霊の気配の変質。明らかな戦闘への備え。膨れ上がる病魔の匂いに笑みを深めながら、俺は山へと足を踏み入れた。
疾病呪霊──疱瘡神。疱瘡へ向けられた負の感情が集積して形作られた呪霊である。
平安時代における疱瘡はよく知られた病の一つ。平安時代初期に爆発的な流行を見せた疱瘡は時の都でも猛威を奮ったが、それから数百年と経ったこの時代においては風土病の一種として定着していた。季節の巡りや限られた土地の中で、緩やかに感染を繰り返す病として認識されていたのだ。
疱瘡を擬神化させた存在である疱瘡神は、長らく時代に残っている。人々はその神が
疱瘡神は位の高い呪霊でありながら、微小な群体としての特性も併せ持っていた。病が蔓延る程に力を強め、さらに術式を用いて新たな感染を促す。真に厄介な性質は高度な術理や殺傷に優れている点ではない。ひたすらしぶとく残り増え続ける生命力こそが、神でありウイルスの呪霊たる所以であった。
山を探り気配を辿った宿儺が目にした光景。その寺院──巻清寺からぞろぞろと現れた子供達を見て、宿儺はため息を一つ吐いた。
(あの女は術を扱う者を自ら含めて天使だと言っていた。それが術師を表す単語であれば、寺の天使は全て──)
「い゙いぃぃ……」
「おぇっ、お゙えぇぇ」
「おねぇ……!!おねぇぢゃん……!!」
散眼じみた虚ろな目と身体中に生じた水疱。無理やり活性化された脳から発現した術式。孤児達は術師であるが故に疱瘡から回復したのではなく、疱瘡の感染を契機に術師として覚醒していた。それ故に天使と呼ばれるようになったのだ。ただ一人を除いて。
「罹患した者を操る術式……いや、違うな。
一度疱瘡に感染して回復した孤児達は免疫を持っている。しかし休眠状態のウイルスは未だ体内に残存して合図を待っていた。活性化と同時に疱瘡神の性質を帯びたウイルスに対して、獲得免疫は機能しない。
ある孤児は発熱で泣き苦しみながら息絶えた。吐瀉物に塗れながら窒息死した者、膿疱を掻きむしって血と膿を吹き出した幼い者もいた。みな例外なく苦しみ悶え、疱瘡神の手によって動く屍兵と化している。
術師として覚醒した孤児達。自らの力に怯える子供達を支え、導いた年長者の"天使"はいない。彼女だけが生まれついての術師であり、その特殊な術式によって未感染のままだった。彼女のいない間に疱瘡神は寺に侵入し、仕掛けを起動して孤児達を呪殺した。その結果が宿儺の目の前にある。
宿儺は幼い子供の死に頓着してはいない。宿儺の来訪が疱瘡神の活性化に繋がったことは間違いないものの、それはあくまで結果論である。あのまま近傍の村全ての感染が飽和すれば、疱瘡神が一帯の人間を生かす理由もなくなっていた。どの道、誰かが屍兵として利用されることは避けられない。
運が悪かったのだ。疱瘡神の宿ったウイルスがこの地に蔓延ったこと。聖書の教えと疫病の相性が悪かったこと。宿儺という圧倒的強者を前にして、疱瘡神が速やかに対策を打ったこと。これらの因子がそれぞれ重なっていたに過ぎない。
この地の人間も、天使と呼ばれた子供達も何一つ瑕疵のない生を送っていた。しかし善悪に関わらずとも、大きな力の衝突に際して失われる弱者の命がある。
「遊んでやろう、餓鬼共」
"飛天"と"神武解"を手にした臨戦態勢。宿儺は自らの手で──鏖殺することを決めた。
『神武解』
ビリビリと空を叩く轟音。小さな体が一つ焼け焦げ、肉の焼ける匂いが辺りに漂った。
「お゙え゙ぇぇっ!!」
一人の孤児だったそれが大量の呪毒を吐き出した。それは皮膚へ触れればたちまち疱瘡神に侵される代物である。ふりかかる毒液を前にして──剛槍が唸りをあげる。
『飛天』!!
