maverick   作:やわらかな土

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 【maverick】
   1.焼き印のない牛
   2.無所属の政治家
   3.一匹狼



日ノ杜にて

 夕暮れ過ぎの駅前で、わたしはぼんやりと人通りを眺めていた。ただ人を待っているのは退屈で、自然と耳を澄ませてしまう。この時間の雑踏には色々な音が混じっている。

 目の前を通り過ぎていく人たちのアスファルトを叩く靴の音、歩行者信号から響く鳥のさえずり、合わせ鏡のように反響する人の囁き声。

 わたしに向かって吐き出される下心丸出しの声。

 遠くの方の店先で客引きがわりに流れている電子音。信号が変わってタイヤが道路を擦りながら急発進し、別のどこかではシャッターが悲鳴を上げながら閉じてゆく。空気をつんざきながらホームに電車がやってきて、世界からこれら全ての音をかき消した。轟音と静寂は等しい。それから抑揚のない車掌のアナウンスがホームを超えて響き、世界は音を取り戻した。

 沈む夕日に向かって吹き抜けていく風の音。

 それから、女の子が悲しげに鼻を啜る音。

 無作為なはずのそれらはパターンを持たない旋律になって、昼の終わりの夕焼けに別れを告げ、忍び寄る夜の空に喝采を送る。

 行き交う人の中にはわたしに目を向ける人も多くいる。まず顔を見て、胸に目をやり、それから太ももに視線を移して再び顔を見る。彼らは素早く品定めを済ませて立ち去っていく。たまに足を止めて、遊びに誘う声を出したり、名前や連絡先を知りたがる声を出したり、写真を撮るシャッター音を鳴らしたりする。ちょうどわたしの隣にいるこいつみたいに。

 また女の子が鼻を啜る音が聞こえた。

 音のする元に目をやると、この時間の駅前にはやや不釣り合いな女の子が立っていた。女の子は十歳くらいだろうか、髪を両サイドで高めに結えた活発な印象とは裏腹に、首から下げた大きながま口を胸の前に抱えて、不安そうな顔で佇んでいる。母親らしき人はどこにも見当たらない。行き交う人たちの中にこの女の子を気に留める人は誰一人としていない。ぽつん、という言葉がぴったりだ。

 わたしの顔をちらちらとチェックする視線をほぼ途切れることなく感じる。わたしのことは見るくせに、女の子には見向きもしない身勝手さに腹が立つが、声をかけたらかけたで、むしろそっちの方が心配だ。そう思ったら、なんとなく女の子の方へ向かって歩き出していた。

 

「ねえ、あなた。お母さんはどうしたの?」

 

 わたしは屈んで目線を女の子の高さに合わせ、驚かさないように努めて優しく尋ねた。女の子は驚いたように少し口を開き、けれど何も発することなく口を引き結んで視線を地面に落としてしまう。

 

「さっきから一人みたいだけど、迷子かな? 私になにか手伝えることはある?」

 

 安心させたくて笑って見せたけど、女の子はかえって居心地悪そうにもじもじと身じろぐばかりで、少し驚かせてしまったのかもしれない。それに、やっぱり心細いんだ。

 

「困ったわね……。本当なら交番に連れて行くのがいいんでしょうけど――」

 

 女の子は先ほどから立つ場所を変えていないし、話しかけても動こうとしない。もしかしたら迷子になったときのために母親と集合場所を決めているのかもしれない。

 意思を言葉で伝えてもらえるのがベストだけれど、女の子はこのくらい警戒心が強い方がいい。それに知らない他人は無視するくらいで丁度いい。

 

「わたしも人を待ってるところだし、いいわ、迎えが来るまで付き合ってあげる」

 

 そう声をかけても、女の子の態度と表情は変わらなかった。わたしはこういう態度に心当たりがあった。困っているのに、迷惑をかけてしまうことを恐れて態度を硬直させてしまうのだ。

 女の子の隣に立って、母親らしき人がいないか辺りをもう一度見回してみる。

 駅のロータリーではたくさんの人が血流のように行き交っていて、ところどころで枝分かれしては駅やビルやバスなどに飲み込まれていく。駅から現れた人、バスを降りる人、駅ビルから出て来る人に目を向けるが、女の子の母親らしき人物は見当たらない。やがて、止め処なく流れる人波を掻き分けて、わたしを待たせている張本人――平原陽桜莉――が現れた。

