窮鼠、猫を噛みたい   作:zarame.

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①-3

 

 トリオン体でなければ吐いていたかもしれない。だって人の腕が空を飛んで足が落ちているのだから。傷口から溢れ出すのは真っ赤な血ではなく灰色のトリオンだけれど。

「ツナ、大丈夫か」

 換装しているから顔色が蒼白になることはない。それでも山本はその経験から、このランク戦という対人戦闘が沢田にとってかなりきつい状況であることに気づいた。この場に獄寺がいなくて良かったと心から思う。

「それじゃあ、まずは二人一組になって模擬戦闘をやってみてくれ。トリオンの供給期間を破壊するか、トリオン切れになるまでダメージを与えれば勝ちだ。ボーダーでは攻撃手の強さをポイントでランク付けしているんだ。皆、存分に高め合ってくれ!」

 嵐山のよく通る声にC級隊員はペアを組んでブースに入っていく。彼らは一般市民のはずだ。ボーダーに入隊するまでは争いや刃物や銃とは無縁の生活を送っていたはずの彼らが、どうして「模擬戦闘をやってみてくれ」の一言で動けるのだろう。近界民相手の戦闘ならば、それを目的としているのだから理解できる。けれども、対人戦闘は沢田の予定には存在しなかった。一体なぜこんなことに──

「君たちもブースに入ってくれ」

 先ほど、嵐山はわからないこと、不安なことはなんでも訊いてくれと言ってくれた。超直感から押し寄せる違和感に追い立てられるように、沢田は疑問をぶつけていた。

「あの──どうして対人戦闘なんてしないといけないんですか。ボーダー隊員は近界民と戦うんですよね。どうして人を切らないといけないんですか」

 嵐山の驚きはまったくと言っていいほど顔に出なかった。まだ未成年でありながら、ボーダーの顔としてメディアに出ている彼のポーカーフェイスはそこらの芸能人よりもよほど優秀で、それは立場をわきまえた彼の聡明さの表れである。嵐山は、沢田の感情的な質問にも微笑みを深めてみせる余裕をもっていた。

「それはだね、沢田くん」

「その質問にはこの実力派エリートが答えよう」

 ふらりと現れた男を見るなり、嵐山の表情は広報部隊の隊長よりもずっと柔らかいものに変化した。気さくに「迅! おまえがここにくるなんて珍しいな」と呼びかけられた男は、嵐山の背をひとつ叩くようにして、「まあね」と微笑う。

「──眼が」

 その男の青い眼をひとめ見た沢田の脳裏に、一人の少女が浮かび上がった。

「俺の眼が気になるか」

 そう問われて、沢田はひとつ頷く。彼の眼が、というより、その眼がなぜ少女を連想させたのか、そのわけを知りたい。

「じゃあ教えてやるよ。俺の眼には未来が映るんだ」

 嘘はついていない。沢田は直感する。

「どうして──どうしてそんな大切なことを教えてくれるんですか」

「フェアじゃないだろう。俺は君たちのことを知っているんだから」

 青い、不思議な眼である。嫌な感じがしないのは、同じ力を知っているからではなくて、きっと彼が悪意を欠片も持っていないからだ。

「嵐山、この二人は俺が預かるよ。沢田くんはボンゴレの後継者だからね」

 どうして表の人間が、沢田が次期十代目であることを知っているのか。山本の手が、無意識に腰に伸びる。

「そうだったのか。ボンゴレ・カンパニーには世話になっているからな。迅、おまえに任せるよ」

「はい、任された。山本くん、君も一緒に来るだろう」

「もちろんっす」

「佐鳥にさ、オリエンの切りの良いところで獄寺くんを呼んでくれって頼んであるから。大丈夫、それほど時間はかからないし食堂には後から行くといいよ」

 オリエンテーションから離脱した沢田と山本は、未来視の力を持つという謎の男に連れられて無人の会議室に移動した。

「さて、じゃあ自己紹介からね。俺は迅悠一。玉狛っていう、本部とは別の支部に所属している隊員だよ。一応は古参メンバーだから上層部にも顔が効く。ボンゴレ・カンパニーはボーダーのスポンサー企業だけど、その様子じゃあ知らなかったんだね」

 何も聞かされていない沢田と山本は顔を見合わせた。ボンゴレ・カンパニーはボンゴレの表の顔だと聞いただけで具体的な事業についてはまだ詳しく知らなかった。ボロを出す前に早く獄寺に戻ってきてほしい。

