maverick   作:やわらかな土

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合流

 駅に近付くにつれて人通りも増えてきて、飲み屋や食べ物屋、スーパーやドラッグストア、コンビニや駅の明かりが煌々としていた。タクシーがひっきりなしに往復していて、バスの停留所にはスマホを見つめる人たちが列を作っていた。わたしたちは駅から降りてくる階段の近くで待つことにした。少しすると雨が降り始めてきたので、わたしたちは屋根のあるところへ移動した。しばらくして、電車がまいります、とアナウンスが流れて、わたしは線路のはるか向こうを見た。暗闇の中に眩い光が現れた。ヘッドライトと窓の光が連なって一条の光となった列車は暗闇を切り裂きながら耳をつんざく轟音を響かせた。

 

 改札の前に移動すると、平原はつま先立ちで背伸びして、改札を抜ける人ごみの中に知り合いの顔を見つけると人目も憚らずに声を上げた。

 

「おーい、瑠夏ちゃーん! こっちこっちー!」

 

 その声に反応して一人の少女がこちらを向いた。タブレットで見た顔がそこにあった。瑠夏さんはタブレットでの印象では背が高いと思っていたけど、実際会ってみるとわたしとほとんど変わらなかった。瑠夏さんから少し遅れてもう一人の女の子がやって来た。

 

「仁菜ちゃんも来てくれたんだ!」

「……」

「なんだか久しぶりだね。会えて嬉しいよ。来てくれてありがとう!」

 

「チッ……」

 

 え、と思った。この人いま舌打ちしたよね? 平原は意にも介さずにこの女の子――仁菜さんの手を両手で握ろうとして振り払われていた。仁菜さんはブリーチした髪をわたしと同じように両サイドで結えていて、くせっ毛のせいか毛先があちこちに跳ねていた。紫色のパーカーに黒いスキニーという格好で、服の系統はモモさんに少し似ていた。目元に暗い皺が刻まれていて、人を睨むのに長けた――世の中を憎んでいるような目をしていた。この人は絶対にヤバい人だとわたしの直感が告げている。

 

「別にテメエのためじゃねえよ」

 

 仁菜さんが平原にドスの効いた声で言い、怖い目でわたしを見た。それから舌打ちをして、行くぞ、と言ってさっさと歩き出した。後ろから視線を感じて振り返ると、瑠夏さんがわたしをじっと見つめていた。何か言うのかな、と思ってちょっと待ったところ気まずい沈黙になってしまったので、わたしから声をかけることにした。

 

「あ、はじめまして……じゃないよね。いらっしゃい……っていうのもなにか違うし」

「……」

「……」

 

 瑠夏さんは神妙な顔でわたしを見つめ続けていた。まるでエスパーが念で会話するときの表情だ。わたしは気圧されてしまい、えへへ、と思わず愛想笑いを返した。

 

「ふたりとも挨拶終わった? じゃあ行こっか」

 

 平原がわたしと瑠夏さんの手を取って歩き出した。

 

「あ、お腹すいちゃったね。コンビニで何か買って行こうよ。おーい仁菜ちゃーん!」

 

 先を歩いていた仁菜さんが振り返った。その顔は無表情だったけど、こくんと頷いてコンビニへと進行方向を変えた。平原と仁菜さんは決して噛み合ってはいなそうだけど、なんとなく、ふたりともお互いに慣れているような関係に思えた。平原とモモさん、瑠夏さんと仁菜さん、普通に生きていればどちらも混じり合うことのなさそうなタイプなのに、気心の知れた関係のように見えるのが不思議だ。

 コンビニに入店すると、全員迷わずにおにぎりの陳列されている棚に向かって行ったので、わたしもその後に続いた。

 

「あのさ瑠夏さん、ここに来るまでの交通費けっこうかかったでしょ。わたしも出すからいくらかかったか教えてくれない?」

 

 東京から広島までの交通費は少なくても二万円以上はかかっているはずだ。瑠夏さんと仁菜さんの二人で四万円、それを負担させたまま知らんぷりなんてできない。でも仁菜さんは「別に」と短く言って視線をおにぎり棚に戻した。移動にかかったお金なんておにぎりほどの価値もないと言いたげだ。その隣で瑠夏さんは黙ったまま窺うような目をモモさんに向けた。

 

「あー……たぶん交通費は経費で落ちるから菜々花は心配しなくていいよ」

「経費ですか?」

「そ。経費」

「でも異灰なんていないじゃないですか」

 

