鳰紫の教鞭   作:常世さん

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 アビドス高等学校の復興。そのニュースは、荒れるキヴォトス内でも比較的大きなニュースとなって駆け巡る事になった。

 当然、その一助となったシャーレの先生にも注目が集まる。

 

「人気者だねぇ、先生?」

 

「それはお互いさまというものじゃありませんか?ねぇ、小鳥遊生徒会長?」

 

「うへー……それは言わないでほしいなぁ」

 

 私のキャラじゃなーい、と机に突っ伏するホシノを横目に紫もまた書類を捌いていく。

 紫が、奥空アヤネの救難信号である手紙を貰って一週間ほど。アビドス高等学校の生徒数は、徐々に徐々にその数を増やしていた。

 

「…………ねぇ、先生?」

 

「何ですか?」

 

「私、どうすればよかったのかな」

 

 机の上に頬を乗せたまま、ホシノは紫を見もせずに呟く。

 瞬く間に、とは言えないがそれでも徐々に復興していくアビドスの自治区。その為にはまだ大きな問題が横たわっているのだが、そちらは紫が対処する予定。

 

「そうですね……小鳥遊君は、なまじ何でもできるからこそ人への頼り方を知らないだけではありませんか?」

 

「そうかなぁ……?」

 

「何より、私がこうしてアビドスを訪れるまで後輩たちを守ってきたのは、君ですからね」

 

「………」

 

「といっても、今こうして私が言葉を連ねたとしても、君は信じないでしょう」

 

 万年筆を書類へと走らせながら、常と変わらない柔らかな笑みのままに紫は言葉を紡ぐ。

 

「まずは、自分と向き合う事から始めなさい。例えどれだけ、自分を許せなくても、無力感に苛まれたとしても。自分にとっての一番の味方は、自分なんですから」

 

「……先生も、そんな時があったんだ」

 

「勿論。そもそも、私は君達に対して教鞭を執れるような人間じゃないんですよ。下劣で汚い、そんな人間です。のうのうと生きている事すらも、罪深い」

 

 穏やかな口調が、ペン先のぶつかる音をBGMに紡がれていく。

 

「だから、私は教師は教師でも、反面教師、と言う方が正しい。私の様な人間をもう一度生む事が無い様に。そう願っていますよ」

 

「……先生は、乗り越えたんだ」

 

「乗り越えた、というよりも無視が出来るようになった、と表現する方が正しいでしょう。胸の痛みがどれだけ鋭く、深かろうとも大人になれば痛みに対して鈍感になっていきます。傷の上に色んなものが降り積もって、やがて見えなくなり、痛みも遠くなる。決して癒えた訳では無くとも、人はそこまで進めば無視が出来るようになりますから」

 

「じゃあ、私も大人になったら……」

 

「ですが、痛みを知る経験が何も悪い事ではありません」

 

「そうかなぁ?痛くない方が、良いんじゃない?」

 

「人は、痛みを知るからこそ優しくなれるからですよ。小鳥遊君、君がとても優しい子であるように」

 

 のっそりと、ホシノが身を起こしてジト目を紫に向ける。もっとも、向けられた当人は気にした様子もなくペンが動きを止める事もない。

 未だに警戒心は拭えない。

 紫自身が、ホシノの警戒を完全に解けるような行動をしない、というのもある。

 彼は何も語らない。先頭に立つわけでも、共に歩く訳でも、後ろから押すのでもない。

 ただそこに居る。一線を引いて、その人が立ちあがるのを永遠に待ち。どうしても立ち上がれないのならば、手を差し伸べ再び道を歩ませる。

 

(変な人だよねぇ)

 

 警戒を解く訳にはいかないが、それでも頼れる大人である事は確か。

 そんな大人へと、着信を告げる音が部屋に響く。

 

「…………ふむ」

 

「どうかしたの?先生?」

 

「いえ、少し外でお仕事ですね。小鳥遊君、皆を頼みますよ」

 

 大人の時間(戦争)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室を後にした紫は、しっかりとした足取りで校舎を抜け校庭へ。

 

「あ、紫先生!」

 

「やあ。こんにちは、阿慈谷君」

 

 何故か駐車場に止められた戦車と、その傍らで何やら作業をしていた少女。

 阿慈谷ヒフミ。彼女は、ここアビドス高等学校の生徒ではない。

 

「何処かへ、行かれるんですか?」

 

「ええ。ちょっとそこまで。阿慈谷君は、どうしたんですか?」

 

「私は、お使いです。皆さんに差し入れも持ってきたんですけど」

 

