鳰紫の教鞭 作:常世さん
ミレニアムサイエンススクールにて生徒会に相当する“セミナー”で会計を務める彼女、早瀬ユウカはここ最近とある悩みを抱えていた。
「むぅ………」
唇を尖らせて、睨むように見つめるのは自身の端末。
トークアプリ“モモトーク”に表示される名前は、“鳰紫”。名前をそのままに表す様な、紫一色のアイコンの上を指が行ったり来たり。
そんな彼女の背に、影が差す。
「噂の先生ですか?ユウカちゃん」
「ッ!?!?ノ、ノノノ、ノア!?」
お手本のような狼狽え方を見せるユウカに、生塩ノアは口元を隠しつつ笑みを浮かべた。
早瀬ユウカという少女は、世話焼きの気質がある。ダメな子ほど可愛い、ではないが何かと手のかかる相手に対して世話を焼いてしまう、そんなタイプ。
そんな彼女の今の関心は、少し前に着任した“先生”に対して。
「連絡しないんですか?」
「それは、その……最近、先生は忙しそうだし………」
「ブラックマーケットに出入りしているって話でしたね」
「それは、先生が言うには『立ち上がりたいと思う子に手を差し伸べるのも仕事ですから』だって」
「それで放置されたユウカちゃんは、ご機嫌斜め、という事ですね」
「だ、誰が!………」
反論しようとして、しかしユウカの視線は端末へと落とされた。
人当たり良く、物腰も低く丁寧。柔和な笑みはそれだけでも警戒心を削ぎ、するりと心に入り込んでくる。
実力に関しても、身一つで戦場を横断し戦車砲すらも意味を成さない程に堅牢堅固な防壁と、戦車装甲を薄紙の様に刻む切断力を有している。
知識も申し分なく。一度ユウカが書式関連で訪れた際には、書籍と資料とデータの海に沈んでいたにもかかわらず、その翌日には知識の大半を頭に収め、身に付けていた。
先の通り、世話焼きの嫌いがあるユウカとしては何でもできる紫は、取っ掛かりが無いと言えた。それも、今は大きな仕事に着手している所だと知っている。
「……………」
要するに、寂しいのだ。交流を深めたいというのに、その取っ掛かりも無く。かといって仕事の邪魔はしたくない、というジレンマ。
友人のいじらしい様に、ノアは微笑を深める。
面白い、と。
「連絡、してみたら良いじゃないですか」
「でも……先生も忙しいみたいだし……それに、理由も……」
「でしたら、私に先生を紹介してもらえませんか?」
「え、ノアを?」
「はい。私も興味がありますし、セミナーの仕事も一区切りつきました。ミレニアムプライスも少し先ですし……ね?」
手を合わせ小首をかしげてみせるノアに、ユウカは考え込む。
紫の行動は、各学園が注目している。特にキヴォトス三大学園と称される、ミレニアム、トリニティ、ゲヘナの三校は特にその動向を注視していた。
その点、セミナー所属の生徒が二人接触するとなれば政治的なアドバンテージが採れるかもしれない。
そんな
*
「――――今日の授業は、ここまで。皆さん、復習は確りと行ってくださいね」
「はーい」
「せんせー、あたしのダチがここに来てみたいって言ってるんだけど、連れてきていい?」
「ええ、勿論。意欲のある生徒は大歓迎ですからね」
教壇に立つ紫へと数人の生徒たちが質問などを行い、十五分ほど経って解散。
生徒たちを見送って、紫は懐からシッテムの箱を取り出した。
「アロナ君。何かメッセージなどは来ていますか?」
『そうですね。連邦生徒会から数件と……あ、ミレニアムサイエンススクールの早瀬ユウカさんからのメッセージがモモトークに来てますね』
「早瀬君から?珍しいですね、何か問題発生でしょうか。アロナ君」
『はい!表示します!』
元気な返事と共に、シッテムの箱の画面にモモトークが開かれる。
その内容に目を通し、それから返信を一つ。
「アロナ君。もう一人分のシャーレビルへの出入に関する許可証を申請してもらえますか?」
『了解しました!……申請終了、直ぐに発行されますよ』
「それじゃあ、私たちも一度戻りましょうね」
シッテムの箱の画面を落として懐に収めて、紫は歩き出した。
だが、ここで妙な事が起きる。
歩く彼の足元を先回りするようにして、黒い粒子が集まり人一人が乗れる程度の大きさの黒い六角形の薄い板を形成。その上に、彼は足を掛ける。
対角直線距離で一メートル程か。その板の中心に立ち、紫は両手を緩く腰の辺りで組んだ。
すると、板は独りでに浮かび上がり、彼の身体もまた空へと押し上げられていく。
広大なキヴォトスを移動するのは、その土地に住む者達も苦労する。だからこそ、各学園の自治区は充実し、自給自足も可能。