 平原はわたしとは違う組織に属しているけれど、広島や出雲に来た理由は異灰退治に関する戦闘の指南役としてだったはずだ。だとすればモモさんたちも同じ組織で、目的は異灰退治なはずなのに何故、と疑問が湧いた。それが顔に出てしまっていたのだろう、モモさんが付け加えて言った。

 

「あー……ウチらの組織って異灰も担当しているけどさ、メインはそっちじゃないっつうか……。うーん……指輪? に関して研究している人がいて、その人を手伝うって関係でやってるんだよね」

 

「はあ……?」

 

 モモさんの説明は歯切れが悪くて腑に落ちない。その活動とわたしとの関係がまるで見えてこなかった。

 

「菜々花に会うことが活動の一環みたいなものだからさ、お金のことは気にしなくていいよ」

「そういうわけにはいきませんよ。わたしに会うことが仕事の一環なんですよね。仕事で来てくれたんだったらなおさら――」

 

 払わせてください――そう言いかけたとき、瑠夏さんがわたしの腕を掴んだ。

 

「それは違う」

 

 瑠夏さんは言い切ってから口を強く引き結んで、何かを訴えるような目でわたしを見た。

 

「違わないでしょ。経費で落ちるからって甘えるわけには――」

「絶対に違うから」

 

 瑠夏さんがわたしの言葉を遮るように言った。

 

「違う違うって言われてもよくわからないわよ。何が違うのかちゃんと説明してくれなきゃ」

 

 なにげなく言ったつもりだった。けれど瑠夏さんは何かを言いたげにパクパクと口を動かすばかりで、言葉をうまく紡げない様子だ。ぼんやりと焦点の合わない目をした瑠夏さんの腕を外そうとすると、急に意識を取り戻して私の腕を再び強く握った。

 

「違うっていうのは、わたしがお金を払うっていう部分のこと?」

「それもあるけど、そうじゃない」

「じゃあ仕事でここに来たって部分?」

 

 わたしが尋ねると、瑠夏さんはこくこくと頷いた。まるでアキネイターの気分だ。つまり、瑠夏さんは仕事じゃなくてもここに来たと言いたかったのだろう――なんのために? 言うまでもなくわたしのためだ。

 

「ははっ……」

 

 瑠夏さんはさっきみたいにエスパーが念を送るときの表情を浮かべている。お金よりもあなた、仕事よりもあなた、わかってもらうまで絶対に離さない、そんなごちゃまぜになった気持ちを念にしてわたしに送っているんだろう。何も言わない方がより多くのことを伝えられる――なんてこと、きっと瑠夏さんは考えてないんだろうなあ。わたし、瑠夏さんのことが少しわかったかもしれない。

 

「でも経費で落としちゃったら仕事でここに来たってことになるんじゃない?」

 

 わたしは少し意地悪な質問を投げてみた。すると瑠夏さんは少し考えて、

 

「それはそれ、これはこれ」

 

 と言った。

 

「せめてご飯代くらいは払わせてよ、いいでしょ」

「あ、菜々花ちゃんがおごってくれるの? やったあ」黙って様子を窺っていた平原が口を開いた。「じゃあみんなで分けられるものも買っていこうよ」

 

 その言葉を聞いて、片手におにぎりをふたつ持っていた仁菜さんが、体をすばやく棚に向き直らせておにぎりに手を伸ばした。

 

 わたしたちはめいめいのご飯と、大袋のポテチやチョコクッキー、それとペットボトルのジュースを何本か買ってコンビニを出た。雨は結構な本降りに変わっていて、やばいやばい、急げ、と平原は言葉とは裏腹に楽しげな声を上げた。

 わたしは少し遅れて歩くモモさんに気がかりをこっそり聞いてみた。

 

「あの、モモさん」

「うん、どうした?」

「あの……交通費が経費で落ちるっていっても、わたしが原因で発生した経費じゃないですか。同じカタナとはいえ三石とAASAの関係に影響したりしませんよね。あと広島と出雲関係とか……」

 

 カタナとは要するに異灰殲滅組織の総称で、いくつかの派閥の横並びで構成されている。わたしが所属している組織は三石グループで、平原やモモさんたちが所属している組織はAASAなのだけど、AASAはどちらかというと協力者という立ち位置らしい。ふたりはAASAから三石グループ傘下の広島校に派遣されているので、今回の経費はAASAとも広島とも関係ないわたしが原因で組織間や学校間の軋轢が生まれてしまうのでは――なんて思ってしまうのだ。