「そうですか。まあ、廃校寸前であった学校が急に盛り返せば、気になる子も出てきますからね」

 

 ヒフミの所属は、トリニティ。その出会いは、紫が面倒を見ているブラックマーケットに居た元不良たちが彼女を保護した事に始まる。

 そのままトリニティに送ればよかったのかもしれないが、如何せん元不良たちは過去の蛮行によってブラックリスト入りしてしまっていた為に、結局紫に助けを求めたのだ。

 しかしそんな紫も、おいそれとアビドスを離れる訳にもいかず、結果ヒフミはアビドスへと連れて来られる事になった。

 もっとも、彼女にとってはそう悪い事でもなかったりする。

 

「あの、紫先生!」

 

「何ですか?」

 

「また先生の教室に、参加させてもらってもいいですか?」

 

「勿論。私は、学びたいという生徒たちを邪険にはしませんよ。ただ、学ぶ単元に関しては進んでいない子に合わせますから、それだけは把握しておいてください」

 

「分かりました!」

 

 快活な笑みを浮かべる、普通の少女。

 阿慈谷ヒフミは、普通に学校生活を謳歌し。普通に勉強して。普通に友達と笑い。普通に一日を過ごしている。

 だから、普通に勉強で困ってしまう部分もあった。そこを拾い上げるのが、紫の青空教室だった。

 

「それでは、阿慈谷君。私は、少し出かけてきます」

 

「あ、はい!いってらっしゃい、先生!」

 

 快活な少女の声に送られて、紫は移動用の黒い六角形の板を造り出し、その上に乗ると空へと飛び出していく。

 空を進みながら、紫は懐に収めていたシッテムの箱を取り出した。

 

「アロナ君。カイザー・コーポレーションの情報を少し纏めてもらえますか?それから、砂嵐の発生時期とカイザーの()()が始まった時期も」

 

『カイザーの情報は、こちらに纏めていますよ!砂嵐に関しては、こちらです!』

 

「ありがとうございます」

 

『先生、本当にお一人で大丈夫ですか?いえ、先生が御強い事はよく知っていますけど……』

 

「大丈夫ですよ。修羅場には慣れていますから」

 

『せ、先生にそのようなご経験が……!?』

 

「何分、歳だけはとってますからねぇ」

 

『そういえば、先生ってお幾つなんですか?』

 

「ふふっ、さぁて……忘れてしまいました」

 

 はぐらかしているのか、本当の事なのか。

 一切合切を飲み下す微笑みを浮かべたまま、紫は空を進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キヴォトス屈指の複合商業グループ、カイザー・コーポレーション。

 この日、その理事の元を訪れたのは、一人の青年。

 

「こんにちは。私は、連邦捜査部シャーレの顧問を務めている、鳰紫と言います。理事とのお話があって、今回お邪魔しました。理事はどちらに?」

 

「えっ、あっ……しょ、少々お待ちください!」

 

 受付のロボット社員は、慌てて上司へとアポを飛ばす。

 待つこと数分。

 

「……お待たせいたしました。理事は、最上階に居ります。そちらのエレベーターをお使いください」

 

「ありがとうございます」

 

 示されたエレベーターへと向かう、紫。どんな技術か、彼が扉の前に立つの勝手に開き、乗り込めばボタンも押していないのに動き出す。

 時間にすれば、数十秒。

 高層ビルの最上階。

 扉が開き、カーペットの敷かれた廊下を進んで、これまた豪奢な扉の前へ。

 ノックはしない。何故ならここは、敵地であるので。

 

「やあ、初めましてカイザーPMCの理事殿」

 

「ふんっ……散々こちらを引っ搔き回しておきながら、よくもまあ抜け抜けと……!」

 

 柔和な笑みを浮かべる紫と相対するのは、一般ロボット会社員とは一線を画す巨体に黒いスーツを着たロボット。

 カイザー・コーポレーションでもPMCを担当する理事こそが彼だった。

 苛立ちを隠そうともしない理事を前に、紫は余裕の微笑み。

 

「いやいや、私は特に何もしていませよ」

 

「ふざけるなよ……!ブラックマーケットもそうだ。不良共は手頃な駒だったというのに……」

 

「はっはっはっは……いや、失敬。PMCを名乗りながら、ふふっ……子供の手を借りなければ、仕事の一つも真面に出来ないとは」

 

 生徒たちへと向ける優しい笑みとは違う、完全な嘲笑を理事へと向ける紫。

 ジリッ、と両者の間の空気が軋む。

 

「……チッ。話は、簡単だ。アビドスから手を引け」

 