 平原は、はじめにわたしではなく、わたしの後ろにあるケーキ屋のショーケースに目をやり、一通り見終わって小さく頷いた。平原にとってわたしよりもケーキの方が目を引く対象らしい。大げさにため息をつくと、ようやくわたしと目があった。

 

「あっ、菜々花ちゃんだ。ここにいたんだねえ。やっと見つけたよ〜」

 

 平原が手を振りながらやって来る。わたしのことをスルーしていたことなんか気付いてもいないらしい。

 女子高生がもう一人現れたことで、さっきからわたしに付きまとっている変な男が嬉しそうな声を出した。

 

「遅い。〝ここにいたんだねえ〟じゃないわよ。ここで待ち合わせようって言ったの平原じゃない。いったい今までどこにいたの?」

「ええと、さっきは焼き鳥屋さんのほうに……」

 

 平原は叱られた子がよくするように舌をちらりと覗かせて笑った。

 へえ、平原さんって言うんだ――と隣から相槌を打つ無神経な声。わたしは当然それを無視して、遮るように言った。

 

「はあ? 全然関係ないじゃない」

「いい匂いがしてたから、菜々花ちゃんも来てるかな〜って、へへへ――あれ?」

 

 平原はわたしの隣にいる女の子に気付くと目を輝かせた。

 

「あ、ちっちゃい菜々花ちゃんだ。かわいい! 菜々花ちゃんの妹?」

 

 平原は女の子の前にかがんで声を弾ませた。わたしを待たせていたことなどすっかり忘れてしまったようだ。

 

「そんなわけないでしょ。違うわよ」

「だってそっくり」

 

 そう言いながら平原は自分の髪を両手でつまんでお下げを作った。わたしが女の子に目を移すと、同じようにわたしを見上げる女の子と目が合った。なるほど、確かに髪型は似ているかもしれない。

 

「じゃあ菜々花ちゃんの従姉妹かな。それともお姉さん……は違うし、わかった、菜々花ちゃんの子供だ!」

「だから違うって!」

 

 満開の笑顔を向ける平原の圧力に、わたしは思わず頷いて認めてしまいそうになる。圧力を押し返すため、自然と語気も強まる。隣で女の子がおびえたように身をすくめるのが見えて、わたしは咳払いで喉をチューニングした。

 

「実はわたしもわからないのよ。ずっとここにいるから迷子っぽいんだけど、何も言わないし。だから平原を待っている間、ついでに見といてあげようと思ったわけ」

「ふうん、そうなんだ。ねえ、お母さん探してるの?」

 

 平原に見つめられて、女の子の目が左右にわずかに泳いだ。瞬間、平原は女の子の手を取って――。

 

「すいませーん! この子のおかあさんいませんかー! おーい、おかあさーん!!」

 

 平原はそこにいる誰よりも高く手を挙げて、大きく笑うような声で叫んだ。声は笑っているのに、平原の目は真剣だった。目の前を通り過ぎるあらゆる人が平原に目を向けた。そして、辺りに母親らしき人はいないか見回しながら立ち去っていく。衆目は平原を中心として巨大な波紋のように拡大していく。

 

「おかあさんを探してまーす! 誰か、この子のおかあさん知りませんかー? おかあさーん!!」

 

 平原が声を上げるたび、凄まじい数の視線が集まってくる。

 ラッキーなことに、わたしは人に見られることには慣れっこだ。大きな声だって出し慣れている。こうなったら、わたしも一緒に呼びかけるしかない。

 

「すいませーん! 迷子のお母さーん! ここにいますよー!!」

 

 どこにいるかもわからない人に呼びかけるのは思ったよりも大変だ。なにせ目標がない。だから点を狙うのではなく、面で呼びかける。

 視線は平原だけでなくわたしにも向けられる。それは、女子高生としてのわたしやステージに立つアイドルとしてのわたしに向けられるどの視線とも違うものだった。それらに品定めの気配はない。わたしが発信している――わたしが見せているという状態は、むしろわたしが見ていると言っていい。

