鳰紫の教鞭 作:常世さん
大人への猜疑心。長年降り積もったソレは、一度や二度の善行で改まったりはしない。
「――――私は認めないからッ!!!」
椅子を蹴り倒す勢いで部屋を駆け出て行く少女。その後を一人が追いかけ、会議室は気まずい沈黙が満たされていた。
だがそれは、生徒たちだけの話。
「……」
出されていた湯呑を啜りながら、
そんな彼の様子に目を細めたのは、桃色の髪をした少女、小鳥遊ホシノ。
「……いやー、ごめんねぇ先生。セリカちゃんもいっぱいいっぱいでさぁ」
「ふふっ、気にしないでください小鳥遊君。黒見君の反応も分からないものじゃありませんから」
「うへー、大人の余裕って奴ー?」
「さあて、どうでしょうねぇ」
底知れない。湯呑を置いて穏やかな微笑を崩さない紫にホシノの警戒心がまた一段階引き上げられる。
確かに、大量の物資を融通してくれたことはありがたい。だが、その物資の輸送方法が得体のしれないもの過ぎた。
ヘイローを有する自分達を簡単に殺せてしまう可能性。そもそも、キヴォトス最強の一角であるホシノをして敵わないと思わせる雰囲気があった。
そして、ホシノの警戒を紫は気付いている。気付いている上で、無視していた。
彼女を嘗めているとかそう言う話ではなく、単純に優先順位の問題だ。
紫の最優先目標は、アビドス高等学校の現状問題の打破。その為ならば、生徒たちに嫌われる事もすべて織り込む次第だ。
「さて、小鳥遊君、砂狼君、奥空君。まずは君達に、問いましょう」
湯呑を置き、机に両肘をついて両手を組んで口元を隠した紫は子供たちへと問う。
「君達は、これからどうしたいですか?」
「ん……私たち?」
「ええ、その通りです。ブラックマーケットの治安がある程度回復し、あぶれた不良生徒たちが他校を襲う事も少なくなりました。それでも、君達には多額の借金があります。在校生五名では、どれ程返済を目指そうと、利子を返すだけで精一杯でしょう」
「だから、諦めろ、というんですか……?」
「それも一つの選択肢ではあるでしょう」
口元を隠し淡々とそんな事を言う紫に、鋭い視線が向く。
勢いよくテーブルの天板が叩かれた。同時に、怒気をもって咆えたのは奥空アヤネである。
「諦めきれる筈ないじゃないですか!!」
どちらかといえば大人しい気質である彼女が、こうまで激する。
それ程までに、先の紫の発言は看過できるものではなかった。
涙すら零しそうになるほどの、激しい感情。そして、彼女の感情に触発される様に、シロコとホシノからもあまり良い感情の見受けられない視線を向けられる事になった紫。
そして、これこそが狙い。
「――――良いでしょう」
頷き、口元で組んでいた手を解いて、椅子より立ち上がる。
それから、深々と頭を下げた。
「まずは、謝罪を。君達の覚悟を見る為とはいえ、君達にとっては辛い事を言ったでしょう。許してくれ、とは言いません」
「……うへー、女の子を泣かす趣味があるの?先生ってさぁ」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。ただ、コレはとても大切な確認なんです」
冗談めかしながらも、目が笑っていないホシノへと柔和な笑みを返しながら、紫は顔を上げる。
「君達が危機的状況である事は、誰の目からも明らかでしょう。そして、この状況で一番恐ろしい事は、内部崩壊です」
右手の人差し指を立てて、紫はゆっくりと宙をかき混ぜる。
「外部的圧力がただでさえ強い中で、内側から柱が抜けてしまえば残りの柱に大きな圧力がかかるのは明らか。これは人間関係にも言える事です。君達五人に必要なのは、何よりも固い結束なのですから」
「ん、それで?」
「先の通り、固い結束が必要な事は事実。しかし、私は先生という立場です。君達の行う事全てを諸手を挙げて賛成し、賛同し、そして手助けをする、何て事はできません。様々な可能性を、未来を君達に提示する事もまた、私の仕事なんですよ」
穏やかに語る紫。
恨まれても、憎まれても、彼はこのスタンスを崩す事はないだろう。
生徒を大事に思うからこそ、彼女らの将来自立するために必要な手助けをする。今目の前にある問題に関しても、生徒たちの自主性を尊重しつつ、どうにもならない事には手を差し伸べる。
それが、
「さて、小鳥遊君」
「なぁに~?」
「これから、アビドス高校の紹介動画を撮りましょうか」
「へ?」
のらりくらりと浮雲の様に心の底を掴ませないホシノが、珍しく固まる。シロコとアヤネも首を傾げており、紫の意図が分からずにいた。
少女たちに、
「アビドス高校の莫大な借金を、君達だけですべて返済する事は、不可能です。利子を返すだけでも精一杯なのですから、当然ですね。ですので、根本的な部分から解決していこうと思うんですよ」
「こ、根本的な部分、ですか?」
「はい。奥空君。この学校にもっとも足りないものは、何でしょうか」
「え?ええっと……」
唐突に話を振られ、アヤネは考える。
足りないものなど、山ほどある。資金、物資、人員、資源、技術etc.