「そういうわけだから、本来はB級に上がってから話すべきことをこれから話そうと思う。特に沢田くん、君のサイドエフェクトはトリオン体との相性がかなり悪いみたいだ」

 違和感として気付いていたことを明確な言葉にされると、トリオン体であるはずなのに何度も経験してきた超直感特有の気持ち悪さが込み上げてくるような気がする。

「あの、サイドエフェクトってなんですか」

「君の直感力や、俺のこの眼、ボーダーには他にも優れた聴覚や学習力を持つ隊員がいるんだ」

 ボーダーが定めるサイドエフェクトとは、高いトリオン機能に稀に付随する副作用的能力。迅はボンゴレ九代目が超直感というサイドエフェクトを持つことを知っていて、沢田も同じ能力を持っていることを未来視で視たという。

 生身だったら気分が悪くなっていただろうな、という憶測だけですでに気分が悪くなっている沢田に変わるように、山本が話を進める。

「ツナのサイドエフェクトと相性が悪いってのは、どういうことっすか?」

「それは獄寺くんが来てからにしようか。そろそろだよ」

 迅の視線が会議室の扉に向かうと、バタバタと足音が聞こえてきた。扉の前でぴたりと止まり三秒。獄寺は失礼します、と言いながら入室した。

「沢田さん、どうなさいましたか」

 扉側に座る迅に鋭い眼光を飛ばすも、初対面で噛みつかなくなったのも右腕の自覚からだろう。

「えっとね、攻撃手の訓練に対人戦闘があって──それが、なんていうか──驚いて──」

「──狙撃手の的も、近界民というよりは人型に近い形をしていました」

 嫌な予感が集積していく。この場に山本と獄寺がいなかったら逃げ出していたかもしれない。

「ま、その説明を迅さんがしてくれるって言うからよ、とりあえず聞こうぜ。あと、ボンゴレはボーダーのスポンサーらしいぜ」

「あ?」

「そういうこと。さあ、座りなよ」

 こうして始まった近界民についての真実は、ボーダーに沢田を放り込んだ男を憎みたくなるものであった。

「近界民は人間だと、俺は思う。戦争相手だし、暮らす世界は別だし、言葉も、文化も違うからね、宇宙人と定義しちゃうのはけっこう簡単なことなんだろうけどさ、関わってみると見た目以外にも共通点が多いんだよ。たとえば、食へのこだわり。近界にも美味い食べ物があるし、近界民はこっちの食事が大好きだよ。紛争地帯じゃないから文化レベルが高いみたいでね、甘味の種類の多さはかなり魅力的だって。あとはどうしたって感情を見過ごすわけにはいかないよね。俺たち、同じ映画を観て感動できるんだよ。大切な人を失えば悲しいし、子供は無条件で加護対象だし、寝床は柔らかいほうが良いし、風呂に入るとさっぱりする。仲間を殺されたら復讐の二文字が浮かぶし、故郷は守りたい。頭部はひとつ、眼と耳はふたつ、鼻と口はひとつ、手足も二本ずつ生えててさ、痛覚があって、流れる血も赤くて。まあ、世界を支えるエネルギーがあっちにはトリオンしかないからね、そこの文化的な相違はかなり特殊だよ。そこが相容れないから近界民を敵とするのは間違いじゃない。こっちは襲撃を受けたし、仲間も家族も殺されているからね。どれだけ共通点があっても敵は敵。地球という同じ星に暮らしていても戦争してるんだから、同じ人型の生命体で同等の文明レベルを構築できても、それは争わない理由にはならない、って感じかな。ボーダーが近界民の正体が人間であることを隠しているのは、トリオン兵が近界民だと思ってもらったほうが何かと都合が良いからだよ」

 沈黙を続ける三人に、迅は最後にこう付け加えた。

「近界民が人間と同じ生命体であることは真実だ。ただし、全く別の星に住み独自の文化形態を築き上げている彼らを人間とするか宇宙人とするかは、個人の主観によってわかれる。君たちの判断は君たちのものだよ」