 平原の隣で女の子は頼るようにしっかりと手を握り返していた。さっきまでの萎縮した様子はなくなっていた。

 隣にいた変な男はいつの間にかどこかに消えていた。太陽に焼かれた吸血鬼みたいに。平原には厄払いの効果もある。

 何人かの女の人が遠巻きに足を止め、女の子の母親を探すように辺りを見回してくれている。

 やがてステーションビルの出口の一つから、誰かを探すようにキョロキョロと見回しながら女の人が出てきた。その人が私たちの声に気付いてこちらに目を向け、平原の手の先にいる女の子を見るや小走りに駆け寄ってきた。

 

 

 

 それから女の子はお母さんと手を繋いで帰っていった。

 どうやら女の子はステーションビルの中でお母さんと一旦別れて買い物をし、その後で合流する予定だったそうだ。私たちがやったことは、結局騒ぐだけ騒いで注目されただけのお節介だったというわけだ。

 お母さんには、用事が予定よりも長引いてしまい、娘のことが気がかりだったからとお礼を言われてしまった。

 別にわたしたちが関わらなくても女の子は無事にお母さんと合流できていただろうし、お母さんもそんな私たちに気を遣ってくれたのかもしれない。けれど、去り際に女の子がこちらを振り向いて小さく手を振ってくれたんだ。女の子の表情や態度からは警戒するような気配はなくなっていた。

 

「どしたの、菜々花ちゃん。ぼーっとしてるけど」

 

 平原がわたしの顔を下から覗き込んできた。隣を歩いていたと思えば、一瞬の隙をついて視界に入ってくる。さっきの声かけでも思ったけれど、平原は距離の詰め方が上手いというより距離感がおかしい。

 

「別にぼうっとしてない。さっきのことを考えてただけ」

「さっきのことって?」

「あの子、本当は迷惑だったんじゃないのかなって」

「菜々花ちゃん似の子、かわいかったねえ。あ、名前を聞くの忘れてた!」

 

 平原はパッと顔を輝かせた次の瞬間、大袈裟に身をのけぞらせた。感情の起伏がせわしない平原にはきっと関係ないことなのだろう。平原はきっと「いいことをした」とも思っていないはずだ。

 

「お気楽なんだか能天気なんだか……。あんたのそういうところ本当に羨ましいわ。それより――」

 

 わたしは自分の頬を指さして平原に示した。

 

「顔のところ、傷が残ってる」

 

 平原の左頬に切り傷のあとがうっすら残っている。他にもおでこや目の横辺りがほんのりと赤い。わたしが殴ったところだ。

 

「うん、菜々花ちゃん強かったもんねえ。さすがだよ」

 

 平原はそう言って屈託なく笑った。

 わたしたちイローデッドは変身していなくても怪我の治りが異常に早い。その中でも特にわたしは特に早い方だ。現に平原に殴られたところはほぼ完治している。たぶんソードで刺されても割と大丈夫だろう――絶対試したくはないけど。

 わたしたちはさっきまで『ハロウィンナイトパーティ』という名のフェスに参加していた。仮装した女の子がリングの上でファイトするという、いかにも地下らしいイベントだ。わたしはラウンドガールで参加するつもりだったんだけど、ちょっとした行き違いがあって、選手として参加することになってしまった。勝ち抜き戦の体裁ではあったけれど、そんなものはほんの余興に過ぎないはずだったし、そもそも普通の人とイローデッドとでは勝負になるはずもない。格闘技術や回復力の違いということ以上に、体の作りが違うので、そもそもダメージが通らないのだ。例えばバットで殴るというような物理的な攻撃を食らったとしても――女の子の頭をバットで殴るようなやつにはリングより刑務所がお似合いだ――ダメージは半減するだろう。わたしたちはエーテルという名の甲冑を常に身につけているのだ。

 だから勝負なんてものではなくて、女の子が絡み合う様子を見せるための茶番だ。実際、それがイベントの意図だったのだろう。

 けれど、決勝で平原と当たってしまった。平原は手を抜いて戦えるような甘い相手じゃない。腹を決めてかからなくてはならない相手だった――んだけど、試合はクイーンの乱入でそれどころではなくなってしまったんだ。

