楽園   作:自認畜生

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“ベッドは彷徨う船となり、私を世界から切り離す”


眠りの海

「雫さんは…雫さんは大丈夫なんですか!?」

 

"雫さんが倒れて意識が無い"

その言葉を聞いてすぐ、病院の場所だけ聞いて私は走り出していた。

身体を打ちつける雨など気にも留めず、ただ走る。

頬を伝うのは、もう涙か雨かも分からない。それでも、そんな事を気にしている余裕など無かった。

 

(どうして…そうやっていつまでも一人で居続けるの?)

 

ぶつけようのない疑問、心配、怒りが心を蝕む。”蝕星の亡霊”は今まさしく一つの星を侵食する。

“水面雫”のライブを初めて観たあの日、”こんなライブもあっていいんだ”と、如何に自分が狭い世界で、狭い視界の中で生きていたかを実感させられた。でもそれは私だけではなかった。だからこそ、“水面雫”という人間はホロライブに認知されるようになったし、皆が彼を慕い、次第に彼に“居場所”を与えていった。

彼もそう思っているに違いないと、勝手に思っていた。

結果として彼は誰をあてにすることも無く、己のみを信じ、足掻いて、もがいて、嘆き続けたのだろう。

それはまさしく亡霊のように、誰にも観測されない場所で、ただ一人で。

その音を聴き取れなかった私が、とても悔しくて。

その音を届けようとしなかった彼が、とても腹立たしくて。

 

(雫さん…!)

 

ただひたすらに、病院への道を走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

“会社の者だ”と言って通してもらった病室に、変わり果てた彼がそこで微弱な呼吸を続けていた。

 

「雫さんは…大丈夫なんですよね!?ちゃんと生きてますよね…!?」

「すいちゃん、気持ちは分かるけどここは病室…声を抑えるにぇ」

 

そのタイミングで、後から追いついたみこちが病室に入ってくる。

 

「大丈夫ですよ。彼の命に別状はありません」

「!…よかった…本当に」

「ただ」

 

お医者さんの“ただ”という一言が、緩まった空気を再び冷たくさせる。

 

「ただ、彼は重度の栄養失調の他、長時間にわたって雨に打たれたことにより低体温症も併発している状態です。おまけに意識も戻っていないし、彼がいつ目を覚ますかは見当もつきません」

「そんな…!」

「先程状況確認の為に少しお話を聞いたのですが、どうやら彼は月の殆ど、ほぼ毎日ライブしていたそうです。生活を限界まで切り詰めて、休日も無くして、食事の時間も取らずにライブをこなしていたみたいで。そういった日々の積み重ねが生んだ過労によるストレスも一因ではあると思います。本来なら肺に穴が空いていてもおかしくない状況だが…幸い、彼は肺が強かった。おかげで彼は今、意識が戻らないながらも命を繋いでいる」

「ほぼ毎日、休み無しでライブ…!?」

「狂ってるにぇ…なんでそんなこと」

「彼なりに、変えたかったんだよ」

 

聴き慣れない声に振り向くと、やけに落ち着いたYAGOOがそこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「星街さんの今の状態を見て、このままでは悪循環だと彼は悟った。…現に君はツーマンライブを引きずって、レッスンにも仕事にも、配信にも影響を出していただろう?」

 

病院のベンチで、コーヒーを飲みながらYAGOOの話を聞く。

メロコアバンドのサポートの日、“恩を売っておく”と言って渡されたコーヒーと同じ物。彼に渡された訳でもないのに、飲むだけで不思議と気持ちが落ち着いてきた。

 

「それは…はい、ごめんなさい」

「別に責める訳じゃないんだ。振られた後の気持ちも理解できるし、私はむしろ応援していた側だからね。彼が君の気持ちから目を逸らした時、私も少しだけ凹んだよ」

「そうなんですか…」

「だが彼の予想以上に君は落ちていった。今の君を形成する殆どが“水面雫”になっていく現状を彼なりに憂いたんだろう」

「…」

「…彼から在宅勤務の申請が来たのがその時だった。現状を変えるのに自分は邪魔だ、と。ほとぼりが覚めたらアイドルの誰にも悟られないように帰ってくると、与えられた仕事はちゃんとやるからと。実際彼は毎日ライブを続ける中でも仕事は完璧にこなしていた…とんでもない男だよ」

「…ほとぼりが覚めたらって、具体的にはいつなんですか」

 

少しの沈黙の後に、YAGOOが申し訳なさそうに口を開く。

 

「曰く“星街さんが俺の事を完璧に忘れるまで”…だそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未だ、雨は止まない。

それどころか更に強く、建物やアスファルトに降り注ぐ。

水面雫。

深く暗い海の底で、一人ぼっちで叫び続けた人。

雨音のノイズの中で、それでも言葉を届けようとする人。

だから最近、雨のことが嫌いになった。

深く暗い海の底の音を掻き消してしまうから。

手を伸ばしても、あなたは雨の中に身を隠すから。

 

何よりその音は、私にとって一番大切なHzだから。

 

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 

 

 

目が覚めてすぐ、俺が夢を見ていることは理解できた。

 

「俺…あの後結局倒れて…どうなった…?」

 

見渡す限りの白い空間。カートで引いていたはずの機材は行方をくらまし、夜の閑静な住宅街でもない。

一面の白いキャンパスを前にして、少しだけ足がすくむ感覚に陥る。

 

「とりあえず何しようかな…ッ!?」

 

瞬間、眩い光と共に景色が変わっていく。そんな、ファンタジーの世界じゃあるまいし、夢の中だからと言って何でもありな世界なのは如何なものかと思いながら、俺は過去へと引きずられる。

どうやら俺の走馬灯はかなりゆったりセピアな夢を見せてくれるらしい。

あまり戻りたくない、出来るなら見たくもないような記憶だけど。

 

「いい加減俺も、変わるべきなのかもしれないな」

 

全ては、負の連鎖から脱却するために。

アーティストとして、もう一歩先に歩みを進めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり俺の記憶にこびりついた青い少女の面影を、跡形もなく消す為に。




“過去の絶望も、全てお前自身だと言うなら”
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