そこで手を挙げたのは、シロコだ。
「ん、お金」
「ふふっ、確かにそうですね。莫大な借金があるのですから、そちらに意識が向くでしょう。ですが、少し違います。小鳥遊君はどうですか?」
「…………やっぱり、生徒数じゃないかなぁ」
「その通り。良く出来ました、小鳥遊君。君の言うように、お金の問題は人員で解決できる可能性があるんです」
「でも、先生。どこから、その生徒を連れてくるのさ。まさか、先生が誘拐を薦めたりしないよねぇ?」
「まさか。私の目が黒い内は、生徒から前科者を出すのは嫌ですからね。話を戻しますが、その為の学校紹介動画ですよ」
「…………見せる相手が、いるのぉ?」
「もちろん」
紫は言い淀まない。きっぱりと、ホシノの言葉を肯定してみせる。
そんな大人に、少女は疑念を募らせる一方だった。
科学技術とも神秘とも違う奇妙な力に加えて、今この瞬間でも自分達を害する事が出来るであろう実力者。
警戒を強めようとも、気にした様子もなく一切の裏無く紡がれる言葉たち。
強者の余裕か、それとも別の要因か。
ホシノが内心で測りかねる中、紫は笑みを絶やさない。
「さて、ソレでは仕事を始めましょう」
*
過去、アビドス高校はキヴォトスでも最大級の学校だった。
しかしこれは、アビドスが他学校に比べて非常に優れていたから、
勿論生徒数が多い分、一定以上の水準を有していただろう。しかしそれでも、現在のキヴォトス三大学園と比べれば特色に劣る。
では何故、アビドスは生徒数が多かったのか。
その答えの一つを、鳰紫は示してみせる。
「何、これ……」
激情のままに飛び出してしまった日の翌日、若干の気まずさを覚えながら学校へと登校した黒見セリカは、思わぬ光景にカバンを落とし、校門前で固まってしまった。
彼女の目の前に広がっていたもの。それは砂だらけの自分たちの校舎、ではなく。
百人程の生徒たちがせっせと砂を落とし、校舎を綺麗にしている姿だった。
たった一晩で何が起きたのか。あんぐりと口を開けて固まるセリカの元へ、掃除をする生徒たちに混じっていたシロコが駆け寄ってきた。
「おはよう、セリカ」
「……」
「セリカ?」
「…………ッ!?お、おはようございます!シロコ先輩!!」
「ん、おはよ」
「あの……これは、いったい?」
カバンを拾い上げたセリカが問う。当然の疑問だろう。
「ん、先生が今朝連れてきた」
「……アイツが?」
セリカの眉間に皺が寄る。
なよなよとした優男。唐突にやって来た、
「ん、今は砂漠の方を見に行ってるみたい」
「……何で、こんなに生徒が居るんですか?」
「先生の生徒だって」
「生徒?」
「――――それは、私の方から説明させてもらいましょう」
「!?」
突然降ってくる声。慌ててセリカが見上げれば、そこには黒い六角形の板に乗って空を飛ぶ、紫の姿が。
三メートル程の高さになった所で彼は、セリカたちの前へと飛び降りて、音もなく着地を決めた。
「おはようございます、黒見君」
「…………おはよう」
「ええ。さて、君の疑問に答える為には、アビドス高等学校の昔を少し考える必要がありますね」
憮然とした、子供ながらのセリカの反抗的態度を微笑まし気に眺めながら、紫は右手の人差し指を立てる。
「砂嵐に呑まれる前、ここアビドス高等学校はキヴォトスでも最大の生徒数を誇る学園でした。この話は、二人とも知っていますね」
「ん」
「……当然でしょ」
「よろしい。では、何故アビドス高等学校はそこまでの生徒数を誇っていたのでしょうか」
紫の問題に、二人は互いの顔を見合わせた。
アビドスが最大規模の学園で合った時、ミレニアムは兎も角、トリニティとゲヘナは存在していた。