 

「あはは。菜々花は気遣うタイプなんだな。ぶっちゃけるとさ、わたしたちの活動ってフラグメントの変動による影響を調べたりすることだからさ、良く言えば迷える子羊を助ける、悪く言えばデータ収集だから菜々花は貴重なサンプルってわけ。こっち側にもメリットあることだから、お金のことはあんま気にしなくていいよ。それに大人にとって四万円なんて端金だし、こっちも最大限利用してやればいいのさ」

 

「はあ……」

 

「でもまあそれは大人の都合で、あいつらは単純に菜々花が心配だったってだけだし、そこは汲んでやってくれよな」

 

 そう言ってモモさんは前を歩く平原と瑠夏さんを親指で指した。平原は水たまりから水たまりへとまるでゲーム感覚でスキップしていて、瑠夏さんは反対に水たまりをするすると器用に避けて歩いている。仁菜さんは水たまりのことなんかまったく気にしないみたいに真っ直ぐ我が道を歩いている。水に濡れた道路に航跡のように残った足跡が街灯を受けて輝いていた。雨音に三者三様の足音がハミングした。

 

 

 

 寮に着く頃には、わたしたちはすっかりずぶ濡れになっていた。髪も服も冷たく濡れていて、今すぐお風呂に入りたい気分だった。みんな同じ気持ちだったようで、お風呂に入ろうと提案した平原に誰も異論を唱えなかった。寮の玄関では寮長が出迎えてくれて、わたしと瑠夏さんと仁菜さんは使用していい部屋と寮則について簡単に説明を受けた。わたしが寝ている間にモモさんが話を通してくれていたらしい。

 わたしたちは平原の部屋に戻って、濡れた服を手早くハンガーに掛けた。瑠夏さんと仁菜さんは、わたしと同じく代えの下着しか用意していなかったので、平原とモモさんから古いジャージを借りて着替えた。

 大浴場には私たちの他に何人かの生徒が入浴していた。わたしも簡単に体を洗ってお湯に浸かった。芯まで冷えた体に温かなお湯が心地いい。

 

「ねえモモさん、聞いてよ」

 

 隣で体を伸ばしていた平原がわたし越しにモモさんに言った。

 

「菜々花ちゃんひどいんだよ。こないだ一緒にクイーンと戦ったんだけど、顔に怪我したくないからって手を抜くんだよ」

「ほほーう」

「なに言ってるの。手は抜いてない。それに怪我をしたくないのは誰だって同じでしょ」

「顔に限らず弱点を庇いながら戦うとかえって危なかったりするからなあ」

 

 モモさんは両手で構えを作ってワンツーとジャブを打った。

 

「そういえばさ、菜々花はアイドル志望なんだっけ」

「うん。アイドルはわたしの夢」

「菜々花は顔がいいからな。オトコが放っておかないはずさ」

「やめてよ。男なんかどうでもいいんだから」

「えええ。アイドルの客といえばオトコじゃないの?」

「それはそうなんだけど……」 

 

 モモさんが嫌なことを言い出した。どいつもこいつもアイドルといえば男男男。ほんと、いやになっちゃう。

 

「わかった。オトコギライなんでしょ」

「……悪い?」

「いや別に。でもオトコギライのアイドルなんて変わってるな」

「ほっといてよ。とにかく、だから顔に傷なんか付けちゃ絶対にダメなの。わかった?」

 

 男嫌いにアイドルなんて向いてないことくらい、わたしが一番よくわかってる。それでも諦めるなんてできないんだから。

 

「そもそもさ、なんでオトコが嫌いなんだ?」

 

 モモさんが他意のなさそうな顔で言った。

 

「父親のせい。あいつのせいでわたしは男が嫌いになったの」

 

 お風呂から上がったばかりのわたしを見る父親の目を思い出してしまう。逆らうと容赦なくわたしを殴る父親。すごく心細くて、その場から逃げ出したくなって、なのにどこにも逃げ場がない感覚。怖くて怖くて、何もされませんようにって祈るだけの日々。

 

「なのに男に媚びなくちゃいけなくて、わたしは男嫌いになったの」

「嫌いなやつに媚びてるともっと嫌いになるよな。わかるよ」

「でしょ。ほんと最悪なんだから」

「ってことはさ、元々はオトコギライじゃなかったの? たとえば小学生の頃とか」

 

