人の腕が空を飛んでいる──なんて光景は、世界最強のイタリアンマフィアの次期十代目ボスに内定していても見慣れたものじゃない。人の腕は一度切り離されたらそう簡単にはくっつかないし、たとえくっついたとしても切ったらいけないものだ。人に刃物を向けるのは犯罪だし、切られたら痛い。そんな子供でもなんとなく理解できる常識が、この組織では通じないらしい。
とんでもないところに来てしまった。
それが、界境防衛組織『ボーダー』に訓練生として入隊した、沢田綱吉の正直な感想であった。
沢田の人生において大抵の事の発端であると言っても過言ではない男、ヒットマンでありながら家庭教師も務めるリボーンは、中学卒業と同時にイタリアへと渡る教え子にイタリア語──日常会話とマフィアの専門用語──を叩き込むことをここ最近の目標としていた。
毎日必ず行っている小テストの成績は悪くない。獄寺隼人という右腕のおかげで学校でも勉強できるからだ。リボーンの出題傾向まで分析してくれる優秀な右腕がいなければ、沢田は毎日のように部屋の壁紙を焦がしていた。獄寺は沢田だけでなく山本武にも教えていて、リボーンが沢田用に作ったテキストを活用したり問題集を自作している。そのため、三人は放課後になるとそろって沢田宅の二階に移動し、小テストを受け、沢田の解答はリボーンが、山本の解答は獄寺が採点するのだ。
「獄寺、よく山本にこれだけ点を取らせたな」
「部下が馬鹿だと上に立つ者の評価を落とすことになるので。十代目のお顔に泥を塗るようなことは俺がさせません!」
出会った当時は一方的に威嚇していたけれど、右腕の自覚が良い方向に作用している。
沢田の満点の小テストを返却したリボーンの視線が、点数に胸を撫で下ろしている沢田と山本、二人の間で眼鏡を光らせている三人に投げられると、沢田の表情筋は沢田が自覚するよりも先に歪められた。
「良い成績を収めたからには追加課題をやらないとな」
「そこはご褒美じゃないの?」
生徒からの切実な訴えは却下である。
「おまえたち、ボーダーは知っているな」
「三門市にある防衛組織ですね」
「あれだ、トリオン兵ってのと戦ってる奴らだろ」
「まさかそこに入隊しろだなんて言わないよな──?」
超直感か、それとも生徒としての直感か。リボーンがニヒルに微笑うと、沢田の喉はひいっと悲鳴を絞り出す。
「そのまさかだぞ。入隊試験は明日だ。遅刻しないで行けよ」
家庭教師の無茶振りにはかなり慣れていたけれど、ボーダーという組織を身近に感じたことがなければ、三門市内で食い止められた近界民との戦争よりもマフィアの抗争の方がよっぽど命の危機であった沢田からすると、入隊動機を尋ねられてもいまいち心がついてこない。
「えっと、有事の際に仲間を守る力が欲しかったからです」
一応はそう答えた。けれどもこれは志望動機というよりも沢田が拳を握る理由である。
「あの──?」
手元のタブレットを凝視している面接官は、沢田に声をかけられてようやく顔を上げたが、なにやら顔色が悪く部屋から出て行ってしまった。しばらくすると戻ってきたが、別部屋に移動することになり、そこでもタブレットと沢田の顔を交互に凝視して、顔面蒼白のまま面接は終了した。
座学試験の存在を知らされていなかったので不安が残ったものの、三人とも無事に入隊試験に合格することができた。
仮入隊となって一週間、今日から三人は訓練生だ。
「ボーダー本部長の忍田真史だ。君たちの入隊を歓迎する」
入隊式に登壇した男を沢田は知らなかったが、獄寺がぽそっと「何度かテレビで見た顔だな」と言うので、嵐山隊ほどではないがメディア露出があるらしい。訓練生を鼓舞する力強い話し方からは頼もしさが溢れていて、話が短いところも良い。
入隊指導の進行は嵐山隊が担当するようだ。彼らのトレードマークである赤い隊服に思わず「本物だ」と出てしまった声は山本とピッタリ重なり、なんだか芸能人を目にした気分だ。並盛と三門は他県ではあるが隣接しているというのに、テレビの中の人、という感覚が拭えない。周囲の歓声を聞くかぎりでは三門市民も同じようだ。
「まずはポジションごとに分かれてもらう。攻撃手と銃手を志望するものはここに残り、狙撃手を希望する者はうちの佐鳥について訓練場に移動してくれ」
沢田の隣で「なんてことだ──」と悲壮感たっぷりの獄寺は、狙撃手希望である。B級に上がった際にチームを組むことを想定し、沢田と山本が接近戦を得意とするため、中・遠距離の戦闘スタイルである獄寺が狙撃手となる流れとなったのだ。
「オリエンテーションが終わったら食堂で合流しようよ」
「わかりました。訓練終了次第、連絡しますね」
「ここの食堂、けっこう美味いらしいから楽しみだな」
