初夏の陽は去年よりも痛く、地に立つモノ全てをジリジリと焼いていく。日陰という束の間の安息地で心を休ませながら、揺らめく陽炎の上で蝶は螺旋を描き彼方へと舞っていくのを横目に見る。こんな夏のクソ暑い日に何で外に出てしまったんだと数時間前の俺を憎みながら、流れる汗を拭う。基本、ライブハウスにもエアコンはついている為、ライブの最中以外は暑さを感じることがそうそう無い。そんな場所にずっと通っているのだから、当然暑さにはめっぽう弱くなるというもの。
我慢出来ずに自動販売機で水を買い、少し飲む。最近の自動販売機の飲み物の値段もかなり上がってしまったし、あまりこの手は使いたくなかったが、命に替わるものもないだろう。そろそろ日焼け止めもしっかり塗らなければならないなぁと思いながら、日陰を離れて歩みを進める。
陽炎を割いて、歩く。初夏が時折見せる溜め息も、ここ都内においては決して心地の良いものでは無くなってしまったらしい。俺も初夏につられるように、深い溜め息をつく。
(涼しいところ…行きたいなぁ…)
心の中で毒づきながら歩く俺の背中は、さぞ情けなかったことであろう。
「雫先輩、どうかしたんですか…?」
業務中にも関わらず話しかけてきたのは、今年度からの新入社員。確か名を春先のどかさんと言っていたか。入社したての頃に挨拶されてから一度も話したことがない為忘れていた。
そんな春先さんですら、わざわざ俺に話しかけてくるということは。
「俺、そんなにどうかしてるような顔してましたか」
「はい…それはもう」
後輩に心配をかけてしまうとは、先輩として情けない限りである。
「…別に、大した悩みじゃないんです。僕、暑さにめっぽう弱いので。だから今年は少しくらい涼しいところに行きたいなぁと思って」
「涼しいところですか?」
「はい。しかし生憎、涼しい場所を知らなくて。シンプルに海に行くのも良いかなと思ったんですけど、日陰なくて暑そうですし…」
「じゃあ、山なんてどうですか?」
そんな、元気ハツラツな笑顔で言われた言葉に少し考える。
「…春先さんは、僕に走り屋になれと言うのですか?」
「秋名のハチロクの熱はまだ冷めてないですけど、そうじゃなくて!」
春先さん分かるんだ。中々渋い趣味をお持ちで。俺はカプチーノが一番好きだぞ。どうでもいいけど。
「山というか、川はどうですか?川辺のカフェとかでも涼しいと思いますし、なんなら釣り堀とか!」
川か。その選択肢は無かった。確かに川なら木陰も多いだろうし、山奥にあるカフェならば雰囲気も相まってさぞコーヒーも美味しいことであろう。また、釣り堀で釣った鮎の塩焼きを食べるのも一興かもしれない。
「せっかく行くなら普段行かないところの方がいいですもんね!すいせいさんと一緒に行って来てはいかがでしょう!」
「星街さんと?」
「はい!その…すいせいさんとお付き合いされてるんですよね?」
「はい。恋人ですが」
「お互いの忙しさに甘えて…という言い方は違うかもしれませんが、デートらしいデート、出来てないんじゃないですか?」
「それは確かに、そうですね。週に一回は必ず会うようにはしてるんですけど、外に遊びに行く機会は無いですね」
「だったら!なおさら!お二人で!行くべきです!!」
ずずいっ、と詰め寄られる。近い。
「せっかくでしたら、オススメのデートスポット教えましょうか?」
「いいんですか?」
「はい!せっかく雫先輩とお話しできましたし!」
考える。確かに、どこに行くか選ぼうにもデートのテンプレなんて分からないし、なら教えて貰った方が女性の好みも分かるしいいだろう。
それから、お昼休みには春先さんにデートのあれこれを教えてもらう日々が続いた。
…で、だ。
俺は今、星街さんに壁ドンをされている。
女性が男性にされて心ときめくと言われるアレではなく、壁がミシミシ言うタイプのやつ。やめてくれよ俺の家賃貸なんだから。
「ねぇ…昼に一緒にいた女、誰?」
「昼…あぁ、春先さんのことか」
「のどかちゃん?のどかちゃんも雫さんのこと狙ってるのかな」
「へぇ、春先さんって下の名前のどかって言うんだ」
「私の前で他の女のことを名前呼びしないで!!!!!!!!!」
ドンッッッッッッ!と凄い力で壁ドン(物理)をかましながら星街さんは叫ぶ。やめてくれよ俺の家賃貸なんだから。
「ねぇ雫さん、もうすいちゃんのこと飽きちゃったんですか?だからすいちゃんに隠れて他の子のところに行くんですか?」
「は?違」
「こうなったら…二度とすいちゃんの近くから逃げれないように雫さんを監禁するしか…あと雫さんに寄ってたかる女共も消さないと…汚物は消毒しなきゃダメだもんね」
「待て待て待て待てだから違うってまず話を聞け。俺は春先さんに星街さんが好きそうなデートスポットを教えて貰ってただけだ」
「…え?」
その後、正気を取り戻した星街さんに、俺は事の顛末を事細かに説明した。納得はして貰えたが、「でも、」と星街さんは俺を抱き締める。
「…私、不安でした。最近忙しくて会えてないのもあってずっと寂しくて。そんな時に雫さんとのどかちゃんが一緒にいるの見て勝手にモヤモヤしちゃって」
「それは…ごめん」
「ギュッてして」
「あぁ」
言われて、俺も星街さんを抱き締める。今思えば、春先さんに心配されるより前に星街さんに相談すれば早かったのではないか。相談しなかったにしても、恋人がいる状態で女性と二人で会うのは不用心だったか。抱き締め返した腕の中で、星街さんは少しだけ震えていた。
「不安にさせたのは悪かったよ。だからそのお詫びも兼ねて、この夏のどこかで遊びに行こう」
「…二人で?」
「二人でだ。その…いわゆる初デート、しよう」
「うん!初デート、する!」
俺だって、大切なのだ。
暑がりな俺が。
初夏のこのクソ暑い時期に。
腕の中の温もりをずっと離したくないと思うくらいには。
…こんなこと、気恥ずかしいから誰にも言わないけど。
夏が、始まる。
星街さんと共に過ごす、初めての夏が。