 モモさんからそう聞かれて、わたしは小学生の記憶を引っ張り出した。あの頃はたしか――子供だったこともあってか、男も女もなかったような気がする。隣の席の男子と楽しく話したり、たまに喧嘩したり、休み時間に一緒に遊んだり、割と楽しくやっていたように思う。その頃の男といえば父親と兄だけで、既に兄とは折り合いが悪かったけど、他の家庭でも似たようなものだろう。

 

「うーん、別に嫌いというほどではなかったかも。兄とは仲悪かったけどね」

「じゃあ少しずつ嫌いになっていったんだな。もしかしてさ、父親とは関係なく、普通に男のことが嫌いなんじゃないのか?」

 

 父親と世の男との決定的な違いは、わたしを殴るか殴らないかだ。でも殴らないからって、嫌いなものはやっぱり嫌いだと思う。でも――。

 

「……例外っぽいのはひとりいる」

「それってもしかして例のリーダー?」

 

 モモさんの問いにわたしは頷いた。リーダーのことを嫌いか嫌いじゃないかと問われれば、嫌いじゃないと断言できる。これはわたしにとって画期的な発見だ。

 

「そう。あいつは同僚だし、わたしを尊重してくれるし、それに変に距離を詰めてこないし」

「単純に仲良くないってことじゃなくて?」

「そういう感じじゃない」

「じゃあふつうにいいヤツなのか」

「そうね。愛だの恋だのいちいち言ってこないし、なんていうか仕事人間って感じ。だからわたしもリーダーのことを異性として意識しないで済んでるのかも」

「ふうん。じゃあさ、菜々花はどうしてアイドルになりたいんだ?」

 

 アイドルになりたい理由――それはなにより樹里だ。樹里はいつだって強くてかっこよくて、わたしにとって憧れであり目標だった。それが今のわたしを支えているといっていい。樹里の最期にわたしが関われなかったことは死ぬまで後悔するだろう。樹里ならきっと、そんなこと気にすんな、アタシなんか置いてナナはとっとと先に進みなって背中を叩いてくれると思う。クイーンになってしまったことは残念だし殲滅されるのは仕方ない。樹里もきっと同じことを言うと思う。

 

 でもわたしは全然納得いってない。

 

 本当はわたしの手で樹里を終わらせてあげなくちゃいけなかった。それに、わたしが判断を誤ったからリーダーに憎まれ役を背負わせてしまった。リーダーは中途半端に優しいから、樹里との約束――クイーンの中に樹里はもういなくなっていたという嘘――を守り通すことができなかった。落ち込んでるわたしの姿に耐えられなかったのだろう、相棒を殺した人間の口から遺言を聞かされる者の気持ちがまるでわかっていない。憎まれ役に向いてないんだ、リーダーは。樹里は文芸部のメンバーたちとも仲良くやっていたのに、そんなメンバーたちの手も汚させてしまった。すべてわたしのせいだ。今ならもう少しうまくやれると思う。けれどもう遅いんだ。全部終わってしまったし、過ぎたことは取り返しがつかない。だから、わたしはわたしにできることがしたい。

 こんなミスは二度としない。リーダーとメンバーにはこれからの行動で示していく。

 そして樹里。わたしは、わたしの中の樹里と一緒にアイドルになる。それがわたしから樹里への餞だ。そうしなくちゃいけない。

 

「ひとつは友達との約束。そいつは殉職しちゃったけど、一緒にアイドル活動してたんだ。だから私の夢であると同時にそいつの夢でもあるってわけ」

 

「そういうのっていいよな。応援するよ」

 

「ありがとう。もうひとつは男嫌いの克服。世の男どもに私のことを認めさせれば克服できるって思ってた。思ってたけど――いまはちょっと揺らいでる。そもそも克服するしないの話じゃないような気がするし、たとえ克服できるとしても、克服したくないって思っちゃって。だってさ、嫌いなものに媚びるって考えただけで自分が嫌いになりそう」

 

 ふうん、と言いながらモモさんは不思議そうに首を傾げた。

 

「あのさ、菜々花はアイドルになるメリットとか、使命感とか、そういうのばかり挙げるけど、菜々花自身はアイドルに魅力を感じていないのか?」

「アイドルに魅力――」

 

 わたしがアイドルという職業に魅力を感じたのはいつだったろう。

 