 

 

 

「平原、そっちは任せた!」

 

 わたしは平原の方を見ずに声を張り上げた。直後、背後から技を放つ平原の雄叫びと衝撃音が響く。

 会場は非常口から我先に避難する観客たちの悲鳴でパニック寸前だった。

 会場に現れたクイーンは三体。平原の所属するAASAの予想が最悪な形で的中した。まさか三体も現れるとは思っていなかっただろう。

 観客と警備員の保護はリーダーときららに任せて、わたしと平原は三体のクイーンと対峙した。私たち二人に対してクイーン三体だと一体余ってしまうから、普段以上にわざとエーテルを放出するような戦い方をとった。強いエーテルに惹かれるクイーンの習性を利用したのだ。あいつらはどんなに脅威的な存在であっても所詮は下等生物だ。たぶんクマやイノシシなどの方がよほど厄介だろう。

 平原が放った技にクイーンたちの目が向くと、次はわたしが無駄にエーテルを込めた攻撃を放ってクイーンたちの気を引く。そうして観客たちが避難するまでの時間を稼いでいた。

 最後の一人が会場から避難を終えたタイミングでリーダーから本格的なエーテルの供給が加わって、気を引くだけの時間稼ぎからようやく殲滅戦に移行した。

 作戦というほどのものでもないけど、わたしたちの戦い方のタイプからいって平原が前衛で突っ込んで、わたしが後衛でカバーするプランが最適だ――といっても別に話し合ったわけではなく、わたしが一方的に告げたのだけど。だって、あの忙しい中で平原と打ち合わせて即席バディを組むなんて無理があるし、だったらわたしが合わせた方が早いしうまくいく公算が高いじゃない。

 その結果、平原がクイーンとタイマンしている間、わたしが二体の気を引く係となったわけだ。

 今までいくらかのクイーンと戦ってきたけど、こいつらの見た目はまるでわけがわからない。この世に存在するどんな生き物とも違う姿をしている。

 たとえば自動販売機くらい大きくて黒いぬめっとしたクイーン――たとえるならオオサンショウウオしかないけれど、もちろんオオサンショウウオではないし、見た目は似ても似つかない――とか、上半身からマネキンみたいな体を生やした蛇とか。

 ちなみに目の前にいるこいつらはホタテみたいな頭から触手を何本も垂らしていて、それらが結びついて人間の体みたいなものを形成している。変な粘液は撒き散らすわ妙な匂いはするわで、できれば関わりたくない部類の敵だった。こいつらは目にも止まらぬ速さで触手を振り回して斬りつけてくるのが主だった攻撃方法だ。他には粘液を飛ばしてきたりもするが、女の子がこんなものを食らったら一生秘密にしなくてはならない。

 わたしはホタテ・クイーンの攻撃を食らわないような位置取りを意識しつつ、なるべく二体を引き付け続けた。攻撃を食らうのは嫌だったけど、特に顔への攻撃だけは避けたかった。避難したとはいえ会場の外にいるのは未来のわたしのファンかもしれないのだ。それに、イベントがこれでお開きになるとは限らない――わたしはクイーンを倒すつもりでいるし、その後にイベントが再開するならもちろん参加する。

 わたしが顔への攻撃を嫌がっているのがクイーンにバレたのか、クイーンはやがてわたしの顔ばかり狙ってくるようになった。

 集中できていなかったからだろう、クイーンの一体が急に向きを変え、平原に向かって触手攻撃を繰り出した。

 

「平原、避けて!」

 

 えっ、という顔で平原がこちらを向いた。

 その顔に触手攻撃がまともにヒットした。

 気が逸れた一瞬を狙って、わたしの顔にも触手が飛んできた。やばいと思ったときにはもう遅い。肉が裂けて骨に衝撃が走った。その瞬間、わたしの中で何かが弾けた。

 クイーンの触手は再びわたしの顔を正確に狙ってきた。だから掴み返すのもたやすい。わたしの手の中で数本の触手がうねうねと蠢いている。一本に見えていたけれど、何本かでまとめて攻撃していたのだ。それで単純に見えていた攻撃なのに謎に被弾してしまう理由がわかった。はじめは一本にまとめていて、インパクトの瞬間に広げていたのだ。