規模として見ても、かなりのものだっただろう。そんな二校を差し置いて、最大規模。そこには理由が有った。
「…………昔、農業系にも力を入れてたって話を聞いた事があるわ。それじゃないの?」
「良い視点です。ですが、もっと視野を広げてください。確かに、農業関連を学ぶならば良いかもしれませんが、生徒の大半がその学科を目的に来ている訳ではないんですから」
「じゃあ、どういう理由よ」
諭すような紫の物言いに、セリカは苛立ったような目を向けた。
彼の余裕のある態度が、どうしてもセリカは嫌だったのだ。まるで、自分が子供である、と突きつけられているようで。
「では、砂狼君、黒見君。二人は、トリニティ総合学園とゲヘナ学園にどのような印象を持っていますか?具体的に表現する必要はありません。君達のイメージをそのままに教えてください」
「ん……トリニティは、お金持ち?お嬢様学校」
「ゲヘナは……治安が悪い感じよね。不良の巣窟、みたいな」
「良いですね。君達の抱いている印象は、長い年月をかけて確立された物です。トリニティ総合学園は、その成り立ちからキッチリとした印象を抱かれています。お嬢様学校というのも確かです。一方でゲヘナ学園は粗暴で粗野な一面の目立つ生徒が多い印象を抱かれています。この二校は、何れもキヴォトスでも有名である事から進学を志す生徒も多いですが、その一方で進学する生徒は皆似たような気質を持ち合わせている場合が多いんです」
くるりと立てた右手の人差し指で円を描いて、紫は言葉を続ける。
「ですが、全員が全員この二校を目指す訳ではありません。そもそも、進学のみを目的にしている子も居るでしょう。トリニティ総合学園に通うには学費が払えず、ゲヘナ学園は危なくて嫌だ。そう考えた生徒の第三の選択肢、それこそがアビドス高等学校だった訳です」
「「!」」
「つまり、アビドスは一種の受け皿であった訳ですね。進学を希望し、一定以上の水準の授業を受ける事が可能で、且つ特殊な素養を求めない。この点で言うと、現在の三大学園は何れも人を選ぶ部分があります」
指を下して腰の後ろで緩く両手を組んで空を見上げる紫。
彼の言うように、キヴォトス三大学園は、何れも人を選ぶ部分があった。
だからこそ、アビドス高等学校にも価値が生まれてくる。
「私が今回連れてきた子たちは、何れもトリニティ、ゲヘナ、ミレニアムへの編入を渋った子たちです。勿論、他の学校も進めましたがいまいちしっくりこなかったようで。そこで今回、アビドス高等学校の紹介動画を撮り、彼女らに見せました」
「紹介動画?そんなもの、あったの?」
「紹介といっても、このアビドスの現状をただみせたものですよ。その動画を見せて、実情を説明して、その上で彼女らの意思をしっかりと確認してから連れてきました」
紫は、決して無理強いをしない。選択肢を提示するが、ソレを選ぶのは生徒たちに一任しており、質問を受ければ情報を落とすが背を押す事はしない。
実際の所、アビドスの紹介動画を見て、説明を受けて、その上でここまでやって来た百人ほどは話を聞いた者の中で三割といった所だろう。
「……何で、ここまでするの?」
「そうですね……強いて挙げれば、私が先生だからでしょうか」
セリカに問われ、紫は遠い目をする。
遠い記憶。既に過去となり、そして紫自身が永遠に背負い続ける咎。
「君達が大人になる時、一人で立つ事の出来る様に力をつけさせるのが私の仕事なんです」
「何それ」
「ふふふ、分からなくて良いんですよ。君達は、私を踏み台にして大きく雄飛してくれるのなら、それで良いんですから」
大切なのは、生徒たちの事。それだけだった。