 直接のきっかけは樹里だったけど、それはあくまできっかけで、漠然とした将来設計の中にアイドルは含まれていたと思う。

 アルバムにあった写真を見たせいか、色々な記憶が蘇ってきていた。劇やダンス発表会などは昔から好きだった。普段とは違う衣装というのが特別感あったし、人前で歌ったり踊ったり、注目されるのも好きだった。父親の選んだ衣装はいつだって最悪だったけど、人前に立てるなら全然我慢できた。

 

 それが嫌になったのはいつだったろう。

 

 顔がかわいいとか、エロいとか、パンツが見えたとか、彼女にしたいしたくないとか。わたしの表層ばかりが評価されることの方が多くなった。父親は、女性から見てかわいい衣装よりも、男性視点でのかわいい衣装をとりわけ好んだ。そして、わたしが衣装に不満があると、それを敏感に感じ取ってわたしを脅すようになっていった。いくら目立てるからといって、父親に支配される形で媚びるような衣装を身につけて、わたしの見た目だけを〝評価してもらう〟だなんて、誰が好んでやるだろう。それでもわたしは我慢していたんだ。

 なぜかって? ステージの上でだけはありのままの自分でいいって思えたからだ。

 

「もちろん魅力を感じてるわよ。わたしは昔から歌うのも踊るのも、かわいい衣装に身を包むのも注目されるのも好きだった。それがすべて叶うのがアイドルって職業なの。ステージの上でだけは、わたしはありのままのわたしになれる」

 

「もともと好きだったんだな」

 

 モモさんが相槌を打った。

 言葉にした今、はっきりわかったことがある。この道こそがわたしの生きる道だ。そうだったはずなのに――。

 

「夢のために自分を犠牲にしたから、手段と目的がわけわかんなくなっちゃったんだな」

 

 モモさんが核心を突く。

 

 好きなものを曲げてでも父親にへつらったのは恐怖だけじゃない。それは薄々わかっていた。そこから目を逸らすために、男なんてそういうものだと思い込むことにした。だって、兄だって同じようなものだし、父親だけが変なんじゃない。世の男はみんな同じって。だから、男の人に好かれないとアイドルになれない――そう思うことで自分の行動は正しいと思おうとしていた。でも本心は全然違うから、自分に嘘をついているうちに本当に男嫌いになってしまった。だって元々男のことは好きじゃなかったし、好きでもないものに無理に媚びたら嫌いになるのも当然だ。どうしてそこまで父親から目を逸らしたのかって? それはもちろん――。

 

「父親に……愛されたかったのかなあ?」

 

 わたしはとうとうこの言葉を口にしてしまった。心の奥底にずっとしまい込んでいたし、表に出てきそうになったら力づくで無理やり押し込めていた感情だった。父親に愛されたいだなんてもし認めてしまったら、絶対に叶わない思いに裏切られるたび傷ついて、わたしの心はズタズタにされてしまう。

 

「わかるよ」

 

 モモさんが言った。

 

「わかるわけないでしょ」

「わかるんだ。アタシたちには」

 

 モモさんが確信めいた口調で言った。そこに平原が同意した。

 そうだった。平原も親に捨てられたんだった。モモさんは「アタシたち」と言ったけど、もしかしたらみんな似たような痛みを抱えているのかもしれない。

 

「悔しいなあ。なんか泣けてくる」

 

 言葉にすると今の自分の気持ちを客観的に見ることができる。わたしは悔しかったし、今にも泣いてしまいそうだった。わたしはお湯をすくって顔にかけたけど、隠しても意味ないくらい涙が溢れてきていた。

 

「たった百万で親を捨てられたんだ。よかったじゃねえか」

 

 少し離れたところで今まで黙っていた仁菜さんがポツリと言った。その声が、夜のシンクに落ちる水滴みたいにわたしの心に響いた。

 

「山田さん、それは言い過ぎ」

 

「ううん、違わない。確かにそうね。心はとっくに離れていたけど、切っても切れない腐れ縁みたいなわだかまりがあった。それをお金っていう目に見える形にしたことで線引きできたの」

 

 わたしは息を深く吸い込んだ。言葉には力がある。口から出た言葉は現実になる。わたしは、はっきりと意志を込めて言った。

 

「あいつとはもう他人よ」

 

 仁菜さんがうなずいた。

 

