鳰紫の教鞭 作:常世さん
「本当に私たち、先生についてきただけよね」
ユウカの発言がその全てを物語っている。そして、誰からも否定の言葉は出なかった。
当然だろう。キヴォトスの外からやってきたヘイローを持たない新任の先生だと思っていれば、何やら不思議な力を持っておりアッサリと無傷で戦場を横断してしまったのだから。
釈然としない様子の彼女らに、紫は柔らかな笑みを向ける。
「気にする事はありませんよ、早瀬君。何より、私としては君達との会話は実に楽しいものでした。それに、君達の学校に関しても少しは知れましたから」
そう言って笑う先生を前にして、しかし少女たちはとある事も気にかかった。
凡そ三十キロの散歩とも言うべき行軍の中で行われたちょっとした授業。その最後の際に、彼は自分の様にはなってはいけない、と生徒たちにそう言った。
だが、少なくとも四人から見て
柔和な笑みを浮かべ、口調も優しく、そして穏やかな声は自然と聞いている側を落ち着かせてくれる。
そんな男性が、先のような事を言う。気にかからないという方が嘘というものだ。
だが、今はやるべきことがある。
「聞こえますか?七神君」
『部室に辿り着きましたか?』
「ああ。これから入館しようと思っている所ですよ」
『では、こちらから端末に先生のIDを発行させていただきます。それを出入り口の端末にかざす事でビル内への出入りを可能としますので、無くさないでくださいね?』
「肝に銘じましょう……それはそうと、今回の件の首謀者だった狐坂ワカモ君に関しては、何か分かりましたか?」
『いえ、何とも。どうやら先生が連邦生徒会本部ビルを出て暫くした段階で行方を眩ませてしまったようです』
「成程」
端末に表示されるリンの顔を見つつ、紫は空いた手で顎に手を添える。
彼は、この行軍の最中視線を感じ取っていた。ただ、それ以上は何も起きなかった為に放置していたのだ。
視線の質は、興味と観察。もし仮に、そこに悪意や敵意が乗っていたのなら黒丸を差し向けたかもしれないが、生憎とそのような事は無かった。
気になる事は多いが、まずは仕事を果たすべきだろう。
「それで、七神君。私は、何処へ向かえば?そのまま部室に行ってしまっても?」
『いえ、先生はこのまま地下を目指してください。そちらに、生徒会長が必要なものを残した、と言い残しています』
「分かりました。では、地下に向かいましょう」
『はい。私も直ぐに向かいますから』
そこで、通信は途切れる。紫は、四人へと向き直った。
「早瀬君、羽川君、守月君、火宮君。ここまでの付き添い、ありがとうございました。消費した弾薬などの請求は、連邦生徒会を通してシャーレにお願いしますね」
「よろしいのですか?早瀬さんの言ったように、私たちはついてきただけになってしまいましたが……」
「勿論。出発する前に君達も少なからず銃を扱っていましたからね。使った時間や、消費した弾丸、火薬が問題なのではなく、私の用事に関して道具を使用した、という事実が大切なんです」
指を立て、まるで教鞭を振るうように紫は言葉を紡いでいく。
「良いですか?確かに、奉仕活動というものは尊いものです。ですが、そんな善意を踏みつける者は必ず居ます。代金の請求というのは自衛のための手段でもあるんです。私は、君達が悪意の食い物にされる事を望みません」
労働には対価が必要だと紫は考えている。そして、大人からの一方的な搾取の対象となるのは知識と経験の足りない子供たちである、とも。
もっとも、
(私が言えた義理ではありませんけどね)
子供を食い物にしてしまったのは、彼も同じ。それが、未来の為であったとしても結局くは己の目的のために子供たちに洗脳紛いの教育を施してしまったのだから。
この件に関しては、紫は一切の弁明をするつもりはない。何なら、市中引き回しの上で石打百回からの竹のノコギリで首切りをされたとしても一切の言い訳も反論する事無く受け入れる覚悟を持っていた。
「さて、私はこれからこのビルの地下へと向かいます。入館IDが必要になりますから、私だけで向かいますが……君達はここで解散としましょう。それぞれの学園も、君達が帰って来るのを待っているでしょうからね」
「…………良いんですか?いえ、先生の強さを疑ってる訳じゃないんですけど……」
「勿論ですよ、早瀬君。ああ、でも一つ頼めるのなら……もしそれぞれの学園を赴く際には君達に案内を頼みたいな、と考えてはいますよ?勿論、君達の事情が最優先ではありますがね」
紫のその発言に少女たちは顔を見合わせた。
ヘイローの無い人間が無防備に歩き回るなど、本来ならば止めなければならない所だが既に彼の能力を見せつけられた彼女らには止める言葉など出てこない。
「では、トリニティへとお越しの際には私がご案内いたしましょう」
「ッ、先生!ミレニアムに来た時には、セミナーに寄ってくださいね?!ご案内しますから!」
「ありがとうございます、守月君、早瀬君」
「えっと、その……ゲヘナは治安が悪いので…………出来れば、来訪前に一報を入れていただくと良いかもしれません」
「成程。では、ゲヘナ訪問の際にはそうさせてもらいましょう。連絡に関しては、恐らくシャーレに直接届けられるようになります。残念ながら、今の私は自身の通信端末を持っていませんからね。こちらも連邦生徒会からの借りものですし」
千年振りの電子機器というのは発展し過ぎて馴染みが無いのだが、紫はそんな事おくびにも出さない。
それから、二言三言少女たちと言葉を交わして、紫はビルの方へと足を向けた。
電子錠を開いて足を踏み入れたビル内は、シンと静まり返っている。
エレベーターを利用して地下へと進み、辿り着くのはクラフトチェンバーと名札のある部屋だった。
「全部壊すのも忍びないですし……どうせならば、本当に大切なものだけを破壊「それは少々困ってしまいますね」――――ッ!?」
狐面を付けた和装の少女は、突然の背後からの声に大きく肩を跳ねさせると勢いよくその場を離脱し愛銃の銃口を向けた。
声の主であった紫は変わらぬ柔和な笑みを浮かべ少女と相対する。
「こんにちは。狐坂ワカモ君、ですね?私は、鳰紫。本日付でここキヴォトスで先生として着任する事になりました。どうぞ、よろしく」
「あ、えっと…………よろしくお願いします……?」
困惑しきりのワカモ。何と言うべきか、その様子は忙しない。
ゆらゆらと毛並みの良い黒い尻尾は落ち着かず、被った狐面の目元より覗く鋭い眼光は何処か所在なさげにあちらこちらを右往左往。
予め、リンより危険な生徒である、と前情報を貰っていた紫だったがどうにも彼女には敵意や害意のようなモノが感じ取れずにいた。いや、先程の破壊発言などは明らかに問題児どころか犯罪者の所業ではあるのだが。
「あの、その………」
「どうしました?」
「し……」
「し?」
「失礼いたしましたーーーーーっ!!!」
大声と共に、和装の裾を翻してワカモは部屋を飛び出していく。
その背を見送る形となった紫は、改めて目の前の機械を見上げた。
この世界は、彼の遠い記憶の底に在る情景よりも更に進んだ科学技術並びに、理解の及ばない奇跡とも言うべきものがある。
もっとも、今の紫の有した力の方も人知の外に在る様な代物だったが。
(私のような人でなしが、教師を名乗る…………とんだお笑い種ですね)
手を緩く後ろで組んで、思い出すのは昔の事。
(地獄へと落ちるには、いつまでかかるのやら)
大罪人は、罰を望む。