 わたしの頭の中は信じられないほど冷静だった。

 触手はなんとか逃れようと左右に激しく動きながらわたしを引っ張っていた。

 わたしはというと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。顔を傷つけられることをあんなに恐れていたはずなのに、実際に傷つけられてみると、こんなことを気にしていたせいで平原を危険に晒してしまったことが申し訳なく、そんな自分に怒りさえ覚えていた。

 

「はじめからこうすれば良かったのよ、はじめから」

 

 わたしは空いている方の手でも触手を掴んで、綱引きの要領で引き寄せた。わたしの主力武器は回復力ではない、筋力だ。平原のように素早さを生かした華麗な戦いなんてわたしにはできない。力があって、回復力がすごいなら、取る戦法は一つだ。わたしはわたしにできることをやればよかった。

 クイーンを引き寄せ終わってわたしは、触手の生え際を握り締め、ホタテの蝶番あたりに足をかけて一気に引きちぎった。クイーンは凄まじい悲鳴をあげた。傷口から噴き出した血液と粘液の混合物が体にかかったけど、そんなことはもうどうでもよかった。ホタテの下顎を踏みつけたまま上顎に手をかけて一気にこじ開ける。ごきっという音と共に関節の外れる感触が手を伝う。そうして中身をむき出しにしたところで、わたしは心臓部と見られる物体に手を突っ込んだ。そして核っぽいものを握りつぶした。

 振り返って平原の様子を見ると、ちょうどクイーンを一体片付けたところだった。二体を相手にしながら着実に殲滅するあたり、さすが平原だ。

 

「菜々花ちゃん!」

 

 平原が急にわたしの名前を叫んだ。触手にやられた傷など気にも留めていないように満面の笑みを浮かべて。以心伝心からはほど遠く、何が言いたいのか全くわからなかったけれど、何かを企んでいることだけはわかった。

 平原が大きくバク宙でわたしの隣に着地する。自分の思いが伝わっていると信じ、疑ってすらいない顔。

 

「準備はいい、菜々花ちゃん!」

「え、え、ええ」

 

 平原は腰を低く構えて拳を引いた。

 何をするのかはわからないが、何をすべきかはわかる。

 わたしたちの目の前にはクイーンが一体。

 平原の拳に凄まじい量のエーテルが集まっているのを感じる。

 

「いっくよー! 友情ビーム!!」

「ゆ、友情?」

 

 平原は友情ビームの「ム」で拳を突き出した。肩から腕をつたい、拳の先からコークスクリューの螺旋を描いて桃色のエーテルビームが飛び出す。一瞬遅れてわたしも釣られるように「友情ビーム」と叫びながらビームを撃った。こんなものに何の意味があるのかと思ったけど、二本のビームはお互いを補完するように絡み合い、二本分とは思えなくらい大きく膨らんでクイーンに着弾した。

 

 

 

 というわけで、クイーンは倒したもののイベントは台無しになっちゃったんだけど、誰もいない会場内でわたしと平原は試合をした。平原に勝負を挑まれてしまったのだから仕方ない。

 手数でも威力でも精度でも平原の方が一枚上手でわたしは終始押されていたけど、わたしには回復力という唯一無二の武器があった。時間さえかければチャンスを掴めるかもしれない。けれど、避難していたイベンターが戻ってきてしまって、そこで試合は終了になった。つまり引き分けだ。この時点で止められてしまったら、試合内容的にいってわたしの負けみたいなものだけど、あのまま続けていれば結構いい勝負になっていたと思うし、何よりわたしは勝つつもりで戦っていたのだ。

 隠しても仕方ないから白状するけど、いい勝負という程度の評価では納得いかない。わたしはめちゃくちゃ悔しかった。

 

 

 

 とにかく、平原相手に手加減なんてできるはずもなかったし、そのとき全力で殴った傷が平原の顔にまだ残っている。

 

「あのねえ、女の子なんだから顔を傷つけるようなことしないほうがいいわよ。傷付けた本人が言っても説得力ないでしょうけど……」

 

「でもクイーンと戦うときにそんなこと気にしてられないよ」

「平原はクイーンからほとんど攻撃もらってなかったじゃない」

 