 本当はもっと早くこうするべきだったのかもしれない。わたしはいつもちょっとだけ遅い。そのせいで手遅れになってしまうこともあった。自分の人生は自分で決めなくちゃいけない。何もしないでただ見送ってしまっては後悔する権利すら手に入らない。他人事の人生とはおさらばだ。

 

「アイドルになりたいって夢は変わらないけど、今のわたしは世界の半分が欠けている状態。こんなんじゃアイドルになるなんて到底無理かもしれないわね」

 

 わたしは自虐気味に言った。わたしにとって世界は常に皮肉でできている。けれど仁菜さんはくすりともせず真顔だった。

 

「まだ半分もあるだろう。世界にはそれすら持てないやつがごまんといる。半分を失っているからって、欲しても手に入らないなら捨てちまえばいい」

 

 フン、と仁菜さんは鼻を鳴らして、心底面倒くさそうに頭をかいた。

 

「本当にその通りね。仁菜さん、ありがとう」

 

 仁菜さんはわたしをしばらく見つめてから、チッ、と小さく舌打ちしてそっぽを向いた。わたし、なんだか仁菜さんのことも少しわかってきたみたい。

 モモさんが仁菜さんの肩に肘を置いて笑った。

 

「アイドルにも色々いるじゃん。塩対応のやつとか、すごい根暗なやつとかさ。そんな世界ならオトコギライもそこまでのハンデじゃないかもしれないよ?」

 

 そうやってモモさんが慰めてくれる。けれど苦手な対象が大量にいるというハンデが覆りはしないだろう。

 

「世の中にはお前みたいな境遇の少女が他にもたくさんいる。そいつらに向けてお前にできること――お前にしかできないことはいくらでもある」

 

 仁菜さんが肩に置かれたモモさんの肘を払いながら、ぶっきらぼうに言った。そっぽを向いているのに、声の大きさはわたしに向いていた。

 

 わたしみたいな境遇といわれて樹里のことが浮かんだ。わたしたちは境遇が似ていたこともあって意気投合したんだ。灰病になって、なかば追い出される形で家を出たところまでそっくりだった。家を出て樹里は生きるためにどんなことでもしたと言っていた。どんなことでもだ。環境に屈せずに強くあり続けた樹里の背中を今でも鮮明に覚えている。

 

 平原はどうだろう。父親に先立たれ、母親に捨てられて、姉と二人きりで生きてきた平原は、何を頼りにここまでやってきたのか。平原は友達のおかげだと言っていた。そこにはモモさんや瑠夏さん、仁菜さんも含まれているはずだ。平原が辛いとき、みんなこうして集まっていたのかな。モモさん仁菜さん、最初にやばいやつと思ってごめん。

 

 こんなとき樹里だったらどうするだろう。わたしたちが任務に失敗した夜、樹里に腕を強引に引っ張られて寮の屋上まで連れて行かれたっけ。「叫べ、踊れ、歌え!」そう言って樹里は歌いながら踊りはじめた。練習を重ねて、わたしたちが一番うまく踊れる曲だった。「笑え。体を動かして、嫌なものを全部体の中から追い出すんだ」そう言った樹里だって落ち込んでいたはずだった。はじめは気が乗らなかったけど、踊っているうちに気分も変わってきた。歌詞やメロディーが心に浸透していくようだった。樹里と一緒だったから――同じ境遇のわたしたちだったから胸に響いたんだ。

 

 今のわたしになにができるだろう。

 

 ひとつだけはっきりしているのは、終わったことにくよくよする姿を晒し続けることなんかじゃないはずだ。

 わたしは大浴場を見渡した。湯気でよく見えないけど何人もの女の子たちの囁くような声が響いていた。この風呂にいるのは、わたしたちを含めて全員灰病患者だ。どんなに笑っていても、その奥にはきっと死への恐怖と孤独が巣食っていて、友達とひとしきり笑い合った後で一人ベッドの中、夜毎聞こえる死の声に耳を塞ぐんだ。

 胸の奥が熱いのは、のぼせてしまったからだろうか?