顔面ごと穿ち削り抜く槍撃。首から下だけとなった体が力なく崩れ落ちた。
疱瘡神は死体に残された術式を行使して尚も攻め立てる。
「い゙ぃぃいああ!!」
「デカい声だな」
雷撃にも劣らない大声量が宿儺の動きを一瞬留める。さらに撃ち出された肉腫が宿儺の眼前で──勢いよく爆ぜた。
「『
宿儺は飛び散る血肉を躱しながら不可視の刃を放った。斬り裂かれた骨肉と吹き出す血のあぶくが地面を彩る。
幼い身体を使い捨てるだけの攻撃は宿儺には意味をなさない。しびれを切らした宿儺が掌印を構え始めたところで、斬り落とした筈の孤児の頭がぐりんと向きを変えた。
ウイルスを体内へ侵入させるため、疱瘡神の講じた手段。一か八か──神速の領域展開!!
「りょういきてんかい」
『
生得領域の展開と術式の付与、それらの工程を一段階に纏めて成立させる早業であった。
すると、間もなくして幼子の頭部がぐずぐずに溶け出していく。余りにも負荷のかかる領域使用の反動で、疱瘡神は孤児達の死体をマトモに動かせなくなっていた。しかし、依然として疱瘡神の勝ちは揺らがない。ウイルスは既に侵入を始めていた。例え今から孤児達の身を微塵に刻もうとも、疱瘡神の次なる器が出来上がる方が速い。
勝利を確信した疱瘡神の魂は笑い声をあげる。それは孤児達にも伝播していき──子供の高い笑い声が次々にあがり始めた。
「あはははは!!」「うふふふふふ」「あっひゃっひゃっひゃっ!!」「あーはっ!!ははっはっははっ!!」
「使い潰して俺を獲りに来たか。確かに疾さは悪くないな」
宿儺の手の甲に特徴的な発疹が生じた。じわじわと広がりを見せる赤い患部は感染の拡大を意味する。血流内へ侵入すれば瞬く間に脳まで制するだろう。宿儺の死がすぐそこまで迫っていた。
尚も焦らずに、宿儺の唱える呪詞は──
「『■』『
自身の肉体を領域とし、指先から取り出したのは業火。"獄"からの帰還と共に、御厨子へ刻まれた炎の術理で身を焼き焦がし──ウイルスを
「熱消毒だ。少し手荒いがな。さて──纏めて荼毘に付してやろう」
笑い声が止まった。立ち上る炎と熱量を前にして、疱瘡神の魂は恐怖に凍りつく。
疱瘡神は策の失敗を察知して動揺した訳ではない。眼前の男が燃やし尽くす気になったことを知ってしまったのだ。
近傍の村と集落、山を降りて向かった先の村の隅々にまで。何度死体に宿ろうと、幾多の死体に宿ろうとも……そのことごとくを燃やしていく気だ。此奴は、この男ならばやりかねないと分かってしまった。
疱瘡神は千切れた体でなんとか寄り集まると、先んじて近場の村へと逃げ出した。今此処にある体が燃やされたところで、他の感染者に疱瘡神の"核"を移せば問題なく復活できる。何としても生き延びる腹積もりであった。
一塊となった子供達の体。各部に見える膿疱からは黄色い膿が流れ出している。手足をめちゃくちゃに振り回しながら、手で地を掴み、足で地を蹴って走り続けるその背中。そこへ放たれる──業火の一矢。
極大の火柱が山を赤く染め上げる。疱瘡神は確実に祓われた。その
「子供達がいない。他の天使達がいないんだ。祝福を受けたあの子達が……!!血の跡しか残っていない!!」
山火事が広がろうとしていた。既に呪いの気配は完全に失せている。俺が試したかったことも済ませた。業火の威力は上々といったところか。まだまだ使い道はありそうだが……まずはこの女だ。
俺が呪霊を屠った後、高速で飛んで来た女は寺の惨状を目にして暫し固まっていた。
