鳰紫の教鞭 作:常世さん
彼は、転生者だった。その前世は、精神的にタフな一般人。そして、
巨大蟲に侵略された江戸時代の日本を舞台とした世界で、彼は黒幕として、全ての悲劇の元凶として、全ての責任を背負って
「――――私のミスでした」
いつの間にか、紫の体は揺れる電車の中にあった。
千年振りか、それ以上振りの現代の文明の利器に乗りながら、鳰紫は目の前の空色の髪をした少女の言葉へと耳を傾ける。
「私の選択、そしてその結果により招かれたこの事態。結局、ここまでの惨状を招いてやっと、貴方が正しかった事を悟るなんて……今更、図々しい申し出とは理解しています。その上で、改めてお願いします」
「――――紫先生」
「ここでの会話を覚えておらずとも、貴方の選択は陰ることが無いでしょう。そう、それこそが重要な事」
「この歪んで捻じれた終着点とは違う、新たな結果を齎すために」
「だから先生、どうか……」
眩んでいく意識の中、鳰紫はただ少女の言葉を聞いていた。
自分には、“先生”等と呼ばれる資格など無いだろう、とそう思いながら。
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連邦生徒会のロビーへと向かう廊下に、一定の規則性を持った足音が几帳面に響く。
七神リン。この連邦生徒会の首席行政官であり、同時に失踪した連邦生徒会長代理を務めている
彼女が急いでいるのは、生徒会長より予め聞いた“先生”と呼ばれる人物が今日着任するという話であったから。
果たして、ロビーには一人の青年が目をつぶり椅子に座り込んでいた。
奇妙なのはその風体。藤色の着物に、真っ黒の袴。それから、壁襟の施された腰丈の外套。
何と言うべきか、随分と古い格好だ。もっとも、この都市では奇抜な恰好をしている者も珍しくない為特別変というものでもない。
気持ちよく眠っているようだが、如何せん寝かせている暇はない。
チラリと資料で先生と呼ばれるこの青年の名前を確認して、リンは手を伸ばした。
「先生?
「…………ん……?」
肩を揺すって声を掛ければ、小さな声が返ってくる。
そして目を覚ました青年は顔を上げて、少しの間ぼんやりとした目でリンを見たかと思えば、その直後に少し驚いたような表情を浮かべた。
「君は…………」
「おはようございます、先生。お目覚めの直後で大変恐縮ですが、時間がありません。立てますか?」
「え?…………ええ、まあ……」
未だに困惑したような様子で、青年は立ち上がる。
リンよりも頭一つは高い背丈。その藤紫色の髪を揺らして周囲を見渡すその様子はまだまだ状況を飲み込めていないらしい。
「……いくつか質問をしても大丈夫でしょうか?」
「混乱されている事は、分かります。ですが、貴方は、その……恐らく、会長がお呼びした先生の筈なんです」
「その“先生”と呼ばれる理由が、解せないんですよ。私は、そう呼ばれるに値する人間じゃない」
それは彼、
何がどうしてこんな状況に陥ったのか皆目見当もつかないが、それでも紫は自分が決して誰かに誇れるような人間では無い事だけは知っている。
だがしかし、彼がどれだけ自己評価を落とそうともリンには関係が無い。
「値する人間であるかどうかは、この際関係ありません。この場に鳰先生がいらっしゃるという状況こそが重要なんです。とにかく、急ぎます」
僅かな苛立ちを感じさせながら、リンは踵を返して部屋の出入り口へと足を向けた。
流石に状況の一つも分からない状況で一人になる、という選択肢を採るほど紫も阿呆ではない。
せかせかと進む少女の背を追い、ついでにその頭の上に浮かぶ奇妙な光の輝きを観察しつつ、懐に入れた右手を変化させていた。
(力は、使えると。いやはや、何がどうなっているのか)
紫の
だが、気付けばこんな場所に居り。その格好は、最終決戦の直前まで着ていたもの。
とりあえず気を取り直して、紫は情報収集に移る事にした。
「それじゃあ、幾つか質問させてもらっても良いですかね?」
「はい、勿論」
「まずは、ここがどこなのかを聞いても?」
「ここは、連邦生徒会の本部ビルです。この土地の事をおたずねでしたら、ここはキヴォトスと呼称された学園都市、とお答えしましょうか」
「成程、学園都市。それは、個としてそうなっているんですかね?それとも、群体として…………いや、そういえば
「大小合わせて、数千規模ですね」