 けれど、のぼせてきたのは、お風呂に浸かりすぎたせいだけじゃないだろう。

 いても立ってもいられなくなって、わたしは湯船から飛び出した。

 

「わたし、踊るわ!」行動した後に言葉が口をつく。「平原! うたって!」

 

「え? え?」

 

 平原が珍しくうろたえる。もう少し眺めていてもいいけど、いまは何より体を動かしていたい。

 

「曲名は『I'm Here!』。知ってるでしょ。ハイ! 1、2、3、4!」

 

 5、6、7、8! とカウントしながらわたしは手を上にかざし上げていく。平原がたどたどしくイントロを口ずさみ、モモさんの手拍子が重なる。わたしは、わたしのダンスに合わせて歌う。前に、後ろに、高く、低く。愛らしく、傲慢に。この指先があなたたちを射抜くように。浴場内には歌声と、手拍子と、くすくす笑う声が響く。女の子たちは奇妙な目をわたしに向けている。

 

 それでも構わない。

 

 本気でやらなきゃ思いは届かない。媚びて、受け入れてもらえる土壌を作ってからじゃ、本気を出しても遅いんだ。それでは何を言っても、何をしても、空虚に響くだけできっと見てもらえない。

 

 いまやるんだ。

 

 場をわきまえずに全裸で跳ね回る滑稽な他校の女子――そんなふうに笑っていた彼女たちの表情が変わっていく。歌と踊りには自信があった。

 1、2、3、4、5、6、7、8。樹里と何十、何百回も練習した曲だ。湯気の中に樹里の息遣いを、彼女がすぐ隣にいる気配を感じる。わたしにとってアイドルとは樹里のことを指す。樹里は志半ばで死んでしまったけれど、心の中から消えることはない。いまわたしにできることは、何がなんでも生き抜くことだ。生きて生きて生きて、わたしはいまここで生きていると全世界に向かって叫ぶことだ。

 手拍子が重なって、浴場内に激しく反響する。歌っているのも平原だけじゃなくなった。感極まった一人の女の子が立ち上がり、嬉しそうに叫びながらシャワーのお湯を一面に撒いた。空を舞う水滴がきらきらと輝いてわたしに降り注ぐ。温かな雨がわたしの汗と混ざって弾ける。脱衣所にいた女の子たちが騒ぎを聞きつけて戻って来る。そしてわたしに向ける物珍しそうな目はすぐに驚きと喜びにとって変わる。

 

 

 

「ちょっと! 誰かの携帯鳴ってるよ!」

 

 脱衣所のほうからそう叫ぶ声が聞こえた。開いたドアの隙間から着信音がかすかに聞こえる。

 

「あっ! わたしのだ! はーいはーい、出まーす!」

 

 平原が慌てて立ち上がり、脱衣所に向かって駆けて行った。これをきっかけにして、宴はお開きムードになった。

 

「みんな! 招集だって、緊急のやつ!」

 

 平原が出口の引き戸の隙間から顔だけ覗かせて叫んだ。緊急招集――つまり市街地にクイーンが現れたのだ。

 

「あーあ。野暮なやつだなあ、まったく」

 

 モモさんが苦笑いを浮かべて浴槽から立ち上がった。瑠夏さんもその後に続いた。

 

「ちょっと、山田さん。あなたも行くの」

「アタシには関係ねえだろ」

「経費。お金。報告しちゃうからね」

「チッ……」

 

 仁菜さんはかなり露骨に舌打ちをして、ため息混じりに立ち上がった。それを見て瑠夏さんは満足そうに笑みを浮かべた。でも、わたしは二の足を踏んでしまう。

 

 暴力とはなんだろう?

 

 クイーンとは、わたしたちイローデッドのなれの果てだ。

 わたしを殴った父親の拳と、クイーンに向けるわたしの拳に違いなんてあるだろうか。

 暴力には必ず血が伴う。その責任はわたしにある。結果をすべて引き受けなければならない。暴力を振るうとしても、振るわないと判断してもだ。イローデッドである以上、戦いは避けられない。

 だから決して間違えないように。

 もう二度と後悔しないように。

 そして、無駄な血が流れないように。

 はっきり言ってわたしは暴力が得意だ。悔しいけど、きっと父親譲りなのだろう。それでも、わたしはわたしの思う正しさのために戦いたい。だからこそ自分を厳しく律しないといけない。そのためには自分を知らなくてはならない。

 暴力とはなんだろう?

 この問いへの答えが簡単に出るとは思わない。でも、媚びている過去の自分よりよっぽどいい。

 

 ――わたしも行く!