しかし、シャーレの顧問として就任した紫はそうもいかない。
各学園を行き来し、尚且つ出来る限り移動時間も削減した上で、迅速な行動を求められる場合がある。
そこで、彼が編み出した移動方法が黒丸の形態変化を利用した移動手段だった。
黒丸は最速で動かそうと思えば、戦車砲レベルの速度が出る。人が乗る点から速度を加減したとしても、時速数十キロから場合によっては百キロを超える速度も叩き出せる。
何より、空を飛ぶ事で最短距離を進める事が大きい。
程なくしてシャーレのビルが見えてきた。
入口へと降り立ち、空を見上げる。
「今は、未の刻に入り始めた位、ですかね」
入館許可証を機材にかざしてビル内に足を踏み入れつつ、紫が考えるのはこれからの事だ。
一つ明かすのならば、
(私は、一体何時までここに居られるんでしょうね)
紫は確かにあの瞬間、死んだ筈だった。だが、気付けばキヴォトスに居り教師のまねごとをしている始末。
そして、紫はこの生活が何れ終わりを告げるのだと考えている。
だからこそ、彼は不良たちを更生させるために精力的に動き、様々な業務を寝食を削って熟していた。
いつか居なくなる、その時のために。
「……ん。来ましたね」
自身のデスクについて書類を捌いていた紫は、顔を上げる。同時に、ノックが一つ鳴らされた。
「失礼します」
「やあ、早瀬君」
入室してきた早瀬ユウカと彼女に連れられてきたもう一人の少女を、紫は快く迎え入れる。
椅子から立ち上がり、二人の元へ。
「今日は、セミナーの生徒を紹介する、という話でしたね」
「はい!こちら、セミナーの書記を務めてもらっている――――」
「生塩ノアといいます。初めまして、鳰先生」
「初めまして、生塩君。知っているようですが、私は鳰紫。僭越ながら、先生をさせてもらっています」
「ええ、お噂はかねがね。科学技術とも神秘とも違う、特殊な力をお持ちだとか」
「ほう、噂に……いえ、私も隠している訳ではありませんからね。っと、立ち話もなんですからそちらのソファにどうぞ。私はお茶でも淹れてきます」
「あ、先生!私がやります!」
「え?ですが、君達はお客様で――――」
「私が、やりますから!」
フンス、と胸を張って紫をソファへと押しやり、ユウカは給湯室へと向かう。
生徒の自主性を無視してまで押し通す事でもない。そう判断して、紫はノアをソファへと案内し、足の短いテーブルを挟んで対面の席へと自身も腰を下ろした。
「ユウカちゃんの強引っぷりが不思議、と顔に書いてありますよ、先生」
「いやー、私も彼女を完璧に知っている訳ではありませんが、あそこまで強引であったかな、と思っただけですよ」
「ふふふ……そうですね。ユウカちゃんも先生に会えるのを楽しみにしていたんですから。こちらは、お茶請けのお菓子です」
ノアが持ち上げたのは、ミレニアムの自治区に存在するとあるお菓子屋さんの紙袋。中に入っているのは、マドレーヌやフィナンシェなどの洋菓子の詰め合わせだ。同時に、給湯室の方から薫り高いコーヒーの良い香りが漂ってくる。
「先生は甘い物はお好きでしょうか?」
「勿論。こう見えても、甘味を自作する程度には好きですよ」
「まあ、お料理も為さるのですか?」
「はい。といっても、特別得意という訳でもありませんがね。人並み、といった程度の腕前でしょう」
崩れない微笑を湛える紫に、ノアもまた変わらぬ微笑を口元に湛えつつ持ってきたお菓子の積み合わせをテーブルへと乗せる。
鳰紫という男性の噂は、ここキヴォトスに置いてかなりホットな話題だ。何せ、やる事が大きい。
こちらも噂だが、ブラックマーケットの一部では紫に対しての懸賞金があるとか、無いとか。そしてこれを巡って親先生派と強硬派が対立しているとか。
ユウカが三つのカップをトレーに乗せて給湯室を出てくる。
「何の話ですか?」
「先生がお料理をされる、という話ですよユウカちゃん」
「……でも、先生。その割に、食材を購入されることは愚か、そもそも何も食べていない時がありますよね?」
「あっはっはっは……まあ、大丈夫ですよ。自分の限界はよーく、知っていますから」
「目を逸らさないでください!先生が精力的に働いているのは知ってますけど、限度があります!」
キャンキャンと咆えてくるユウカから、目を逸らしつつ、紫はカップを手に取り中身に口をつける。
こうして生徒たちと話していると、昔を思い出す。
確かに陽だまりであった時間。そして、自分でその全てを壊してしまった彼の罪。