 平原の顔に、わたしのせいでクイーンから受けた一撃の痕跡はもうほとんど残っていない。目を凝らせば黄色い痣がうっすらとあるけれど、頬についた赤いケロイド状の切り傷や、こぶになってしまった額の腫れの方がよほど目を引く――切り傷はパンチが掠ったとき、たんこぶは頭突きでできたものだ。

 

「そうだっけ。でも菜々花ちゃんはあんまり怪我してないみたい」

「治ったのよ。一応顔は守るようにしてたけど、それでもいくつか貰っちゃったけどね。こんなんじゃアイドル失格よ、まったく」

「怪我したらアイドルになれないの?」

 

 平原が首をかしげて不思議そうに言う。

 

「当たり前でしょ」

「そんなことないと思うけどなあ」

「あるのよ」

「どうして?」

 

 平原は不思議と困惑を二乗して、オモチャのカプセルを開けたら中が空っぽだったときの気分をひとつまみ加えたような顔で尋ね返してきた。この顔で見られると「そういえば何でダメなんだっけ」なんて周回遅れの疑問が鎌首をもたげそうになる。

 

「アイドルは可愛くないといけないの。顔に怪我なんかしてたら誰も可愛いと思わないでしょ」

「菜々花ちゃんはかわいいよ!」

「平原に褒められてもアイドルになれるわけじゃないし……」

 

 まったく、と思う。平原と話していると何だか調子が狂ってしまう。わたしは「ごめんね」って遠回しに謝っているのに――とてもそうは聞こえないでしょうけど。

 

「はぁ……。あんたに言ってるの。わたしはすぐに治るからいいけれど、平原はそうじゃないでしょ。顔に傷が残ったらどうするのよ」

「えっ、わたしかわいくなくなっちゃった!?」

 

 平原は困惑顔から一転、新大陸を発見した開拓者のような顔をした。気持ちも表情も次の瞬間には変化している。まるで瞬間湯沸かし器のようだ。

 

「違う。男が嫌うから言ってるの」

「そうなんだ。別に傷だらけのアイドルもかっこいいと思うけどなあ」

「それじゃアイドルじゃなくてヒーローでしょ。ま、平原にはそっちの方がお似合いかも」

「菜々花ちゃんだってヒーローだよ。だってあんなにかっこいい」

 

 平原がしゅっ、しゅっと風切音を口で真似ながら左右のパンチでシャドーする。

 

「わたしの場合は怪我の治りが早いから多少の無理が利くの。でも、できれば戦いは避けたい」

「アイドルになりたいから?」

「そう」

「じゃあなんで戦うの?」

 

 平原がわたしの目を見ながら言った。平原の琥珀色の瞳の奥はまるで無色透明で、イローデッドとしての使命とか市民を守る意義だとか、そんな正論めいた建前などきっと求めていない。

 

「アイドルになるためよ」

 

 アイドルになるためという言葉に嘘はない。けれど、本当のことをすべて言ったわけでもない。平原は透明な瞳のまま何も言わずに、続く言葉を待っている。

 

「わたしがアイドルを目指したのは、元バディの樹里の影響。元というのは、樹里は死んでしまったから。そっちでは知らないけど、こっちではイローデッドが死ぬと『転校』という言葉で片付けられてしまう。でもね、わたしは転校なんていう言葉で濁したりしない。樹里は死んだの。ちゃんと戦って、ちゃんと死んだ。一緒にアイドルになるのは樹里の悲願だったし、その遺志が今のわたしを支えている。だから遺されたわたしがアイドルにならなくちゃいけないのよ」

 

 平原はふんふんと頷きながら、わたしの言ったことを自分なりに咀嚼しているようだった。わたしの思いが全部伝わるとは思わないけど、平原なりに向き合ってくれているのはちょっと嬉しい。

 

「とにかく、女の子は顔に怪我するようなことしちゃダメなの、わかった? みんなもよく言うでしょ、『親にもらった体なんだから大事にしなさい』って」

 

 わたしがそう言うと、平原は途端に表情を曇らせて、それからすぐにごまかすように笑った。

 

「えへへ、そうだね。うん、気をつけるよ」

「ちょっと」

 