 

 この言葉が喉元まで迫り上がってくる。

 もう少しで言える――顔を上げて前に向けると、モモさんが立ち止まったままこっちを見ていた。その後ろで平原が、瑠夏さんが、冷めた目の仁菜さんがわたしの判断を待っている。

 わたしは大きく息を吸い込んだ。

 

「わたしも行く!」

「わかった。来い!」

 

 モモさんが不敵に笑った。

 

「はい!」

 

 そう返事した時には、わたしはもう駆け出していた。

 

 

 

 その後、わたしたちは現場に駆けつけて異灰とクイーンを殲滅した。

「今度はちゃんと戦ってくれるよね」なんて平原に挑発されちゃったけど、もうためらいはなかった。目の前にいるクイーンはかつて誰かの大切な相棒だった少女だ。異灰だなんてわけのわからない存在に体を乗っ取られていいようにされちゃうなんて、きっと許せないだろう。だから、まだ生きているわたしが終わらせてあげるんだ。もちろん失礼のないように。中にはクイーンになって喜んじゃうような奇特な子もいるかもしれないけど、それならなおのこと終わらせてあげなくちゃいけない。

 

 戦いを終えて寮に戻ったその夜に、わたしは夢を見た。幸せな夢だ。わたしは父親と電車に乗っていて、手は父親にしっかりと握られている。大きくてあったかい手だ。電車が大きく揺れてわたしはその手にしがみついた。大丈夫か。そんな声が頭の上から聞こえた。優しい声だった。よく耐えたな、えらいぞ菜々花。そう言って大きな手がわたしの頭の上に置かれた。この手に捕まっていればきっと大丈夫――そんな安堵感を覚えた。小学校の入学式、わたしは知らない人ばかりの中で不安だった。環境が変わったからこれからどうなるのかもわからない。そんな思いから、校門の中に踏み出せずにいた。お父さんは味方だぞ。そんな声が背中から聞こえた。その声に背を押されるようにしてわたしは校門をくぐった。愛してるよ、菜々花。お父さんが言った。わたしも――。

 

 目が覚めてから、これが夢だと知ってわたしは笑ってしまった。それからひどい吐き気に襲われた。言われたかったことを言われてアレルギー反応が起きたみたいだ。わたしは父親に愛されたかった。でも愛されていなかった。これが事実だ。わたしはこの事実と向き合うしかない。

 

 父親という過去は広島に捨ててきたけど、過去を捨てたくらいで本当に変われるのだろうか。

 

 行動を起こせば必ずなにかの結果が返ってくる。行動を起こした責任はわたしにある。そこに道がないならわたしが作る。すべてわたしが選ぶし、その責任をわたしが負う。きっとこれを繰り返すしかないのだろう。

 

 相変わらず男は嫌いだけれど、男性と父親は違う生き物だ。わたしはそれを混同していた。父親は父親で最低だし、それとは無関係に世の男どものことは嫌いだ。嫌いなものを無理して受け入れようとすればおかしなことになる。父親を受け入れようとして男性恐怖症になったわたしがいい例だ。

 

 マーヴェリックという言葉がある。映画とかに使われていてなんとなくかっこいいイメージがあったけど、辞書には群れから追い出されて行き場のなくなった狼のことだって書いてあった。実は全然かっこよくなくて、それどころかかわいそうで、一匹狼とはそんな哀れな自分を誇るためのおまじないだ。いまのわたしにぴったりの言葉じゃないか。

 

 わたしは戦う。異灰を倒すたびに父親の拳がチラつくけれど、同時に「絶対にああはならないぞ」という呪いでもあるような気がする。あのクソ親父が唯一わたしにしてくれた父親らしいことだ。つまり反面教師ってやつ。

 

 それに、わたしって結構戦いに向いてると思うのよね。運動神経や反射神経に自信があるし、攻撃を受けても痛みより先にアドレナリンで昂揚するし、それにイローデッドになったわたしの能力は筋力増強だ。戦っているときって、なんていうか自由なんだよね。あらゆる束縛から解放されたみたいに。平原もきららもリーダーも、戦ってるときのわたしはいきいきしてるって言ってたけど、ようやくその意味がわかったかもしれない。

 

 それにほら、異灰と戦うことって、アイドルとしてステージに立つことと通じる部分があるじゃない。やっぱりアイドルはどんなときも輝いていなくちゃね。

 

 わかる? わからない? まあそのうちわかってくれればいいわ。

 

 わたしはあんたが嫌いだけど、あんたはわたしが好きで好きでたまらないの。

 

 ふふふ。

 

 なんだかそれってすっごくわたしっぽい。

 

(了)

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