敷地内で餓鬼共が呪霊に脳を侵される際、疱瘡の症状で苦しみ悶えたことは想像がつく。膿疱を掻きむしったか、または血の混じった吐瀉物を吐きながら絶命したような跡を目にしたのか。合併症も踏まえると諸症状は多岐に渡るが──俺が考える事でもない。
「天使は……皆は、どこに……」
「俺が燃やした。呪いに憑かれた動く死体を。成れ果てとなった餓鬼共を全員殺した」
人間は脆く弱い。容易く死ぬ。死ねば等しく肉の塊だ。だからこそ人間は何かに縋る。仏の教えや神の教えに。強者の庇護を求めて寄り縋る者達がいる。
此奴は村で屍を燃やしたのだろう。教えに背いてでも他人のために決断した。自らの価値観の根幹を成す神に背いたのだ。その葛藤や心の軋轢を飲み込んで死体に火をつけた。
キリスト教徒は死後の復活を信じて火葬ではなく土葬を望む者が多い。聖書の記述や教義の正確さの問題ではなく、死後に少しでも天国へ近づけるよう願い火葬を拒む者もいるのだ。
自らを押し殺して動いた矢先に仲間が死んだ。呪いに殺され、死体を燃やされ、弔いも満足にできなかった。そうなれば此奴は如何にして立ち直るのか。魂が折れた瞬間、惨めに蹲ったままか、はたまた──神に頼り続けるか。
「あ、あぁ……なん、で?いや、そんなっ!!あ、あってはならないことだ。そうだ。あれは神の教えに、反することだったんだ。私は天使……私の信念は……神の教えがっ、間違っていることなど……!!」
ぶつぶつと何か唱えながら、この女──天使は呪力を滾らせている。呪詞の詠唱というよりは、自らを鼓舞するルーティンに近いものか。手に顕現した
「ミカは、まだ幼かった。力に怯えていても、誰かに術を向けることはなかった。優しい子だった!!イサクはよく悪戯をして……みんな、みんなを困らせて、笑わせて……!!ルツは、一際辛抱強くて、決して怒ることもなく、なかった……エリは──」
人間は窮地に垂らされた蜘蛛の糸を恨もうとはしない。だが、時として不完全な救済を憎悪する矛盾もある。どうしようもない現実を前にして、人間は差し伸べられた救いの手に行き場のない激情をぶつけるのだ。
俺はそれを否定しない。肯定もしない。弱さ故の醜悪。強さ故の傲慢。どちらも人間だ。俺は此奴に許しを乞う気はなかった。恩着せがましくするつもりもないのだが。
「──みんな、死んだ。みんな死んだ?……そもそも、何故、何故……私を遠ざけた?何故私に屍を燃やせと語ったんだ?お前が……本当に、呪いを祓ったのか?本当に呪いなど居たのか!?お前は……!!」
「二度言わせるな。信じたくなければ好きにしろ」
俺という存在がそこにいたため。当たり散らす先として格好の的があったから。論理的に導いた答えではないだろう。かといって、此奴を穏便に説き伏せようとする所以が俺にはなかった。吐き捨てるような言葉は決断を急かすようなものだったが、良いきっかけになった筈だ。
「……"光よ" "全てを浄化したまう光よ" "罪 咎 憂いを消し去り" "彼の者を導きたまえ"」
「"龍鱗" "反発" "番いの流星"」
どちらからともなく始まった呪詞の詠唱。流されるままの開戦も──偶には悪くない。
『
『
光の柱が斬撃を包み込んだ。
巻清寺に天使と呼ばれる子供達がいて、年長者で翼が生えてる金髪碧眼の女子が天使オブ天使です。本人はお姉ちゃんとか呼ばれてます。
宿儺の棘がある言い方について、ちゃんと次話に補足します。らしくない態度です。