「──近界民がこっちの世界を襲撃したのはトリオンのためか」

 獄寺は低い声で問う。

「そうだよ。ただ、それだけのためだ」

 ふたたび獄寺が黙ると、あいだに沢田を挟んでいる山本が大きく伸びをした。

「ツナ、今の話ってどれくらい信じていいんだ?」

「嘘はないよ。誤魔化しも。俺だけじゃなくて山本と獄寺くんにも話してくれたのは、迅さんの誠意だと思う」

「そっか。なら俺は納得したぜ」

「俺は気に食わねぇことがある」

 獄寺が睨みつけても迅の口元にはゆるい微笑みがあって、超直感は教えてくれる。彼の青い眼がすべてを見透かしていることを。

「待って、獄寺くん。迅さんの眼には未来が視えるんだって。俺の超直感とか、他にもいろんな能力を持つは人がいて、そういうのをまとめてサイドエフェクトって呼ぶそうなんだ。だから俺は、教えてくれたことに感謝してるよ」

「未来が視えるなら尚のことです。あいつはあなたが苦しむことをわかっていたんですよ」

「でも、二人がいてくれるだろ」

 少しずつ、獄寺は十年後の世界で出会った彼に近づいている。ボンゴレよりも、裏社会の常識よりも、沢田の心を守ろうとしてくれる獄寺の存在は、沢田がこれから進む道を照らし、沢田の苦悩も覚悟もそのまま受け止めてくれる山本の存在は、沢田の背中をそっと押してくれる。

「迅さんには、俺に二人がいることも視えていたんですよね」

「視えていたとも。でも、俺の眼は万能じゃない。せいぜい目の前にいる人のすこし先の未来を映すだけだ。しかも分岐点は山ほど転がっている。それでも──視えるんだ。君たちが支え合っているところが。戦っている近界民が、死んだ仲間を弔うところも、復讐を誓うところも、家族と幸せそうに笑っているところも」

 少女に似た青い眼は柔らかく歪む。

「俺は、俺たちの戦争相手を人だと思っている。そして沢田くんは、知ることよりも知らないことのほうが苦しむ未来が視えていた。トリオンは人間が持つ生命エネルギーだ。それと戦うというのは、沢田くんにとっては生身の人間と戦うのと同じこと。ボーダーでの日々は、つらい道のりになる」

 追加課題なんて言い方では生ぬるい。これは、ボンゴレ十代目を継ぐと決めた沢田への、リボーンからの最後の試練に他ならない。

「教えてくれてありがとうございます。知れて良かった。あなたの言うとおりだと思います。だから、もうひとつ聞かせてください。何故、俺に教えてくれたんですか」

「君はうちの大事な、次期スポンサーだからね。俺がいま教えた情報は遅かれ早かれ知ることになっていたんだ。何も特別なことじゃない。ちょっとだけ世話しただけさ」

 今の言葉は、嘘ではないが真実でもない。そう感じ取った沢田が視線をそらさないでいると、迅はしばらく負けじとしていたが、沢田の様子に気付いた獄寺と山本による援護射撃によって、しぶしぶ口を開いた。

「──今度、俺の後輩が君の世話になる。その恩返しさ」

 これから未来で起こる出来事への恩返し。まだ起こっていないことへの、恩返し。もしかしたら彼女も似た思考をするのかもしれない。そう考えると何だかおかしくて、沢田の固まっていた表情筋が緩んでいく。

 それほど時間はかからないって言ったからね。と、迅は腰を上げて三人を食堂まで送ってくれた。おすすめは日替わりランチだと言う迅の眼には、三人が気にいる未来が視えているのかもしれない。

「今日は色々教えてくれてありがとうございました。ボーダー隊員としての心づもりができました」

「いいんだよ。君たちは強くなるから、それだけで十分だ。流石は雲雀のお気に入りだ」

 立ち去る迅の背中を唖然と眺める沢田の顔色は、トリオン体でありながら蒼白になっていたはずだ。その横で獄寺と山本は周囲を見渡し、見慣れた腕章がないことを確認する。

「──だ──大丈夫ですよ、沢田さん。雲雀なんて名字は日本に二四十人はいるそうですから」

「それにここは三門だしな。あいつが並盛を離れることなんて早々ねぇよ」

 恐ろしい想像はやめて前を向こうとする二人の気持ちだけ受け取り、沢田は訴えかけてくる超直感と、今ごろ優雅にエスプレッソを楽しんでいるだろう親愛なる家庭教師様を恨まずにはいられなかった。帰ったら絶対に苦情をぶつけてやる。そう固く決意しながら、迅にすすめられた日替わりランチを注文する。

 沢田はすでに知っているのだ。超直感が、サイドエフェクトが嘘をつかないということを。

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