嵐山隊の佐鳥賢に連れられていく獄寺を見送ると、嵐山准が攻撃手のオリエンテーションを開始した。
入隊直後の沢田と山本は訓練生であるC級だ。実際に防衛任務に出て近界民と戦えるB級に上がるには、入隊試験の結果をもとに個人に設定されているポイントを四千点にまで上げる必要があるという。
「へえ、でもすぐあげられそうだね」
左手の甲には三千六百点という表示がある。すると山本も「俺も同じだ」と言って見せてきた。あと四百点で二人はB級に上がれるようだ。
ほとんどの場合は千点からスタートだと説明する嵐山は、沢田と山本に爽やかな微笑みを向ける。
「沢田君と山本君、あとスナイパー希望の獄寺君、君たちは今期の新人の中でもトリオン値トップの三人だ。実技試験でも非常に優秀な成績を収めているからね、早くB級に上がってくれ。期待しているよ」
名指しで褒められることには驚いたが、悪い気分ではなかった。周りからの視線は痛いけれども。
ポイントを上げるには週二回の合同訓練でいい結果を残すか、ランク戦でポイントを奪い合う、という二つの方法がある。まずは訓練から体験してもらおうと、攻撃手希望の隊員たちは嵐山と訓練場に移動する。開けた場所に出て、二階から一階を見下ろすと、そこはいくつかのブースに別れていた。
対近界民戦闘訓練──仮想空間の中でボーダーが集積データから作り上げたトリオン兵と戦うという実践的な訓練方法である。怪我もトリオン切れもないから思いっきり戦ってくれ、と嵐山は言うが、見上げるほど大きな兵器と突然戦えと言われて、はいそうですか、と実行できるものだろうか。制限時間は一人五分、早く倒せばそのぶん評価が高い。弱点は口の中にある目玉。攻撃力はほとんどない代わりに装甲が固いという説明が終わると、沢田と山本はそれぞれ別のブースに一番手で放り込まれた。
「一号室用意、始め!」
テレビのニュースで見たことがある、白くて大きなものを見上げる。甲羅のような、甲冑のようなものが体の全体を覆い、弱点だという眼も口の中にあって常に露出しているわけではない。この眼は核のようなものだろうか。別の世界からの侵略者、と耳にしただけの沢田の頭の中には、人間に近い容姿の近界民がイメージとして出来上がっていた。これは大型近界民と呼ばれていたから、中型、小型と何種類かいるのかもしれない。
そうか、これが近界民なのか──本当に?
大型近界民が頭部を持ち上げ、沢田に打ち付けるような動きをした。それを避け、生身よりもずっと軽いが、炎よりもスピードが出ない跳躍で、不気味な目玉をスコーピオンで切り裂いた。
ブースの外に出ると、すでに山本が待っていた。
「お疲れ、山本。どうだった?」
「ちょうど五秒。弧月がまだ手に馴染まねぇ。ツナこそ、ぼーっとしてたけど、何かあったか」
「これが近界民なんだなーって見上げてたんだけど──なんか、違う気がして」
「違う?」
「うん、なんとなく違和感が──」
ブラッド・オブ・ボンゴレに付与されている類稀なる直感力は、いつも沢田たちを窮地から救ってくれた。だからこそ見逃せない違和感が沢田の表情を曇らせているのだが、この違和感の正体を言葉に置き換えるのは難しい。
「沢田くん、ちょっといいかな」
振り向くと、そこには嵐山が立っていた。
「訓練開始直後、何か考えこんでいただろう。わからないこと、不安なこと、なんでも訊いてくれ」
なんだか太陽のような人だ。心からこちらに寄り添ってくれようとする裏表のなさに、沢田はじゃあ、と質問してみることにした。
「訓練用のあれって、本当に近界民なんですか?」
「それはどういう意味かな」
「あっ、すみません、えっと、言葉にするのが難しいんですが、大型近界民は近界民の中でもごく一部のものなんじゃないかって」
「ああ、それなら、大雑把に分けても戦闘特化型、爆撃特化型、あと捕虜捕獲特化型などが確認されているよ」
嵐山は嘘をついたわけでも、誤魔化しているわけでもない。だがそれは沢田の質問の答えではなかった。
「そう、なんですね。ありがとうございます」
「疑問は解決したかな? それなら、せっかくだから訓練をやり直してみよう。沢田くんならもっと良いタイムを出せるだろう」
違和感が拭えないまま、沢田はもう一度ブースに入った。今度は「始め」の合図と同時に地面を蹴った。
一秒を切るタイムに嵐山は満足し、二度目を希望する者には時間が許すかぎりの対応をしてみせた。
「それじゃあ次は、個人ランク戦の説明をしようか」
また皆でぞろぞろと移動をすると、大きな電光掲示板が目立つ、ロビーのような場所に着いた。壁に沿って入り口が並び、それぞれに番号が割り振られている。白い隊服ばかりのここがC級隊員用のランク戦ブースだという。
そこで沢田は眼にすることになる。人の腕が空を飛ぶ光景を。