「成程成程……因みに、学内自治は?」
「行われています。数千規模の学園の全てを個別に見て、統治をおこなう事など不可能ですからね。我々連邦生徒会の仕事は、このキヴォトスにおける全体の行政を担う事に在ります。各学園間での調停や、スケバンなどの違法生徒の取り締まり、イベントに関する立案、運営、並びに財源分配等々……言ってしまえば何でも屋、といった所でしょうか」
「何でも屋……いや、何とも大変そうですね。明確な上位者というのは、不興を買いやすい。君も……ええっと、そういえば名前を聞いてませんでしたね。良ければ、教えてもらえますか?」
「ああ……名乗っていませんでしたね。失礼いたしました。私は、連邦生徒会首席行政官を務めさせていただいています、七神リンと申します」
「よろしくお願いしますね、七神君。それはそうと、一体どこへ?てっきり私は、連邦生徒会の会長に会うのかと思ったんですが……」
「…………」
黙り込んだリンの横顔を少し覗き、紫は己の失言を悟る。同時に、良くない癖が出てしまった、とも。
咄嗟に謝ろうと口を開こうとした紫。だが、その前に二人の足は目的地へと辿り着いてしまった。
連邦生徒会のロビー。そこは、先程までの静謐さは何処へやら。騒がしい限りである。
「成程、混乱状況、といった所ですか」
「その通りです。鳰先生には早急にこの事態を治めるべく――――」
「やっと見つけたわよ、代行!」
リンの言葉を遮って別の少女の声が響く。同時に、人混みから四人ほどの少女が飛び出してきた。
驚くべきは、彼女らはそれぞれに己の得物であろう銃火器を有している点。ツーサイドアップの少女は二丁のサブマシンガンを。黒い羽根に背の高い黒髪の少女はスナイパーライフルを。眼鏡に風紀と掛かれた腕章をつけた少女は拳銃を。真っ白な髪をした少女は、アサルトライフルを。
中々物騒な彼女らに、紫は眉根を上げた。
「今すぐ連邦生徒会長に会わせて頂戴!」
「首席行政官、お待ちしておりました」
「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長が、今の状況に対する納得できる回答を要求されています」
口々にそう言う彼女らに、リンはというと眉根を寄せて面倒くさそうな表情を崩さない。
「はぁ……面倒な人たちに捕まりましたね…………ごきげんよう、各学園から態々お集まりの皆さん。貴女方がお集まりの理由はこちらも把握しています。現在各学園、並びにここキヴォトスで起きている大規模な混乱に対する責を問う為、でしょう?」
「そこまで分かってるのなら、なんとかしなさいよ!?連邦生徒会でしょ!?この前も、うちの風力発電所が爆発しちゃったのよ!?それだけじゃなく、このキヴォトス全体の学園が混乱状況だって言うのに、貴方達はいったい――――」
「少し、良いでしょうか?」
手刀を切って、リンと彼女へと詰め寄る少女の間に紫は割り込んだ。
ギョッとする少女に、紫の柔和な笑みが向けられる。
「すみませんね。君達も大変なことは、その逼迫した態度から分かります。ですが熱くなりすぎれば、情報は上手く通じなくなってしまいますからね」
「あ、貴方は……?」
「私は、鳰紫。立ち位置は………そうですね、新任の“先生”という事らしいです」
ね?と紫が視線を送れば、リンも頷きを返す。
「……ええ、その通りです。この混乱を治めるフィクサーとして、連邦生徒会長が直々に指名した方なのですから」
「それで、その生徒会長は一体どちらに?」
「…………連邦生徒会長は、今は席に居りません。正直に言いますとしばらく前から行方不明という状態です」
「ッ、やはりあの噂は………」
「結論から言いますと、サンクトゥムタワーの最終管理者が居なくなった結果、今の連邦生徒会は行政制御権を失った状態にあります。認証を迂回する方法も試しましたが、何れも芳しくなく。ですので、どれだけキヴォトスが荒れようとも、こちらとしても手を出せない状況にあったのです…………今までは」
そこで、リンの目が紫へと向けられる。
「先の通り、鳰先生は外部から会長の招聘した“大人”。このキヴォトスの先生と成る人です。鳰先生には、連邦生徒会長が立ち上げたある部活の顧問に就任してもらいます」
「部活動?」
「はい。それこそが、この混沌へと対抗手段。連邦捜査部“S.C.H.A.L.E”です」