「お断りします」

 

「貴様に、何ができる?言っておくがあの土地は――――」

 

「カイザーのもの、でしょう?知っていますよ、そんな事は」

 

「なら――――」

 

「それはそうと、実は私も少し小耳に挟んですけど……アビドス砂漠での砂嵐が様子を変えた時、時を同じくして砂漠で発掘作業を始めた企業が現れたらしいんですよ」

 

 自身の言葉を遮った淡々とした台詞に、理事の指がピクリと動く。紫の言葉は続く。

 

「砂漠というのは、風向きによってその規模を広げるものです。逆もまた然りですが……自然の驚異に人間が対抗しようと思えば、お金が掛かるのは必然。その規模が広ければ広いほどに、その額は巨大なものとなる」

 

「……何が言いたい」

 

「いえいえ、その企業が発掘を始めた頃より規模が大きくなった不自然な砂嵐。そして、不良債務者として消費者金融のブラックリスト入りをしてしまったアビドスに、貸付を行ったのは、カイザー・ローンでしたね。ふふふっ、いやー、何とも偶然というのはある物ですねぇ?」

 

 微笑のままに、言葉を連ねる紫。

 彼の発言の中身は、大抵の人が聞けば眉根を寄せて怪訝な表情をする事だろう。そして、敏い者は脳裏に“マッチポンプ”という言葉も浮かぶ。

 だが、敵もさる者引っ掻く者。理事は動揺を示さない。

 

「フンッ、それは随分な()()()。寧ろ、ブラックリスト入りした債務者に慈悲の手を差し伸べた我々の優しさに感謝すべき事だろう」

 

「そうですねぇ。因みに、アビドスが払っている金利に関しても少しあるんですよねぇ」

 

「知らんな。大方、ろくに書類も読まずにサインしたのだろう。迂闊な事だ」

 

「ええ、それはそう。それだけ追い詰められていたのでしょうけど、彼女たちは迂闊な事をしたのでしょう。その点はいう事はありません。私の指摘は、金の流れについて、です」

 

 顎を撫でて、緩く首を傾げる。

 

「毎月、七百万強。利子を返すだけでも、大変でしょう。では、その利子は返済へと充てられているのか?」

 

「……」

 

「違いましたね、カイザー理事。彼女らの返済は、全て彼女らを襲撃していた傭兵たちへの資金源となっていました」

 

「……何が望みだ?」

 

「そうですね……では、アビドス自治区を私に売ってください。今の市場規模なら、一億もあれば事足りるのでは?」

 

「ハッ……話にならんな。いったい、あの土地に幾ら費やしたと思っている?」

 

「貴方達こそ、状況が見えていないのでは?何十年と時間を費やし、金を費やし、労力を費やし、結局やっている事は子供の首を絞めるだけ――――下らない」

 

 吐き捨てた紫の雰囲気が変わる。

 先程まであった、優男染みた雰囲気は消え失せて、代わりに現れるのは歴戦の強者としての覇気。

 

()()は、私にとって庇護すべき生徒でもなければ、手を差し伸べなければならない子供でもない。単なる赤の他人で、そしてあの子たちを苦しめてきた敵でしかない」

 

「ッ、だからといって――――」

 

「まだ、分からないのか?確かに、カイザー・コーポレーションは大きな会社だが――――お前たち如き、物理的に潰す事位、造作もないという事を」

 

 瞬間、理事は見た。

 目の前の男の背後。幾多ものも虫を組み合わせたかのような怪物が、その大口を開けて全てを飲み込まんとする様を。

 そして、悟る。目の前の男は、人間の皮を被ったこの世の理の外側にある化物である、と。

 圧倒的な暴力の前には、肥大化した権力も意味を成さない。そもそも、理事が紫をこの場へと呼び出した時点で既に勝敗は決していたのだ。

 

 元々、紫はこの場に議論をしに来た訳ではない。況してや、子供を駒だと言い切った相手に対する慈悲など毛筋の一本分すらも存在しない。

 彼は分捕りに来たのだ。子供たちが大人の悪意によって奪われ続けたモノを、真正面から大人の力(圧倒的暴力)によって。

 

 最早、理事に抗う術はない。いや、もし仮にこの場で相対したのが理事でなかったとしても誰であろうと抗う事は出来なかった。

 

「…………一億だ。それ以上の取引に応じる気は無い」

 

「ええ、勿論。では、契約書を一枚いただきましょう」

 

 先程までの雰囲気を霧散させ、紫は微笑む。

 勝敗は、決した。

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