 平原は良くも悪くもわかりやすい。

 

「言いたいことがあるなら言ってよね」

「あ、うん。あのね、わたしお母さんもお父さんもいないんだ」

「……そうなんだ」

「うん。お父さんは結構はやくに死んじゃって、お母さんはどこにいるかわかんないんだ」

「なんていうか、ヘビーな環境だったのね」

「そうでもないよ」

「いいわよ、わたしが悪かった。無神経なこと言ってごめん」

「ううん。本当に平気なんだよね。たぶん友達がそばにいてくれるからだと思うけど、もうあんまり気にならなくて」

「そう。いい友達がいてよかったね」

「うん! 今度紹介するね。みんないい人だから菜々花ちゃんも絶対なかよくなれるよ!」

「絶対って、そんなの会ってみるまでわからないでしょ、お互い」

「わかるよ。だってもう菜々花ちゃんとわたしは友達だもん」

「はあ?」

「もう友達。ね!」

 

 平原が逃すまいとするようにわたしに腕を絡み付けて、上目遣いで追い詰めてくる。

 

「すっごい近い! わかった、わかったから。それでいいわよもう!」

「えへへ〜。あ、そうそう、菜々花ちゃんに似てる子もいるんだよ。菜々花ちゃんみたいに髪をふたつに結っててお揃い。あと性格もちょっと似てるかも」

「へえ。どんなふうに?」

「えっと……ツンツンしてるとことか……」

「あんた、わたしのことそう見てるのね……」

「あっ、うそ、今のなし!」

 

 平原はしゃべってる最中にやらかしに気付いたのだろう、まるで顔に縦線でも入ったようにわかりやすくうろたえた。

 

「平原は嘘つけないんだからやめなさいよ。それに、わたしが強く否定しちゃったら相手の子にも失礼でしょーが」

「えへへ。菜々花ちゃんは優しいねえ」

「平原が無神経すぎるのよ」

 

 でも、わたしも無神経だったし、お互い様――と思ったところで平原の顔を見た。平原は純粋無垢みたいな顔で笑っていて、一連の会話の流れは天然もののように思える。もしかしたら本当に何も考えていなくて、ただの偶然かもしれない。けれど「親にもらった体」だなんて心にもない一般論を平原にぶつけてしまった罪悪感が少し和らいだのは事実だ。平原は距離を詰めるのが天才的に上手いのかもしれない。

 

 

 

「菜々花ちゃん、憧れの存在っている?」

 

 横断歩道前で歩行者信号が変わるまでの待ち時間に、平原が唐突に言った。

 

「まあ一応」

「じゃあその人が、クイーンが出て、顔に怪我しそうだから戦うのやめましたーって言ったらどうする?」

「きっも。あいつがそんなこと言うわけないでしょ」

 

 わたしの脳裏に真っ先に浮かんだのは樹里だ。あいつは顔に怪我どころか、率先して戦いに臨んでいた。まるで、戦う自分が一番かわいいとでもいうように。

 

「だよね。やっぱり菜々花ちゃんには譲れない思いがあるんだ」

「はあ? なに一人で納得してるのよ」

 

 信号が変わり、平原が歩き出した。心なしかスキップのような軽やかな足取りで先を行く。

 わざわざクイーンの例を持ち出してきたのは、わたしの話を平原なりに理解しようとしてくれたからだ。平原がわたしに感じた「譲れない思い」とは何なのだろう。

 横断歩道を渡り切ると駅はもう目の前だった。平原は「まだしばらく広島にいるから、よかったらいつでも連絡してね」と言って広島行きの電車に乗って帰って行った。

 

 平原と別れてから、わたしの胸に「親にもらった体」という自分の吐いた言葉の罪悪感が迫り上がってきていた。どうしてそんなことを言ってしまったのだろう。

 平原に両親がいないとを知らなかったことを差し引いても、ごく自然にそんな言葉が出てきたことに、誰より自分自身が驚いている。

 親にもらった体――これを考えるとき、頭の中に不明瞭な声がこだまする。これは父だろうか、それとも母だろうか。

 ハロウィンイベントにかかりきりになっていたせいで、今日が月末だとすっかり忘れていた。スマホの銀行アプリをタップすると預金残高が表示された。わたしがイローデッドになって出雲校に転入してから稼いだお金は優に百万を超えている。高校生が短期間で稼いだ額としては破格なのではないだろうか。入金履歴に今日のギャラはまだ入っていない。さっき平原が遅れてきたのはギャラのことを主催者に掛け合ってくれていたからだけど、すぐに振り込まれるということではなかったようだ。元々ラウンドガールとしての参加だと考えていたし、一般の人と戦ってお金をもらうことに少し気が引けていたけど、平原は選手として参加していたからわたしとは立場が違う。わたしとの戦いをなかったことにしないと息巻いて、決勝までのファイトマネーをもぎ取ってきた。額としては決して大きいものではないけれど、イベントが中止になってしまった以上、賞品のように形に残るものがないので、ちょっと特別なお金だ。

 他に履歴には毎月決まった額の出金が記録されている。兄への返済と、父親への仕送りだ。

 灰病に罹患して入院が決まったとき、動けないわたしの代わりにわずらわしい手続きやお金の工面をしてくれたのは兄だった。伯母も色々と面倒を見てくれたけれど、主に兄が率先してやってくれた。仕事が忙しいはずなのに定期的にお見舞いにも来てくれていた。灰病にかかる前の兄との関係は最悪なものだったけど、発症を機に良好なものに変わっていった。出雲校への入学金も兄が用意してくれた。そんな兄にわたしは毎月決まった額を返済している。兄は出世払いでいいと言ってくれたけど、イローデッドである以上いつ死んでもおかしくないし、返済することで兄との繋がりを維持しておきたい。

 もう一つの出金は父親への仕送りだ。

 父はわたしが灰病に罹患したとわかると露骨にわたしを避けるようになった。何か汚いものを見るようにわたしを見て、早く入院しろと顔を合わせるたび怒鳴られた。その頃のわたしにお金なんてあるはずもない。なにせ少ないバイト代でさえ父親に取られていたのだ。わたしは父親のことが嫌いだったから態度に出ていたのだろう、灰病にかかる前は何かというとすぐに鉄拳が飛んできていた。倒れたわたしの顔を踏みながら口汚く罵ることもざらだった。父親から受けた暴力をひとつひとつ記録していけばちょっとした辞典くらいの厚さになるだろう。忘れるという機能が人間に備わっていなければとても生きていけない。灰病にかかってから父親はわたしに触れることを極端に嫌うようになった。その代わり棒のようなものでわたしを叩くようになった。父親は入院しろと繰り返しても口先ばかりで、お金は出さなかったし、わたしの身を案じていたのではなく、要するに目の前から消えて欲しかっただけなのだ。そんな父親だから当然見舞いになんか来るはずもない。入院してから今日まで約一年、父親とは顔を合わせていない。仕送りを催促する電話が数回あっただけだ。声を聞くのも嫌だから、わたしは毎月定期的に仕送りを振り込むようになった。

 一年も会わないでいると嫌な記憶の生々しさも和らいで、わたしの精神はあの頃に比べて安定している。そのせいだろう、両親がいないと言った平原の顔がチラついた。女のくせに生意気だ、女としての価値がない、女が学校なんかに行ってどうする、女は楽でいいよなあ――そんな呪詛が頭の中に浮かんできては、平原の声が残響する。

 

 ――うん。あのね、わたしお母さんもお父さんもいないんだ。

 ――お父さんは結構はやくに死んじゃって、お母さんはどこにいるかわかんないんだ。

 

 親がいなくなってしまえば、和解の可能性は潰えてしまう。父親の声に一生呪われ続けることになるんだ。そんな悪夢こそごめんだ。

 父親を思い出すのは久しぶりだった。ここ最近は夢の中にすら現れなくなっていた。けれど、だからといって目を逸らし続けていていい問題じゃない。イローデッドにはとにかく時間がない。

 スマホの画面が暗くなり、わたしの顔が映り込んだ。傷ひとつない綺麗な顔が鮮明に映っていて、わたしってこんな顔だったっけとなんとなく思う。画面をタップすると、金額を入力したまま放置された振り込みはキャンセル扱いになっていて、わたしはそのままアプリを閉じた。

 

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